
東京地下鉄東西線の竹橋駅前、パレスサイドビルや皇居東御苑・平川門周辺を通り抜けて、北の丸公園の緑地帯へ向かいます。皇居ランナーの人たちに追い抜かれながら、散策していきます。

その名前の通り、皇居を見下ろすように建っている「パレスサイドビル」は毎日新聞社系列の「株式会社毎日ビルディング」が運営している高層ビルで、毎日新聞東京本社などが入居しています。

正面に小さく写っているのが皇居東御苑の緑地帯の入り口の一つである「平川門」です。江戸城の本丸へ向かうことが出来る門の一つです。

大手濠の水面に架橋されている「平川門橋」をズームで撮影しました。アーチを描いている木橋となっています。

歩道をしばらく歩いていくと、皇居東御苑「平川門」の枡形が見えてきました。この門から皇居東御苑の敷地内に入ると、二の丸庭園前にすぐに進むことが出来ます。

パレスサイドビルは地上9階+塔屋3階、地下6階建てで構成されています。敷地が道路と日本橋川にえぐられた細長い形状となっているため、2棟をずらして雁行状に配置し、それぞれの外側端部にエレベーター、トイレ、階段など配した2本の円柱状のコアが付けられています。

毎日新聞東京本社、並びに毎日新聞社と資本関係のある企業が多数入居しているほか、地下1階と地上1階には一般市民が利用できるレストラン街などがあります。

日本の大手新聞の一つである「毎日新聞社」の起源は、1876年(明治9年)に創刊された「大阪日報」、その後の1888年(明治11年)に改称した「大阪毎日新聞」となっています。

平川門橋の全景を撮影してみました。遠くには大手町地区の高層ビル群が広がっているのが見えます。

平川門橋の周辺もちょっとした広場やベンチなどが整備されていて、皇居ランナーの人たちの休憩スペースとして活用されています。前方に竹橋が見えてきました。

一つ橋地区のオフィスビル街から、北の丸公園の緑地帯へ向かうことが出来る「竹橋」の全景を撮影しました。「竹橋」の名前がここにある地下鉄の駅名にもなっていることから、この橋の周囲一帯が「竹橋」と呼ばれています。

竹橋交差点前から振り返って撮影したパレスサイドビルです。日露戦争後の1906年に東京の「電報新聞」を買収の上、「毎日電報」に改題して念願の東京進出を果たし、1911年には歴史と伝統をもつ「東京日日新聞の日報社を合併します。

そして太平洋戦争中の1943年1月には姉妹紙「東京日日新聞」と共に「毎日新聞」に改題して(編集の中枢機能は東京に移る)、現在に至っています。

竹橋から振り返って平川門方向を撮影しました。

大手町地区の高層ビル群をズームで撮影しました。1960年代の高度経済成長期に建てられた半世紀近く建っているオフィスビルと、2000年代後半から始まった再開発工事によって生まれた最新鋭高層オフィスビルが混在する景色となっています。
