
陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地と大日本印刷市ヶ谷工場の敷地の北側を通っている通りを散策して、JR飯田橋駅前へ向かいます。この界隈の市街地は新宿区の「市ヶ谷加賀町」と呼ばれているエリアとなっています。

前方に「大日本印刷市ヶ谷工場」の広大な敷地と建物群が見えてきました。大日本印刷の敷地の北側へ迂回していきます。

市街地の中には坂が非常に多く、起伏に富んだ地形の中に住宅街が広がっています。

大日本印刷市ヶ谷工場の敷地のちょうど北側を通っている「銀杏坂通り」を東へ向かって歩いていきます。

神楽坂界隈から市ヶ谷駅方向へ南北方向に伸びている「牛込中央通り」の商店街の大通りを渡って行きます。市ヶ谷や牛込、神楽坂周辺の住宅街に住んでいる人たち向けの商店街となっていました。

牛込中央通りの商店街の東側(飯田橋駅側)、新宿区の「南町地区」の住宅街の中をひたすら歩いていきます。どこまでも住宅密集地帯が際限なく広がっているみたいです。

南町地区を通り抜けて、「若宮町地区」のエリアへとはいっていきます。

住宅密集地帯の中に立派な塀や木々を持つ邸宅が見えてきました。これは「最高裁判所長官公邸」となっていますが、東日本大震災によって倒壊の可能性が出てきたので、現在は空き家となっています。

1928年(昭和3年)に馬場家の牛込邸として建築されたものであり、1947年(昭和22年)から最高裁判所長官公邸として使用されてきました。築80年以上は経っていることになります。

最高裁判所長官公邸の敷地を回り抜けて東側へ向かうと、急な下り坂が目の前に広がっていました。正面にはJR飯田橋駅西口の再開発工事で建設中の「飯田橋サクラパーク」の高層ビル群が見えます。

最高裁長官公邸裏から、飯田橋駅前の外濠へ向かって伸びている急な下り坂「逢坂(おうさか)」の坂上にやってきました。飯田橋サクラパークの高層オフィスビルとタワーマンションのツインタワーの存在が目立ちます。

逢坂の脇には説明板が設置してありました。「昔、小野美作吾という人が武蔵守となり、この地に来た時、美しい娘と恋仲になり、のち都に帰って没したが、娘の夢によりこの坂で再び逢ったという伝説に因み、逢坂とよばれるようになった。 設置者:東京都新宿区教育委員会」なのだそうです。

地盤がしっかりしている高台の上であり、JR飯田橋駅にもほど近い位置であることから、坂上に周辺には中低層マンションなどが密集しています。坂上から南方向を撮影しました。

この界隈は新宿区の「市谷船河原町(いちがやふながわらまち)」と呼ばれている地域です。逢坂の坂上から北方向を撮影しました。

逢坂の坂下方向を見下ろして撮影しました。坂下の外濠通りまで急な下り坂となっていて、20メートル程の高低差を一気に下っていくことになります。

急傾斜が広がっている斜面の上にも、住宅街や学校などの施設が密集しています。
