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5月の東京スクエアガーデン:ショップ&レストランと緑地帯の散策 PART1

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引き続き中央通り・京橋三丁目の一等地に完成した複合施設「東京スクエアガーデン」の内部を散策していきたいと思います。GWの中日の平日の散策だったのですが、人通りがほとんどなかったのが少し意外でした。




東京スクエアガーデンの再開発工事によって、敷地内の中央通りや鍛冶橋通りに沿った個所に歩行者専用帯が整備されています。既存の歩道部分も再整備されたので、ものすごく広々とした雰囲気を味わうことが出来ます。




中央通りに面した敷地にも街路樹や植樹と併せて、歩行者用通路が新たに整備されています。再開発以前はオフィスビル群に大通りの両側を挟まれて圧迫感があったのですが、広々とした空間に生まれ変わりました。




敷地内の街路樹の脇には一見したところ目立ちませんが、ベンチが多く設置されています。周囲はオフィスビル街なので昼食の時間帯になると、多くのビジネスマンの人たちで賑わいそうですね。




東京スクエアガーデンが開業したのは2013年4月18日です。とは言っても、同時期に開業した東銀座の歌舞伎座の方に話題が集中してしまい、首都圏ではほとんどトレンドすらなりませんでした。




既存の複合施設とは違う、個性的なショップや飲食店を多く誘致していて、「京橋らしさ」を前面に押し出したラインナップであるとは思うのですが、やはり場所が「京橋」なのがある意味限界なのかもしれません。




歩行者専用スペースから見上げて高層ビルを撮影してみました。東京駅周辺では最大級となる約1000坪超の基準階専有面積となる高層オフィスビルなのです。




歩行者用スペース周辺も街路樹や植樹によって緑化されています。現在は若い苗木状態ですが、定期的に伐採などのメンテナンスをしないと伸び放題になってしまうかもしれません。




地下鉄銀座線の京橋駅施設と直結している「地下駅前広場」へ向かいます。再開発工事中はスクエアガーデン寄りの地上出口が閉鎖されていたのですが、新しく地下駅前広場として生まれ変わりました。




敷地一階には中央通り側から外堀通り側へ通り抜けることが出来る吹き抜け通路が設置されています。この吹き抜け通路に沿ってショップ&レストランや、オフィスエントランスホールの入り口が設けられています。




京橋駅と直結している地下駅前広場へ降りてみたいと思います。地下駅前広場といっても天井板が全て取り払われており、1階から広場を見下ろすことが出来る構造になっています。




御覧のように太陽の光が広場全体に降り注ぐ構造になっています。1階の吹き抜け通路へはエスカレーターと階段で上り下りすることが出来ます。京橋駅の地下通路に横穴を開けて新たな地下鉄出入り口を新設したのです。




地下駅前広場のフロアからもショップ&レストランや、オフィスエントランスホールへアクセスすることが出来るようになっています。むしろ京橋駅から建物内へ入る場合には、ここから入った方が便利なのかもしれません。




広場の中央から見上げてみると、中央通り沿いに建っているオフィスビル街を見上げることが出来ます。また広場内も植樹が整備されています。




地下駅前広場から吹き抜け通路まではガラス屋根がしっかり設置されているので、雨が降っていても濡れずに建物内へ入ることが出来る構造になっています。




東京スクエアガーデンの吹き抜け空間は、1階から3階までの3フロアにまたがった巨大な空間となっています。次回の記事では3階フロアの「京橋の丘」の緑地帯へ向かいます。



5月の東京スクエアガーデン:ショップ&レストランと緑地帯の散策 PART2

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東京スクエアガーデン・地下駅前広場前のエレベーターに乗って、3階の立体的な地帯である「京橋の丘」を散策していきます。エレベーターを降りると目の前には高層ビル内とは思えないほど緑化されたテラスが広がっています。




「京橋の丘」の緑地帯は、誰でも自由に散策をすることが出来ます。テラス内にはベンチも数多く設置されているので、買い物をしながら休憩などにも活用できますね。




テラス内にはさまざまな植物が植えられていて、案内板の説明によると、春には花見ができるよう桜が植樹されているなど季節に合わせた植栽が整備されているのだそうです。




テラスからは鍛冶橋通りや、中央通りを見下ろすことが出来ます。お正月に実施される箱根駅伝のコースにもなっているので、見学場所の一つになるかもしれません。




緑地帯のある3階フロアには、コンビニ「ナチュラルローソン」の店舗と、民間の保育所が設置されています。散策当時は平日の午前中だったのですが、人の気配が全くありませんでした。




3階テラスの銀座一丁目寄りの区画にはベンチが多く設置されていました。京橋の丘の緑地帯の面積は約3000平方メートル、高さは約30メートルにも及びます。




階層的な緑化空間の整備による都市環境の改善だけでなく、東京スクエアガーデンの6階には「京橋環境ステーション」という名前の施設が設置されています。




地域全体における省CO2化を推進するために、個別の省CO2への取組みの相談窓口となるエリアエネルギーマネジメント(AEM)推進センターが設置されています。




各種環境対策技術の展示のほか、地域における省エネルギーを推進する拠点機能を有しているのです。それ以外にも様々な最新の環境に配慮した技術を導入しています。




3階テラスから地下駅前広場と京橋交差点を見下ろして撮影してみました。周囲はものすごく立体的な景観になっているのが解りますね。




中央通りと鍛冶橋通りが交差している「京橋交差点」をズームで撮影してみました。交差点の周辺は商社や企業などの本社ビルを中心としたオフィス街となっています。




この新しい高層ビルは、太陽光発電や地中熱利用熱源システムなど再生可能エネルギー活用のほか、廃気ボイドを使用した自動換気システムなどの環境技術が採用されています。




京橋スクエアガーデンの特徴といえば各階に設置されている奥行き1.8メートルの庇(ひさし)です。LOW−E複層ガラスとの組み合わせにより、オフィス内の高い断熱性能を発揮するのだそうです。




低層階の緑地帯は東京都心部のヒートアイランド現象の緩和、東京都が取り組むグリーンロードネットワークの一端を担っているのです。




3階テラスから低層階の「ショップ&レストラン」内を散策していきます。…とは言ったものの、人の気配が一切していませんでした。平日の午前中とはいえ、まだ開業してから2週間も経っていませんよ!!!




商業フロア内は天井も非常に高く、開放感が感じられます。地下1階〜地上3階フロアの間に30店舗が入居しているのですが、そのラインナップは高級感があると同時に、すごく個性的なお店ばかりです。




やはり京橋というエリアは「銀座」のイメージに取り込まれている一面が強いのかもしれません。そんな高級感あふれるレストランが多く集まっているのです。


5月の東京スクエアガーデン:ショップ&レストランと緑地帯の散策 PART3

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東京スクエアガーデンの2階「ショップ&レストラン」のフロア内を散策して観て回ります。2階フロアには飲食店が3店舗、物販店が1店舗入居しています。




東京に初出店した沖縄料理専門店「とりひろ」、焼肉・韓国料理の「焼肉トラジ」、北京料理を扱う「Chinese Grill隋園別館」の他、アウトドア用品を専門に扱う「モントベル」の店舗が入居しています。




京橋地区に出店したというよりは、「銀座」の繁華街の中に出店したとしてもおかしくないくらいのラインナップではないでしょうか。フロア内も非常に重厚感のある造りとなっていました。




ショップ&レストラン・1階フロアに降りてきました。飲食店が密集している北側の区画と比較すると、こちら側の南側区画には「モントベル」とコンビニのローソンの店舗が入居しています。




1階の吹き抜け通路を歩いて、東京駅側へ向かいます。再開発工事以前にはこの吹き抜け通路があった場所は道路だったのですが、いくつもの敷地を束ねて再開発されることになり、吹き抜け通路へと生まれ変わりました。




1階の北側の区画には6店舗のレストランなどが集積しています。午前中の時間帯だったので、お客さんらしい人影は見当たりませんでした。非常に高級感のある店舗ばかりなので、周辺のビジネスマンの人たちが昼食時に入れるような値段ではないみたいです。




各階の著名人の人たちが訪れる(らしい)寿司・和食のお店「下関 寿し 仁」の店舗の前には、開店を祝う高級な胡蝶蘭の花が整然と並べられていました。




東京スクエアガーデンの敷地の八重洲側(東京駅側)を観ていきたいと思います。周辺は中規模のオフィスビルが立ち並ぶ何の変哲もない街並みですが、東京駅八重洲口から5分以内で歩いて来ることが出来る一等地ばかりなのです。




巨大な庇(ひさし)が特徴的な東京スクエアガーデンのオフィス階、7階〜24階がオフィスフロアで、基準階床面積1048坪(3465平方メートル)、総賃貸可能床面積約18820坪(62218平方メートル)となっています。




東京駅側の敷地も広大な歩道が整備されており、歩道内にはベンチが植樹が設置されています。八重洲のオフィス街の中に大通りが出現した感じですね。




東京駅と中央通りに挟まれたこの周辺は、中規模のオフィスビルや中層マンション、店舗などが密集していて、昭和の雰囲気が色穀残るエリアだったのですが、京橋地区においても今後は建て替えによる再開発が加速することになります。




東京スクエアガーデンは、この区画の持ち主でもあった京橋開発特定目的会社、第一生命保険株式会社、片倉工業株式会社、清水地所株式会社、京橋三丁目特定目的会社、ジェイアンドエス保険サービス株式会社及び、プロジェクトマネジメント業務を受託している東京建物株式会社が完成させました。




東京駅側、太陽の光が余り当たらない側の壁面にも緑化が施されています。東京駅側にも緑地帯のテラスが造られていたのですね。




バイリンガル対応も可能な子育て支援施設や外国人患者の受入にも対応した医療施設、コンベンションホールなども建物内に併設されています。




東京駅側の歩行者専用帯部分には杉の木が整然と並べられていました。花壇の周辺にはベンチが多く設置されています。




ゆったりとした造りの歩行者専用帯の奥には鍛冶橋通りが見えてきました。相変わらず鍛冶橋通りは交通量が多かったです。




鍛冶橋通りに面した1階フロアにはフランス・パリにあるビストロ料理店を忠実に再現したレストランが設置されています。これで開業後の東京スクエアガーデンの散策は終わりです。


新緑の丸の内:新緑が美しい鍛冶橋通りと「丸の内パークビル・三菱一号館」 PART1

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5月の平日、昼食時前の時間帯の外堀通り・鍛冶橋交差点前にやってきました。これからJRの線路をくぐって新緑の丸の内の街並みを散策していきます。丸の内のオフィスビル街の中を通り抜けて、東京駅丸の内駅前広場へ向かいます。




JR山の手・京浜東北・東海道本線・東海道新幹線の高架橋の下をくぐり抜けていきます。レンガ造りの高架橋の周辺には昭和の香りが漂う飲食店などが密集しています。




高架橋を抜けた先に建っている高層ビルは2005年10月に竣工した「東京ビルディング」です。三菱電機本社などが入居する高層ビルで、1〜3階の低層階には商業施設「TOKIA」が入居しています。




高層オフィスビルが東京駅と皇居前広場の間の地域に整然と立ち並んでいる丸の内地区。大手銀行や大企業のビルが建ち並び、日本の金融・経済の中心地の一つとなっています。歴史的な経緯から三菱グループの本社が集中し、「三菱村」とも呼ばれているのです。




「東京国際フォーラム東交差点」。かつてこの場所の南側には、現在では新宿西口に移転した「東京都庁本庁舎」の広大な敷地が広がっていました。現在では東京国際フォーラムとして整備されているのです。




皇居前広場へ向かって真っすぐ伸びている鍛冶橋通り、今の時期ですと大通り両側のイチョウ並木道が綺麗な新緑となっていました。




ズームで撮影してみると、新緑のイチョウ並木道の隣見えるのは「丸の内パークビル」の低層階にある三菱一号館の赤レンガの建物が見えました。後ほど近くまで行ってみたいと思います。




鍛冶橋通りの中央分離帯にはつつじの花が植えられていて、新緑の並木道に彩りを添えているのが見えました。




2009年4月に竣工した「丸の内パークビル」です。全体的にウェイブを描いた壁面が特徴的な超高層ビルです。丸の内に隣接する大手町地区に本社機能を置いている三菱地所によって完成しました。




三菱地所は1998年から東京駅西側の丸の内地区を中心とした再開発に取り組んでおり、2008年までの10年間を「第1ステージ」と位置づけて、丸ノ内ビルヂング(丸ビル)、新丸ノ内ビルヂング(新丸ビル)等を超高層ビルに建て替えてきました。




これに続く2008年から10年にわたる「第2ステージ」の第1弾として、鍛冶橋通りに面した三菱商事ビルヂング・古河ビルヂング・丸ノ内八重洲ビルヂングの跡地を利用して丸の内パークビルを建設したのです。




東京国際フォーラム東交差点前から「丸の内パークビル・三菱一号館」の建物を撮影してみました。2009年に三菱地所がかつて存在した同建物に似せてやや異なる位置に再建した煉瓦造の建物です。




地下1階から4階までは商業ゾーンとして、それより上の階はオフィスとして利用され、新日鐵住金、三菱商事、三菱商事マシナリ、森・濱田松本法律事務所などの本社・本部が入居しています。




JRの線路の西側を、線路と平行するように通っている「大名小路通り」です。こちらもイチョウ並木道が綺麗な新緑に彩られていました。




丸の内地区の開発を明治時代から手掛けてきた三菱財閥の集大成とも言える丸の内パークビル。日本の7大総合商社の中で圧倒的な売上高を誇り、三菱東京UFJ銀行や三菱重工業と並んで「三菱グループ御三家」の1つである三菱商事株式会社の本社機能を有しているのです。


新緑の丸の内:新緑が美しい鍛冶橋通りと「丸の内パークビル・三菱一号館」 PART2

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引き続き新緑のイチョウ並木道が続いている鍛冶橋通りの御通りに沿って散策を続けていきます。丸の内パークビルの低層商業棟でもある「三菱一号館」の建物を眺めながら歩きます。




かつてこの場所に建っていて解体された丸ノ内八重洲ビルは、日本建築家協会が保存要望書を三菱地所に提出していた1928年(昭和3年)竣工の近代建築であるため、一部がファサード保存され丸の内パークビルディングの外壁として保存・活用されています。




敷地内には、1894年(明治27年)に竣工した後、文化庁が重要文化財指定を検討する中、1968年(昭和43年)に三菱地所が抜き打ちに解体したジョサイア・コンドル設計の丸の内最初のオフィスビル「三菱一号館」をレプリカ再建しています。




三菱一号館は免震装置を設置した上に230万個の煉瓦を使用し再現され、「三菱一号館美術館」として利用されています。また丸の内パークビルディングと三菱一号館美術館の間には「一号館広場」と名づけられた中庭が設けられ、オープンカフェや植え込みが配置されています。




皇居と東京駅の間、内堀沿いを走る日比谷通りの1本東側に平行して走る通りが「丸の内仲通り」です。晴海通りから永代通りまで真っ直ぐ通じ、平日、休日を問わず賑わいを見せているのです。




現在の仲通りは幅員21メートル、両サイドのビルは高さ31メートルで軒線が揃い、地面は落ち着いた色調の斑岩が歩道・車道ともにリズミカルな模様に敷き詰められているのです。今の時期ですと新緑の並木道がすごくきれいです。




街路樹はケヤキをはじめカツラ、アメリカフウ、シナの木などの落葉樹が植えられ、道路と歩道の間に置かれたプランターやハンギングフラワー、ベンチがゆったりとした佇まいを見せます。1990年代の丸の内仲通りの荒涼とした雰囲気が、今となっては信じられないくらいです。




丸の内仲通り前の交差点から丸の内の高層ビル群を撮影してみました。手前から丸の内パークビル、三菱東京UFJ銀行本店ビル、東京ビルです。




横断歩道を渡り、丸の内パークビルの敷地内へ入って見たいと思います。正午を過ぎた時間帯なので、丸の内仲通り周辺は昼食へ繰り出すビジネスマンの人たちの姿であふれかえっていました。




広々としていて、開放感が感じられる丸の内仲通りの歩道。歩道の両側に建ち並んでいるオフィスビル群の一階には高級ブランドショップなどが数多く入居していて、さながら表参道の並木道を歩いているようです。




江戸時代の丸の内は「本丸の内」、江戸城の敷地内そのものであり親藩や譜代大名の藩邸が24あったため「大名小路」とも呼ばれていました。内堀と外濠に挟まれていた地域内には南北町奉行や勘定奉行の奉行所、評定所も置かれていました。




明治維新後に武家屋敷は取り壊されて官有地となり、陸軍の兵舎・練兵場などになります。陸軍兵営が移転した後の1890年、三菱の2代目当主・岩崎弥之助に150万円で払い下げられました。当時の丸の内は草の生い茂る原野と化しており、「三菱ヶ原」と呼ばれていました。




丸の内パークビル等の大通りに沿って整然と植えられている丸の内仲通りのケヤキ並木道。正午の時間帯、真上から太陽の光に照らされて、美しい新緑が光り輝いていました。




丸の内仲通り前から見上げて丸の内パークビルの高層ビルを撮影してみました。




丸の内パークビルディング地下1階から4階、低層棟(アネックス)、三菱一号館、一号館広場からなる商業ゾーンは総称として「丸の内ブリックスクエア」と名付けられています。次回の記事では三菱一号館内へ向かいます!!!


新緑の丸の内:「丸の内パークビル・一号館広場」内を散策する

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平日の正午の時間帯の丸の内仲通り、周辺に林立している高層オフィスビル街で働いているビジネスマンの人たちで賑やかな雰囲気に包まれていました。近年では仲通りにも飲食店などが数多く立地しています。




1990年代の丸の内仲通りといえば、土休日になると人通りが途絶えて「ゴーストタウン」等と揶揄されるくらいの味気ないオフィスビル街だったのですが、近年では路面に面した商業施設が多く出店し、休日でも人通りが絶えない華やかな雰囲気の通りに生まれ変わりました。




丸の内パークビルと共に2009年9月に開業した商業施設「丸の内ブリックスクエア」の中を散策してみたいと思います。お昼時の時間帯の散策なので、多くの人たちで賑わっているかもしれません。




丸の内パークビルと三菱一号館の建物に囲まれた「一号館広場」は、都心部において緑化がなされている広場であり、多くの人たちで賑わっていました。ビジネスマンの人たちよりも私服姿の人の方が目立っていました。




広場には十種類のバラをはじめ、さまざまな草木や噴水、オープンカフェで構成されています。緑地帯の中には多くのベンチが設置されているので、多くの人たちが座ってくつろいでいました。




東京都心部の中枢、丸の内地区とは思えないほど深い緑に覆われているのが印象的です。この日は雲一つない快晴の天気だったのですが、緑地帯の中にいると直射日光はほとんど降り注いではきません。




1894年に丸の内最初のオフィスビルである三菱一号館が竣工、これを皮切りにロンドンのロンバード街に倣った赤煉瓦街が建設され、一丁倫敦(いっちょうろんどん)といわれるようになります。三菱の手でオフィス街が築かれたこの地区は、現在に至るも三菱グループ各社の本社や三菱地所所有のオフィスビルが集中しているのです。




丸の内最初の洋風貸事務所建築としての「第1号館」である本建物は、三菱の建築顧問であったジョサイア・コンドルによりイギリス・クイーンアン様式(en)の外観を持つ煉瓦造の建築物として設計されました。




1894年に竣工当初においては、三菱合資会社本社、第百十九国立銀行(後の三菱合資会社銀行部、三菱銀行)本店、高田商会が設けられたほか、貸事務所として坪1円から1円50銭で貸し出されたとされています。このほか、郵便局「丸ノ内郵便電信局」が1902年(明治35年)より三菱合資会社の無償提供で本建物内一室に設けられていました。




建物名については三菱村の建物は当初、建てられた順に「第1号館」「第2号館」などと館名がつけられていました(日本で建物を第(数字)号館などと称したのはこれが嚆矢です)。




しかし、建物が増えるにつれ、これら館名と地番だけでは不便になったため、三菱合資会社では1918年(大正7年)より「地画制」を実施することとし、同社により丸の内東通りと命名された通りに面した本建物は「東9号館」と改称されました。




敷地内には総合デベロッパーの三菱地所が運営する企業博物館「三菱一号館美術館」が設置されています。同館の建物は丸の内最初の洋風貸事務所建築として明治時代に建てられた(旧)三菱一号館を同社がレプリカ再建したものです。




丸の内ブリックスクエア前から丸の内パークビルを見上げて撮影しました。三菱一号館の竣工と同じ1894年、高知藩屋敷跡地に東京府庁舎(のちの東京都庁舎)が完成しました。1914年に三河吉田藩・信濃松本藩の屋敷跡地が東京駅となり、以降1923年に丸ビルが完成するなど、ビジネス街として急速に発展することになります。




丸の内一号館の壁面をそばから撮影してみました。戦前の丸の内では、このような赤レンガ造りのオフィスビルが整然と立ち並ぶ欧米チックな街並みだったのだそうです。




丸の内パークビル前を離れて散策を続けていきます。次回の記事では皇居前広場の敷地に沿って新緑の丸の内のオフィスビル街を眺めながら歩いていきます!!!


新緑の丸の内:新緑の柳並木道の日比谷通りを歩いて行幸通りへ

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丸の内地区の西側を通っている日比谷通りを北へ向かって歩き、行幸通り方向へ向かいます。目の前にある建物は「丸の内マイプラザ・明治生命館」です。この建物の西側は、皇居前広場の敷地となっています。




1959年からの三菱地所による「丸ノ内総合改造計画」により煉瓦街は急速に建て替えられ、1970年代前半には建物の高さ(100尺・約30メートル)の揃った近代的なビルが整然と立ち並ぶ街に生まれ変わりました。




鍛冶橋通りと日比谷通りが交差している「馬場先門交差点」前に到着しました。交差点から西側には、綺麗な新緑に覆われた皇居前広場の広大な敷地が広がっています。歩いていて、ものすごい開放感を味わうことが出来ます。




馬場先門交差点から、日比谷通りを大手町方向へ向かって歩き、最終ゴールである東京駅丸の内駅前広場を目指します。周辺には障害物が一切ないので、丸の内や大手町の高層ビル群を見渡すことが出来るのです。




1934年(昭和9年)に竣工した「明治生命館」の建物の全景です。太平洋戦争後は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に接収されました。アメリカ極東空軍司令部として使用され、対日理事会の第1回会議は明治生命館2階の会議室で行われました。1956年(昭和31年)にアメリカ軍から返還されたのです。




交差点の北側には「皇居前広場・馬場先濠」の広大な水面が広がっています。日比谷通りは馬場先濠の水面に沿って南北方向に伸びている大通りです。濠の周辺も新緑に覆われていて、すごく綺麗でした。




日比谷通りの地下には東京地下鉄千代田線と、東京都営地下鉄三田線の2路線のトンネルが並行して通っています。馬場先門のある場所には千代田線の二重橋駅が設置されています。都営三田線に乗るには、この北側にある大手町駅まで歩かなくてはいけません。




交差点前から振り返って南方向を撮影してみました。手前側から帝国劇場が入っている帝劇ビル、第一生命館の建物が並んでいます。その更に奥には内幸町地区の帝国ホテルの高層ビルも小さく見えます。




馬場先濠には、馬場先門と称された枡形のある濠に面した城門、江戸城三十六見附のひとつがあったのですが、明治39年(1906年)に枡形が撤去されました。




濠の水面の西側には江戸城時代の石垣が残されています。石垣の向こう側は、皇居前広場を見学に来る観光バスのための大型駐車場として整備されています。




日比谷通りの歩道はそんなに広くはないですが、人通りもほとんどないに等しいので、気楽に歩くことが出来ます。皇居周辺に多いランナーの人たちは、日比谷通りよりも更に内側を通っている内堀通りの歩道を走る傾向が強いです。




日比谷通りに沿って建ち、東京駅丸の内駅舎を思わせるような壁面のこの高層ビルは三菱地所所有の「岸本ビル」です。丸の内地区には丸ビルのような200メートルクラスの高層ビルだけでなく、このような中堅クラスのオフィスビルも多いのです。




皇居前広場周辺の大通りの歩道には柳の木と、イチョウの木が一緒に植えられている箇所が多いです。どちらも綺麗な新緑に覆われていました。




新緑の柳の木々を眺めながらしばらく歩いていると、前方に馬場先濠の終わりが見えてきました。




東京駅丸の内駅前広場から皇居前広場まで一直線に伸びている「行幸通り」前に到着しました。行幸通りのイチョウ並木も綺麗な新緑に覆われていました。次回の記事では行幸通りを歩いて丸の内駅前広場へ向かいます!!!


新緑の丸の内:行幸通りを歩いて、東京駅丸の内駅前広場まで

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日比谷通りと行幸通りが交差している「和田倉門交差点」前に到着しました。この交差点周辺から南側が「丸の内」、北側が「大手町」の地区に体感的に区分することが出来ます。とは言っても二つの地区はオフィスビル群が連続的に連なっていることから、ほぼ一体化されています。




東京駅丸の内駅前広場から、旧江戸城(現・皇居)の和田倉門跡地前までまっすぐ伸びている行幸通り、大通り内に植えられているイチョウ並木道は、見事な美しい新緑に光り輝いていました。




ズームで撮影してみました。交差点を渡って、早速行幸通りの中を歩いて丸の内駅前広場へ向かいます。




交差点前から振り返って和田倉門濠方向を振り返って撮影してみました。パレスホテル東京の高層ビルの脇で長い間更地になっていた「(仮称)日本生命大手町ビル」の建設現場では、ようやく2基のタワークレーンが組み立てられていました。




行幸通りをまっすぐ歩いていきます。行幸通りの正式名称は「東京都道404号皇居前東京停車場線」と言います。特例都道であり、天皇が行幸するために利用する道路として整備されました。




「行幸」とは天皇が外出することであり、皇居から「天皇の駅」として日本全国へ行幸するために建設された東京駅(当時は東京停車場、又は中央停車場)とを一直線で結ぶ道路として造られたのです。




行幸通りの構想が始まったのは大正時代です。帝都復興院の関東大震災後の震災復興再開発事業の一環として、皇居の和田倉門から東京駅に通じる幅員73メートルの東京市を代表する広規格道路道路として建設されました。




関東大震災当時は、東京市内の大通りの幅員が狭かったことから火災の延焼を食い止められなかった教訓からか、幅員の広い道路と不燃性の高いイチョウ並木道を整備する方針が立てられたのです。




関東大震災後の同時期に整備された高幅員の大通りとして明治通り、大正通り(現・靖国通り)、昭和通り等があります。この頃の東京は火災に強い「不燃都市」を目指す理念があったわけですね。




当初は道路中央から高速車線、イチョウ並木、緩速車線、歩道の配置だったのですが、その後、中央車線は天皇の行幸と信任状捧呈式に向かう外国大使の送迎の車馬が通行する時にのみ使用される専用道となり一般車の通行は禁止されました。




行幸通りの北側にそびえ立っているのは2007年4月に再開発工事によって竣工した「新丸の内ビル」です。以前の新丸ビルを模した低層等内には商業施設等が入っています。




近年になって中央車線は再整備され、2010年4月に歩道兼馬車道として交通開放されましたた。ただし、行幸や信任状捧呈の車馬が通行する時のみは専用道として一般歩行者の通行が制限されます。




行幸通りの丸の内側の東端部からは、丸の内駅舎や駅前広場全体を見回すことが出来ます。この日も、多くの人たちが撮影したりして楽しんでいました。




行幸通りの東端部に到着しました。今から1年前の今頃と言えば、その年の10月の丸の内駅舎の復原工事の完成へ向かって工事が最終段階へ入っていたことを覚えています。駅前広場に展開していた工事用資材置き場やプレハブ事務所の解体工事が始まっていました。




1年前(2012年)の5月頃は駅舎の工事自体はほぼ完成し、駅前広場の整備が始まってきた時期だったでしょうか。これで新緑の丸の内の散策は終わりです。



新緑のお茶の水:開業後の「WATERRAS(ワテラス)」を散策する PART1

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5月中旬の平日、東京地下鉄銀座線の神田駅前にやってきました。これからお茶の水地区(正式には神田淡路町地区)で再開発工事によって2013年4月12日に開業した「WATERRAS(ワテラス)」を観て回りたいと思います。中央通り・須田町交差点からワテラスの高層ビルを撮影してみました。




須田町交差点から靖国通りを神田神保町方向へ向かって歩いていきますが、「淡路町交差点」から不忍通りを北へ向かいます。この界隈は「千代田区の神田淡路町地区」と呼ばれていて、JR御茶ノ水駅からは南側へ約500メートル程離れた場所です。




事務所などの中層ビルや雑居ビル等が密集している神田淡路町地区の不忍通りをしばらく北へ向かって歩いていると、前方の視界が突然開けて、ワテラスの広大な敷地が目の前に広がっていました。




2013年4月12日に開業した「ワテラス」の全景です。神田地区のオフィスビルが密集しているエリアの中で、2棟の高層ビルと敷地内に整備された緑地帯によって構成されています。




4月12日に開業して約1か月程経っているはずなのですが、敷地内の緑地帯の一部では工事が続けられている個所がありました。工事用トラックが敷地内に駐車していました。




もともとこの場所には中小のオフィスビル街や公園、病院等が密集しているエリアだったのですが、2.2ヘクタールの区画を一つにまとめて「淡路町二丁目西部地区第一種市街地再開発事業」として再開発工事が始まりました。




ワテラスの敷地の南側を通っている道路を撮影してみました。よく見ると、道路はこの先で「駿河台台地」の丘陵地帯へ向かって上り坂になっているのがわかりますね。




それで気が付いたのですが、ワテラスの緑地帯や高層ビルも丘陵地帯の斜面の上に建てられていることが判明しました。後ほど坂上からワテラスの敷地を見下ろしてみたいと思います。




地上41階地下3階、高さ165メートルの「ワテラス・タワー」を見上げて撮影してみました。オフィスフロアとレジデンスフロアで構成されていて、お茶の水周辺では最も高い高層ビルの一つです。




ワテラスの敷地の南側には広大な広場が造成されています。神田・お茶の水周辺は東京都心部屈指のビジネス街なので、災害時などの避難地区としても活用できそうですね。




ワテラス・緑地帯の四季折々の花や樹木を楽しめる「神田花暦園」の全景を撮影してみました。広場に面した平地部分は完成しているようですが、駿河台台地の斜面側ではまだ造成工事が続けられている最中でした(2013年5月上旬現在)。




左がワテラスの中核的高層ビルである「ワテラス・タワー」、右は地上15階地下2階、高さ65メートルの「ワテラス・アネックス」の高層ビルです。お茶の水周辺には大学が多いことから、学生用マンションフロアが設けられていて、大部分はオフィス階となっています。




ワテラスの緑地帯「神田花暦園」は、元々再開発以前にあった「千代田区立淡路公園」と一体的に整備されています。完成予想図の中では変化に富んだ地形を活かして造られた小川や滝のせせらぎが設置されるそうなのですが、見た感じではまだそれらしき物は見えませんでした。




ズームで撮影してみると、緑地帯の大部分が芝生で構成されていて、その周辺を木々で囲っているのが解ります。まだ芝生や木々も植えられて間もなく、と言った雰囲気で、養生中でした。




今まで神田地区のオフィスビル街には広大な広場そのものが珍しかったので(お茶の水の大学キャンパス内にはある所にはありますが)、散策していてすごく新鮮な気持ちになりました。


新緑のお茶の水:開業後の「WATERRAS(ワテラス)」を散策する PART2

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引き続きワテラスの敷地内の散策を続けていきます。ワテラス・タワーと、ワテラス・アネックスの二つの高層ビルに挟まれる形で建っているアトリウムへ向かって歩いていくことにします。




二つの高層ビルをつなぐアトリウムをズームで撮影してみました。平日の午前中の時間帯だと、人通りはそんなに多くはなかったです。土休日や祝日になれば人通りが増えてくるのかもしれません。




今までお茶の水地区周辺と言えば、大学キャンパスや大学病院、オフィス街しかないイメージが強かったのですが、ワテラスを始めお茶の観駅周辺では再開発による高層化がここ5年程で急激に進んでおり、街のイメージが変わりつつあります。




ワテラスのコンセプトは「古き良き伝統を受け継ぎ、新しいコミュニティが育まれる街へ。」となっています。江戸時代には武家屋敷と町人街の結界として人々が行き交い、明治の文明開化以降は中央本線のターミナルであった万世橋駅前の街の歴史観を生かした街づくりが垣間見えます。




高度成長期の都市機能の変化により都心部の夜間人口は急速に減少し、この地区においても地域コミュニティの核であった淡路小学校(明治8年開校)が平成5年に統廃合となるなど、連綿と続いてきたコミュニティも存続の危機に陥りました。




そこで地域の人々が主体的となり、明治以来この地区に権利を有していた安田不動産も加わり、新たな街づくりを始めることになったのです。




ワテラス・タワーの1〜3階には、イベントホールや園芸ショップなどを備える地域コミュニティ施設「ワテラスコモン」が入り、その上の4階から19階はオフィスフロア、そして20〜41階が住居エリアとなっています。




散策した当時(2013年5月上旬)では、まだ低層階の地域コミュニティ施設などは内装工事が行われている最中でした。オフィスフロアなどもそんなに入居率が高そうには見えなかったです。




ワテラスのアトリウムの階段・エスカレーターを上った上層階のあるフロアが、駿河台台地の地面部と同じ高さとなっています。ワテラス・タワーやアトリウム自体が丘陵地帯の斜面の上に建設されているわけですね。




ワテラスが開業したのは2013年4月12日ですが、首都圏ではまったくと言っていいほど話題にはなりませんでした。やはり同時期に開業した東銀座の歌舞伎座や、東京駅丸の内のキッテの方に関心が集中してしまったからでしょうか。




アトリウムとワテラス・アネックスの低層階フロアには商業施設である「ワテラス・モール」が併設されています。オフィスで働く人やレジデンスフロアの住人、ワテラス周辺の住民の人たち向けの多様な店舗が入居しています。




アトリウムのエスカレーターと階段を上った先には、ワテラス・タワーのオフィス階入り口が設置されていました。通勤ラッシュが終わった時間帯の散策だったので、人通りはほとんどありませんでした。




ワテラス・モールの「SHOP&DINING」には日本料理店などのレストランを始めとして、地元住民向けのスーパーマーケットやディスカウントストアなども入居しています。




前面ガラス張りのアトリウムなので、太陽の光が直接入ってくるのでものすごく明るくて開放感があります。アトリウム内にはカフェ風のテーブルや椅子等も設置されていました。




アトリウム内からワテラスの大広場を見下ろして撮影してみました。オフィスビルが密集しているお茶の水・神田淡路町エリアの中でこれだけの広さを持つ広場はすごく珍しいのです。


新緑のお茶の水:開業後の「WATERRAS(ワテラス)」を散策する PART3

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ワテラスのアトリウムから緑地帯である「神田花暦園」の芝生広場を撮影してみました。後ほど緑地帯に沿って周辺を散策してみたいと思います。




緑地帯周辺に植えられている木々もまだ若木と言った感じで「初々しい」雰囲気です。5年程も経過すれば、木々は成長して立派な緑地帯へと変貌することでしょう。芝生などもまだ若木で地面が透けて見えますね。




アトリウム内からワテラス・タワーを見上げて撮影してみました。お茶の水周辺の高層ビルと言えば、このワテラス・タワー、隣接して建っている御茶ノ水ソラシティ、文京区側の東京医科歯科大学の新研究棟くらいしか存在しません。




ワテラス・コミュニティの前では工事関係者の人たちが、何かを組み立てる工事を行っていました。大木の柱と、竹の木を継ぎ足して何かを作っているみたいです。




5月12日に実施される「神田祭」に向けて何かイベントの準備をしているのかもしれないですね。




ワテラス・タワーの一角に設けられた「ワテラス・コミュニティ」では、今後のタウンマネジメント活動(現・淡路TMO準備室)の拠点の一つであり、ホール・カフェ・ライブラリー等が設けられ、地域に根付いた様々なイベントや講座などの開催が予定となっています。




大広場周辺には桜の木々が数多く植えられているそうなのですが、開業が4月12日だったので今年は観ることができませんでした。来年に期待することにします。




不忍通りに沿った歩道周辺も広場と一体化されて整備されています。この通りの歩道は今までは狭かったのですが、ワテラス周辺だけは広々とした雰囲気に生まれ変わりました。




再開発区域内には、災害時活動拠点として、万が一の災害時にコミュニティ施設、オフィスエントランスなどは災害時被災者・帰宅困難者の避難スペースになり、ワテラスモール内のスーパーの水や食料を提供するほか、下水道直結型トイレや千代田区の防災備蓄倉庫を配置しています。




建物は制震構造を採用しており、建物内部に設置したダンパーや粘性制震壁により揺れの影響を緩和します。さらに、ワテラス建物全体で連続約72時間使用可能な非常用自家発電機を設置し、非常時でもエレベーター等の共用部に電源供給する計画としています。




不忍通りに面したワテラス・アネックスの1階路面側のファサードにも商業施設が軒を連ねていました。神田祭に備えてか、祖き先にはお祭りの装飾が施されていました。




ワテラスの敷地の北側から少し歩けば神田川が流れており、その先は秋葉原の電気街が広がっています。住むにも働くにも理想的な環境なのですね。




広場内には松の木々が植えられていて、江戸時代から続く神田・お茶の水エリアの雰囲気を醸し出していました。




大広場からアトリウムへあがることが出来るエスカレーターの脇には立体をいくつも積み重ねて出来た滝が設置されていました。




アトリウムの真下の一階フロアは喫茶店やレストランとして整備されていました。


新緑のお茶の水:「ワテラス・新坂」を上り切って、神田駿河台へ

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ワテラスの敷地は、「駿河台台地」と呼ばれている皇居北側に広がっている丘陵地帯の斜面に一部が掛かっています。現在工事中の区画は「千代田区立・淡路公園」が存在していましたが、再開発工事によってワテラスと一体的に整備されることになりました。




ワテラスの緑地帯は「神田花暦園(かれきえん)」の名称で呼ばれています。2013年4月12日の街開きには間に合わなかったのか、工事用フェンスで覆われています。まだ緑地帯の地面を造る段階なのでしょうか。




これで開業後のワテラスの散策は終わりです。この後は整備中の淡路公園の脇を通り抜けて、神田駿河台・JR御茶ノ水駅方向へ向かって歩いてみたいと思います。




ワテラスの敷地の南側を通っている道路は、神田淡路町から駿河台へ抜けることが出来る道路です。再開発工事によって道路周辺も歩道が拡幅される形で広々とした雰囲気に生まれ変わっています。




ワテラスの敷地の南側を通っている坂は「新坂(しんざか)」という名前です。再開発工事以前は千代田区立淡路公園に隣接している小さな坂だったのですが、ワテラスの整備によってこれからは有名になって行くかもしれないですね。




新坂の坂下からワテラス・タワーやアトリウムに向かって撮影してみました。10年ほど前までは淡路公園の小さな緑地帯と、中小の雑居ビルが密集していた風景が、今となっては信じられないくらいです。




「東京名所図会」には“新坂は維新の後、新たに開かれたる道路なり、昔は観音坂と紅梅坂の間、阿部主計頭の屋敷にして、此処より駿河台に登る通路なかりし、崖の上には今も旧形を存せる彼の練塀の外囲ありしなり、此の練塀を道幅だけ取毀ちて道路を開きたり。ゆえに俗呼んで新坂といへり”と書かれています。




新坂を歩きながら、整備工事中の淡路公園を観ていきたいと思います。ワテラスの再開発工事が始まると、淡路公園は閉鎖されてその跡地に工事用プレハブ小屋が建てられたのです。




東京ミッドタウンの檜町公園のように公演自体を改修したのではなく、淡路公園の場合は一度更地にして、その場所に新しく公園を造り直す工事となっているのです。なので工事期間は長くなってしまったのではないでしょうか。




新坂の急傾斜の地形の中で、工事関係の人たちが公園や公園周辺の道路工事を行っていました。この傾斜地形を生かして、新しい直地帯の中には流れ落ちる滝や水路、坂の散策路などが整備されます。




新坂の坂上から振り返って、新坂やワテラスを撮影してみました。このワテラスも、六本木ヒルズや東京ミッドタウンと同じように過酷な地形の上に造られているのが判りますね。




新坂の坂上に広がっている「神田駿河台」という丘陵地帯の上を歩いてJR御茶ノ水駅へ向かいます。東京復活大聖堂、通称「ニコライ堂」の建物の脇を通り抜けていきます。




ニコライ堂脇の緩やかなカーブを描いた上り坂の通りを歩いていきます。この緩やかな上り坂には坂の名前は付けられてはいないそうです。




ズームで撮影してみると、文京区側の本郷地区「東京医科歯科大学」の巨大な建物群が見えてきました。建物群の手前に神田川が流れていて、JR御茶ノ水駅が設置されています。




散策し終わって、千葉・習志野台の自宅へ帰った後に調べてわかったことですが、このニコライ堂の敷地内からワテラスの高層ビルを撮影するとものすごく綺麗に写るのだそうです…。また快晴の天気の日を選んで撮影してきたいと思います!!!


新緑のお茶の水:神田駿河台とJR御茶ノ水駅周辺の散策 PART1

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ニコライ堂の脇を通り抜けてJR御茶ノ水駅方向へ向かって緩やかな上り坂を歩いていきます。東京都心部の北側に広がっている広大な「本郷台地」という名前の丘陵地帯の南端部に位置します。




本郷台地の南端部に位置するJR御茶ノ水駅一帯が「神田駿河台地区」と呼ばれています。周辺には大学キャンパスや大学病院、予備校などの日本最大の学生街として賑わっているのです。




JR御茶ノ水駅の南東側には「御茶ノ水ソラシティ」の高層ビルがそびえ立っています。旧・日立本社ビル跡地に再開発工事によって誕生した高層ビルで、ワテラスと同じく2013年4月12日に開業しました。隣接して建っているワテラスとは新たに整備した跨道橋と連絡通路で直結されています。




オフィス、教育関連施設、商業施設などからなる延べ面積約10万2000平方メートルの複合施設となっています。地下2階、地上23階建てで高さは110メートル。日立本社ビルが建っていた敷地約9500平方メートルを再開発しました。




緩やかな上り坂を上り切ると、JR御茶ノ水駅の聖橋口の駅舎ビルが見えてきました。午前11時前後に時間帯の散策だったのですが、駅周辺は学生の人たちで賑わっているみたいでした。




JR御茶ノ水駅の北側の深い切り通しの中を流れているのが神田川であり、神田川の真上には「聖橋(ひじりばし)」が架橋されています。聖橋の上からお茶の水周辺の街並みを眺めてみます。




御茶ノ水駅の南側には日本大学や明治大学等の総合大学キャンパスが密集していて、大学キャンパスを取り囲むように予備校などの建物が密集して建っています。周辺を歩いている人たちも、ビジネスマンよりも学生の方が多い雰囲気です。




橋上から撮影した「聖橋」です。橋の上からでは全く判りませんが、船から見上げた時に最も美しく見えるようにデザインされた鉄筋コンクリートアーチ橋となっています。橋の上には本郷地区の東京大学医学部附属病院行きの都営バス乗り場があり、意外と人通りは多いのです。




聖橋上から撮影した東京医科歯科大学の建物群です。東京都千代田区駿河台と文京区湯島にまたがり、本郷通り(都道403号)を結んでいます。本郷通りは江戸時代に整備された日光街道の脇街道に該当しています。




JR御茶ノ水駅周辺には東京医科歯科大学を始め、順天堂大学医院、駿河台日大病院などの大病院が密集しているエリアです。また駅前から1キロ離れた北側には東京大学医学部附属病院があります。




昭和2年(1927年)に竣工した聖橋を設計したのは、モダニズム建築に造詣が深い山田守氏です。氏の設計した建築物と言えば、隅田川に架かる永代橋や、九段の日本武道館などがあります。




橋の名前は竣工当時の東京府東京市(現:東京都)が公募し、両岸に位置する2つの聖堂(湯島聖堂とニコライ堂)を結ぶことから「聖橋(ひじりばし)」と命名されました。




聖橋の橋上から神田川の下流側を見下ろして撮影してみました。真下には東京地下鉄丸ノ内線の神田川を渡るためのガーダー橋が設置されているのが見えます。お茶の水地区において、丸ノ内線は神田川を渡る時だけ地上区間を走ります。




お茶の水周辺はJR中央快速・総武緩行線、東京地下鉄丸ノ内線、千代田線の4路線の鉄道が交差している、東京都心部の鉄道ターミナルの側面も強いのです。ただし、丸ノ内線の御茶ノ水駅は神田川の北岸、その他の3路線は南岸側に位置しているので、乗り換えるには橋を渡る場合があります。




お茶の水周辺は東京都心部のど真ん中とは思えないほど急峻な渓谷地形が広がっているのですが、オフィスビル群が渓谷の周辺に密集して建っているので、一瞬見た感じではそれほど複雑な地形のエリアであることには気がつきにくいです。


新緑のお茶の水:神田駿河台とJR御茶ノ水駅周辺の散策 PART2

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聖橋の橋上から東京医科歯科大学の建物群を撮影してみました。建物の一部は改修工事が去年からなされていたのですが、工事用シートが最近になって取り外されました。東京医科歯科大学の橙色の壁面の建物は、お茶の水のシンボル的な存在でもあります。




レンガ造りの建物群と、それらを取り囲むように生い茂っている新緑が素晴らしい風景を造りだしていると思います。雲一つない快晴の天気だったことも良かったです。この後、東京医科歯科大学の敷地内へ入ってみることにします。




聖橋の上から振り返って「御茶ノ水ソラシティ」の高層ビルを見上げて撮影してみました。これまで学生の街のイメージが強かったお茶の水地区において、ワテラスやソラシティの高層ビルの存在がどのような影響を及ぼすのか注目していきます。




一旦「聖橋交差点」まで戻り、橋の上流側の歩道を歩いていきます。上流側の歩道部分には、本郷にある東京大学医学部附属病院行きの路線バス乗り場が設置されているので、通行量は意外と多いのです。




神田川の上流側を聖橋上から見下ろして撮影してみました。東京都心部のど真ん中に位置しているとは思えないほど、急峻な渓谷地形が目の前に広がっているのが解りますね。




古くは北側の本郷台(湯島台)と南側の駿河台が一続きで「神田山」と呼ばれていたのですが、2代将軍徳川秀忠の時代に水害防止用の神田川放水路と江戸城の外堀を兼ねて東西方向に掘割が作られ、現在のような渓谷風の地形が形成されましたた。




新緑の木々に囲まれた東京医科歯科大学の建物群を撮影してみました。真冬の時期に訪れた時は枯れ木状態だったのですが、今の時期はものすごく綺麗な新緑の風景を楽しむことが出来ます。




東京医科歯科大学の「(北)歯学棟」の建物は工事用シートに覆われた状態が続いてきましたが、建物の壁面には黒い器具が装着されていました。これは、建物の耐震化の一環なのでしょうか?




総合教育研究塔の壁面に刻まれたレリーフをズームで撮影してみました。一番左は医聖と仰がれている古代ギリシアのヒポクラテスによる「医師の誓い」、中央はイタリア・ルネッサンス期の画家ラファエルによる「アテネの学堂」、右側は19世紀半ばにアメリカの歯科医師モウィリアム・モートンが行った世界初の全身麻酔公開実験の風景が刻まれています。




急峻な渓谷地形の中を流れる神田川の南岸側にJR御茶ノ水駅の施設があります。切り通しの脇の狭いスペースの中にJR中央快速線と総武緩行線の、2面4線のホームが設けられていて、駅舎施設は橋上化されています。




JR御茶ノ水駅の御茶ノ水口の駅舎と、駅舎の脇に設置されている「御茶ノ水橋」をズームで撮影してみました。緑が今立っている聖橋と比較すると、御茶ノ水橋を歩く人の通行量の方が非常に多いです。




御茶ノ水地区の北側にあった高林寺という寺社から泉が出て、この水を将軍のお茶用の水として献上したことから、この地が「御茶ノ水」と呼ばれるようになったといわれています。




2009年8月に竣工した東京医科歯科大学の「M&Dタワー(医歯学総合研究棟?期棟)」の高層ビルをズームで撮影してみました。やはり、新緑に囲まれた大学キャンパスや大学病院の建物の風景は、「絵」になりますね。




神田川の北側に沿って通っている「外堀通り」を聖橋の上から見下ろして撮影してみました。外堀通り沿いの街路樹も綺麗な新緑で覆われていました。




御茶ノ水地区には、雅称として「お茶の谷」という意味の「茗溪(めいけい)」という呼び名が存在し、周辺にこの名を冠した通りや商店があるのだそうです。


新緑のお茶の水:神田駿河台とJR御茶ノ水駅周辺の散策 PART3

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神田川の北岸側、文京区湯島地区にある「東京医科歯科大学」のキャンパス内を少し散策してみたいと思います。キャンパス内には医学部・歯学部の両附属病院が設置されています。敷地内では再開発に伴う建物の取り壊し工事が行われている最中なのです。




東京医科歯科大学・医学部附属病院の「医科新棟A」の高層ビルを見上げて撮影してみました。2009年にM&Dタワーが竣工する以前は、この建物がお茶の水地区のシンボル的な存在だったのです。




医学部附属病院へ進むには直進、歯学部附属病院へ行くには右側へ進む道順となっています。歯学部においては日本で最初に設置された官立(国立)の歯学教育機関であり、「旧六」歯科大学の一つに数えられます。




M&Dタワー(医歯学総合研究棟?期棟)を見上げて撮影してみました。2003年3月〜2009年8月までの約6年半に及ぶ工事期間の末に竣工した高層ビルなのです。




M&Dタワーの南側には「旧3号棟」の戦前から建っていた建物が存在していたのですが、解体工事が実施されて更地となっていました。散策時に観てみると、何か新しい高層ビルの基礎工事が始められているみたいでした。




建設工事現場の奥をズームで撮影してみると、東京医科歯科大学の西側にある「順天堂大学・順天堂医院」の建物群が綺麗に見えました。順天堂大学内でも高層ビルの建設工事が進められているようですね。




M&Dタワーの南側には歩行者用のテラスが設けられていました。現在では工事関係者しか入れなくなっている模様ですね。解体工事の完了直後は、駐車場として整備されていたはずですが…。




このテラス部分は、新しく建設される建物と接続されるのかもしれません。あのテラスの手前まで行ってみることにします。




M&Dタワーの低層階部分にあるオーバーハング部分をズームで撮影してみました。解体された旧3号棟とM&Dタワーは数メートル程しか建物同士の隙間が確保されなかったので、このような構造になったのだそうです。




旧3号棟跡地では地下空間が確保されていて、やはり建物の基礎工事が行われているみたいでした。工事関係者の人たちが忙しく働いていました。




M&Dタワー前の歩行者用テラスの風景です。多くの人たちが旧3号棟跡地の工事のことが気になっているみたいでした。これで東京医科歯科大学内の散策を終えて、JR御茶ノ水駅へ戻ることにします。




キャンパス内の階段の上から「お茶の水交差点」と、神田川に架かっている「お茶ノ水橋」を撮影してみました。やはり聖橋と比較するとこちらの橋の方が自動車も歩行者も通行量が格段に多いですね。背後に見える高層ビル群は、総合大学の一つである明治大学駿河台キャンパスです。




お茶の水橋の南岸側からJR御茶ノ水駅のお茶の水口の駅舎を撮影してみました。大学キャンパスや大学病院等が駅周辺に密集していることから、平日の昼間でも人通りがものすごく多いのです。




南岸側から撮影した「お茶ノ水橋」の全景です。長さ80.0メートル、幅23.8メートルの鋼橋であり、 明治24年(1891)に初の日本人設計の鉄橋として完成しまし、関東大震災で損害を受けました。現在の橋は昭和6年(1931年)に架けられました。




お茶の水口の駅舎前から東京医科歯科大学の建物群を撮影してみました。駅前から見上げると「東京医科歯科大学」の文字が壁面に掲げられていた医科新棟A(写真右側)がインパクトがあったのですが、M&Dタワーの出現によって景観が一変してしまいました。これで新緑のお茶の水の散策は終わりです。



初夏の渋谷駅:渋谷駅前やスクランブル交差点周辺を散策する PART1

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5月中旬の平日、JR・東急渋谷駅の南口前にやってきました。これから渋谷駅周辺を散策してみたいと思います。南口前ロータリーの真上に架かっている歩道橋の上から「東急百貨店東横店・南館」の建物を撮影してみました。




歩道橋の上から渋谷駅の東側(宮益坂口方向)を観てみると、東急文化会館跡地に再開発工事によって誕生した「渋谷ヒカリエ」の高層ビルを綺麗に撮影することが出来ました。




渋谷駅の宮益坂口前には、長い間東急文化会館の建物が建っていたのですが、2003年の6月末に閉館し、すぐに建て替えのための再開発工事が始まりました。難工事を経て、2012年4月12日に渋谷ヒカリエは華々しく開業したのです。




渋谷駅の南口前には東急バスや京王電鉄バスが中心に乗り入れている「西口バスターミナル」やタクシー乗り場が整備されています。渋谷区や目黒区、世田谷区などの東京23区の南西側の住宅密集地の中へ路線が伸びているのです。




東急東横店の地上3階には東京地下鉄銀座線の渋谷駅ホームが設置されていて、西口バスターミナルの北側には引き上げ線の高架橋が設置されています。高架橋の奥には渋谷駅前のスクランブル交差点が設置されているので、向かってみます。




東急東横店と、渋谷ヒカリエ。どちらも渋谷駅前を本拠地としている東急電鉄・東急百貨店によって運営されています。道玄坂上にある東急百貨店本店と共に、年間1000億円の売り上げを誇る旗艦店舗となっています。




西口バスターミナルを突っ切って、スクランブル交差点へ向かいます。東京横浜電鉄(現東京急行電鉄)が渋谷駅に1934年に開業した「東横百貨店」が、呉服店系の老舗百貨店「白木屋」と1958年に合併して東急百貨店が誕生しました。




東急電鉄の創業者である五島慶太は、戦前に池上電気鉄道や玉川電気鉄道を始めとする数々の競合企業を乗っ取る形で次々と買収します。その強引な手口から「強盗慶太」の異名をとったのだとか。




自身の経営していた鉄道会社である「東京高速鉄道」の始発駅を、同じ系列会社である東急東横店の地上3階に設置して、鉄道利用者を百貨店へ誘導するなど、卓越した経営感覚を有していたと言われています。




浅草ー新橋間で開業していた東京地下鉄道(現在の東京地下鉄銀座線)の経営を乗っ取って、自身の東京高速鉄道(渋谷−新橋)をつなげてしまうなどの「地下鉄騒動」と呼ばれる混乱も生み出しました。これはのちに「営団地下鉄(帝都高速度交通営団)」の発足につながって行くことになります。




西口バスターミナルの西側に建っているのは「渋谷東急プラザ」という名前のファッションビルです。渋谷駅の再開発に併せて、2018年度開業予定で建て替えを計画してしています。




銀座線の引き上げ線の高架橋の下を歩いて行くと、前方に渋谷駅ハチ公口前のスクランブル交差点が見えてきました。平日の昼間の時間帯なのにもかかわらず、人通りの多さは変わらないみたいです。




渋谷駅前のスクランブル交差点の全景です。新宿駅や東京駅の場合は駅の周辺に広大な地下街や地下道が整備されているので、歩く人の流れは地下へ誘導される仕組みになっているので、駅周辺の地上はほとんど人通りが見られないようになっています。




ところが渋谷駅の場合は、駅そのものが渋谷川と呼ばれる都市河川の造りだした谷底地形の中に設置されており、必然的に地下街や地下道を造れる構造になってはいないのです。そのため、人の流れはほぼ全てが地上部に集中してしまうことになります。




スクランブル交差点の地下には東急田園都市線・東京地下鉄半蔵門線の渋谷駅が設置されていますが、地下道や地下街は必要最小限にしか造られておらず、駅を降りた人々は皆さんこのスクランブル交差点の周辺に集まってくることになります。


初夏の渋谷駅:渋谷駅前やスクランブル交差点周辺を散策する PART2

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平日の昼過ぎの時間帯の「渋谷駅前・スクランブル交差点」の全景です。土休日や祝日程ではないですが、それでも信号が青になるとものすごい数の人が一斉に歩き始めます。子のスクランブル交差点の風景は、全国的に有名ですね。




スクランブル交差点から北側(神南方向)へ伸びている「公園通り」をズームで撮影してみました。大通りの左側には「西武百貨店渋谷店」の巨大な建物が建っていて、通り沿いにはマルイやパルコなどのファッションビルが整然と立ち並んでいます。




渋谷駅の北西側、「宇田川町」と呼ばれている繁華街や住宅街が広がっている方向を撮影してみました。正面に移っているのは「渋谷センター街」です。若者向けのお店が多いイメージが強いですが、通りから少し裏へ入ると閑静な住宅街の比率の方が多いのです。




スクランブル交差点を渡り、渋谷センター街前から振り返って渋谷駅を撮影してみました。JR・東急渋谷駅に併設されている東急東横店の西館の建物が綺麗に写っています。西館は1954年(昭和29年)に増築された建物です。




JRの線路を挟んだ東口側に建っているのが創業当時(1934年)からある東館です。渋谷駅街区土地区画整理事業のため、2013年の3月末で東館の営業を終了し、西館と南館に売場が集約されています。




スクランブル交差点前から「道玄坂」をしばらく歩くと、東急電鉄の子会社が運営しているファッションビル「渋谷109」の前に到着しました。平日の散策だったので、それほど人通りは多くはありませんでした。




渋谷109前の「道玄坂下交差点」前から渋谷駅方向を撮影してみました。緩やかな下り坂が駅方向に伸びていて、一番標高が低い谷底にスクランブル交差点と渋谷駅の施設があるのです。




道玄坂の沿道には109など東急系の大型店舗・施設を中心に飲食店や雑居ビル、映画館などが多く立ち並んでいます。通りから文化村通りへつながる道玄坂小路には風俗店や飲食店等が軒を連ねています。渋谷駅前に戻る前に、少し寄り道して渋谷センター街へ向かいます。




2013年3月1日に渋谷センター街に開業したチーズタルト専門店「PABLO渋谷店」です。元々は大阪の梅田地下街・ホワイティ梅田の梅田店と、心斎橋の心斎橋店の2店が開業していたのですが、初めて東京に出店したのです。




ものすごい行列が出来ていて購入するにも並ばなければいけないと話で聞いていたのですが、この日はそんなに並ばずに購入することが出来ました。店内でチーズタルトを焼いているので、店舗周辺においしそうな匂いが漂っていました。




渋谷センター街のストリートを通り抜けて、再びスクランブル交差点前に戻ってきました。交差点周辺は、相変わらず多くの人たちが行きかっていました。




JR渋谷駅のハチ公口をズームで撮影してみました。駅前広場には、東急田園都市線・東京地下鉄半蔵門線渋谷駅地下ホームの地上出口も設置されているので、繁華街へ向かう人たちや、乗り換えの乗客などで常に混雑しています。




スクランブル交差点の北側、公園通りに沿って建っているのは「109 MEN’S」です。こちらの建物にも街頭ビジョンが設置されています。




JR山の手・湘南新宿ラインの高架橋の下を通り抜けて、渋谷駅の東口側(宮益坂方向)へ向かいます。明治通りと宮益坂が交差している「宮益坂下交差点」前にやってきました。現在の東口周辺では大規模な工事が実施されています。




宮益坂下交差点前から渋谷ヒカリエの高層ビルを見上げて撮影してみました。次回の記事からは渋谷駅東口や、渋谷ヒカリエの高層ビル周辺を散策していきます。


初夏の渋谷駅:東口周辺と渋谷ヒカリエ「アーバン・コア」の散策 PART1

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渋谷駅の東口側(宮益坂側)、明治通りと宮益坂が交差している「宮益坂下交差点」前にやってきました。東口バスターミナル周辺や、東急文化会館跡地に建設された渋谷ヒカリエ周辺を散策していきます。




都営バス等が発着する東口バスターミナルを横断するように通っている高架橋は、東京地下鉄銀座線です。東急東横店の地上3階ホームから発車した銀座線電車は、東口バスターミナル内を高架橋で横断し、宮益坂上付近で地下トンネルへ入って行くのです。




現在渋谷ヒカリエが建っている場所には、東急百貨店が所有・運営していた「東急文化会館」という名前の複合施設がありました。1956年(昭和31年)に竣工した建物で、戦後の高度経済清涼のシンボルとも呼ばれていたのです。




現在の東口バスターミナル内では、銀座線渋谷駅の移設工事が実施されています。現在の東急東横店の地上3階ホームを、東口バスターミナルの真上に移設する計画となっていて、2021年の完成を目指しています。




東急文化会館の建物は坂倉準三氏が構造設計を行い、鉄骨鉄筋コンクリート造、地下1階地上8階塔屋3階建でした。4つの映画館や美容室、レストラン、書店などの店舗が入り、特に屋上にはプラネタリウム「天文博物館五島プラネタリウム」が設置されました。




真正面から渋谷ヒカリエの高層ビルを見上げて撮影してみました。開業時の東急文化会館内には、結婚式場「東急ゴールデンホール」、さらに最先端スタイルを提案する「資生堂大美容室」や「東京田中千代服装学園」などが入居し、当時の「最先端」文化が集積するトレンドスポットとして注目を集めたのです。




東口バスターミナルの全景です。線路を挟んだ西口バスターミナルは、東急バスや京王バスを中心に、山手線外側の住宅密集地を結ぶ路線が多いのに対し、こちら東口では新橋駅行きや六本木ヒルズへの直通バスなど、東京都心部へ向かう都営バスを中心に発着しているのです。




渋谷駅から渋谷ヒカリエへ通じている連絡通路と、渋谷ヒカリエの「アーバン・コア」をズームで撮影してみました。渋谷駅と宮益坂方向を結んでいるこの歩道橋を利用する人の数は多く、一日に約五万人もの交通量があるのだそうです。




明治通りと青山通りが交差している「渋谷署前交差点」上に架かっている高架橋上から東口バスターミナルを見下ろして撮影しました。手前側の降車専用スペースと路線バス待機場、奥側の乗車専用スペースが見事に分離されて運用しています。




明治通りの地下5階には東急東横線・東京地下鉄副都心線の渋谷駅ホームが設置されています。2008年6月の副都心線開業時からホーム自体は利用されてきましたが、2013年3月16日の東横線・副都心線の相互直通運転開始と同時に、東横線の乗り場は同日始発から従来の高架ホームからこの地下ホームに移転しました。




東急文化会館は2003年の6月に建物の老朽化と東急東横線(渋谷駅‐代官山駅間)の地下化工事および副都心線建設のため閉鎖し解体され、47年の歴史に幕を閉じました。




渋谷駅の東口前を通っている明治通りです。この大通りの真下の地下5階に東急東横線・副都心線の渋谷駅地下ホームがあります。明治通りをずっと北へ向かえば、新宿三丁目、池袋駅前へ向かうことが出来ます。




2003年6月末の完全閉鎖後はすぐに取り壊し工事が始まり、2005〜2006年前後には完全な更地になっていました。すぐに再開発工事は行われず、副都心線の地下ホーム工事が続けられていました。




明治通りと東口バスターミナルに挟まれた狭いスペースで工事用の資材置き場やプレハブ小屋が設置されています。場所の狭さという意味では、東京駅丸の内駅舎の復原工事よりも難しいかもしれません。




東口バスターミナルの脇には2013年3月15日に運用を停止した、かつての東急東横線の渋谷駅ホームが放置されています。建て替えの目途がつけば、近いうちに取り壊されるかもしれません。




渋谷署前交差点前から渋谷ヒカリエの高層ビルを見上げて撮影してみました。完成した当時は、積み木を積み上げて造った不安定な印象しかなかったのですが、開業後1年経った現在ですと、渋谷駅前のシンボル的な存在として周囲に景観に溶け込んでいます。


初夏の渋谷駅:東口周辺と渋谷ヒカリエ「アーバン・コア」の散策 PART2

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渋谷駅東口・明治通りの直下の地下3階に位置している東急東横線・東京地下鉄副都心線の渋谷駅の改札前にやってきました。改札前コンコースの北側に位置している渋谷ヒカリエ「アーバン・コア」周辺を散策していきます。ちなみに駅ホームは更に階段やエスカレーターを下った、地下5階に位置しています。




「アーバン・コア」は地下3階から地上4階部分に設けてある広大な地下空間で、エスカレーターやエレベーターが設置されています。平日の昼間の時間帯であっても、人通りは多かったです。




地下3階の渋谷駅地下ホーム、地上1階の東口バスターミナル、地上2階のJR渋谷駅方向への連絡通路、宮益坂方向へ伸びている連絡通路など、縦方向の移動を容易にしているのです。またアーバン・コアは地下鉄駅内の自然換気の機能も担っているのです。




渋谷ヒカリエの低層階部分、地下3階〜地上5階には東急百貨店が運営しているショッピングモール「ShinQs(シンクス)」が入居していて、改札階のある地下3階にも店舗入り口が設置されています。




2012年4月26日に開業した「渋谷ヒカリエ・シンクス」。約16000平方メートルの売場面積に、フード、ビューティー、ファッションなど約200の売場・ユニットで構成されています。




「ShinQs」の意味は、「渋谷 Shibuya」の街に「輝き Shine」をプラスする、東急百貨店の「新しいお店」、「Q」に東急百貨店の意味が込められています。




渋谷ヒカリエの初年度の売り上げ目標は180億円、道玄坂上にある東急百貨店本店が年間売上約1000億円であることを考えると、約5分の1程度の規模なのですね。




地下3階からアーバン・コアのエスカレーターに乗って上層階へ向かいます。地下空間には、地上からの太陽の光が差し込む構造になっているので、地下の中にいる感覚が全くありませんでした。




アーバン・コアの地下2階フロアの様子です。地下2階にはシンクスの店舗入り口しかないので、特に人通りは多くはありません。エスカレーターに乗っている人たちも、皆さん通過してしまいました。




渋谷ヒカリエの建設工事「渋谷新文化街区プロジェクト新築工事」は、東急建設と大成建設とのJVにより、2009年6月から2012年3月までの33か月の期間で進められました。それほどの期間がかかった理由は、渋谷ヒカリエが建っている敷地の環境条件にあったのです。




敷地内の高低差は12メートルにも及びます。元々この敷地は区道によって隔てられていた街区を結合させたものであり、この区道は渋谷駅と青山方面を結び、1日に5万人の通行人が行き交う主要通路でした。




このため工事中でも通路を閉鎖することはできず、期間中に10回以上の切り替えを行って歩行者の通路を確保しながら上空で高層ビルを築造するという、非常に繊細な安全管理が要求されるものでした。




地上2階部分の、宮益坂方向と渋谷駅への連絡通路が通っているフロアを素通りし、地上4階にあるアーバン・コアのテラス階へ向かいます。




アーバン・コアの地上4階フロアからは、渋谷駅東口バスターミナルや東急東横店、東京地下鉄銀座線等を見下ろすことが出来ます。




地上2階部分、アーバン・コアの中で一番人通りが多いフロアにやってきました。アーバン・コアの各フロアには、デジタルサイネージの「マルチリング」が設置されています。




デジタルサイネージ「マルチリング」では、渋谷ヒカリエ来館者向けの情報や、デジタルクロック、渋谷の1日の気温・天気の変化、世界中の都市やランドマークなどの情報のほか、東急文化会館のDNAを継承し、プラネタリウムをモチーフにしたコンテンツなどが配信されています。




JR渋谷駅へ通じている連絡通路前から、最大直径約17mの円形の大型LEDディスプレイ「マルチリングサイネージ」を撮影してみました。これで初夏の渋谷駅周辺の散策は終わりです。


初夏の大阪:「のぞみ3号・博多行き」に乗車して大阪へ PART1

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5月中旬の平日、朝6時の東京地下鉄東西線大手町駅にやってきました。普段は人通りが絶えないくらい、常に賑わっている東京駅八重洲口側の東京駅一番街周辺は、人通りもほとんどなく閑散としていました。




東京駅6時16分発の「のぞみ3号・博多行き」の列車に乗車して新大阪駅へ向かいます。新大阪駅までの所要時間は2時間26分となっています。




朝6時過ぎの東海道新幹線東京駅18番線ホームです。既にのぞみ3号の列車は18番線ホームに停車していました。朝6時過ぎの時間帯なのですが、既に多くのビジネスマンの人たちが列車に乗り込んでいきました。




のぞみ3号・博多行きの停車駅は品川、新横浜、名古屋、京都、新大阪駅…です。東京駅を6時16分に発車して、新大阪駅には8時43分に到着します。




2013年3月16日のダイヤ改正から誕生した新型車両「N700系A」の車両に一度のって見たいと考えていたのですが、既存のN700系車両でした。




発車時間が近づいてくると、ホーム上が多少は賑やかになってきました。朝6時台の、ほぼ始発列車ののぞみ号でさえ満席状態となるかもしれません。




この日の近畿地方は雲一つない快晴の天候になると事前に調べていたので、この日を散策日にすることにしました。なんとか天気予報が当たってほしいものです。




この日は普通車の指定席(4号車)を確保してあります。東京駅発車の時点で(4号車の場合は)乗車率は3割ほど、品川駅で乗車率は5割ほどになり、新横浜駅で乗客が大勢乗ってきて満席状態となりました。




品川駅を発車したのぞみ3号は、大田区内の住宅密集地の中を急カーブを繰り返しながら時速100キロ前後で走行していきます。東京都心部ではそろそろ通勤ラッシュが始まる時間帯でしょう。




新横浜駅を発車するとのぞみ3号は通勤電車並みの加速力を発揮して、一気に時速270キロ走行に入ります。横浜市街地の丘陵地帯を通り抜けた列車は、相模平野の中を一直線に突っ走って行きます。




進行方向左側には丹沢山地の山塊の稜線を眺めることが出来ます。その奥には富士山が…。




本州と伊豆半島の付け根にある新丹那トンネルの長大トンネルを通り抜けて三島駅を通過すると、進行方向左手には富士山の雄姿を眺めることが出来ます。まだ5月中旬の時期だったので、頂上付近の冠雪が見事でした。




静岡県富士市周辺の製紙工場群が形成されている一帯を通過していきます。「太平洋ベルト地帯」と呼ばれている、日本の国土軸を象徴する風景を眺めることが出来るのです。




新富士駅を通過すると、全長1373メートルの「東海道新幹線富士川橋梁」を時速270キロで一気に渡って行きます。時刻はまだ午前7時です。
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