
シティビューより北西方向(JR新宿駅方向)。JR新宿駅周辺の繁華街や高層ビル群、明治神宮や新宿御苑、青山霊園などの広大な緑地帯が密集しているエリアを眺めていきます。どの緑地帯もまだ紅葉には程遠く、ほんのりと赤みが見え始めた状態ですね。

六本木ヒルズの敷地の北西側に広がっている「東京都立青山霊園」の広大な緑地帯を上から撮影しました。墓地と、そばに在日米軍基地も併設されている場所柄からか、普段はあまり人が近づかないイメージが強い青山霊園ですが、こうして見ると非常に緑豊かな自然環境の場所であることが解ります。

新宿副都心の高層ビル群の南側に広がっているのは「明治神宮」と、それと一体化される形で整備されている「代々木公園」の広大な緑地帯です。現在の明治神宮と代々木公園の緑地帯は、住宅密集地帯に取り囲まれています。

新宿駅西側に形成されている「新宿副都心」の高層ビル群をズームで撮影しました。高さ243メートル・地上48階建ての東京都庁第一本庁舎の高層ビルを中核に、高さ200メートルを超す高層ビルが密集しています。

青山霊園の北側に広がっている港区の「南青山」地区や、渋谷区の「神宮前」地区の市街地をズームで撮影しました。表参道のイチョウ並木道も、上の画像の左上部分に小さく写っているのが見えますでしょうか?

渋谷駅前から赤坂見附までまっすぐ伸びている国道246号線「青山通り」沿いには、伊藤忠商事東京本社ビルを始めとしてオフィスビル街や高層マンションなどが集まるエリアとなっています。明治神宮外苑の緑地帯にもほど近く、住むにも最高の立地条件であるエリアです。

国立競技場や明治神宮球場などが立地している「明治神宮外苑」と、その北側に広がっているのは江戸時代に信濃高遠藩内藤家の下屋敷のあった敷地に整備されている緑地帯「新宿御苑」です。東京都心部と新宿副都心の中間地点であるこの場所には、広大な緑地帯がいくつも整備されていて、すごく住みやすそうな場所ですね。

1872年(明治5年)に美濃国郡上藩(現在の岐阜県郡上市)の藩主だった青山家の下屋敷跡に開設された「青山霊園」は、東京都心にほど近い一等地に位置する都市型霊園で、面積は約26万平方メートルを誇っています。

青山霊園の敷地内には約230本のソメイヨシノの木々が植えられていて、4月の上旬の季節になると素晴らしい桜のトンネルの中を散策することが出来ます。11月の現在では、ソメイヨシノの木々がほんのりと赤みを帯びてきました。

北方向(JR四ツ谷駅方向)を眺めていきます。国道246号線(青山通り)沿いに建設されているタワーマンション群が目立つようになり、「赤坂御用地」の広大な緑地帯が広がっているのが見えます。

「迎賓館」が敷地内に併設されている青山御用地の広大な緑地帯の北側には、新宿区や豊島区内の広大な住宅密集地帯が広がっているのが見えます。はるか遠くにはサンシャインシティの高層ビル群が小さく写っていて、あの場所にJR池袋駅のターミナルが設置されています。

青山霊園の敷地の東側に広がっている「南青山一丁目」地区や「六本木7丁目」地区の市街地を見下ろして撮影しました。一般的なイメージである「六本木」の歓楽街とは程遠い、閑静な住宅地の雰囲気が強いです。

東京大学生産技術研究所跡地に建設された「政策研究大学院大学」の六本木キャンパスの建物を見下ろして撮影しました。東京大学生産技術研究所が目黒へ移転した後の2005年に開設されました。大学時代は1997年に設置されたという新しい大学です。

同じく東京大学生産技術研究所跡地に建設された「国立新美術館」をズームで撮影しました。日本で5館目の国立美術館として、2007年1月に開館しました。故黒川紀章氏の設計作品としては最後のもので、ウェイブを描いた壁面ガラスの建物は遠くから見ていても目立ちます。

青山霊園の緑地帯に接するように広がっている在日米軍基地を見下ろして撮影しました。赤坂プレスセンターや麻布基地ヘリポート、将校用宿舎などの施設で構成されています。もともとこの界隈は終戦時までは、日本陸軍の練兵場や駐屯地などが広がっているエリアでしたが、終戦後に連合軍に接収されました。

現在の政策研究大学院大学のキャンパスや国立新美術館、東京ミッドタウンなどの敷地も元々は旧日本陸軍の保有していた敷地であり、戦後しばらく経って一部の敷地が日本側へ返還されたのですが、現在も在日米軍基地が残されています。

現在の六本木の繁華街は、そもそもは麻布基地に勤めていた軍人さんたち向けに発展してきた経緯があります。なので繁華街の歴史としては意外と新しく、戦前の六本木界隈は都内でも有数の閑静な住宅街だったのですね。
