Quantcast
Channel: 緑の、東京ブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 6347

5月の東大構内:安田講堂と工学部6・2号館の周辺 PART1

$
0
0


西側から、法文1・2号館の敷地前から「安田講堂」、正式名称としては「東京大学大講堂」の建物の全景を撮影しました。建物内には大講堂や保健センターなどが入っています。




西側から、安田講堂前の広場の全景を撮影しました。広場内には散策道や芝生、植栽などが綺麗に整備されていました。




並木道前から、安田講堂前の広場の北側部分を見渡して撮影しました。




安田講堂前の広場の南側部分を見渡して撮影しました。安田講堂の建物と広場の敷地南側には、「三四郎池」の低地が広がっています。




南東側から「法文1号館」の建物の全景を撮影しました。安田講堂前の広場の敷地の北西側に建っている赤レンガ造りの建物となっています。




南西側から、広場の敷地北側に建っている「工学部2号館」の建物を撮影しました。元々は1924年に完成した旧2号館の建物群が建っていましたが、現在は2棟の高層建築棟で構成されています。




「安田講堂」の正面玄関を撮影しました。安田財閥の創始者・安田善次郎の、匿名を条件での寄付により建設されましたが、安田の死後に寄付を行っていたことが知られるようになったことで安田を偲び、一般に安田講堂と呼ばれるようになっています。




安田講堂の建物は地上7階・地下1階建ての規模であり、1921年(大正10年)に工事着工し、1925年(大正14年)に完成しています。 設計者は内田祥三、岸田日出刀となっています。




広場内から北側の一帯を見渡して撮影しました。正面には「工学部2号館」の高層棟が建ち並んでいるのが見えます。




広場内から南側へ向かって伸びている石段の坂道を見下ろして撮影しました。坂下の低地には「三四郎池」、正式名称「育徳院心字池」の緑地帯が広がっています。後程、三四郎池内を散策します。




安田講堂の正面玄関前にやってきました。冷戦時の1968年(昭和43年)の東大紛争では、全学共闘会議によって占拠され、最終的には機動隊により強制排除された「東大紛争」の舞台として大変有名ですね。




安田講堂の時計台を見上げて撮影しました。現在の安田講堂の周辺は、東大紛争当時とは打って変わり、ひっそりとした雰囲気に包まれていました。




北東側から「法文2号館」の赤レンガの建物の全景を撮影しました。




東大紛争の後、この安田講堂は20年近く廃墟のまま放置されていたそうです。1988年から1994年にかけて改修工事が行われ、ようやく建物として使用できるようになっています。




広場から北側へ向かって伸びている石段の坂道を歩いて、「工学部2号館」の敷地前へ向かっていきます。



Viewing all articles
Browse latest Browse all 6347

Trending Articles