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Channel: 緑の、東京ブログ
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1月の高輪台:泉岳寺本堂と四十七士(赤穂浪士)の墓内の散策 PART1

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高輪台二丁目地区の東側に建っている「泉岳寺」の境内を散策してきます。南側から「中門」の全景を撮影しました。




現在の「中門」は1836年(天保7年)に35世大龐梅庭(だいほうばいてい)和尚代に再建されたもので、1931年(昭和7年)に大修理を施されています。




「中門」を通り抜けた先には、更に参道が続いています。参道沿いも閑静な住宅密集地帯が広がっていました。




参道西側に建っている「山門」の全景を撮影しました。1832年(天保3年)に34世大道貞鈞(だいどうていきん)和尚代に再建されたものです。




「山門」前から、南側に広がっている「泉岳寺」の境内を見渡して撮影しました。




「山門」の脇に設置されている入口を通り抜けていきます。




境内の敷地北側に建っている寺事務所の建物脇を通り抜けていきます。




寺事務所の建物脇を通り抜けていくと、前方に「本堂」の建物が見えて来ました。




東側から「本堂」の建物の全景を撮影しました。現在の建物は東京大空襲の後に再建されたもので、1953年(昭和28年)12月に落成した鎌倉様式の建築です。




北東側から、「本堂」の建物脇に建っている「講堂」の建物の全景を撮影しました。




境内の一番奥に整備されている「浅野長矩墓および赤穂義士墓地」へ向かって伸びている歩行者用通路を歩いていきます。




南東側から、「本堂」前の広場スペースの全景を撮影しました。




「山門」の南側にも入口がありましたが、こちらは閉鎖されていました。




「浅野長矩墓および赤穂義士墓地」へ向かって伸びている歩行者用通路脇に設置されている「首洗い井戸」の説明板を撮影しました。義士が本懐成就後、吉良上野介の首級をこの井戸水で洗い、主君の墓前に供え報告したところから「首洗い井戸」と呼ばれています。




その「首洗い井戸」の全景を撮影しました。




「義士墓入口の門」を通り抜けていきます。この門は浅野家の鉄砲州上屋敷(現・聖路加病院)の裏門で、明治時代に移築したものです。



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