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年明けの皇居:2014年1月2日、新年一般参賀と混雑 PART6

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1935年(昭和10年)に宮内省本庁舎として建設された現在の「宮内庁本庁舎」と、退出門である桔梗門へ向かう人々の行列です。




宮内庁本庁舎の脇を通り過ぎて道なりに進むと、皇居東御苑の敷地内の南端部に建っている「富士見櫓」の建物の下に出てきました。




一般人がいつでも見学することが出来る皇居東御苑内を歩いて、この富士見櫓前にたどりつくことは出来ますが、こうして下から見上げることは普段はできません。




雲一つない真冬の快晴の青空の中にそびえ立っている富士見櫓を下から見上げて撮影しました。




普段は決して入ることが出来ない富士見櫓の真下周辺の散策道ですが、地形的には、この場所は「皇居東御苑」の敷地内に相当しています。




しばらく歩くと桔梗門の「桔梗渡り櫓」の巨大な第二門が見えてきました。皇居東御苑の大手門や、皇居前広場の桜田門と同じく「枡形」が形成されているのですね。




桔梗門の北側に広がっている「旧枢密院」や「皇宮警察本部」の建物群を撮影しました。この道路を北へ進むと、皇居東御苑の大手門までつながっているのです。




桔梗門の渡り櫓の手前で再び人の流れが止まって渋滞になってしまいました。どうやら人の数が多すぎて、枡形内の通路内が詰まってしまっているみたいですね。




帰宅した後の報道で知ったことですが、この日の新年一般参賀には8万5000人もの人が皇居を訪れたそうです。その中でも午前11時から正午の時間帯が一番混雑したのだそうです。




私「緑」も、その時間帯の真っただ中に皇居の中を訪れていたので、一番混雑が激しい時に当たってしまったのですね。




桔梗門の枡形の中では、制服警察官の方々が交通整理を行っていました。枡形の外側でも、もう一つの退出門である坂下門から出てくる人々と合流していることによって大混雑になっているそうです。制服警察官の方の指示に従って枡形の中を歩いていきます。第一の門である「桔梗高麗門」を通り抜けていきます。




桔梗高麗門の外側に掛かっている土橋「桔梗門橋」を歩いていきます。目の前には桔梗濠の広大な水面が広がっていました。正面奥には和田倉噴水公園の敷地が見えます。




桔梗濠の水面の奥に広がっている大手町の高層ビル群、普段見慣れている光景の場所に戻ってきました〜。




桔梗高麗門や桔梗渡り櫓を振り返って撮影しました。この桔梗門も、普段は通ることが出来ない門の一つです。滅多に入ることが出来ない皇居内を散策することが出来、また陛下の御言葉も拝聴出来て、貴重な体験でした。




皇居東御苑の辰巳櫓と、パレスホテルが見えてきました。これで年明けの皇居の新年一般参賀は終わりです。

真冬の丸の内パークビル:三菱一号館と丸の内ブリックスクエア PART1

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12月下旬の平日、JR有楽町駅の北側のオフィスビル街を通り抜けてしばらく歩くと、赤レンガの建物と高層オフィスビルの複合施設「丸の内パークビルディング」が見えてきました。この建物周辺を散策していきます。




2009年4月末に竣工した丸の内パークビルディングを見上げて撮影しました。地上34階地下4階建て、高さ170メートルの高層ビルで、設計者と建築主は三菱地所、施工主は竹中工務店となっています。




丸の内パークビルの低層階として復原された「三菱一号館」の赤レンガ壁の建物です。建物内には商業施設や広場、美術館などが併設されている「丸の内ブリックスクエア」として整備されていて、後ほど散策していきます。




地下1階から4階までは商業ゾーンとして、それより上の階はオフィスとして利用されていて、新日鐵住金、三菱商事、三菱商事マシナリ、森・濱田松本法律事務所などの本社・本部が入居しています。




「三菱村」と呼ばれている丸の内といえば、丸ビルや新丸ビルがその象徴になっています。しかし戦前の三菱財閥をルーツとする現在の「三菱グループ」の総本山にふさわしい丸の内パークビルなのですが、あまり話題にならないですね。




丸の内パークビル内の入居企業の中核「三菱商事本社」は三菱グループの総合商社であり、三井物産、伊藤忠商事、住友商事、丸紅と共に、いわゆる五大商社の一つであり、三菱東京UFJ銀行、三菱重工業と並んで「三菱グループ御三家」の一角を占めています。




色鮮やかな赤レンガ壁が綺麗な三菱一号館、すぐ近くにある東京駅の丸の内駅舎にもデザインが共通している個所が多いですね。




日本の総合商社の中でトップを誇る「三菱商事株式会社」、2013年3月期の売上高は20兆2072億円、2位の伊藤忠商事の12兆5516億円を引き離して、ダントツの規模を誇る総合商社なのです。




2009年4月に丸の内パークビルが建設される以前のこの場所には「丸の内八重洲ビル」という古いビルが建っていました。再開発工事のために全て取り壊されたのですが、その旧ビルの一部が高層オフィスビルの一角に保存されています。




復原・保存されているという「丸の内八重洲ビル」の地上部ファサードの部分をズームで撮影しました。後ほど庭園内を散策した後に、保存壁周辺を観て回ることにします。




馬場先門通りを回り込んで、丸の内ブリックスクエアの広場へ向かいます。三菱商事株式会社のルーツは、日本で初めての株式会社といわれる坂本龍馬の海援隊が近江屋事件後に後藤象二郎に委ねられ、その後岩崎弥太郎に受け継がれて九十九商会となった企業の流れを汲んでいます。




丸の内パークビルの高層オフィスビルを見上げて撮影しました。ウェイブを描いている街壁面のデザインが美しいと思いました。建物のデザインも一流、入居企業の「格」も世界一と、文句のつけようがない高層ビルですね。




現在の大阪市中央区の堀江地区に本社を置いていた「九十九商会」は、後に、三菱商会、三菱蒸汽船会社(後に郵便汽船三菱会社として現在の日本郵船が分離)、三菱社と変遷していきます。




東京国際フォーラム前から見上げて撮影した丸の内パークビルディングの全景です。




江戸時代からの歴史を持つ三井や住友と違い、明治時代に入って誕生した「三菱商会」は、明治政府との結びつきを深めて急速に成長していくことになります。三菱財閥の社訓は「三菱は国家なり」、まさに三菱の発展こそが国家の発展に結びついていきます。




大正時代に入ってから第一次世界大戦にかけて、取り扱い品目数の飛躍的向上をみたため、小弥太は各事業部門を独立させ、三菱合資営業部は「立業貿易」の方針に則り、1918年(大正7年)に総合商社である「三菱商事」として独立した経緯があります。



第二次世界大戦後は財閥解体によって解散し、多数の会社に分裂したのですが、1954年(昭和29年)に大合同を果たして復活して現在に至ります。南側から見上げて撮影した丸の内パークビルディングです。


真冬の丸の内パークビル:三菱一号館と丸の内ブリックスクエア PART2

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雲一つない快晴の青空の中にそびえ立っている丸の内パークビルディング、2012年3月期の売上高20兆1263億円(連結)、米国基準収益:5兆5658億円を誇る総合商社「三菱商事株式会社」の本社が入居しています。




馬場先門通りから撮影した丸の内パークビルの低層部分です。この場所にはかつて、三菱商事ビルヂング・古河ビルヂング・丸ノ内八重洲ビルヂングの3つのオフィスビルが建っていたのですが、2008年から再開発工事が始まりました。




敷地内に復原されている「丸の内一号館」を撮影しました。1894年(明治27年)から1968年(昭和43年)にかけてこの場所には「三菱第1号館」のビルがあり、2009年の再開発工事の中でレプリカとして復原されました。




丸の内最初の洋風貸事務所建築としての「第1号館」である旧建物は、三菱の建築顧問であったジョサイア・コンドルによりイギリス・クイーンアン様式の外観を持つ煉瓦造の建築物として設計されました。




丸の内仲通りから撮影した、三菱一号館を含む「丸の内ブリックスクエア」の全景です。




竣工当初においては三菱合資会社本社、第百十九国立銀行(後の三菱合資会社銀行部、三菱銀行)本店、高田商会が設けられたほか、貸事務所として坪1円から1円50銭で貸し出されたとされています。




丸の内仲通りを横切って、丸の内ブリックスクエアの中を散策していきます。




丸の内仲通りのイチョウ並木道は、紅葉が全て終わって枯れ木状態となっていました。年末年始にかけて夜間の時間帯にはイルミネーションが施されています。




1960年代の高度経済成長期、建物を所有している三菱地所は一号館を取り壊して新しいオフィスビルを建設することを決めます。そして1968年(昭和43年)の3月に取り壊されました。




ひっそりとした雰囲気に包まれている丸の内仲通り沿いのオフィス街ですが、通りに面したブランド街周辺は賑わいを見せていました。




三菱1号館の跡地には地下4階地上15階建ての「三菱商事ビルヂング」が1971年(昭和47年)に竣工しました。その約30年後の2004年に「丸の内再構築」構想が始まります。




丸の内ブリックスクエア内の緑地帯として整備されている広場の中を散策していきます。年末の時期の散策だったので、広場内の噴水にはクリスマスツリーが設置されているようですね。




クリスマスツリーをすぐそばから撮影しました。「ディズニーくまのプーさん」をモチーフとした、黄金のクリスマスツリーとなっていました。




高層オフィスビルと三菱1号館の間に整備されている「丸の内ブリックスクエア」の広場内には、木々や散策道が綺麗に整備されていた、ベンチで休憩している人の姿が見受けられました。




この広場を取り囲むように、36店舗からなる商業ゾーンが整備されています。




広場に隣接して建っている三菱1号館の建物内にも美術館やカフェ、ミュージアムショップなどが併設されています。




三菱1号館前からクリスマスツリーを振り返って撮影しました。


真冬の丸の内パークビル:三菱一号館と丸の内ブリックスクエア PART3

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丸の内ブリックスクエアの中庭内から見上げて撮影した丸の内パークビルです。容積率は基本の1300パーセントに加え、東京駅の130パーセント、都市再生特別地区に基づく三菱一号館美術館の文化施設としての100パーセント、地域冷暖房プラントの設置による35パーセントをそれぞれ積み増ししての合計1565パーセントとなっています。




再建された三菱一号館の建物内には「三菱一号館美術館」が設置されていて、19世紀の近代美術を中心とする美術館で、企画展を年間3〜4回開催されています。




美術館前から振り返って、丸の内ブリックスクエアの中庭を見渡してみました。日本で最高の立地条件の中に建っているオフィスビル街の中に緑豊かな空間が整備されています。




この日は休日だったので、丸の内のオフィス街は無人状態でしたが、最近のこの界隈には商業施設が開業して来ているので、土休日や祝日でも賑わっています。




現在の丸の内パークビルの複合施設が建っている場所には、かつて「丸の内八重洲ビル」「古河総合ビル」「三菱商事ビル」の三つの高層ビルが建っていました。




丸の内パークビルの低層ファサード部分には、2006年7月に解体された「丸の内八重洲ビル」の壁面の一部が保存される形で残されています。とは言っても周囲には説明板も何もないので、事前の知識がないと全く気が付かなかったです。




かつてこの場所に建っていた「丸の内八重洲ビル」は、かつて三菱の建築を担当する部門であった「丸ノ内建築所」の事務所として、1891年(明治24年)に建てられた建物跡に設けられた「三菱運動倶楽部」の諸施設が所在していた場所でした。




その「三菱運動倶楽部」の建物が1925年(大正14年)に取り壊され、跡地に「丸の内八重洲ビル」の建設工事が1926年(大正15年)に起工され、1928年(昭和3年)に竣工しました。




JPタワーの裏側の大名小路から丸の内パークビルの低層部の全景を撮影しました。手前側の石積みの美しい壁面が丸の内八重洲ビルの保存壁(上層階は高層オフィスビル)、奥に見える赤レンガ壁が三菱一号館です。




東京中央郵便局の裏側にあった丸の内八重洲ビルといえば、この石積みの壁面と尖塔が特徴的な建物でした。尖塔もそれらしく復原されています(後述)。




三菱東京UFJ銀行本店ビル前から、丸の内パークビルの保存壁を真正面から撮影しました。この日は休日だったので、高層オフィスビル内は無人状態になっていました。




1937年(昭和12年)に三菱地所株式会社が設立された後は、三菱合資会社所有のもと三菱地所が管理を行っていたものの、1945年(昭和20年)3月に三菱合資会社本社より、敷地・建物が当時の350万円で現物出資として三菱地所に譲渡されました。




終戦後は1946年(昭和21年)4月に占領軍に接収され、1956年(昭和31年)に返還されるまで米空軍宿舎「八重洲ホテル」として使用されていました。ちなみに、200メートルほど離れた場所に建っている第一生命館は、GHQの本部として活用されていました。




バブル崩壊後の1990年代は、都心部西側の新宿や渋谷などの副都心の開発が進み、丸の内地区の相対的な地盤沈下が起こりました。当時の日経新聞に「黄昏の丸の内」などと書かれてしまう程だったそうです。




そして2000年代に入って丸の内の壮絶な逆襲が始まることになります。2004年に三菱地所は「丸の内再構築」の第2ステージ第1弾として、本建物を含む3区画を取り壊し、跡地に丸の内パークビルディングおよび、かつて文化庁が重要文化財指定を検討する中、三菱地所が抜き打ちに解体しました。




そして2009年4月末に丸の内パークビルは華々しく開業しました。そして2014年現在、東京駅周辺の再開発工事は猛烈な勢いで進められていて、新宿や渋谷などの副都心を追い抜きました。




丸の内パークビルの低層階部分の全景を撮影しました。石積みの保存壁面と、尖塔部分がそれらしく造られています。これで真冬の丸の内パークビルの散策は終わりです。



真冬の東京駅:休日午前中の丸の内駅前広場周辺の散策 PART1

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丸の内パークビルディングの散策の続きです。JPタワーの敷地内を通り抜けて、東京駅の丸の内駅前広場へ向かいます。




真冬の時期の散策なので、空気の綺麗さは一年の中で最高レベルなのではないでしょうか。雲一つない青空も透明度がものすごく高かったです。




午前中の時間帯の散策だったので、南ウイング部建屋周辺のはとバス乗り場には、黄色いはとバスは一台も停車していませんでした。




南ウイング部建屋の全景を撮影しました。




通り沿いの街路樹もすっかり枯れ木状態になっていました。




南ウイング部建屋前の道路沿いには、乗用車の駐車スペースが新たに設置されているようでした。




3階建てに再建された丸の内駅舎も、すっかり東京駅周辺の景観の中に溶け込んでいました。




太陽の光が照射されていると、1・2階部分の既存のレンガ壁の色と、3階部分の復原されたレンガ壁の色の違いが遠くからでもはっきりわかります。




その部分をズームで撮影しました。




大通りを挟んで立っている東京中央郵便局のJPタワーは白レンガ壁となっています。白レンガ壁の場合は、年月が経つと灰色になってしまうのですね。




白レンガ壁の低層等「キッテ」の奥には、JPタワーの高層オフィスビルがそびえ立っています。




東京駅南口交差点に到着しました。大手町の高層ビル群の中に、新しいタワークレーンが組まれていました。




商業施設「キッテ」の正面玄関前から、JPタワーを見上げて撮影しました。




丸の内駅前広場内では、JR総武快速・横須賀線の東京地下駅の2つある換気塔を小さくコンパクトなものへ取り変える工事が実施されています。




JPタワーを振り返って撮影しました。真冬の時期は、太陽の光が弱いので午後のような雰囲気に包まれています。

真冬の東京駅:休日午前中の丸の内駅前広場周辺の散策 PART2

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商業施設「キッテ」の正面玄関前から撮影した丸の内駅舎の全景です。東京駅周辺も商業施設が充実して来たので、休日の散策でも人通りが多かったです。




真冬の弱い太陽の光が、丸の内駅舎の赤レンガ壁に当たり、淡い赤色に輝いていました。




丸の内駅前広場の全景を撮影しました。駅前広場内に二つ建っている東京地下駅の換気塔の建て替え工事が現在進められています。




丸の内駅前広場を一周していきます。




午前中の冬の太陽の光が当たって淡く輝いている南ウイング部建屋を撮影しました。




JPタワーを見上げて撮影しました。




丸の内駅舎と商業施設「キッテ」の間を行きかう人の流れが全く途切れません。




丸の内南改札口が入っている南ドームをズームで撮影しました。




丸の内駅前広場の北側に広がっている、日本生命丸の内ビルなどの高層ビル群を見上げて撮影しました。




東京駅丸の内南口の路線バス乗り場前から撮影した南ドームと南ウイング部建屋です。




駅前広場内に建っている東京地下駅の換気塔を見上げて撮影しました。




丸の内中央改札口周辺を撮影しました。




丸の内ビルの正門エントランス前から丸の内駅舎方向を撮影しました。淡い冬の光が駅舎の壁面に反射していました。




水墨画を観ている感じになってしまいました。




JPタワーを見上げて撮影しました。

真冬の東京駅:休日午前中の丸の内駅前広場周辺の散策 PART3

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丸の内ビルの正門エントランス前を通っている「大名小路」の歩道を歩いて行幸通りへ向かいます。大名小路沿いはタクシー乗り場となっているのですが、この日はタクシーは一台もいませんでした。




復原工事以前の状態でそのままの状態にされている駅前広場を見回していきます。




丸の内駅前広場周辺の高層ビル群を見上げながら、行幸通りの東端部へ向かいます。




行幸通り脇から撮影した丸の内駅舎の全景です。




目の前の大通りを通り過ぎる車列が途切れた瞬間にズームで撮影しました。




冬の時期は太陽の位置が全体的に低いので、周囲を高層ビル群に囲まれている丸の内駅舎に光が当たる時間が極端に短くなります。




丸の内オアゾの日本生命丸の内ビルを撮影しました。




行幸通りの東端部から撮影した丸の内駅舎です。




7月下旬、夏至前後の快晴の日の午後の時間帯が、丸の内駅舎を一番綺麗に撮影することが出来る期間です。太陽の光が真正面から照射されて、駅舎全体が真っ赤に光り輝いているのです。




振り返って行幸通りを見てみると、クリスマスイベント「東京ミチテラス2013」の会場が整備されている最中でした。少し寄り道してみます。




東京駅の復原工事が完成した2年前(2012年)の「東京ミチテラス2012」では、丸の内駅舎の3Dマッピングなどが盛大に開催されましたが、今年は規模を縮小して実施されています。




3Dマッピングの際には多くの見物客が駅舎周辺に押し寄せて危険になったらしく、今回は行幸通り内のイルミネーションだけが実施されました。




行幸通り内には丸の内駅舎から皇居へ向かって伸びる線路と動輪が展示されていて「光のレールウェイ」が出現します。




夕刻の時間帯になると賑やかになるのでしょうが、午前中の時間帯だとひっそりとしていました。




暗くなればライトアップが始まります。

真冬の東京駅:休日午前中の丸の内駅前広場周辺の散策 PART4

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行幸通りで開催していた「東京ミチテラス2013」の「光のレールウェイ」と、真正面にある丸の内駅舎を撮影しました。




午前中の時間帯の散策だったので、警備員や工事関係者の人たちが作業をしていました。




往年の蒸気機関車をイメージした動輪をズームで撮影しました。




工事中の光のレールウェイを眺めながら、先へ進みます。




新丸の内ビル前から撮影した丸の内駅舎の全景です。




ズームで撮影しました。




皇室専用卑近出入り口周辺を最ズームで撮影しました。




新丸ビルの前を散策して丸の内駅前広場の北側へ向かいます。丸の内北口が入っている北ドーム建屋を撮影しました。




丸の内駅前広場の北側には工事用フェンスが組まれていて、これから何か工事が始まるのかもしれません。




振り返って新丸の内ビルを見上げて撮影しました。黒色を基調とした、スタイリッシュなデザインの高層ビルです。




丸の内オアゾ内の日本生命丸の内ビルを見上げて撮影しました。




日生丸ビル前から丸の内駅舎の北ドーム周辺を撮影しました。普段はビジネスマンの人たちで賑わっている丸の内北口ですが、この日は観光客の姿が目立ちました。




北ドームの建屋をズームで撮影しました。




逆光気味になってしまいましたが、丸の内駅舎の全景を撮影しました。




これで真冬の東京駅の散策は終わりです。

真冬の芝公園:JR浜松町駅前から増上寺大門へ PART1

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1月上旬の平日、通勤ラッシュが終わった時間帯のJR浜松町駅東口にやってきました。浜松町駅の周辺は高層オフィスビル街へと変貌しています。




浜松町駅前から西側へ伸びている通りを散策し、増上寺本堂や東京タワーが建っている「芝公園」の緑地帯を散策していきます。浜松町駅西口前の歩道橋から撮影しました。




浜松町駅前から増上寺の三門へ向かって一直線に伸びている通りの先には、東京タワーや六本木ヒルズ森タワーの高層ビル群が小さく見えました。




最ズームで撮影してみると、増上寺の三門が小さく見えました。あの山門を目指して通りを散策していきます。




浜松町駅前の歩道橋から振り返ると、JR山手線や京浜東北、東海道線、東海道新幹線の線路群が広がっていて、通勤ラッシュが終わった時間帯でも、数分おきに列車が行きかっていました。




歩道橋上から日の出埠頭方向を撮影してみました。手前側に広がっている施設がJR浜松町駅の駅舎や駅ビル群です。




浜松町駅前から増上寺山門へ伸びているこの通りは、参道としての機能を持っていますが、近年は浜松町駅周辺のオフィスビル街の雰囲気が強くなってきています。




浜松町駅は、羽田空港へのアクセス交通である東京モノレールの始発駅でもあり、ターミナル駅としての性格が強いのです。




しばらく歩道橋の上をウロウロしていると、ちょうど山手線の外回り電車が浜松町駅ホームへ入線するタイミングだったので撮影しました。




日本の超高層ビルの草分け的存在である世界貿易センタービルの前を通り抜けていきます。




浜松町駅の全景を撮影しました。JRの在来線や新幹線の線路群と世界貿易センタービルの間の狭いスペースに、東京モノレールのターミナル駅の施設が建設されています。




人通りの多い増上寺の参道を散策していきます。浜松町駅東口にある高速バスターミナルの脇を通り抜けていきます。




浜松町駅周辺の参道は、駅前繁華街の雰囲気が非常に強く、ビジネスマンの人たち向けの飲食店などが並んでいました。




駅前の繁華街の中をしばらく歩いていると、国道15号線(第一京浜)と交差している「大門交差点」前にやってきました。第一京浜の大通りは非常に交通量が多かったです。




国道15号線(第一京浜)は東京と横浜を結んでいる幹線国道で、京浜間を結ぶ道路の中では最も交通量が多いのです。


真冬の芝公園:JR浜松町駅前から増上寺大門へ PART2

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国道15号線(第一京浜)と交差する大門交差点を通り抜けてしばらく参道を歩いていくと、前方に「増上寺大門」が見えてきます。江戸時代は、現在の大門周辺の市街地一帯も増上寺の敷地内でした。




この界隈は港区の「芝大門地区」と呼ばれています。そのため、この参道の地下に設置されている都営浅草線と大江戸線の駅も浜松町駅ではなく「大門(浜松町)駅」となっています。




室町時代から歴史のある増上寺大門ですが、門の周辺は浜松町駅前の繁華街やビジネスホテル街に囲まれてしまっていますね。




「芝大門交差点」です。増上寺大門は、江戸時代初期に徳川家康によって増上寺が大改修されたときに、江戸城の大手門を移築して設置されたものなのです。




大門の周囲は雑居ビル街となっていて、陽の光がほとんど当たっていない状況でした。




現在のものは国道の通行整備のため、昭和12年(1937年)に江戸時代の原型より大きく、コンクリート製に作り直されたものです。




大門前から振り返って、JR浜松町駅方向を撮影しました。駅前繁華街の街並みが広がっていて、奥に見える高層ビルは世界貿易センタービルです。




鎌倉時代に日本に生まれたという浄土宗の総本山でもある増上寺です。




大門を通り抜けて山門へ向かいます。




大門の約100メートル西側に建っているのが「山門」ですね。この界隈はビジネスホテル街となっています。




ビジネスホテル街の中を歩くと視界が開けて日比谷通りとの交差点「増上寺前交差点」が見えてきました。




増上寺山門の後ろ側には東京タワーが綺麗にそびえ立っているのが見えますね。




増上寺前交差点周辺は、ちょっとした緑地帯が整備されていました。地元の人たちが利用しているのかもしれませんね。




重要文化財に指定されている「増上寺三門」、正式名称「三解脱門」の全景を撮影しました。 戦災をまぬがれた建物の1つで、元和8年(1622年)建立の二重門(重層で、各層に屋根が付く門)となっています。




この日比谷通りも、先ほど通り抜けてきた第一京浜(国道15号線)と同じくらい交通量が多かったです。毎年正月に開催される箱根駅伝のコースにも指定されています。




増上寺三門を通り抜けて、境内の中を散策していきます。


真冬の芝公園:増上寺境内と東京プリンスホテル本館周辺 PART1

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増上寺三門(正式名称「三解脱門」)を通り抜けて、早速増上寺の境内の中を散策していきます。増上寺の中を歩いていると、東京タワーの存在感が圧倒的です。そもそも東京タワーが建っている場所も、元々は増上寺の敷地だった場所です。




日比谷通り前の三門から西へ向かって参道が伸びていて、正面に建っているのが「増上寺本堂」です。増上寺の敷地は「武蔵野台地」の丘陵地帯の東端部に広がっていて、境内も傾斜地の地形になっています。




敷地の中央に建っている増上寺本堂、正式名称「大殿」は、昭和49年(1974年)に再建されたものです。室町期の阿弥陀如来、脇仏に法然上人像、善導大師像がまつられています。




三門や本堂周辺には枝垂れ桜の枯れ木が多く植えられていて、4月の時期になると桜の名所になるのかもしれませんね。




増上寺本堂の背後にそびえ立っている東京タワーを撮影しました。雲一つない真冬の快晴の青空の中に、真っ赤な鉄塔がそびえ立っていました。




本堂の手前には石段が設けられていて、丘陵地帯の上に本堂の建物が建っていることが判ります。




石段前から、増上寺本堂と背後の東京タワーを見上げて撮影しました。




本堂前にやってきました。この日は平日だったので、境内の人通りはほとんどありませんでした。




本殿の南側には、1999年(平成11年)に建設された「増上寺会館」の建物と、「光摂殿(こうしょうでん)」の建物を撮影しました。




本堂の北側には西武鉄道グループが運営している「東京プリンスホテル本館」の建物が建っているのが見えます。




本堂前から振り返って増上寺三門方向を見下ろして撮影しました。海側にはJR浜松町駅周辺の繁華街やオフィスビル街が広がっています。




増上寺山門を出て、日比谷通りを西新橋方向(北方向)へ向かって散策していきます。




芝公園の広大な緑地帯の背後にそびえ立っている「愛宕山グリーンヒルズ」の高層ビル群を見上げて撮影しました。




日比谷通り歩道から撮影した「東京プリンスホテル本館」の全景です。このホテルは1964年に開催される東京オリンピックに合わせて徳川家霊廟跡に建設されました。




東京プリンスホテル、以前は西武グループのフラッグシップホテルの位置づけでしたが、現在は普通のビジネスホテルに格下げされてしまったのだそうです。


真冬の芝公園:増上寺境内と東京プリンスホテル本館周辺 PART2

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日比谷通り「港図書館入口交差点」上に掛かっている歩道橋の上にやってきました。正面に写っているのは、徳川家霊廟跡地に建設された東京プリンスホテルの敷地内に建っている旧有章院霊廟二天門(国の重要文化財)です。




芝公園の緑地帯に接し建っている「港区図書館」の建物を撮影しました。この界隈には港区の施設が密集しています。




日比谷通り越しに東京プリンスホテルや増上寺の緑地帯を撮影しました。




芝公園の広大な緑地帯の背後にそびえ立っている「愛宕山グリーンヒルズ」の高層ビル群を見上げて撮影しました。




真っ直ぐ北側へ向かって伸びている「日比谷通り」を撮影しました。平日だったので、都心部方向(北向き)や横浜方向(南向き)のどちらも交通量が多かったです。




御成門交差点周辺より北側は、西新橋地区や愛宕地区のオフィスビル街が広がっています。




歩道橋上から「芝公園三丁目」方向(西側)を撮影しました。西側へ向かって地面全体が緩やかな上り坂になっています。




芝公園の緑地帯の中を散策して「御成門交差点」へ向かいます。平日午前中の時間帯の芝公園内は、人通りもなくひっそりとしていました。




「芝公園」は増上寺を中心とした緑地帯(都立公園)であり、1873年(明治6年)の開園と、東京都内でも上野恩賜公園などと並ぶ古い公園となっています。元々は増上寺境内の敷地を公園としていました。




しかし戦後の政教分離の考えにより、増上寺の敷地とは独立して宗教色のない都立公園として新たに遊具や運動施設などが設けられ、整備されました。そのため、現在の公園の敷地は増上寺を取り囲むような形状になっています。




ブランコ周辺で遊んでいるお母さんと子供たちの光景の背後には、愛宕山グリーンヒルズの高層オフィスビルとタワーマンションがそびえ立っていました。




しばらく歩くと御成門交差点周辺の雑居ビル群が見えてきました。




御成門交差点前には、巨大なイチョウの大木が植えられていました。




真冬の時期の散策だったので、緑地帯内の木々はほぼ全てが枯れ木状態となっていました。




御成門交差点前の芝公園入り口前に到着しました。次回の記事では芝公園の敷地を北寄りに回り込みながら、東京タワー方向へ向かいます。


真冬の芝公園:増上寺裏を通り抜けて赤羽橋交差点へ PART1

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芝公園の広大な緑地帯の北端部に位置する「愛宕二丁目交差点」の歩道橋上にやってきました。この交差点より北側は、港区の「愛宕二丁目地区」の住宅密集地帯が広がっています。




交差点脇には「東京慈恵会医科大学附属病院」の広大な敷地が広がっています。西新橋地区のオフィスビル街と、愛宕山周辺の山の手の住宅地の、ちょうど境界のような街並みです。




振り返って南側を振り返って撮影してみると、逆光の光芒の中に増上寺本堂が小さく見えました。




愛宕山グリーンヒルズの高層ツインタワーの敷地が交差点の北側に広がっています。ツインタワーの間には「青松寺」の境内が広がっています。




そして圧倒的な存在感を誇っているのが現在建設中の森ビル「虎ノ門ヒルズ」です。「(仮称)環状二号線プロジェクト」の一環として、虎ノ門のオフィスビル街の中に建設中の超高層ビルです。




地上55階、最高高さ255.5メートルと東京都内では最高の高さを誇る超高層ビルで、今まで地味で目立たないイメージしかなかった虎ノ門エリアが、今後は東京で最もトレンドとなる界隈になるのではないでしょうか。




愛宕二丁目交差点から芝公園の緑地帯の縁を反時計回りに回り込むように散策を続けていきます。武蔵野台地や愛宕山の丘陵地帯へと続く緩やかな上り坂となっていきます。




東京プリンスホテルの敷地北端にある「芝公園三丁目交差点」にやってきました。




ここからも東京タワーを見上げて撮影することが出来ました。




東京プリンスホテル本館の建物を撮影しました。このプリンスホテルの敷地内や敷地外を散策してみると、徳川家霊廟跡地の遺構などを見つけることが出来ます。




東京プリンスホテルの敷地の裏側を通っている「都道301号線・祝田通り」を歩いていきます。芝公園内の鬱蒼とした緑越しに、東京タワーを見上げて撮影しました。




雲一つない快晴の青空の中にそびえ立っている東京タワーです。2020年に開催される東京オリンピックへ向けて、第一展望台には「2020」の文字が刻まれていました。




2011年3月11日の東日本大震災では東京全域で震度5強を観測しましたが、東京タワーの尖塔が曲がる被害があったのですが、現在では修復されています。




東京タワーも正式には芝公園の緑地帯内に建っていることになっています。




道なりに散策して赤羽橋交差点へ向かいます。


真冬の芝公園:増上寺裏を通り抜けて赤羽橋交差点へ PART2

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東京タワーと芝公園の間を通っている「祝田通り」を散策して、赤羽橋交差点へ向かいます。




しばらく歩いていると、増上寺境内の裏側に小さな公園が整備されているので寄ってみることにします。




芝公園と一体化されている小さな緑地帯の中には小さな池が整備されていて、そばの立て看板には「弁天池」と書いてありました。




真冬の時期の散策だったのですが、この辺りは日中でも太陽の光が当たりにくいらしく、ちょうど紅葉の見ごろを迎えていました。




緑地帯のすぐ脇には、交通量の多い「祝田通り」が通っています。




増上寺の裏側に、こんなひっそりとした公園があったとは、今まで気が付かなかったです。




東京タワーから南東に約300メートルほど離れた場所にこの庭園は広がっています。




この界隈は海にほど近い丘陵地帯であることから、古墳などが芝公園内に残されたりしています。




芝公園の緑地帯の南側の一角には「芝丸山古墳」という名前の墓が整備されていて、5世紀中頃過ぎに築造されたものといわれています。




この界隈も江戸時代は増上寺の境内の中に含まれていました。




しばらく緑地帯の中を道なりに歩くと、前方に「赤羽橋交差点」と首都高速都心環状線の高架橋が見えてきました。




桜田通り(国道1号線)と祝田通り、外苑東通りバイパスが交差している「赤羽橋交差点」は、一日を通して交通量が多い交差点です。




赤羽橋交差点の全景を撮影しました。交差点の真下には都営地下鉄大江戸線の赤羽橋駅が設置されていて、ここから新橋方面や六本木・新宿方面へ向かうことが出来ます。




赤羽橋交差点から撮影した東京タワーの全景です。赤羽橋交差点が渋谷川の低地にあることから、芝公園の丘陵地帯の上にそびえ立っている東京タワーを見上げる構図になっています。




ちょうど太陽が南側(背後)から照りつけてくる構図になっていたので、赤く塗装されている東京タワーの鉄塔が、真っ赤になっていました。


1月の大手町:玉突き方式で再開発が進むオフィスビル街散策 PART1

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1月上旬の休日、東京地下鉄東西線の大手町駅にやってきました。この日は休日で人の気配が全くなくなっている、大手町地区のオフィスビル街の中を散策していきます。永代通りの「丸の内一丁目交差点」から散策を開始します。




丸の内一丁目交差点脇から東京駅丸の内駅前広場方向を撮影しました。頭上には、東京駅へ向かっているJR中央快速線の高架橋が通っています。




ズームで撮影してみると、丸の内駅舎の北ドーム建屋と、丸の内駅前広場南端に建っている東京中央郵便局の「JPタワー」の高層ビルが綺麗に写っていました。




東北・上越新幹線の高架橋脇を北へ向かって歩いていきます。常磐橋公園前から再び高架橋の下を通り抜けて、大手町地区のオフィスビル街へ入っていきます。




常磐橋交差点前から振り返って撮影した「日本ビルヂング」の全景です。日立製作所や日本水産の本社機能がこのビル内に入居しています。




高架橋の下を通り抜けると、目の前には広大な高層オフィスビル街が広がっています。大手町地区の北側を散策していきます。正面に写っているのは「東京国際郵便局」ビルです。




東京国際郵便局の南側に建っていた「日本郵政公社東京支社」ビルは現在は取り壊されていて、跡地には駐車場として整備されています。近いうちに再開発工事が始まるのではないでしょうか。




大手町地区は戦前から続いているオフィスビル街であり、1960年代の高度経済成長期に当時の近代的な建物に建て替えられてきました。




現在の大手町のオフィスビルの大部分は1960年代前後に建てられたものです。正面に写っている「NTTデータ大手町ビル」を始めとして、そろそろ寿命が近づいてきているビルが大半になっています。




「NTT逓信総合博物館」が低層階に入居していた「逓信ビル」を見上げて撮影しました。




都市再生機構が進める「大手町連鎖型都市再生プロジェクト」に伴い、2013年8月末をもって閉館しましたた。このうち、通信文化協会が運営する部分については2014年3月に東京スカイツリータウンに移転の上、「郵政博物館」の名称で再開館予定になっています。




数年以内にはこの「逓信ビル」も取り壊されて更地となり、高層オフィスビルへと建て替えをする再開発工事が行われるわけですね。大手町地区ではこのような再開発工事が今後20年くらいは続くと見られています。




しばらく道なりに西側へ向かって歩いていると、前方に「大手町ビル」の建物が見えてきました。このオフィスビルも層等古く、そのうち取り壊されるのではないでしょうか。




三菱住所が所有している「大手町ビル」は1958年(昭和33年)4月に竣工したオフィスビルです。普段は多くのビジネスマンで賑わっている大手町ですが、この日は人の気配が全くありませんでした。




大手町ビルの南側に隣接して建っているのが2014年4月末に全面開業する高さ200メートルの「大手町タワー」です。後ほど周囲をウロウロしてみることにします。



1月の大手町:玉突き方式で再開発が進むオフィスビル街散策 PART2

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休日で人通りが全くない大手町地区のオフィスビル街の中を散策していきます。1960年代の高度経済成長期に建てられたオフィスビルと、2010年代になって進められている再開発工事によって誕生した最新鋭高層オフィスビルが林立しています。




逓信ビルを見上げて撮影しました。バブル崩壊後の1990年代は東京都心部の西側の新宿や渋谷、池袋などの副都心が新たなビジネス街として発展を遂げ、古いオフィスビルが取り残されていた東京駅周辺は相対的に地盤沈下してきました。




1990年代には東京都庁やJR東日本本社ビルが西新宿へ移転し、日経新聞に「黄昏(たそがれ)の丸の内」と揶揄されるほど落ちぶれてしまった経緯があります。そして2000年代に入って東京駅周辺の壮大な再開発計画が始まります。




その第一弾として2002年9月に華々しく竣工した「東京サンケイビル」です。産経新聞東京本社などが入居していて、低層階は「大手町サンケイプラザ」(貸会議室・イベント会場)と商業施設で構成される「メトロスクエア」が整備されています。




現在の日本で最も発展している地域の一つである大手町地区、建設中と今後の計画分を合わせ、今後数年内に延べ床面積約100万平方メートル、東京ドーム21個分のフロアが新たに供給される予定だとなっています。




この大手町ビルもそのうち解体されることになるでしょう。現在の丸の内や大手町の再開発の快進撃はすさまじく、新宿や渋谷などの副都心、同じ都心部内の六本木や汐留のオフィス街を圧倒しつつあります。




既に完成している大手町サンケイビルと、その北側にツインタワーとして林立している「大手町フィナンシャルシティ」の高層ビル群を撮影しました。




アーバンネット大手町ビル前から見上げて撮影した「東京サンケイビル」の全景です。




すでに大型オフィスビルが林立する大手町の再開発には、大規模な建て替えと既存オフィスの仮移転が必要です。解体・建て替え工事の3〜5年は他のオフィスに移り、完成後、また戻ってくると2回引っ越さなければなりません。それならば1回の引っ越しで他のオフィス街への移転を考える企業も多くなります。





そこで採用されたのが「玉突き方式」「ドミノ方式」と呼ばれる再開発手法です。古いオフィスビルを取り壊して再開発工事によって新しい高層オフィスビルを建て、隣接している古いビル内の企業がスライドするように新しいビルに入るという方式です。




2000年に更地となった合同庁舎1・2号館跡地に隣接していた経団連、日本経済新聞社などが新社屋を建て、21年に入居しました。経団連などが引っ越したビル跡地などには2012年10月に「大手町フィナンシャルシティ」が完成し、やはり隣接する日本政策投資銀行などが入居する…という流れとなっています。




東京サンケイビル前の広大な広場を見渡して撮影しました。この日は年末年始の休日だったので、人通りは全くなく無人状態でした。




この「玉突き方式」「ドミノ方式」だと、再開発による建て替え時の入居企業の仮移転が不要になり、地域全体でスピーディーに再開発工事が進めることが出来るという利点があります。




広場前から見上げて撮影した東京サンケイビルです。これから隣接して建っている大手町フィナンシャルシティへ向かいます。


厳冬の大手町フィナンシャルシティ:DBJエントランス周辺の散策 PART1

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2012年10月に竣工した複合施設「大手町フィナンシャルシティ」の中と、その周辺を散策していきます。NTTデータ大手町ビル前から撮影した、大手町フィナンシャルシティの全景です(東京サンケイビル右側のツインタワー)。




大手町ビル前から撮影した、大手町フィナンシャルシティのツインタワーを見上げて撮影しました。手前側の「B棟・サウスタワー」と奥の「A棟・ノースタワー」、二つの高層ビルの間の建屋を含めた「ショップ&レストラン」から構成されています。




南側に建っている「B棟・サウスタワー」を見上げて撮影しました。地上35階地下4階、高さ177メートルの高層ビルで、大手町界隈では、高さ200メートルの大手町タワーや読売新聞東京本社ビルに次いで2番目に高い高層ビルとなっています。




大名小路の歩道と一体化されている大手町フィナンシャルシティの敷地内を散策していきます。大通りの地下には東京地下鉄丸ノ内線の大手町駅が設置されていて、地下でフィナンシャルシティ内と直結しています。




B棟・サウスタワー前は広場として整備されていて、まだ若木の街路樹が整備されていました。この日は年末年始の時期だったので、オフィス内は無人状態でした。




B棟・サウスタワーの高層ビルを見上げて撮影しました。各階のカーテンウォール上に取り付けられている庇(ひさし)の存在が目立ちます。庇を付けることによって直射日光の侵入を抑えることが出来、光熱費の節約につながるのだそうです。




B棟・サウスタワー内には「日本政策投資銀行本社」や「あずさ監査法人」などの企業が入居しています。東京駅まで歩いて10分の距離にあり、地下鉄大手町駅に直結しているので、一等地と言っていいでしょう。




「日本政策投資銀行」は普通の民間銀行とは違い、株式会社日本政策投資銀行法に基づき設立された財務省所管の特殊会社なのです。日本の政策金融機関となっています。




財務省の「政策金融機関」とは、民間金融機関が融資を行うことが困難な分野に対し、財政投融資制度を用いて、民間の金融機関では困難な融資を行っている組織のことなのだそうです。




この日のオフィスフロア内は無人だったのですが、業者の人たちが窓ふきなどの仕事をされていました。




広場内の看板を見てみると、サウスタワーの一階周辺は「DBJエントランス」「オフィスエントランス」と名付けられているのが判りました。「DBJ」とは、日本政策投資銀行の略称なのですね。




オフィスエントランス前にやってきました。1990年代のバブル崩壊以降、財務省の政策金融機関は「民業圧迫」などの批判を受けることが多くなり、小泉改革によって改革されることになった経緯があります。




ツインタワーの間に挟まれるようにして設置してある「ショップ&レストラン」の入り口を撮影しました。この日は商業施設も休みになっていて、入口脇には角松が設置してありました。




資金の流れを「官から民」に移し経済を活性化する政策金融改革の一環で、2008年10月に特殊法人で特殊銀行の日本政策投資銀行(旧DBJ)を解散し、特殊会社たる株式会社日本政策投資銀行(新DBJ)として新たに発足しました。




2012年〜2014年を目途に政府保有株式の全てを処分し完全民営化する予定であったのですが、2008年の世界的な金融危機に直面し、政策金融機関に対する政府の関与を維持するべきであるとの見直しが行われました。




ショップ&レストラン前から見上げて撮影したB棟・サウスタワーです。


厳冬の大手町フィナンシャルシティ:DBJエントランス周辺の散策 PART2

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ショップ&レストラン入り口前から見上げて撮影した大手町フィナンシャルシティのツインタワー「B棟・サウスタワー(左側)」と、「A棟・ノースタワー(右側)」です。




大名小路を挟んだ対岸からDBJエントランスやオフィスエントランス周辺の全景を撮影しました。この日は年末年始の時期だったので、ショップ&レストラン内も無人状態でした。




サウスタワーとノースタワーの間に建っているショップ&レストランの入り口の吹き抜け空間を真正面から撮影してみました。




「A棟・ノースタワー」を見上げて撮影しました。地上31階地下4階建てで、高さは154メートルとなっています。B棟・サウスタワーと比較すると、若干デザインに差異がありますね。




A棟・ノースタワーは2階〜29階がオフィスフロアになっていて、地権者の「日本政策金融公庫」の本社機能が入居しています。大手町地区の再開発手法「玉突き方式」「ドミノ方式」によって、西側の区画から移転してきました。





「日本政策金融公庫」は株式会社日本政策金融公庫法に基づいて2008年10月に設立された財務省所管の特殊会社であり、日本の政策金融機関です。サウスタワー内の日本政策投資銀行の親戚のようなものなのですね。




A棟・ノースタワー一階の「日政公庫エントランス」周辺をズームで撮影してみました。




日本政策金融公庫の前身機関である国民生活金融公庫、農林漁業金融公庫、中小企業金融公庫が担っていた業務を引き継いでいますが、こちらも「民業圧迫」の意見に配慮し、国民生活に深くかかわる3機関で行っていた業務は一部見直されています。




大手町フィナンシャルシティの敷地の北側には、神田川の支流である「日本橋川」が流れています。現在、日本橋川沿いの河岸には緑地帯の整備工事が行われています。




日本橋川に架橋されている「鎌倉橋」の上から振り返って撮影した大手町フィナンシャルシティの全景です。地上31階地下4階建てのノースタワーと、地上35階地下4階建てのサウスタワーの2棟の総延べ床面積は24万2500平方メートルとなっています。




日本橋川・鎌倉橋からフィナンシャルシティの地上周辺の全景を撮影しました。日本橋川の河岸周辺の緑化整備工事が終わったら、再び散策してみたいですね。




鎌倉橋の北岸から振り返って、大手町フィナンシャルシティの全景を撮影しました。この位置から撮影すると、ノースタワーとサウスタワーが一体化されて、一つの高層ビルのように見えますね。




再び鎌倉橋を渡って、フィナンシャルシティの敷地内に整備されている緑地帯の中を散策していきます。日本橋川沿いの緑化整備の工事現場前を通り抜けていきます。




鎌倉橋脇から、緑化整備工事現場を撮影してみました。砂利を敷き詰めて散策道の地盤を造成し、その上に舗装タイルを敷き詰める工事と、街路樹を植える工事が行われていました。




鎌倉橋南岸から見上げて撮影したA棟・ノースタワーです。日本政策金融公庫本社も、西側の敷地に建っていたオフィスビルから、スライドする形で移転してきました。




ショップ&レストランの案内板を撮影しました。レストランのラインナップを眺めてみると、大手町のオフィスビル街で働いているビジネスマンの人たち向けに特化しているようですね。




A棟・ノースタワー1階フロアの「日本公庫エントランス」の全景を撮影しました。


厳冬の大手町フィナンシャルシティ:「エコミュージアム」の緑地帯の散策

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大手町フィナンシャルシティの敷地の北側、神田川の支流である日本橋川沿いに整備されている緑地帯「エコミュージアム」の散策道を歩いていきます。緑地帯の半分は、まだ工事用フェンスに仕切られていて工事中みたいですね。




午前中の時間帯の散策だったので、緑地帯内はA棟・ノースタワーの高層ビルが作り出している影の中に入っていました。この日は人通りが全くありませんでした。




エコミュージアムの緑地帯から伸びている階段を上がると、ビジネスマンの人たち向けの休憩テラスが整備されていました。




休憩テラスから緑地帯周辺を見下ろしてみると、日本橋川河岸の整備工事中の緑地帯と、日本橋川上に架橋されている首都高速都心環状線の高架橋が見えました。




緑地帯入口に設置されている「エコミュージアムインフォメーション」の有田焼製の説明板を撮影しました。エコミュージアムとは、再生可能エネルギーの先進的な取り組みを紹介しています。




説明板の散策道を挟んだ反対側には、ヒートアイランド対策のための軽量な屋上緑化技術を利用した「湿性花園」が整備されていて、ホタルの飼育が計画されているそうです。




再生素材などエコマテリアルで作られた「サロン」です。環境情報の可視化をテーマとし、環境モニタリングディスプレイが設置されていて、B棟・サウスタワー屋上にある、32.24kwの太陽光発電の現在発電量を確認することが出来ます。




散策道右側の工事用フェンスで仕切られている、整備工事中の日本橋川河岸のせせらぎの道を眺めながら散策を続けていきます。




エコミュージアムの緑地帯から見上げて撮影したA棟・ノースタワーの高層ビルです。2012年10月に開業した、最新鋭の高層オフィスビルです。




花壇や植物のアートなどで構成されている「プレゼンテーションガーデン」を眺めていきます。




その花壇の一つである「エディブル"シェード"ガーデン」では、ローズマリー、ごごみ、ユキノシタ、山あけびなどの食べることが出来る植物が栽培されています。




しばらく歩くと前方に都市型植物工場の実証実験場「アーバンエコファーム」のドーム状の物体が見えてきました。




現在整備工事中の、日本橋川沿いの歩行者用通路や緑地帯の工事現場を撮影してみました。首都高速都心環状線の高架橋の真下に日本橋川が流れています。




アーバンエコファーム前から振り返って、大名小路方向を撮影しました。



緑地帯「エコミュージアム」の西端部に到着しました。ここから先は、以前の日本政策投資銀行ビルや公庫ビルが建っていた場所で、現在は再開発工事が進められています。




大手町フィナンシャルシティの敷地西側の「ショップ&レストラン」の散策道を歩いていきます。この散策道周辺も人通りが全くありませんでした。




同じ場所からA棟・ノースタワーの高層ビルを見上げて撮影しました。


厳冬の大手町フィナンシャルシティ:ショップ&レストランと高層ツインタワー

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2012年10月に開業した複合施設「大手町フィナンシャルシティ」は、大手町連鎖型都市再生プロジェクトの第2次再開発事業「大手町一丁目第2地区第一種市街地再開発事業」として開発されました。敷地北側の緑地帯から見上げて撮影したA棟・ノースタワーです。




現在のフィナンシャルシティの敷地には、以前は日経ビル、経団連会館、JAビルの3つのオフィスビルが建っていたのですが、それらを取り壊した跡地(14100平方メートル)に南北2棟の超高層ビルが建設されました。




フィナンシャルシティの敷地の西側(丸の内仲通り側)に整備されている「ショップ&レストラン」の店舗群と、北側へ延伸工事中の丸の内仲通りと一体化される形で整備されている散策道の全景を撮影しました。




A棟・ノースタワーとB棟・サウスタワーの二つの高層ビルの間にあるショップ&レストラン入り口周辺を通り抜けていきます。広場の西側は工事用フェンスで仕切られていました。




ショップ&レストラン入り口前からB棟・サウスタワーを見上げて撮影しました。フィナンシャルシティ全体の代表施行者は都市再生機構、共同施行者は三菱地所、特定建築者は三菱地所、NTT都市開発、東京建物、サンケイビルとなっています。




「大手町フィナンシャルシティ・ショップ&レストラン」は地下1階と地上1階の飲食店舗を中心に大手町エリア就業者向けの27店舗が出店し、2012年11月にグランドオープンしました。




A棟・ノースタワーの地権者は日本政策金融公庫、設計はNTTファシリティーズと三菱地所設計、施工は清水建設となっています。地権者として参加した日本政策金融公庫の本社機能が入居しています。




B棟・サウスタワーの地権者は日本政策投資銀行、設計は日建設計と三菱地所設計、施工は戸田建設となっています。地権者として参画した日本政策投資銀行が本社機能を移転してきました。




またサウスタワー内には、大手町の国際金融機能の強化に向けた業務支援施設として、英語対応可能な聖路加国際病院の分院「聖路加メディローカス」、高度な金融ノウハウを習得するための人材育成拠点「東京金融ビレッジ」、高度なセキュリティや耐震性を備え、複数の通信事業者が利用可能なサーバー設置施設「IDC(インターネットデータセンター)」が整備されています。




B棟・サウスタワーの1階の店舗群の脇を通り抜けていきます。普段の平日だとビジネスマンの人たちで賑わっているのでしょうが、年末年始の時期は商業施設も閉まっていました。




上海や香港に替わる「アジアの金融センター」を目指して再開発による高層化が進む東京駅周辺ですが、国際金融拠点における業務支援機能の強化とそれを支える魅力的な空間整備をコンセプトに、このフィナンシャルシティも整備されています。




これまでの大手町や丸の内界隈を中心とした東京駅周辺のオフィスビル街はビルばかりが建ち並ぶ無機質な街並みの印象が強かったですが、再開発工事では緑あふれる都市空間の整備や、地上や地下の歩行者ネットワークの整備なども同時に取り組まれることになりました。




今まで気が付かなかったですが、大手町地区には日本橋川が流れていたり、皇居や皇居前広場にほど近かったりと、意外と自然環境に恵まれている地域なのです。それらの資源を生かした再開発工事が進められています。




地上周辺が整備されると同時に、東京地下鉄や都営地下鉄の大手町駅などの地下空間の再整備工事も同時並行的に進められています。




最近の高層ビル建設の手法で取り入れられている窓面への庇等の設置や高効率設備機器の導入などにより、省エネルギー化、CO2排出量の削減に取り組むことで、省エネルギー基準PAL、ERRそれぞれについて、段階3(基準値からの削減率25%以上)を達成しています。




また、災害への備えとして約72時間の非常用電源、医療材料・薬剤等の備蓄、周辺との通信回線(内線)を用意。災害時には、敷地空地部及びアトリウム空間にて帰宅困難者を受け入れるといった地域防災への貢献にも取り組んでいます。




ショップ&レストランや広場周辺を振り返って撮影しました。現在「丸の内仲通り」の北側への延伸工事が進められていて、それが完成するとさらに広々とした空間に生まれ変わるでしょう。




フィナンシャルシティの敷地を一周して戻ってきました。これで厳冬の大手町フィナンシャルシティの散策は終わりです。




大手町フィナンシャルシティの全景を見渡せる場所がないかその後探してみたのですが、日本橋川の「神田橋」前から、ツインタワーを綺麗に撮影できることが判りました。




ツインタワーの手前側の再開発工事現場は、現在のフィナンシャルシティ内に移転する前の日本投資政策銀行や日本政策金融公庫の本社ビルが建っていた場所です。




再開発工事によって新しい高層オフィスビルが建設され始めると、この場所から見上げることはできなくなります。次はすぐ近くにある大手町タワーの緑地帯「オーテモリ」へ向かいます!!!


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