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4月の東京駅:丸の内駅舎や駅前広場周辺を散策する PART2

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「東京駅南口」交差点前から丸の内駅前広場を撮影してみました。去年(2012年)の10月の復原工事完成以来、特に変わった個所はありませんでした。




駅前広場北側の高層ビル群は、大手町地区の高層ビル群と一体化されたことになり、さらに建物の密集度が一段と高まっているように感じました。




丸の内駅舎周辺は相変わらず人通りが大変多いです。復原駅舎完成後の短いブームであり、数カ月もすれば落ち着いてくれるだろうとタカをくくっていたのですが…。




復原工事完成から半年が経ち、3階建てとなった駅舎も周囲の風景の中に溶け込んでいました。




丸の内駅前広場から皇居方向へ伸びている「行幸通り」へ回り込んでみます。




丸の内ビル前から丸の内駅舎方向を撮影してみました。わずか一年前までは駅前広場全体が復原工事のための工事用資材置き場になっていたのですが、今となっては信じられません。




駅前広場内のタクシープールとして仕切られているガードレールもすぐに撤去されて、本格的なタクシープールが整備されると思っていたのですが、まだ動きはなさそうです。




八重洲口側にそびえ立っている「グラントウキョウノースタワー」を背後に撮影してみました。




行幸通りの東端部に立って、丸の内駅舎方向を撮影してみました。駅前通りの前の大通りは交通量が意外と多いので、車列が途切れるのを待つのが大変でした。




午前10時半前後の撮影だったのですが、見事に丸の内駅舎が建物本体の作りだす影の中に入り込んでしまいました。そういう訳で、丸の内駅舎の撮影は午後の時間帯の方が綺麗に写すことが出来ます。




行幸通りの北側に建つ新丸の内ビル前から丸の内駅舎方向を撮影してみました。




3階建てとなった丸の内駅舎の壁面の様子がよくわかります。




駅前ロータリーと、東京ステーションホテルの地下駐車場へのアプローチ道路部分をズームで撮影してみました。




ここから横断歩道を渡って丸の内駅舎前へ向かいます。




駅前広場の敷地内にはまだ未利用の土地が残っており、今後どのような姿となっていくのか注目しています。




丸の内駅舎前に戻ってきました。次回の記事から「JPタワー・キッテ」のレポートを始めます!!!



4月の東京駅:開業後の「JPタワー・KITTE(キッテ)」 PART1

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2013年3月21日に開業したJPタワー低層棟の商業施設「KITTE(キッテ)」の中を散策していきたいと思います。東京駅南口交差点に面した正面玄関から内部へ入っていきます。




低層等の内部は広大な吹き抜け空間となっていて、回廊状につながっている各階の廊下沿いに専門店街が展開しています。オープン時点で物販71店舗、飲食27店舗の合計98店舗が出店しています。




低層棟内は東京中央郵便局、学術文化総合ミュージアム「インターメディアテク」(IMT)、国際カンファレンスセンターが入居しており、それ以外のフロアがキッテとなっています。




低層棟の吹き抜け空間の天井は巨大なガラス窓となっていて、空間全体に自然光が降り注ぐ構造となっています。同じ吹き抜け空間の商業施設でも、東京ミッドタウンや赤坂サカスとはまた違った雰囲気ですね。





吹き抜け空間の中央には日本画家である千住博氏が福島県の三春滝桜という紅枝垂桜を下絵として描き、拡大されたものに一般募集による200人あまりの人たちが花びらを描き、最後に千住さんが筆を入れて完成させたものだそうです。




商業施設のラインナップを一通り眺めてみましたが、丸ビルや新丸ビル、丸の内オアゾといった周辺施設の取扱商品の内容とバッティングすることを避けてか、全国の名産品等かなり異色な雰囲気が強かったです。




キッテの建物の裏側を少し見ていきたいと思います。「JPタワー」という名称は当初は仮称だったのですが、正式名称として採用されました。




JPタワーの南側、三菱電機本社ビル前はちょっとした広場として整備されています。この界隈で働いているビジネスマンの人たちにとっての憩いの場となりそうです。




三菱電機本社ビル側のキッテの正面玄関の様子です。旧東京中央郵便局の白レンガ壁が復原された丸の内広場側と比較すると、意外とスタイリッシュな雰囲気が強いです。




キッテがオープンする午前11時が近づいてくると、段々お客さんの数が増えてきました…。




地上六階フロアの回廊状になっている廊下にやってきました。撮影日の天気が快晴であることもそうですが、陽の光が吹き抜け空間内に降り注ぐのでものすごく開放感があります。





内装環境設計を手がけたのは建築家の隈研吾氏です。旧東京中央郵便局局舎を保存・再生した部分と新たに建築された部分に囲まれたガラス天井のアトリウムが目を引きます。




ミラーレス一眼デジカメを落とさないように注意しながら、見下ろして撮影してみました。




天井からボールチェーンを吊るし、旧東京中央郵便局庁舎の柱を表現しているのだそうです。




白レンガ壁を前面に出した低層棟の建物と比較すると、内部は思った以上におしゃれなイメージが強かったです。




よく見ると、アトリウム状の吹き抜け空間の壁面にも白レンガ壁が設置されているのが見えました。次回の記事では低層棟屋上の展望テラスへ向かいます!!!


4月の東京駅:開業後の「JPタワー・KITTE(キッテ)」 PART2

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JPタワー低層棟の屋上庭園には展望テラスが設けられており、東京駅周辺を一望することが出来ます。屋上は芝生や植栽が綺麗に整備されており、本当に日本庭園みたいとなっていました。




屋上庭園のテラスからは東京駅のホーム群を見下ろすことが出来ました。手前側が山手線や京浜東北線、東海道線などの在来線ホーム、奥が東北上越、長野、東海道の各新幹線ホームとなっています。




八重洲口側で建設中の歩行者用デッキ「グランルーフ」の大屋根も見通すことが出来ます。いつの間にかタワークレーンが一基に減少していました。




新幹線ホームをズームで撮影してみました。手前側には東北新幹線「はやぶさ号」、奥には東海道新幹線「のぞみ号」の車両が停車しています。




八重洲口北側や日本橋口周辺で密集して建っている高層ビル群を撮影してみました。駅前百貨店や高層オフィスビル、外資系高級ホテル、日本全国の大学のサテライトキャンパスなどが集まっている地区です。




2007年11月、八重洲口交通会館跡地に完成したグラントウキョウノースタワーをズームで撮影してみました。建物の頭頂部には「GRANTOKYO」のロゴが打ち込まれています。




屋上庭園のテラスからは、丸の内駅舎も見下ろすことが出来ます。駅舎の「南ウイング部建屋」を見下ろして撮影してみました。駅舎の屋根に使用されている天然スレートと呼ばれている石の屋根の様子がよくわかります。




このアングルから丸の内駅舎や駅前広場を眺めたことは今までなかったので、すごく新鮮な感じがしました。




丸の内駅舎と丸の内オアゾ・日本生命丸の内ビルを重ねて撮影してみました。




丸の内駅舎の南ドームをズームで撮影してみました。




丸の内駅舎のすぐ後ろ側には在来線ホームが密集しています。




中でも一番丸の内駅舎寄りにある「中央快速線ホーム」は、1990年代中盤に丸の内駅舎と当時の1・2番線ホームの間の狭いスペースの中に高架橋ホームとして建設されました。




復原工事において新たに再建された建物の3階部分と、既存の1・2階部分の赤レンガ壁を比較してみると、明らかに色合いが違うのが見てとれます。




よく見ると作業員の人たちが屋根に登って何か作業をしているようでした。




窓枠などの真っ白な大理石がアクセントとなって、丸の内駅舎の外壁の赤レンガの美しさが引き立っているように感じます。




次回の記事では丸の内駅前広場を中心に見ていきます。実際に地上を歩くのと、上から見下ろすのとでは全く受ける印象が違います。


4月の東京駅:開業後の「JPタワー・KITTE(キッテ)」 PART3

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引き続きJPタワー低層棟の屋上庭園の中を散策していきます。芝生広場や花壇等の植栽が本格的に整備されていて、高層ビル街の中とは思えないほどです。




屋上庭園のテラスから丸の内駅前広場周辺の高層ビル群を撮影してみました。駅舎周辺の地上から撮影するのとでは、全然雰囲気が違って新鮮な感じを受けました。




丸の内駅前広場を南側から見下ろして撮影している構図になります。こうしてみると、駅前広場はまだまだ暫定的な整備状況にあることがよくわかります。




簡易的なガードレールによって、タクシープールや地下駐車場へのアクセス道路などのルートが区切られていて、丸の内駅舎の見学用の広場なども応急的に用意されているのです。




丸の内駅舎を真横方向(南方向)から眺めることができます。南ドーム建屋の屋根が結構近くにあると感じます。




北と南の二つのドーム屋根以外にも、丸の内駅舎には尖塔屋根などの小さいながらも見どころのある建築物となっています。




このアングルから見ても、丸の内駅前広場の中に建っているJR総武快速線地下ホームの2つの換気棟の存在感が目立つ気がします。復原工事によってこの換気塔も撤去されればいいな、と思っていたのですが、どうやら無理だったですね。




丸の内駅前広場を挟んで北側には旧国鉄本社ビル(民営化後のJR東日本本社ビル)跡地に建てられた丸の内オアゾ、三菱信託銀行本店ビル等の高層ビルが林立しています。




八重洲口に建っていグラントウキョウノースタワーをズームで撮影してみました。




日本生命丸の内ビル、ショップ&レストラン、丸の内ホテル、丸の内北口ビル、新丸の内センタービルからなる「丸の内オアゾ」の高層ビル群をズームで撮影してみました。旧国鉄本社ビルや旧JTBビル跡地に建設されました。




丸の内駅舎の中央口周辺を綺麗に撮影することが出来ました。現在でも駅舎の前では多くの観光客の人たちで賑わっていることが分かります。




皇室や貴賓専用の出入り口と、アプローチ用のスロープ通路をズームで撮影してみました。復原工事完成前までは存在していなかった芝生広場等が周囲に写っているのがわかります。




南ドームをズームで撮影してみました。写真の左下に移っている作業員の人の身体と比較すると、その巨大さがわかりますね。




丸の内駅前広場前を通っている大通り周辺を撮影してみました。片側3車線以上の立派な大通りが整備されていますが、交通量はそれほど多くはないのです。




最後に、三菱電機本社ビル前から見上げて撮影したJPタワーです。これで4月の東京駅の散策は終わりです。


新橋駅から渋谷駅までJR山手線外回り電車で移動する PART1

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4月中旬の平日、新橋や銀座周辺でウロウロしていたのですが、渋谷の町へ行ってみたくなり、新橋駅から渋谷駅まで山手線外回り電車に乗って移動します。




朝夕の通勤ラッシュほどではないですが、平日の昼下がりの時間帯のJR新橋駅は多くのビジネスマンの人たちで賑わっていました。




外回り電車ホームでしばらく待っていると、反対側から内回り電車がホームに進入してくるのが見えました。




現在山手線では、車体全体をオールグリーンに塗装した列車が一編成走っていて、私「緑」も山手線に乗車するときはいつも探しているのですが、なかなか見つけることができません。




ようやく外回り電車がホームに入線してきました。日中でも約4分間隔の高頻度運転が実施されている山手線ですが、慣れてくると4分でも長いと感じてしまいますね。




新橋から渋谷までのアクセス手段は全部で3通りあります。一つ目は山手線外回り電車に乗ってやや遠回りするルートです。




二つ目は東京地下鉄銀座線に乗車するルートです。終点の渋谷駅は東急東横店の建物内にホームがあります。山手線と銀座線だと、この時間帯では銀座線の方が混雑しています。




三つ目は新橋駅前から渋谷駅東口前まで運行している都営バスに乗車するルートです。新橋駅から虎ノ門、溜池、六本木ヒルズ前、西麻布と港区内のハイライト区間を通るルートです。




やってきた外回り電車もオールグリーン塗装ではありませんでした、残念。山手線に緑色の車体が登場して50周年になることを記念し、車体を当時と同じ緑色にラッピングした「みどりの山手線ラッピングトレイン」、見つけたら撮って見たいです。




そんなに混雑していない外回り電車に乗って、渋谷を目指します!!!

新橋駅から渋谷駅までJR山手線外回り電車で移動する PART2

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新橋駅から約20分ほどで渋谷駅に到着しました。このあと乗車して来た外回り電車を見送っていくと…。




一分も経たずに、後続の外回り電車が渋谷駅ホームに進入してくるのが見えました。渋谷駅の山手線ホームはカーブの線形の途中に設置されています。




当然外回りや内回りの両ホームもカーブしているので、見通しは非常に悪いです。




構内に進入してくる電車も徐行しながら走ってきました。




こちらの編成もオールグリーン塗装ではありませんでした。一つ前の外回り電車が発車していってから2分も経っていないのに、ホームには多くの乗客が並んでいました。




この電車も見送っていくことにしました。




JR渋谷駅の東口(宮益坂口)へやってきました。次回の記事から東急文化会館の跡地に建設された「渋谷ヒカリエ」へ向かいます!!!

4月の渋谷ヒカリエ:11階スカイロビーから眺める渋谷の風景

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2012年4月26日に開業した「渋谷ヒカリエ」を見ていきたいと思います。昭和の時代の渋谷の象徴であった「東急文化会館」の跡地に建設されたオフィスと商業施設、劇場等を兼ね備えた複合施設となっています。




JR・東急渋谷駅の東口(宮益坂寄り)前から渋谷ヒカリエを見上げて撮影してみました。2000年代の前半までは屋上プラネタリウムが特徴的な東急文化会館の建物が建っていましたが、高層複合ビルに生まれ変わりました。




2013年3月16日に東急東横線の渋谷駅ホームが地下へ移設されたことから、東口周辺は以前以上に多くの人々で賑わっているように感じました。




東急東横線渋谷駅の再開発工事と並行して東急東横店も取り壊されることになりました。そのため百貨店の建物内にある東京地下鉄銀座線の渋谷駅の新ホームが駅前広場の真上に建設中です。




女性向けのお店が多い渋谷ヒカリエの商業施設「ShinQs(シンクス)」ですが、イメージとは裏腹に男性も楽しめる店舗もそれなりに設置されています。




都営バスターミナルや地下工事現場など、狭い駅前広場の中に色々なものがひしめきあっています。




渋谷ヒカリエは高さ182.5メートル、地上34階地下4階建てとなっています。建物の敷地は2005年に渋谷駅周辺(139ヘクタール)が都市再生特別措置法に基づいて指定された特定都市再生緊急整備地域の一角に当たります。




閉鎖された旧・東急東横線の渋谷駅コンコース前から歩道橋を歩いて渋谷ヒカリエの巨大吹き抜け空間「アーバン・コア」から建物内へ入っていきます。




ShinQs(シンクス)内にある直通用エレベータに乗って11階スカイロビーへ一気に上っていきます。高層階オフィスロビーも併設されているスカイロビーからは渋谷の街並みを眺めることが出来ます。




11階スカイロビーには渋谷ヒカリエの目玉とも言える本格的な劇場「東急シアターオーブ」の入り口が設置されています。ブロードウェイやコンサートなどが開かれているなど、本格的な劇場なのです。




高層階オフィスと低層階商業棟の間の11階から16階に位置し、渋谷ヒカリエの中核施設として2012年7月18日に開場しました。客席は3階構成となっていて座席数1972席となっています。




スカイロビーの渋谷駅側は総ガラス張りとなっていて、駅周辺の繁華街を見下ろすことが出来ます。




お昼過ぎの時間帯だったため、スカイロビー内は高層オフィス階で働いている人たちがあわただしく行き交っていました。




建物の北側からの景色を撮影してみました。今まで渋谷周辺には高層ビルや展望台が存在しなかったので、すごく新鮮な感じを受けました。




ズームで撮影してみると、代々木公園や明治神宮の広大な緑地帯が広がっていて、その奥には西新宿の高層ビル群が見えました。




取り壊し前の東急東横店の建物を見下ろして撮影してみました。




帰りはシースルーエレベータに乗ってシンクスのフロアへ戻りました。これで4月の渋谷ヒカリエの散策は終わりです。


開業後の東京スクエアガーデン周辺を散策する

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4月の中旬、東京地下鉄銀座線の京橋駅を下車して新しく増設された地上出口へ向かうと、そこはもう2013年4月18日に開業した「東京スクエアガーデン」の敷地となっています。




「(仮称)京橋3−1プロジェクト」として中央通り・京橋交差点前においてずっと工事が続けられてきましたが、先週ようやく開業しました…が、同時期に開業した東銀座の歌舞伎座と比較するとどうも地味な感じです。




京橋駅出口が併設されている地下1階の吹き抜けフロアには植栽が綺麗に施されています。ここは低層階の「ショップ&レストラン」の一角に当たります。




開業後まだ一週間もしないうちの散策だったのですが、開業後の賑わいといった雰囲気が皆無でした。もう少し華やかな感じを期待していたのですが…。




やはり「京橋」は純粋なオフィス街であり、それ以上に銀座や日本橋といった全国区レベルの知名度を誇る繁華街に挟まれている立地なのがネックです。




とは言っても、空中庭園や植栽等の工夫が色々凝らされていて、無機質なオフィス街であった京橋のイメージが少しでも上向くことを期待することにします。




一階フロアの中央通りに面したテナントにあるのは登山用品などを扱うアウトドア用品専門店「mont−bell」です。




地下1階〜3階までのフロアにレストランやショップが集積しています。




非常に緑にあふれた場所だな、というのが第一印象でした。




建物の敷地周辺は、歩道が広く整備されていることが特徴です。




歩道に面して、屋外カフェなども設置されています。




地上24階地下4階、高さ124メートルの高層ビルです。高さはそれなりですが、東京駅周辺で最大級の基準階面積を有しているなど大変優秀なオフィスビルとなっています。



4月の八重洲口:大屋根の全景が姿を現したグランルーフ PART1

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京橋の東京スクエアガーデンを観終わった後、東京駅の八重洲口へ向かって歩いていきます。外堀通りの鍛冶橋交差点前に到着しました。これから八重洲口に建設中のグランルーフを眺めていきます。




鍛冶橋交差点からグラントウキョウサウスタワーを見上げて撮影してみました。いつ見ても、ここから眺める八重洲口の高層ビル群の迫力は圧倒的です。




京橋周辺を歩いていたときは青空だったのですが、徐々にうっすらとした雲が青空の下に架かってきてしまいました。4月から5月にかけては快晴な天気の日にめぐり合うのが難しいですね。




前回にこの周辺を散策した時よりも工事が一段と進んでいました。グランルーフの完成は今秋、2013年の秋ごろの予定となっていますので、急ピッチで工事が進められています。




工事中のグランルーフを眺めながら散策を続けていきます。




工事の全盛期には4機のタワークレーンが一列に並んでいる風景が圧巻でしたが、工事の進展に従ってタワークレーンは1機にまで減っていました。




見どころである大屋根も南半分が既に完成していました。完成予想図で見るよりも、その巨大さに圧倒されます。




八重洲ブックセンター前からグランルーフを撮影してみました。




反対側の丸の内駅舎の復原工事は2012年10月に完了していて、現在でも多くの人々で賑わっていますが、まだ八重洲口の工事は続けられているのです。




現在、グランルーフの南側の一部の建物ではJRバス関東の切符売り場として部分的に強要されている個所が存在します。




八重洲口はJRバス関東などの中長距離バスターミナルや路線バス乗り場、タクシー乗り場が併設されており、多くのバスやタクシーが行きかう中で工事が進められています。




南側だけを切り取ってズームで撮影してみると、既に完成している雰囲気ですね。




工事用の足場が残されていますが、そのうち撤去されてグランルーフの全景を臨めるようになるでしょう。




多くの人々が歩きまわっている上で工事が続けられているわけですね。




グランルーフの大屋根の奥にはJPタワーが見えました。


4月の八重洲口:大屋根の全景が姿を現したグランルーフ PART2

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引き続き、外堀通りを散策しながら建設中のグランルーフを眺めていきたいと思います。




大屋根の南半分はほぼ完成していますが、足場が完全に撤去されればスッキリした景観になるでしょう。




北側、大丸東京店よりではまだ建物の躯体工事が進んでいる最中です。




タワークレーンも一機にまで減っていました。




工事用シート越しに眺めてみると、大屋根の形が見えますね。




この日は工事用関係者の人たちの姿はほとんど見かけませんでした。




外堀通り・八重洲中央口交差点にやってきました。この交差点を中心に、地下には「八重洲地下街」が広がっています。




地下街などの地下構造物にも注意しながら慎重に工事が進められています。




交差点前から南側方向を振り向いて撮影しました。




交差点前から撮影した大丸東京店です。




グランルーフの大屋根の奥には丸の内の高層ビル群が見えます。




工事が始まる前の更地の段階では、ここから高層ビル群が綺麗に見えたのですが、工事の進むにつれて見えなくなってしまいました。




グラントウキョウサウスタワーと合わせて撮影してみました。




あと数カ月ほどもすれば、工事用シートが取り外されるでしょう。




これで4月の八重洲口の散策は終わりです。今回の散策では天候が薄曇りとなってしまったので、快晴な天気の日を選んでもう一度撮影してみたいと思います。


開業後の歌舞伎座:JR有楽町駅前から「東銀座・歌舞伎座」まで PART1

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2013年4月2日に開業し、こけらおとし公演が始まった「歌舞伎座」を観て回りたいと思います。ゴールデンウイークの初日の散策だったので、多くの人で賑わっていることが予想されます。




歌舞伎座や、併設されている歌舞伎座タワーは東京地下鉄日比谷線の東銀座駅直結の立地となっていますが、今回の散策ではJR有楽町駅前から晴海通りを歩いて歌舞伎座へ向かいます。




晴海通り・数寄屋橋交差点から銀座四丁目方向へ向かって歩いていきます。晴海通りの街路樹も4月の下旬になってから新緑の風景となっていました。




前方の銀座四丁目交差点、和光銀座や三越銀座の建物の奥には「歌舞伎座タワー」の高層ビルの姿が見えます。JR有楽町駅前から歌舞伎座まで、歩いて約15分ほどです。




銀座中央通りの西側に並行して通っている「並木通り」を渡っていきます。




この日は前述の通りゴールデンウイークの初日だったのですが、晴海通りや中央通りの人通りは、普段と同じくらいでした。




今年2013年のゴールデンウイークは間に平日を挟んでいて、休日が分散しているので、あまり遠出しない人たちが多いのだとか。地方の人たちは東京や大阪といった大都市に余り出てこないのかもしれませんね。




晴海通りは相変わらず交通量が多いです。この通りは築地や豊洲といった商工業地帯へ伸びている幹線道路なので、工事用トラックなどの姿も目立ちます。




銀座和光の建物が見えてきました。さすがに銀座四丁目交差点周辺は普段通りに多くの人たちで賑わっていました。




晴海通りと中央通りが交差している「銀座四丁目交差点」に到着しました。




銀座四丁目交差点といえば、和光の時計台ですね。




交差点前に建っている「三越百貨店銀座店」の建物です。「母の日」のセールか何かが開かれているのでしょうか。




銀座の中心街を南北に通っている「中央通り」、観光バスなどで大通りはごった返していました。人通りも普段の休日と同じくらいだったです。




銀座四丁目交差点を渡り、東銀座方向へ進んでいきます。前方に見えている歌舞伎座タワーの高層ビルが、徐々に大きくなってきました。




日産ギャラリー前から振り返って和光銀座の建物を撮影してみました。銀座の町を歩きながら歌舞伎座へ向かうのも、意外と楽しかったです。


開業後の歌舞伎座:JR有楽町駅前から「東銀座・歌舞伎座」まで PART2

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引き続き銀座四丁目交差点から東銀座・歌舞伎座へ向かって散策を続けていきます。既に前方には歌舞伎座の建て替え工事と同時に併設された歌舞伎座タワーの高層ビルが見えます。




ゴールデンウイークの初日の銀座四丁目ですが、そんなに人通りが多くはなかったです。いつもの土休日と同じくらいの混雑でした。




銀座四丁目交差点から晴海通りを東銀座方向へ向かって歩いていきます。銀座四丁目交差点を抜けると、一気に人通りが減ってしまいました。




この界隈は築地地区にほど近く、中小企業のオフィスや中層マンションなどが密集しています。中央通り周辺と比較すると、少し生活感が漂う下町風情の街並みとなっています。




前方に「昭和通り・三原橋交差点」が見えてきました。晴海通りと昭和通りは双方、交通量が非常に多く、交差点周辺は常に渋滞しています。




三原橋交差点の地下には「東銀座駅」が設置されています。今まで東銀座駅といえば本当に存在感のない駅でしたが、歌舞伎座の開業によって注目される駅の一つになりました。




三原橋交差点の手前から「歌舞伎座タワー」を見上げて撮影してみました。銀座・東銀座周辺には高層ビルが全くと言っていいほど建っていないので、周囲からはすごく目立っています。




「昭和通り・三原橋交差点」に到着しました。交差点内から車が途切れた瞬間に撮影してみました。




ズームで撮影してみると、2013年4月2日に開業した「歌舞伎座」の建物が見えました。建物の周囲は多くの人たちで賑わっているようですね。




周辺が雑居ビルやオフィスビル、中層マンションなどに囲まれている環境の中に建っているので、遠くからでも目立ちます。




晴海通りを挟んだ道路の反対側から歌舞伎座を撮影してみたいと思います。




正面から「歌舞伎座」の建物を撮影してみました。明治22年(1889年)に一代目となる歌舞伎座がこの場所(当時の住所は「東京市京橋区木挽町」)に開設され、現在の歌舞伎座は4代目に当たる建物となっています。




歌舞伎座に併設されている「歌舞伎座タワー」を見上げて撮影してみました。高さ145メートル、地上24階地下4階建てで、地下鉄東銀座駅と直結しています。歌舞伎座と歌舞伎座タワーを併せて「GINZA KABUKIZA」という名称が定められています。




さっそく歌舞伎座の建物や、屋上庭園を観て回りたいと思います!!!


開業後の歌舞伎座:生まれ変わった歌舞伎座と屋上庭園 PART1

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歌舞伎座では開業後すぐの4月2日から28日まで実施されている「歌舞伎座新会場・柿葺落四月大歌舞伎」の巨大な看板が掲げてありました。




2013年4月2日に開業した歌舞伎座の建物をそばから観て回りたいと思います。建物周辺は観光客の人たちで大混雑している状況です。




一代目となる初代歌舞伎座は明治22年(1889年)に現在の場所に建設されました。完成当時は近代劇場として東京の新名所的存在だったそうです。




大正10年(1921年)に漏電事故によって初代歌舞伎座は焼失します。再建工事中に関東大震災に遭遇するなどの幾多の困難を経て、二代目の歌舞伎座の建設がすすめられます。




歌舞伎座の建物の正面玄関の上にある櫓を見上げて撮影しました。開業前の2013年3月4日に「櫓(やぐら)あげ」が実施されました。歌舞伎座の櫓とは、江戸時代に幕府公認の証として芝居小屋の正面に揚げられていた櫓の時代からの伝統なのだそうです。




正面に歌舞伎座の座紋である「鳳凰丸(ほうおうまる)」、左右の側面には「木挽町 きゃうげんづくし 歌舞伎座」の文字を染め抜いた三方の幕に覆われている櫓と、背後にそびえ立つ歌舞伎座タワーです。




櫓側面の幕の文字が見えましたでしょうか?




大正14年(1925年)に2代目の建物が完成しますが、昭和20年(1945年)の東京大空襲によって再び焼失します。戦後しばらくたった昭和25年(1950年)に3代目となる歌舞伎座が竣工することになります。




2000年代に入る頃になると歌舞伎座も老朽化が目立つようになり、また耐震性の問題や段差解消の必要性なども指摘されるようになります。2005年に「建て替え+超高層オフィス棟」案での再開発工事の方向性が決定します。




この間の2002年に歌舞伎座は国の登録有形文化財に登録されています。




2008年10月に建て替え計画が発表、歌舞伎座を建て替えた上で地下4階地上29階建ての高層オフィスビル(高さ145メートル、軒高135メートル)を併設するというもので、劇場の外観は従来通りの低層で和風桃山様式を採用、建物は晴海通りから35メートル後退させて入口の前に緑を配した余裕の空間を置きます。




併設されている歌舞伎座タワーは、第4期の面影を残す桃山風の威風堂々としたデザインとなる新しい歌舞伎座と調和するように、オフィスタワーの壁面は劇場から大きく後退させ、白いしっくいのイメージでデザインされています。




内部も従来通りに桟敷席や一幕見席を配置したうえで、バリアフリー化やトイレの数が増加されるほか、歌舞伎文化を紹介するギャラリーも配置されることとなり、地下鉄東銀座駅とは地下で直結することになりました。




また耐震性が特に重視されたうえ、銀座地区の防災拠点と帰宅困難者一時避難場所としても機能するように設計されています。




2010年4月30日に閉場式が行われ、その数日後には解体工事の準備が始まりました。そして2013年2月26日にオフィスビルと併設された歌舞伎座の建て替えが完了しました。次回の記事では歌舞伎座の建物の屋上にある「屋上庭園」へ向かいます!!!


開業後の歌舞伎座:生まれ変わった歌舞伎座と屋上庭園 PART2

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地下2階の歌舞伎関連の物産店が集積している木挽町広場のあるフロアから直通エレベーターに乗車して、歌舞伎座5階にある「屋上庭園」へ向かいます。屋上庭園は無料で散策することが出来ます。




近年の東京ではヒートアイランド現象対策からか、新しい高層ビルや施設の屋上を緑化する傾向があります。歌舞伎座屋上の屋上庭園は約450平方メートルの面積が確保されています。




屋上庭園の一角には「先人の碑」と呼ばれる石碑が設置されています。明治22年(1889年)の第一期歌舞伎座の開場以来、歌舞伎座の興行に係ってこられた先人の偉大な功績を永遠に讃えるために設置されました。




屋上庭園から上を見上げると、歌舞伎座タワーの巨大な壁がそびえたっているのです。




屋上庭園と同フロアである5階には、企画展が開催される展示スペースと約80人収容でトークショーなどが行われる木挽町ホールからなる「歌舞伎座ギャラリー」が設置されています。面積は330平方メートルとなっています。




ゴールデンウイークの最中の散策だったので、多くの人たちで混雑していると思ったのですが、そこまでもありませんでした。




歌舞伎作者河竹黙阿弥が愛した石灯籠とつくばいが屋上庭園の一角に設置されていました。




石灯篭の全景です。こうしてみると建物の屋上庭園というよりは、普通の日本庭園にしか見えないですね。




屋上庭園と歌舞伎座ギャラリーは通路を挟んで隣接している位置にあります。歌舞伎座ギャラリーは500円を支払って入場する必要があります。




屋上庭園や歌舞伎座ギャラリーのある5階フロアから下り方向エレベーターのある4階へ降りることが出来る真っ赤な階段「五右衛門階段」を下りていきます。この階段からは、歌舞伎座の建物の瓦屋根を間近で見渡すことが出来るのです。




歌舞伎座の建物の大屋根に使用されている瓦は約10万枚であり、2012年9月から生産が始まり、すべてを焼きあげるまでに秋の終わりまでかかったのだそうです。




大屋根の瓦が製作されていたのは愛知県の高浜市という場所で、「三州瓦」というブランドの瓦の産地として有名なのだそうです。




三州瓦は愛知県西三河地方の旧国名「三河」を意味する「三州」を冠にした、粘土瓦のことをいい、石州瓦、淡路瓦と並ぶ日本三大瓦の一つです。同時に日本最大の生産量を誇っています。




真新しい三州瓦で敷き詰められている歌舞伎座の大屋根、快晴の天気だったため、陽の光によって光り輝いていました。




三州瓦を眺めながら五右衛門階段を下っていきます。4階フロアのエレベーターで一気に地下2階まで下りて行きました。これで開業後の歌舞伎座の散策は終わりです。


5月の八重洲口:外堀通りから眺める東京駅八重洲口「グランルーフ」 PART1

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ゴールデンウイークの中日(なかび)の平日、東京駅の八重洲口に建設中の歩行者用デッキ「グランルーフ」を観に行ってきました。4月の下旬ころに一度訪れていたのですが、その時は薄曇りの天候だったのです。雲一つない快晴の天気の日にもう一度散策したいと思っていたところです。




「外堀通り・鍛冶橋交差点」から外堀通りを北へ向かって歩いて散策していきます。交差点前から八重洲口の南側にそびえ立っている「グラントウキョウサウスタワー」を見上げて撮影してみました。




地上42階地下4階建ての高層ビルで、東京駅再開発の一環として2004年9月日に着工、2007年11月にオープンしました。設計(デザインアーキテクト)は、ドイツ系アメリカ人の建築家ヘルムート・ヤーン氏です。




サウスタワーが建っていた場所には、かつての興銀八重洲ビルや国労会館といった建物がありました。21世紀初頭から「東京ステーションルネッサンス」の一環として再開発事業が進められています。




グラントウキョウサウスタワー、1階がBMWジャパンの店舗、5階〜18階が住友信託銀行、19階〜20階が志賀国際特許事務所、21階〜22階がBMWジャパンオフィス、23階〜41階がリクルート本社が入居しています。




八重洲口南側に建っているグラントウキョウノースタワーの北側に、現在建設中の「グランルーフ」があります。特徴的や幌状の大屋根の建設もかなり進み、工事も完成に近づいてきました。




グランルーフの北側に建っているのが「グラントウキョウノースタワー」です。現在グランルーフが建設中の場所にかつて建っていた大丸東京店の店舗が高層ビルの低層階に入居しています。




南北に建設された超高層ビル「グラントウキョウノースタワー」(地上43階)と「グラントウキョウサウスタワー」(地上42階)をつなぐ、近未来的なデザインの屋根型の構造物「グランルーフ」(全長234メートル)が今年2013年の秋の完成へ向けて工事中なのです。




グランルーフの大屋根の下には南北のタワーを結び約7・5メートルの高さに歩行者用デッキが配置されます。大屋根の部分はほぼ完成しているようですが、歩行者用デッキの工事はまだなようですね。




グランルーフのある場所には、昭和29年に建設された地上6階建ての鉄道会館ビルが建っていて、前述の通り大丸東京店の店舗が入居していました。昭和43年には12階建てに増築されます。ノースタワーへ移転した後、2008年の暮れ頃から解体作業が始まりました。




2009年に解体工事が完了し、その後しばらくは更地になっていました。2011年くらいにようやく工事が始まりましたが、時期的に丁度反対側の丸の内駅舎の復原工事が佳境を迎えていた頃だったので、注目度は低かったと思います。




八重洲ブックセンター前から八重洲口・グランルーフの全景を撮影してみました。丸の内口の復原された丸の内駅舎が大正時代の天皇の駅として創建された歴史性を出しているのに対し、こちら八重洲口では近未来性を前面に押し出しています。




グランルーフの南端部だけを切り取って見てみると、すでに完成して供用されている雰囲気が強く感じられます。実際にJRバス関東等の高速バスのチケット売り場や待合場所などが既に使用されているのです。




東京駅の八重洲口にはJRバス関東を中心とした中長距離の高速バス乗り場を始めとして、路線バス乗り場、タクシー乗り場、一般車用乗り場等が狭いエリアの中に併設されています。多くの車両や人が行きかう上でグランルーフの建設作業が進められているのです。




ターミナルの中のバスやタクシー、そして行き交う人の身体と比較してみると、改めてこのグランルーフの構造体の巨大さがよくわかります。プレスニュース等の完成予想図などを観ていてもあまり迫力は感じなかったのですが、実際に完成しつつある実物を眺めていると全く印象が違います。



5月の八重洲口:外堀通りから眺める東京駅八重洲口「グランルーフ」 PART2

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引き続き、東京駅の八重洲口で建設中の歩行者用デッキ「グランルーフ」を観ながら散策を続けていきます。東京駅の敷地の皇居側は「丸の内口」、そしてこちら京橋側は「八重洲口」と呼ばれています。丸の内と八重洲とでは、周囲の街並みの雰囲気が全く違います。




大正時代創建の丸の内駅舎と皇居まで伸びている行幸通り、戦前の旧三菱財閥の系譜を引き継ぐ大企業の本社ビルが密集している丸の内と比較すると、八重洲地下街や大丸百貨店など商業施設の割合が多いことが特徴です。




グラントウキョウサウスタワーとグランルーフの構造体の間に、丸の内口側に建っている高さ200メートルのJPタワーが綺麗に見えました。




グランルーフの大屋根の下、高さ7.5メートルの位置に歩行者用デッキの工事が現在進められています。グランルーフの南北両側に建っているツインタワー同士を結ぶルートとなっています。




八重洲口前を走る外堀通りが千代田区と中央区の境界線となっていて、中央区側のエリアが一般的に「八重洲」と呼ばれています。ちなみに、グランルーフやグラントウキョウノース・サウスタワーが建っている場所は「千代田区の丸の内地区」に含まれているのです。




八重洲の地名は、ここに住んでいたオランダ人ヤン・ヨーステンの和名「耶楊子(やようす)」に由来しています。彼は江戸時代に日本に漂着し、後に徳川家康の国際情勢顧問や通訳として活躍し、家康からこの地に邸を与えられたのです。




八重洲口前の外堀通り周辺の地下には日本で2番目に広い地下街である「八重洲地下街」が広がっています。東京駅構内の八重洲寄りにある東京駅一番街と共に、巨大なショッピングゾーンが地下に広がっているのです。




グランルーフの南端部に入居している「JR高速バス乗り場」が小さく見えました。建物内には高速バスのチケット売り場やバスの乗客専用の待合室などが整備されています。




元々の「八重洲」は現在の丸の内に相当する地域のうち、丸ビルと三菱ビルの間に存在する通りの南側を指す地名でした。ヤン・ヨーステンの屋敷も内堀沿いに存在しました。「丸の内」は北側の永楽町と併せて江戸城の外壕の内側を指すこれらの上位的な地理的概念として存在したのです。




グランルーフの北側にそびえ立つ「グラントウキョウノースタワー」を撮影してみました。ホテル国際観光が入居していた国際観光会館の跡地に建設されました。高さ200メートル、地上42階地下4階建てとなっています。




ノースタワーの低層階に入居している「大丸東京店」です。2段階に分けて建替えられ、第1期分では店舗面積34000平方メートルで先行開業しました。その後、第2期工事が完成したことで、2012年10月に46000平方メートルにまで増床しました。




地下1階〜地上13階までが大丸東京店、17階〜36階が大和証券グループ、37階が日本調剤グループ、38階が日本ビルファンドマネジメント、39階〜43階がBNPパリバ・グループが入居しています。




ノースタワーの頭頂部をズームで撮影してみると、「GRAN TOKYO」の文字盤が打ち込まれています。




もともと現在の東京駅八重洲口付近には、江戸城時代の北町奉行所の在所でもありました。「奉行所」とは、江戸時代の警察と裁判所の役割を持った公的機関、それに加えて防災など現代でいう役所全般の職務を担当していました。




1914年(大正3年)には官営東海道本線が新橋駅から延伸する形で東京駅が開業します。当時は、日本橋側(現在の八重洲側)は駅のすぐ東側が外豪であったため、地形的な制約を受けて入口が設置されませんでした。


5月の八重洲口:外堀通りから眺める東京駅八重洲口「グランルーフ」 PART3

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グランルーフの建設現場において、1機だけ残されているタワークレーンです。工事の最盛期である2012年の冬頃には巨大なタワークレーンが4機も八重洲口の建設現場に整然と並んでいたのですが、工事の進展に従って徐々に解体されていきました。




交通会館の建物が完全に取り壊されて更地状態だった際は、外堀通りから丸の内側の高層ビル群を綺麗に見渡すことが出来ました。グランルーフの建設作業が進むにつれて、すっかり見えにくくなってしまいました。




八重洲側に東京駅の改札口が設けられたのは昭和4年(1929年)のことです。この時期は関東大震災後の復興として銀座や京橋、日本橋周辺が繁華街やオフィス街として発展していたのです。




太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)の6月に、米軍の空襲を受けて東京駅八重洲口が焼失しました。戦時中は丸の内駅舎の空襲による炎上が大変有名ですが、八重洲口も被害を受けていたのですね。また、終戦直後の1949年(昭和24年)には失火により再び八重洲口が焼失しました。




グランルーフは外堀通りや駅前のバスターミナル、東海道新幹線東京駅ホームの非常に狭い場所で建設作業が進められています。工事用のプレハブ小屋はノースタワー寄りに設置されています。




2度の焼失によって八重洲口の再開発が促され、1954年(昭和29年)に八重洲口に鉄道会館ビルが建設され、八重洲のランドマークとなる大丸東京店が開業しました。




現在の外堀通りが通っている場所は江戸城時代の「外濠」の水路が設置されていました。1948年(昭和23年)に東京駅拡張工事とともに濠は埋めたてられ、濠に架橋されていた八重洲口橋も撤去されます。




それまで東京駅の京橋側の改札口は「八重洲橋口」を名乗っていたのですが、橋が撤去されたことに伴い「八重洲口」へ改称され現在に至っています。




グランルーフの北端側では現在も建物の構造体工事が行われています。工事用シート越しに見ると、大屋根はできつつあるようですね。




八重洲口会館ビル前からグランルーフを振り返って撮影してみました。新しくなった八重洲口の全景がようやく見えてきました。




商社など主要企業が軒を連ねる京橋・日本橋の玄関口であると同時に、2007年11月の大丸東京店の全面リニューアル、2008年3月の東京キャラクターストリート開業などにより商業スポットとしても注目されるようになりました。




八重洲口エリアは地下街が発達しており、東京ステーション開発株式会社が運営する東京駅一番街、八重洲地下街株式会社が運営する八重洲地下街などがあります。




ノースタワーに隣接して建っていた「第一・第二鉄鋼ビル」の建て替えによる再開発工事が実施されています。久しぶりに観てみたところ、新ビルの基礎工事が始まっているようでした。




ツインタワーの間のビル跡地部分には新たな高層建築物を設けず吹き抜け状態とすることで、丸の内側に風の通り道を確保し、ヒートアイランド現象の抑制を促す効果が期待されているのです。




緩やかなウェイブを描くようなグランルーフの大屋根は、八重洲口の新たな新名所となりそうです。次回の記事は、外堀通りを渡ってバスターミナル側からグランルーフを観て回ります!!!


5月の八重洲口:八重洲北口前から眺めるグランルーフ PART1

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外堀通りを渡り、東京駅の「八重洲北口」前にやってきました。駅前のバスターミナル前からグランルーフを眺めてみて回りたいと思います。八重洲北口はグラントウキョウノースタワーの正面玄関と一体化されていて、「JR東京駅」の巨大な駅名が掲げられています。




ノースタワーのオフィス階入口以外にも、低層階の大丸東京店の地上1階フロアも「八重洲北口」に併設されています。3か所ある八重洲側の入り口の中では最も人通りが多く賑やかです。




2012年9月3日にオープンした「ルイヴィトン 大丸東京店」です。大丸東京店の2期工事区画の1階フロアに展開しています。バスターミナル側の地上からも入店できる構造になっているのです。




八重洲北口前から八重洲口前の交通ターミナルを撮影してみました。ゆったりとしたスペースが確保されている丸の内側と比べてみると、ターミナルの敷地は非常に狭く、もう拡張する余裕がない感じです。




グランルーフの建設工事に合わせて、このバス・タクシーターミナルも改良されるらしいのですが、今のところまだ工事は始まっていません。グランルーフの建設作業が完成してから始めるのかもしれません。




終戦後の失火による駅ビルの火災後に新たな新駅ビル構想が建ち上がるのですが、当初は外堀通りに面するところまで駅舎を前に出し、さらにその東側の土地を買収して広大な駅前広場を建設する構想だったのです。




しかし地元の反対運動により頓挫し、約38メートル後退させて駅舎を建設することになりました。この時に「鉄道会館」が建設されています。




南北に細長い交通ターミナルの北端側にはタクシー乗り場が設置されているのですが、ロータリー状に整備されている乗り場は非常に狭く、もう限界な感じがします。




グランルーフの北端部はまだ工事用の足場が組まれていて、大屋根の建設作業が続けられているようです。




ズームで撮影してみました。鉄骨で組み立てられている工事用の足場は、観ていて非常に複雑な様相を呈しています。




タクシー乗り場のロータリーの南側には、JRバス関東を始めとする中長距離の高速バス乗り場と、路線バス乗り場が設置されています。多くの高速バスが列を作っていて、こちらもそろそろスペース的に限界が気がします。




工事用の車両出入り口が「八重洲中央口」の脇に設置されていました。この日はGWの中日の平日だったのですが、工事は実施されてはいませんでした。




東京駅のバス乗り場は丸の内口と八重洲口の二つに分散されていて、路線バス乗り場は2か所に設置されています。しかし中距離の高速バス乗り場は八重洲口に全て集約されているのです。




静岡駅や浜松駅、名古屋駅へ向かう「東名ハイウェイバス」、京都駅と大阪駅へ向かう「東海道昼特急」などの長距離高速バス、そして北関東へ向かう中距離路線バス等が発着しています。




グランルーフの建設作業と合わせて高速バス乗り場も改良される予定となっています。現在工事用の足場が組まれている下でバスの発着が行われています。


5月の八重洲口:八重洲北口前から眺めるグランルーフ PART2

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八重洲南口前・JR高速バスターミナル前から歩行者用デッキ「グランルーフ」の既に完成している個所の大屋根を見上げて撮影してみました。この巨大な大屋根が今後の東京駅八重洲口の新たな顔となっていくのですね。




国鉄民営化後の1987年から丸の内駅舎の復原事業が動き出してきましたが、こちら八重洲口でも駅前広場が増大する交通需要に対応しきれていないといった問題があったことから、駅前広場の再整備と東京駅の新たな顔としての再開発事業を行うことになりました。




JR東日本の他に周辺地権者である三井不動産、鹿島八重洲開発、国際観光会館、新日本石油とともに共同開発することになり、それぞれの所有する敷地を一体化し、駅前広場を挟んで南北に2棟の超高層ビルを建て、中央部に新しい駅舎とデッキを建設することになりました。




近いうちに撤去されるであろう、工事用足場の南端部にやってきました。この足場の左側に高さ7.5メートルの位置にある歩行者用デッキが造られています。




雲一つない快晴の青空と、グランルーフの幌製の大屋根はすごく絵になると思います。




既に供用されている「JR高速バス乗り場」です。建て替え前の高速バスのチケット売り場や待合室は交通会館の中にあったのですが、新しく生まれ変わりました。




テフロン膜で構成された大屋根なので、太陽光が大屋根の下に降り注ぐ造りになっています。そのため大屋根の下にいても薄暗さなどは全く感じられませんでした。




大屋根を支えるための「スランティング・ピラー」は十数メートル間隔で配置されていて、実際に見てみるとその巨大さに圧倒されます。




上を見上げると、歩行者用デッキの個所はまだ工事用シートに覆われていました。




既存の鉄道会館ビル(八重洲駅舎)を撤去することにより八重洲駅前広場の奥行きを広げることになります。建物のコンセプトは「水晶の塔」と「光の帆」で、重厚で歴史を感じさせる丸の内側に対して、八重洲側の先進性・先端性を象徴することを期待したものとなっています。




中央部はテフロン膜で構成した大屋根で駅全体を覆い、雨風を防ぎつつ駅全体に柔らかい光を落とす、高さ30メートル、長さ240メートルの空間を創出する構造で、大屋根下の広場空間が駅前広場に直結することになります。




2004年9月から2007年11月にかけてツインタワーが建設され、鉄道会館の建物に入居していた大丸東京店はグラントウキョウノースタワーの低層棟へ移転しました。




鉄道会館撤去後は中央の大屋根部の建設に着手しました。グランルーフは地上4階地下3階で、2009年4月に安全祈願祭を実施し、7月に工事に着手しましたた。2011年3月からジェイアールバス関東の営業施設などが移転して南部先行開業となりました。




東京駅八重洲南口バス乗り場の全景を南側から撮影してみました。中長距離バス乗り場が駅側、都営バス乗り場が外堀通り側に整備されています。




グラントウキョウサウスタワーのメインエントランス前からグランルーフの全景を撮影してみました。完成は今年2013年の秋ごろが予定されています。これで2013年5月の八重洲口の散策は終わりです。


5月の東京スクエアガーデン:銀座一丁目から眺める東京スクエアガーデン

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中央通り・京橋に2013年4月18日に開業した「東京スクエアガーデン」を観て回りたいと思います。以前に一度訪れたことがあるのですが、もう一度訪れて更に細かいところまで観てみたいです。「外堀通り・有楽橋交差点」前から撮影した東京スクエアガーデンです。




銀座一丁目地区を通っている「銀座桜通り」を歩いて中央通りへ向かって散策していきます。首都高速道路の高架橋の北側に東京スクエアガーデンの巨大な高層ビルがそびえ立っています。




銀座地区の一番北側にある「銀座一丁目地区」は繁華街というよりは、京橋のオフィス街の雰囲気にすごく似ています。京橋周辺には高層ビルが建っていないので、東京スクエアガーデンの建物がすごく目立ちます。




中央通り・銀座通り口交差点前に到着しました。ここから東京スクエアガーデンの高層ビルを見上げて撮影してみました。今まで観てきた高層ビルと比較すると、かなり床面積が大きく取られているのが特徴なのです。




首都高速道路の高架橋の下をくぐって行くと、そこから先は「中央区の京橋三丁目地区」のエリアとなっています。中央通りを挟んだ対岸に東京スクエアガーデンの敷地が広がっています。




「(仮称)京橋3−1プロジェクト」として建設が進められてきて東京スクエアガーデン、地上24階地下4階、高さ125メートルと中規模程度の高層ビルとなっています。




中央通りに面した京橋三丁目のこの場所には、かつては「片倉工業旧本社ビル」を始めとして、京橋三丁目ビルや塚本ビルといったオフィスビルが密集していました。それらをすべて取り壊し、一つの広大な区画に整地した後に再開発工事が進められることになったのです。




戦前に作られた由緒あるオフィスビル街の風景が広がっていて京橋三丁目ですが、現在は緑を多用した近未来的なオフィスビルに生まれ変わりました。




2009年の暮れに片倉工業が本社を近隣に移転したのを皮切りに、旧ビルの取り壊し工事が開始されました。翌年には全ての建物が取り壊されて更地となり、すぐに再開発工事が始まります。




一目見た感じでは、低層等フロアのテラスの植樹がすごく印象に残ります。京橋や銀座周辺には大きな都市公園が無いので、すごく新鮮な気持ちになります。




建て替え以前のオフィスビル群は、中央通りの歩道ギリギリまで建物が迫るように建てられていたのですが、再開発工事によって歩道は実質的に拡張されています。高層ビルになったはずなのに、圧迫感は減っているように感じました。




立地条件も最高です。地下鉄銀座線の京橋駅に直結していて、JR東京駅からも徒歩6分の距離にあります。問題は「京橋」というエリアそのものが、銀座や日本橋といった全国的な知名度を誇る繁華街・オフィス街に囲まれていて、影が薄すぎることくらいでしょうか。




それに「京橋」という地名を聞くと、多くの人々は大阪の「京橋」の方を連想するのではないでしょうか。この界隈は実質的には「八重洲」地区と称した方が感覚的にしっくり来ると思います。




京橋交差点に面した角に「京橋三丁目ビル」の戦前特有のオフィスビルが建っていましたが、御覧の通りローマ神殿を連想させるような低層階部分に生まれ変わりました。




中央通り・京橋交差点に到着しました。今後は東京スクエアガーデンの高層ビルが京橋地区の「顔」となっていくのでしょう。




京橋交差点の全景を撮影してみました。中央通りも、交差している鍛冶橋通りも交通量が非常に多いです。この交差点の真下に地下鉄銀座線の京橋駅が設置されています。




かつての京橋三丁目ビルが建っていた場所は、東京スクエアガーデンの地下駅前広場として整備されています。次回の記事ではショップ&レストランや地下駅前広場周辺を観て回りたいと思います!!!


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