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4月の阪急うめだ本店:祝祭広場と「のぞみ40号・東京行き」 PART1

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阪急百貨店うめだ本店の9階フロア「催場・ホール・祝祭広場・ギャラリー」フロア内を散策していきます。12階のレストラン専用フロア「祝祭ダイニング」からエスカレーターを乗りついで、祝祭広場へ向かいます。




12階レストランフロア「祝祭ダイニング」のエスカレーター前から見下ろして撮影した「祝祭広場」の全景です。祝祭広場は、阪急うめだ本店の建物内9階〜12階の4層吹抜け、高さ16メートル、広さ約2000平方メートルの大空間となっています。




祝祭広場の天井部分には、巨大なシャンデリアが設置されています。この日の祝祭広場では、シャンデリアから布幕のようなものが吊り下げられていました。




「Denim de T-shiRt(デニムデTシャツ)」と言うイベントが開催されていました。東京の南青山に本社を置く「45R」というアパレルメーカーのイベントみたいですね。




独自にデザインしたTシャツの販売会場となっているみたいです。




祝祭広場の一角に設けられている大階段をズームで撮影しました。この大階段では約300人が座ることが出来ます。撮影時には約50人くらいの人々が座って休憩していました。




10階の雑貨専門フロア「umedaSОUQ(うめだスーク)」を撮影しました。仕入れ担当者(バイヤー)が世界から集めた1点ものも含む雑貨や文具、手芸、服飾の4分野の商品を取り扱っているフロアです。




2012年(平成24年)11月21日の全面開業時の新店舗のコンセプトは「暮らしの劇場」、この祝祭広場を始めとして、売場面積80000平方メートルの20パーセントに当たる16000平方メートルを情報発信・サービス空間としています。




祝祭広場以外には、座席数408席の阪急うめだホール、600平方メートルの阪急うめだギャラリー、関西発の新人アーティストを紹介するアートステージ、各売場に設けられた顧客参加型のイベント広場で調理教室等が設けられています。




バブル期以降の売り場だけの一辺倒の百貨店ではなく、かつての百貨店がそうであったように、非日常の世界そのものを楽しんでもらうというコンセプトが取られています。




「驚きや発見、学び、感動、憧れが詰まっていたかつての百貨店の楽しさを取り戻した」価格競争でなく、文化価値を提供する劇場型百貨店で「百貨店の原点である価値の提供」が建て替え後のコンセプトとして復活した経緯があります。




祝祭広場内では、期間限定で何かしらのイベントなどが開催されています。




祝祭広場の壁面に設置されている屋内の常設ビジョン「アートビジョン」を撮影しました。




祝祭広場内には、カフェやレストランなども設置されています。




祝祭広場の一角に設けられている大階段前にやってきました。午後の時間帯だったので、皆さん階段に座って休憩されていました。




祝祭広場の天井に設置されている巨大なシャンデリア「リングバトン」を見上げて撮影しました。直径約6メートル、最大積載荷重1トン900キロの規模の巨大なシャンデリアです。




照明や、垂れ幕、オブジェなどの装飾物を吊る仕掛けとして、このリングバトンは活用されています。



4月の阪急うめだ本店:祝祭広場と「のぞみ40号・東京行き」 PART2

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10階の雑貨専門フロア「umedaSОUQ(うめだスーク)」にやってきました。このフロアは、9階フロアの祝祭広場の大階段の上部とつながっています。




百貨店の一つのフロアが、全て雑貨専門のフロアに特化されている場所と言うのは、日本全国を探してみてもここだけなのではないでしょうか。




10階フロアのうめだスーク前から撮影した祝祭広場の全景です。平日の午後3時半の時間帯であり、祝祭広場内はまったりとした雰囲気に包まれていました。




「45R」ブランドのTシャツ売り場イベント「Denim de T-shirt"(デニム デ ティーシャツ)」を見下ろして撮影しました。




売り場の雰囲気を見ているだけでも楽しくなってきました。




東京行きの帰りの新幹線は、新大阪駅を午後5時20分に発車する「のぞみ40号」の指定席を確保してあるのですが、まだ発車まで時間があるので、この祝祭広場で時間をつぶすことにします。




JR大阪駅まで短時間で移動することができ、落ち着いた雰囲気のスペースで休憩することが出来るこの祝祭広場は、大阪散策ではいつも訪れています。




9階の祝祭広場から、大階段を見上げて撮影しました。




Tシャツの販売イベントは、ちょうど散策日当日まで実施されていたのですね。




帰りの新幹線の時間が近づいてきたので、JR大阪駅に移動します。大阪ステーションシティ・ノースゲートビルディング前の「アトリウム広場」から見上げて撮影した阪急百貨店うめだ本店の戦艦大和のような巨大な建物の全景です。




戦艦大和のような阪急うめだ本店の建物の上に乗っている「梅田阪急ビル」の高層オフィス棟部分を見上げて撮影しました。JR大阪駅から東海道線(JR京都線)に乗車して新大阪駅へ向かいます。




JR新大阪駅の東海道新幹線14番線ホームにやってきました。14番線ホームに入線して来た「のぞみ40号・東京行き」を撮影しました。




博多駅から走ってきたのぞみ40号は新大阪駅17時20分発、途中で京都、名古屋、新横浜、品川に停車し、終点の東京駅には19時53分に到着します。




平日の午後5時過ぎの時間帯、大阪で仕事を終えて東京へ帰るビジネスマンの人たちで、新大阪駅は大混雑していました。こののぞみ40号もビジネスマンの人たちで満席状態でした。




この一つ前の17時16分に新大阪駅を発車した東京行きのひかり号を時速270キロで追いかけ、途中の米原駅でそのひかり号を追い抜くダイヤになっているみたいです。




使用車両は何と、東海道山陽新幹線の標準車両N700系の改良発展型である「N700A系」でした。




帰りの指定席も行きと同じく、最前列の16号車でした。新大阪発車の時点では乗車率は60パーセントほどでしたが、次の京都で大量に乗車して来て100パーセントとなりました。




19時53分、のぞみ40号は定刻通りに東京駅に到着しました。




これで今回の大阪の散策は終わりです。次回大阪を散策するときは、上町台地の寺社仏閣を始め、船場地区などの街並みを散策してみたいです。


JR有楽町駅を発着する山手線内回り電車

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4月下旬の平日、JR有楽町駅の山手線外回りホームにやってきました。




外回り電車を待っていると、反対側に内回り電車が入線してきました。




午前11時前後の時間帯だったので、乗客の数が徐々に多くなってきました。




最近の山手線は、平日の日中であっても通勤ラッシュの時のような混雑になったりします。




しばらく停車した後、すぐに発車していきました。

アメリカのオバマ大統領来日中の東京の風景

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アメリカのバラク・オバマ大統領が国賓として来日中の東京を散策してきました。JR東京駅構内に設置されているコインロッカーは、テロ対策の一環として全て使用中止となっていました。




オバマ大統領来日中は、東京都心部周辺の駅のコインロッカーやごみ箱などは、全て使用中止となっています。




制服警察官の人たちが巡回していて、ピリピリとしている東京駅から山手線外回り電車に乗って新橋駅へ移動します。




山手線を始め、首都圏の鉄道各線は通常運行されていました。




東京駅の二つお隣にある新橋駅にやってきました。東京駅ほどの物々しさはありませんでしたが、新橋駅のコインロッカーも使用中止となっていました。




東京駅や有楽町駅周辺は大規模な検問が至る場所で実施されていますが、新橋駅周辺は特に見られませんでした。




新橋駅前から虎ノ門方向に伸びている外濠通りの全景を撮影しました。特にいつもと変わらない感じです。内幸町地区のオフィスビル街を通り抜けて、日比谷公園へ向かいます。




日比谷公園周辺の大通り沿いには、星条旗と日の丸の旗が掲げられていました。




新緑が美しい日比谷公園の緑地帯を撮影しました。興味本位で国会議事堂や首相官邸前まで散策してみたかったのですが、警察官の人の数がとんでもなく多かったので、引き返しました。

桜満開の千鳥が淵:竹橋周辺と千鳥が淵緑道の桜並木 PART1

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少し季節外れですが、4月初旬に千鳥が淵とその周辺で満開の桜の風景を撮影してきました。東京地下鉄東西線の竹橋駅を降りて地上に上がると、すぐそばに満開の桜の木が植えられています。




竹橋駅前、内濠脇の桜の木を撮影しました。




竹橋を渡り、皇居と北の丸公園の間を通っている「代官町通り」を散策していきます。国立近代美術館や国立公文書館前も綺麗な桜並木となっていました。




代官町入口交差点前にやってきました。ここから北の丸公園の緑地帯の中に入ることが出来ます。




交差点前にも立派な枝垂れ桜の木々が何本も植えられていました。




千鳥が淵へ向かって歩いている人々も立ち止まって、満開のしだれ桜を見上げて撮影していました。




「東京国立近代美術館・工芸館」の建物の脇を通り抜けていきます。1910年に建設され、近衛師団司令部庁舎として使用されていた建物です。現在は国立近代美術館の工芸館と活用されています。




東京国立近代美術館・工芸館前の歩道橋上から西側一帯を見渡して撮影しました。皇居の千鳥が淵濠の広大な水面と、首都高速都心環状線の高架橋が通っています。




代官町通り北側に整備されている土手上の散策道から千鳥が淵の全景を撮影しました。この日の天気は雲が多くて、青空がうっすらと見えるか見えないかでした。




4月上旬の時期に散策したのですが、千鳥が淵のソメイヨシノの桜の木々は満開を迎えていました。全ての花びらが開花し、散り始める寸前のタイミングでした。




千鳥が淵の水面の奥に建っている2棟の高層ビルは、JR飯田橋駅西口前に建設中の「飯田橋サクラパーク」です。周辺には高い高層ビルがそんなに建っていないので、結構目立ちます。




首都高速都心環状線の高架橋を進行方向右手に眺めながら散策を続けていきます。




内堀通りの千鳥が淵交差点から、千鳥が淵の水面の西岸側を回り込むようにして散策していきます。




千鳥が淵の西岸側に整備されている「千鳥が淵緑道」を散策していきます。ちょうどソメイヨシノの木々が満開状態であり、緑道内は通勤電車並みの混雑となっていました。




満開状態となっているソメイヨシノの桜のトンネルの中を散策していきます。


桜満開の千鳥が淵:竹橋周辺と千鳥が淵緑道の桜並木 PART2

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内堀通りに接している千鳥ケ淵戦没者墓苑入口から靖国通りに接している麹町消防署九段出張所までのお堀沿い約700メートルの遊歩道「千鳥が淵緑道」を散策していきます。




千鳥が淵緑道周辺のソメイヨシノの木々は、ちょうど満開状態を迎えていました。




千鳥が淵の水面を見下ろしながら散策を進めていきます。




千鳥が淵の水面を挟んだ対岸の「北の丸公園」の土手の斜面にもソメイヨシノの木々が多く植えられていて、満開状態になっているのが見えました。




北の丸公園の土手にも散策道が整備されているのですが、一般的にはあまり浸透していません。




千鳥が淵のボート乗り場上に整備されている見晴らし台から、千鳥が淵の全景を見渡して撮影しました。この見晴らし台から眺める桜の風景は、東京屈指の桜スポットとして有名ですね。




千鳥が淵の両岸の土手部分を覆い尽くしてしまうくらいに満開状態となっているソメイヨシノの木々をズームで撮影しました。




満開の桜と、千鳥が淵に浮かんでいる無数のボート群の風景は、東京を代表する桜の風景となっています。




千鳥が淵のボート乗り場では手こぎボートが大半となっていますが、最近は足こぎボートなども見られるようになりました。




対岸の北の丸公園の敷地の土手のソメイヨシノの木々も満開です。




平日の午前中の時間帯だったので、まったりとした雰囲気に包まれていました。




ボートに乗っている皆さんは、桜を下から見上げるポジションを競い合っているみたいですね。




この日は雲が多かったのですが、うっすらと青空が見えてきました。




徐々に千鳥が淵一帯にも陽の光が差し込んできて、明るくなってきました。




しかし、再び雲が南側から流れてきたのでどんよりとした天気になってきました。




千鳥が淵緑道を散策し、靖国神社前へ向かいます。


桜満開の千鳥が淵:竹橋周辺と千鳥が淵緑道の桜並木 PART3

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満開状態となっている千鳥が淵緑道の桜並木道の散策を続けていきます。




千鳥が淵緑道の柵越しに、千鳥が淵の水面を見渡してみました。




千鳥が淵緑道が通っている土手上から、千鳥が淵の水面にせり出すように枝を伸ばしているソメイヨシノの木々を撮影しました。




千鳥が淵のソメイヨシノの木々は、樹齢何年くらいなのでしょうか?この界隈は戦災にもあっていないので、相当な年月のようにみえます。




よく見ると、葉桜になっている個所がありました。




桜の枝が散策道の上に覆いかぶさるように伸びている個所が多く、満開の桜を至近距離から眺めることが出来ます。




千鳥が淵緑道の下の斜面も、かなり急斜面なのですね。




視界の開けた場所から南側を見渡して撮影しました。奥には首都高速都心環状線の高架橋が小さく写っているのが見えます。




北の丸公園側の土手上のソメイヨシノの木々をズームで撮影しました。




ボートが浮かんでいる千鳥が淵と満開状態の桜の木々の風景にしばらく見とれていました。




千鳥が淵のボート乗り場周辺をズームで撮影しました。ボート乗り場の上に展望台が整備されています。




しばらく時間が経つと、再び太陽の光が千鳥が淵一帯に差し込んできました。




再び太陽が雲に隠れない内に散策を続けていきます。




対岸の満開のソメイヨシノの木々も見事でした。




千鳥が淵の北端部に到着しました。北の丸公園の田安門周辺も満開の桜並木道となっていました。




田安門周辺の桜並木道をズームで撮影しました。これで桜満開の千鳥が淵の散策は終わりです。

2020年、東京オリンピックの開催によって東京・首都圏はどう変わるか

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今年2014年から6年後の2020年、東京オリンピックが東京で盛大に開催されることになります。今後6年間の間に東京はどのように変貌していくのか、テーマごとに記事を作っていくことにします。2020年に開催される夏季オリンピックが東京で開催されることが決定したのは去年2013年の9月のことです。オリンピックの主要会場となる湾岸地区では至る場所で工事が実施されていて、新しい道路や橋梁が次々と誕生しています。それと並行して、東京都心部の主要駅周辺では再開発を伴う高層化が至る場所で実施されていて、10年前と比較すると東京の景観が一変して来ています。今後数年間でも更に風景が大きく変わっていきます。

今後の東京はどう変わるのか
2014年度 JR東北縦貫線工事完成。
        首都高速中央環状品川線 大橋−大井間完成。
2015年度 豊洲新市場が完成予定。
        環状第2号線が全線開通。
        新空港線「蒲蒲線」の整備に着手。
2016年度 晴海−銀座間でバス高速輸送システム(BRT)の整備を目指す。
2016年度 オリンピック施設(有明アリーナ、夢の島ユース・プラザ、オリンピックアクアティっクセンターなど)が次々と
〜19年度  完成予定。
2020年度 JR山手線 品川〜田町間に新駅が設置される予定。
        東京オリンピックが開催される。
2021年度 東京メトロ銀座線 渋谷駅が移設予定。
2024年度 東京メトロ有楽町線 豊洲−住吉間が完成予定。
2027年度 リニア中央新幹線 品川−名古屋間が開業予定。

2020年に東京オリンピックが開催される今後6年間の間に、主要会場となる湾岸地区の工事や、東京都心部と湾岸地区を結ぶ交通網の整備が集中的に実施されることになります。お台場地区を始め、湾岸エリアは1990年代のバブル崩壊後、現在に至るまで広大な空き地が残されている状況ですが、ようやく開発の目途がついたことになります。1960年(昭和39年)に開催された東京オリンピックの当時は、世界が冷戦の真っ只中で、東アジアで高度経済成長を見事に成し遂げた日本が舞台であったことから「世界平和と、アジアで最初の夏季オリンピック」がテーマでした。そして21世紀の現在は冷戦が終結し、資本主義が世界で最良の仕組みである価値観が確立し、同時に価値観の多様化など1960年当時とは違ったテーマが今回の東京オリンピックには求められています。




2014年3月29日に虎ノ門〜新橋間が開通した「環状第2号線・新虎通り」です。勝どきから築地・青果市場前交差点までの区間については、移転予定となっている築地市場の跡地を利用して2015年(平成27年)に完成する計画だったのですが、同市場の豊洲新市場(豊洲)移転計画自体が遅延している状態です。計画では汐先橋交差点を地下トンネルで通過、現在の築地市場付近で地上に出て、隅田川を橋梁で渡るという構造となっています。




2020年東京オリンピックのメイン会場となる「新国立競技場」の完成予想図です。

2020年、東京オリンピックの開催によって東京・首都圏はどう変わるか PART2

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2013年9月7日の早朝、午前5時過ぎに2020年に開催される夏季オリンピックの開催都市が東京に決定しました。アルゼンチンのブエノスアイレスで開催された第125回IOC総会で、2020年夏季オリンピックの開催地を決定する投票が行われ、3都市(東京・イスタンブール・マドリード)の中からIOC委員の投票によって東京が開催地に決定しました。当時の日本国内では、福島第一原発でレベル3相当の重大な原子力事故が発生するなど外国からの日本の印象が極めて悪化していた時期であり、私個人的にも東京は無理だろうなと諦めていたのですが、何とか東京に決定されました。この経過をレポートしていきます。

2020年の東京オリンピック開催決定までの経緯
2009年
・10月初旬、2016年夏季オリンピックの開催地がリオデジャネイロに決定し、東京は2回目の投票で敗れた。
・広島市と長崎市が広島・長崎オリンピック構想を表明したが、同年12月に国際オリンピック委員会(IOC)により却下。

2011年
・4月、東京都知事選挙で再選された、石原慎太郎が2020年夏季オリンピックへ再度立候補の意欲を表明。
・6月、日本オリンピック委員会(JOC)会長の竹田恒和やオリンピック選手が都庁に石原を訪ね、2020年夏季オリンピックへの立候補を懇願。
・7月中旬、IOC会長ジャック・ロゲらが臨席の下開かれた日本体育協会・日本オリンピック委員会創立100周年記念式典後のレセプションで、東京都が日本オリンピック委員会へ立候補の確約書を提出したことを表明する。東日本大震災の被災3県(宮城・岩手・福島)の知事も東京の立候補に賛同する談話を発表した。
・9月2日、前日に立候補を締め切った国際オリンピック委員会が、東京、ローマ、マドリード、イスタンブール、ドーハ、バクーの6都市から立候補を受け付けたと発表する。
・9月15日、「東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会」が設立。理事長にJOC会長の竹田、事務総長に副会長の水野正人が就任した。
・10月中旬、東京都議会が2020年夏季オリンピック・パラリンピックの東京招致を求める決議案を賛成多数で可決した。
・同じく10月中旬、文部科学省が省内に招致対策本部を設置。
・12月初旬、衆議院本会議において、第三十二回オリンピック競技大会及び第十六回パラリンピック競技大会東京招致に関する決議が賛成多数で可決。翌7日には参議院においても同決議が賛成多数で可決された。
・同じく12月初旬、国際オリンピック委員会の理事会においてプレゼンテーションや立候補都市への現地視察を行う順番を投票で決め、イスタンブール、東京、ローマ、バクー、ドーハ、マドリードの順になった。
・12月13日、政府が2020年オリンピック・パラリンピック東京招致を閣議了解。

2012年
・2月中旬、日本はIOCへ大会の概要計画を記した申請ファイルを提出。
・同じく2月中旬、申請ファイルの提出期限日。東京のほか、イスタンブール、バクー、ドーハ、マドリードが提出を済ませ、ローマは財政難を理由に辞退した。そして、招致委員会が申請ファイルの内容を公表。
・4月、モスクワで開かれた各国オリンピック委員会連合 (ANOC) の総会で各申請都市が初のプレゼンテーションを行い、2番目にプレゼンテーションを行った東京はJOC会長の竹田、アテネオリンピック競泳800メートル自由形金メダリストの柴田亜衣、モントリオールオリンピック女子バレーボール金メダリストで招致委員会スポーツディレクターの荒木田、招致委員会専務理事の水野が登壇した。
・5月中旬、カナダのケベックシティで開かれた国際オリンピック委員会の理事会において、立候補していた5都市の中から開催能力があると認められたイスタンブール、東京、マドリードの3都市が正式立候補都市に選出された。
・7月〜8月にかけて、2012年の夏季ロンドンオリンピックが開催される。日本選手団は史上最多の38個のメダルを獲得する。

2013年
・1月、東京招致委員会が東京都庁で記者会見を開き、IOCに提出した立候補ファイルの内容を公表した。また、JOC会長の竹田が首相官邸を訪ね、前年12月に内閣総理大臣に就任した安倍晋三と会談し、安倍は招致委員会の最高顧問への就任打診を承諾し、「安倍内閣として全力を挙げる」と述べた。
・3月4日、IOC評価委員会による現地視察の日程がスタートし、3都市の中で最初に東京都の視察が始まった。視察初日は、午前にクレイグ・リーディー委員長ら14人の評価委員と、内閣総理大臣の安倍、日本オリンピック委員会の竹田、東京都知事の猪瀬、財務大臣で招致推進議員連盟の会長を務める麻生太郎らが出席して公式歓迎行事が行われ、大会の基本計画や理念に関するプレゼンテーションや質疑が行われた。午後には評価委員会と徳仁皇太子による接見行事が行われ、その後は競技施設の視察を行った。
・3月6日、現地視察3日目は宿泊施設や交通についての質疑が行われた。午後には競技施設の視察を経て、迎賓館において安倍が主催の晩餐会が行われた。
・3月7日、現地視察最終日は環境やセキュリティーに関する質疑が行われた。午後には評価委員会が記者会見を行い、東京の現地視察の日程が終了した。
・4月27日、東京都知事の猪瀬がニューヨーク・タイムズによるインタビューの中で、同じく立候補しているイスタンブールを指し、「イスラムの国は互いにけんかばかりしている」などの発言をしたことが国内外で大々的に報じられ、問題視された。
・6月25日、立候補都市を現地視察した評価委員会が、視察の結果を基に各都市の長所と短所を併記した評価報告書を公表した。東京は財政や治安などで高い評価を受けたほか、1次選考の際に指摘を受けた電力供給や世論の支持の低さ、津波や地震への安全対策についても解決または適切な対策が採られているとして、開催能力については大きな指摘はなかった。
・7月3日と4日、スイスのローザンヌにおいて立候補都市によるIOC委員への開催計画説明会が行われた。東京のプレゼンテーションには財務大臣の麻生や東京都知事の猪瀬、フリーアナウンサーの滝川クリステルらが登壇した。
・9月7日(日本時間8日)、ブエノスアイレスで開かれた第125次IOC総会でIOC委員による投票が行われ、一次投票でマドリード、決選投票でイスタンブールが落選し、2020年オリンピック・パラリンピックの東京開催が決定した。

そもそも、本来日本が最初に目指していたのは、2016年に開催される夏季オリンピックを日本で開催させることでした。日本はプレゼンテーションなどで、コンパクトな会場配置が可能、開催準備金として37億ドル(約3400億円)を確保している財政面の優秀さ、安全面・治安の良さをアピールしたのですが、東京都心部の渋滞などの交通インフラの脆弱さ、日本国民のオリンピックへの支持率の低さなどから落選してしまいました。リオデジャネイロやマドリード(スペイン)の支持率が80パーセントを超える中、東京は55.5パーセントの支持率しか獲得することが出来なかったのです。しかし、そこで日本はオリンピック開催を諦めず、2020年の夏季オリンピックを成功させる決意を強くしました。


失敗に終わった2016年の夏季東京オリンピック構想とは?
開催期間は7月29日〜8月14日の17日間で、半径8キロ以内に9割の会場が配置されたオリンピック史上最もコンパクトな計画を打ち出しました。ベイゾーンとヘリテッジゾーンの2つの会場群に分け、中心にはメイン会場となる東京オリンピックスタジアムを設置し、宿泊施設は半径10キロ以内に8万室を備えています。

オリンピックのコンセプト(これらは2020年の東京オリンピックのコンセプトにも受け継がれています)
・平和に貢献する 世界を結ぶオリンピック・パラリンピック
・世界で唯一、戦後60年間一貫して平和を貫いてきた日本で開催することで、平和の尊さを世界に訴える。
・次代の世界を担う若者たちが主役となるオリンピック・パラリンピックを通じて、世界平和を希求する日本人の心を伝える。
・世界最高の環境 ヒーローたちの檜舞台
・世界の都市の中で最も先駆的な取り組みをしている東京から、地球環境の大切さを世界に発信。
・コンパクトな計画の下、参加するすべての選手が自己最高記録を出せる世界最高の檜舞台を用意。

アジアでは初の夏季五輪の2回開催を目指していたのですが、2009年にコペンハーゲンで行われたIOC総会の開催都市の第2回目の投票で最小得票数だったため落選、招致に失敗しました。落選の主要因としては、

1.オリンピック招致への国民の関心の低さ
2.同じアジア圏で開催された2008年の北京オリンピックから8年しか経過していない
3.東京で開催させることの、強烈な「理念」が存在しなかった
4.「南米初の夏季オリンピック」を理念に掲げたリオデジャネイロの存在感に消されてしまった

などです。その後の2011年、3月11日の東日本大震災後に実施された東京都知事選で石原慎太郎氏(現在の日本維新の会代表)が4回目の再選を果たし、再選直後から2020年のオリンピック開催の招致活動を始める方向性を示します。2020年の東京開催を成功させるためには、国民のオリンピック招致への関心を高めることが必要不可欠です。2012年の7月から8月にかけて実施されたロンドン夏季オリンピックでは、日本選手団は史上最多の38個のメダルを獲得し、それが追い風となって国民全体の支持率が70パーセントに上昇しました。

並行して、今まで日本があまり得意でなかった「ロビー活動」も積極的に実施し、2016年の誘致時には一体的でなかった招致活動も、一体化されてきました。しかし、2013年8月19日、東京電力福島第一原発の敷地内で一時保管されている汚染水タンクから300トンもの水が漏れだすという重大な事故が発生、原子力規制委員会は8月21日、国際原子力事象評価尺度(INES)で8段階の上から5番目の「レベル3」(重大な異常事象)に相当すると発表します。2週間後にIOC総会を控えている日本にとっては最大の苦難となります。IOC総会の最終プレゼンでは、安倍首相自らがその影響を否定し、今後の対応を世界に約束しました。



IOC総会での第1回目の投票で東京は決定に必要な過半数に達しなかったものの42票でトップに立ちます。マドリードとイスタンブールがともに26票で並びました。この2都市で再び投票を行った結果イスタンブールが49票、マドリードが45票となり、マドリードが落選します。イスタンブールとの最終投票の結果、東京が60票、イスタンブールの36票を大きくリードして2020年の夏季五輪開催地に決定しました。東京に決定した大きな要因としては、治安の良さ、特に財政面が評価されたものだと分析されています。



2013年9月7日の未明、IOCのジャック・ロゲ会長によって2020年夏季オリンピックの開催地が「TOKYO 2020」と発表されました。IOC総会の様子は、日本でも中継されていました。

2020年、東京オリンピックの開催によって東京・首都圏はどう変わるか PART3

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国立競技場の建て替え計画「新国立競技場」
そもそも、本来は2016年に予定されていた東京オリンピックの計画では、オリンピックのメインスタジアムを中央区の晴海ふ頭内に建設する予定となっていました。メインの競技場を晴海埠頭に建設される予定だった新スタジアムに移すと共に、現・国立競技場はサッカー競技場として開催することが計画されたのですが、2016年オリンピックの開催誘致失敗によりこれらはすべて白紙撤回となりました。

その後、2020年の夏季オリンピックの東京承知活動の中でメインスタジアムを晴海ふ頭に新しく建設する計画から、既存の国立霞ヶ丘競技場を改修・大型化してメインスタジアムにする計画が持ち上がります。そもそも1964年(昭和39年)の東京オリンピックの時にメインスタジアムとして活用された国立競技場は、竣工してからすでに半世紀近く経過しており、老朽化対策の必要性に迫られていました。

2012年の2月(この時点ではまだ東京開催が決定されていない)、2020年東京オリンピック・パラリンピック招致委員会が大会の開催基本計画を発表し、国立霞ヶ丘競技場を8万人収容のスタジアムに改築し、開閉会式、陸上競技、サッカー決勝戦、ラグビーの会場とすることを正式に発表しました。その後数か月間の議論があり、2012年7月末に新競技場の概要計画が発表されました。

1.現在の約5万4000人収容から8万人収容に増設
2.開閉式の屋根を備えた全天候型のドーム型スタジアム
3.9レーンのトラックを敷設して国際基準を満たす
4.競技場周辺の都立明治公園や日本青年館まで敷地を広げてサブトラックを敷設
5.観客席の一部を可動式にしてサッカーやラグビー大会の際は球技専用スタジアムとして使用
6.飲食・物販施設、音響、照明設備の強化
7.コンサートや展覧会、ファッションショーなどの会場としても使用
8.大規模災害時の広域避難場所としての役割

その後、新スタジアムのデザインコンペが実施され、安藤忠雄氏を審査員長として世界各地の建築家からデザイン作品を応募しました。応募総数は46件であり、その中から書類選考により11件に絞り、2012年11月に最終審査を行い、イギリス在住の女性建築家であるザハ・ハディド氏の作品をグランプリ(最優秀)として採用しました。

2014年の夏季に現施設の撤去・取り壊し工事を開始し、2015年秋季頃に建て替え着工、2019年竣工を目指します。



一般財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会のホームページより拝借した、2020年東京オリンピックの会場地図の全景です。

地図の中心点には中央区晴海ふ頭の選手村が設置されています。サッカーの1次リーグが実施される北海道や宮城県など4会場をのぞき、東京圏には33会場があります。この選手村から半径8キロ以内に、そのうちの23会場が配置されています。これによって、移動時間の短縮が可能になりました。内陸部のヘリテッジゾーンと臨海部の東京ベイゾーンに分けられる各会場群にて競技が行われます。

ヘリテッジゾーン(内陸部)
新国立競技場(新宿区):開・閉会式、サッカー(決勝)、陸上競技、ラグビー
東京体育館(渋谷区):卓球
国立代々木競技場(渋谷区):ハンドボール
日本武道館(千代田区):柔道
皇居外苑(千代田区):自転車競技(ロード・レース)
東京国際フォーラム(千代田区):ウェイトリフティング
国技館(墨田区):ボクシング
新国立競技場、皇居外苑、日比谷通り、国道15号線、中央通りなど(新宿区、渋谷区、千代田区、文京区、中央区、港区、台東区):マラソン

東京ベイゾーン(臨海部)
有明アリーナ(江東区):バレーボール
有明BMXコース(江東区):自転車競技(BMX)
有明ベロドローム(江東区):自転車競技(トラック)
有明体操競技場(江東区):体操、新体操、トランポリン
有明テニスの森(江東区):テニス
東京ビッグサイト(江東区):レスリング、テコンドー、フェンシング
お台場海浜公園(港区):トライアスロン、マラソンスイミング
潮風公園(品川区):ビーチバレー
大井ホッケー競技場(品川区):ホッケー
海の森公園クロスカントリーコース(江東区):馬術(総合馬術:クロスカントリー)
海の森公園水上競技場(江東区):ボート競技、カヌー
海の森公園マウンテンバイクコース(江東区):自転車競技(マウンテンバイク)
オリンピックアクアティクスセンター(江東区):水泳(競泳、シンクロナイズドスイミング、飛込)
ウォーターポロアリーナ(江東区):水泳(水球)
夢の島公園(江東区):アーチェリー
夢の島陸上競技場(江東区):馬術(馬場馬術、障害馬術)
夢の島ユースプラザアリーナ(江東区):バドミントン、バスケットボール
若洲オリンピックマリーナ(東京夢の島マリーナ)(江東区):セーリング
葛西臨海公園(江戸川区): カヌー

その他(周辺地域および共同開催都市)
東京スタジアム(味の素スタジアム)(調布市):近代五種(水泳、馬術、ランニング、射撃)、サッカー
武蔵野の森スポーツ施設 (調布市):近代五種(フェンシング)
武蔵野の森公園(調布市・府中市・三鷹市):自転車競技(ロード・レース:ゴール)
陸上自衛隊朝霞駐屯地(埼玉県朝霞市):射撃
霞ヶ関カンツリー倶楽部(埼玉県川越市):ゴルフ
札幌ドーム(北海道札幌市豊平区):サッカー
宮城スタジアム(宮城県宮城郡利府町):サッカー
埼玉スタジアム2002(埼玉県さいたま市緑区):サッカー
横浜国際総合競技場(日産スタジアム)(神奈川県横浜市港北区):サッカー

2020年、東京オリンピックの開催によって東京・首都圏はどう変わるか PART4

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東京都内の競技会場(全部で33か所)の内、28会場が中央区晴海ふ頭の選手村から半径8キロ以内に配置されています。その中でも江東区の有明地区には多くの競技会場が新たに建設されることになります。2020年のオリンピック開催まであと6年ですが、今後このエリアは工事がしばらく続くことになります。「ベイゾーン」に今後新たに新設されたり、既存の施設をどのように活用するのかをまとめました。




鳥瞰図の中央にあるのが中央区晴海ふ頭の選手村です。この選手村を中心店として、半径8キロ以内に競技会場が効率的に配置されています。大きく分けて東京都心部から内陸部側の「ヘリテッジゾーン」、お台場や有明を中心とした湾岸地区の「ベイゾーン」の2つです。




「ベイゾーン」の中を詳しく見ていきます。JR新木場駅周辺などの「辰巳地区」と、お台場や有明などの「13・14号地地区」に分散されています。


1.オリンピックアクアティックセンター(新設):収容人数20000人



オリンピックアクアティクスセンターは、競泳・飛込・シンクロナイズドスイミングの会場となり、大会後は、収容可能人数を2万人から5000人に縮小して、利用しやすい規模の水泳場に改修します。大会後はジャパンオープンなどの国際大会や日本選手権、都内選手権等の大規模大会として活用されるほか、地域住民の人たちにも一般的に開放されます。場所は、江東区の「辰巳の森海浜公園」周辺です。


2.東京ビックサイト(既設):収容人数18000人



東京ビックサイトではレスリングやフェンシング、テコンドーの3種目の競技会場に使用されるほか、今回の東京オリンピックの国際放送センター(IBC)とメインプレスセンター(MPC)が施設内に設置されます。また、東京ビッグサイトは既設の西展示棟南側に延べ面積約4万4000平方メートルを増築する予定となっています。


3.有明アリーナ(新設):収容人数15000人



有明クリーンセンター(有明清掃工場)の北側に建設される「有明アリーナ」です。15000人を収容できる巨大なアリーナで、バレーボール会場として使用されます。オリンピック後も、ワールドカップなどの国際大会が開かれるほか、他の室内競技やイベント会場にもなります。


4.有明BMXコースと有明ベロドローム(仮設):収容人数は2者合わせて10000人



BMXとトラック、2種類の自転車競技会場となるのが「有明BMXコース」「有明ベロドローム」です。有明アリーナやオリンピックアクアティックスセンターのように新設されるモノと、東京ビックサイトのように既設のもの、そして大会後は撤去もしくは移設される予定なのが「仮設」の施設です。将来的にはオリンピックにちなんだ商業施設やマンション開発などが行われる可能性もあるのですね。


5.有明体操競技場(仮設):収容人数12000人こう



恒久施設である「有明アリーナ」の隣に建設されるのが体操会場となる有明体操競技場です。こちらも「仮設」となっているので、オリンピック後には撤去されます。体操・新体操・トランポリンが実施される仮設の体操専門競技施設です。選手村やメディアセンターからも非常に近く、観客12000人を収容可能です。水辺に建設される円形の競技施設には十分なウォーミングアップエリアが確保されています。


6.有明テニスの森(改修):収容人数は4会場合わせて20500人



東雲ゴルフ場の跡地に1983年5月に開園した都立公園です。開園面積は約163300平方メートルで、園内には、テニスコート48面、芝生広場、ジョギングコース、遊歩道があり、また1万人を収容する有明コロシアム(センターコート)が敷設されています。そして、2020年のテニス会場となる有明テニスの森は、大規模な改修工事が計画されています。


7.お台場海浜公園(仮設):収容人数10000人



トライアスロンと水泳(マラソン 10キロ)の会場となるお台場海浜公園です。完成予想図を見てみると、人工砂浜の脇に観客席が設けられていますね。




現在のお台場海浜公園の様子です。普段のお台場海浜公園は鬱蒼とした緑地帯や砂浜に囲まれた静かな雰囲気の海浜公園で、レインボーブリッジを眺めることが出来るいい場所です。


こちらのサイトから画像を拝借しました。
東京五輪招致、37会場・4554億円の全貌明らかに ケンプラッツ
五輪で始まる東京大改造、2020年にどう変わる? ケンプラッツ

2020年、東京オリンピックの開催によって東京・首都圏はどう変わるか PART5

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8.潮風公園(仮設):収容人数12000人



東京都品川区東八潮にある都立公園であり、1974年6月に開園しました。面積は約154900平方メートルで、開園当時の名称は「13号地公園」でした。2020年の東京オリンピックでは、ビーチバレーの会場が設置されます。会場からは、ウォーターフロントの象徴であるレインボーブリッジを背景に、東京湾の美しい景色を眺めることができます。


9.大井ホッケー競技場(新設):収容人数は、A面とB面合わせて15000人



東京都品川区および大田区に所在する東京都港湾局が管理する海上公園「大井ふ頭中央海浜公園」の敷地内に設置される競技会場が大井ホッケー競技場です。最寄駅は東京モノレールの大井競馬場駅であり、ホッケーの競技会場となります。この海浜公園が開業したのは1978年4月のことであり、陸上競技場やテニスコート、野球場などが多く設置されています。


10.海の森クロスカントリーコース(仮設):収容人数0人



中央防波堤内側埋め立て地内に整備される競技会場の一つで、馬術(総合馬術:クロスカントリー)の競技が実施されます。東京湾内では、最も新しい埋立地の一つが競技会場として活用されることになります。アクセス手段としては、数年前に開通した「東京ゲートブリッジ」を渡ることになります。オリンピックの大会終了後は、東京都民の憩いの場として、海浜公園として利用される事が計画されています。


11.海の森水上競技場(新設):収容人数14000人



中央防波堤内側埋め立て地と、外側埋め立て地の、二つの埋立地の間の運河地形を活用した競技会場です。カヌー(スプリント)
とボートの競技会場となります。オリンピックの大会終了後は将来、都民のレクリエーションの場や憩いの場の広大な緑地帯「海の森」として整備される予定となっています。


12.海の森マウンテンバイクコース(仮設):収容人数2000人



中央防波堤外側埋め立て地内に整備される競技会場で、今回の2020年東京オリンピックの競技会場の中では、最も広大な面積を誇る競技会場となります。文字通り、自転車競技(マウンテンバイク)の競技会場となります。埋立地とは思えないほどの起伏豊かな「森林コース」の競技会場の風景が広がっていますね。


13.若洲オリンピックマリーナ(新設):収容人数2000人



東京ゲートブリッジの北岸側、江東区の若洲地区の埋立地の南端部に整備される競技会場で、セーリング会場となります。セーリングとは、帆の表面を流れる風によって生ずる揚力を主な動力として、主として水上を滑走すること又はその技術を競う競技のことです。


14.葛西臨海公園(新設):収容人数12000人



荒川放水路の河口部に位置する広大な海浜公園で、JR京葉線の葛西臨海公園駅が最寄り駅となっています。カヌー(スラローム)の会場となる葛西スラロームコースは、年間来場者300万人を越える葛西臨海公園の中にあり、大会後には、カヌー競技のほか、ラフティングなどのレクリエーションにも使える施設が残ることになります。


15.夢の島ユース・プラザ・アリーナAとB(新設):収容人数はA7000人、B18000人



夢の島の新江東清掃工場の周辺に整備される二つの競技会場で、最寄駅はJR新木場駅です。ユース・プラザ・アリーナAとBは、地域レベルの競技大会が行われる小規模な現ユースプラザを改修し、バドミントンとバスケットボールの会場となります。大会後は東京都が所有し、様々な室内競技大会やイベントを行うことができる大規模総合体育館となります。大規模アリーナを二つ有する施設の特性を活かし、人気の高まっているバスケットボール、バドミントンなど室内競技の国内・国際大会も開催可能となります。

16.夢の島公園(新設):収容人数7000人



夢の島公園の緑地帯の一角に、アーチェリー会場が新たに建設されます。オリンピックの大会後には、周辺の緑地を取り込み、国内及び国際競技大会が開催できるアーチェリー場が残されることになります。大会後は東京都が所有し、学生選手権、日本選手権などの会場となるほか、都内のアーチャーの日常的な活動拠点となります。


17.夢の島競技場(既設):収容人数14000人



馬場馬術及び障害馬術の競技は、夢の島の緑地帯内にある「夢の島競技場」で実施されます。現在の夢の島陸上競技場内には陸上競技、野球及びサッカー場として利用されています。新たに馬術競技に必要とされる広大なサポート施設が競技場に隣接して設置されます。

こちらのサイトから画像を拝借しました。
東京五輪招致、37会場・4554億円の全貌明らかに ケンプラッツ
五輪で始まる東京大改造、2020年にどう変わる? ケンプラッツ

2020年、東京オリンピックの開催によって東京・首都圏はどう変わるか PART6

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2020年の東京オリンピックの主要会場が集中するのは湾岸地区の「東京ベイゾーン」ですが、都心部の西側を中心に広がる「ヘリテッジゾーン」内の競技会場をまとめていきます。オリンピックのメイン会場として全面改修工事が計画されている国立霞ヶ丘競技場を中心として、競技会場が山の手地区に点在しています。新しい競技会場が多く建設されるベイゾーンと比較すると、こちらのヘリテッジゾーン内は、1964年(昭和39年)の東京オリンピックに使用された既存の競技会場の再利用など、低予算に抑えた配置となっています。

1.東京体育館(既設):収容人数8000人



卓球の競技会場として活用される東京体育館です。1954年の4月に東京体育館が完成し、1958年5月〜6月のアジア競技大会(アジア・オリンピック)の会場や、1964年10月の東京オリンピックの体操競技、プールが水球競技の会場として使用されました。2006年4月より、施設内のリニューアル工事が実施されています。


2.国立代々木競技場(既設):収容人数12000人



故・丹下健三氏の建築作品である国立代々木競技場は、1964年(昭和39年)の東京オリンピックのサブ会場として使用されたもので、メインアリーナとなる第一体育館(本館、または「代々木オリンピックプール」ともいう)では競泳競技が、第二体育館(別館)ではバスケットボール競技が開かれました。今回の2020年オリンピックでは、ハンドボール会場として使用されます。


3.日本武道館(既設):収容人数11000人



日本の武道の聖地「日本武道館」も、2020年オリンピックに使用されることになります。1964年(昭和39年)の時には柔道会場として使用されましたが、今回の2020年オリンピックでも柔道会場として使用されます。


4.皇居外苑(仮設):収容人数1000人



東京駅の西側一帯に広がっている皇居外苑は、自転車競技(ロード・レース)のスタート地点となります。コースは、歴史的な皇居のお堀、気品ある公園そして沿道の並木道を通り、多摩の丘陵部へと続きます。


5.東京国際フォーラム(既設):収容人数5000人



JR有楽町駅前、都心のど真ん中に位置する東京国際フォーラムは、ウエイトリフティング会場として使用されることになります。


6.両国国技館(既設):収容人数10000人



ボクシングの競技会場となる両国国技館です。日本の国技である相撲の聖地は、ボクシングにとって理想的なすり鉢状の会場であり、観客は四方から競技を観戦することができます。




最後に、競技会場の全景の図です。


2020年、東京オリンピックの開催によって東京・首都圏はどう変わるか PART7

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今回のシリーズの最後の記事は、中央区の晴海ふ頭に建設される「選手村」についてです。現在の「東京港・晴海ふ頭」の様子は、至る場所に広大な空き地が広がっている状態です。晴海ふ頭の南端部には晴海客船ターミナルが設置されていて、ターミナルの敷地内から晴海ふ頭を見渡すことが出来ます。




当初の2016年に計画されていた東京オリンピック構想では、この晴海ふ頭にメインスタジアムを建設し、選手村は江東区の有明地区に建設される予定でした。しかし、メインスタジアムは国立霞ヶ丘競技場を大規模改修して使うことになり、晴海ふ頭内に選手村が建設されることになりました。間事業者が参画して開発が進められる予定であり、工事費1057億円を想定しています。選手村の施設は、大会後に住宅に改装されます。特徴としては、

1.選手村は都有地である44ヘクタール内に整備される。
2.85パーセントの競技会場が、選手村から半径8キロ以内に整備されている。
3.選手村の居住ゾーンは3街区に分けて、約1万7000人の五輪関係者が宿泊可能な施設を建設する。
4.各住戸は、東京湾の風景が望めるつくり。周辺環境、海からのスカイラインを考慮し、様々な高さの住棟の配置とする。
5.大会終了後は住宅として供給する計画であり、民間事業者の開発への出資を促し、国や都の財政負担なしに整備する方針。




完成予想図その1。選手村内には広々とした広場や散策道、緑地帯などが整備されるのですね。




完成予想図その2。かつて晴海ふ頭には「東京国際見本市会場」の広大な施設があったのですが、1996年に江東区有明に東京ビックサイトが開業したことによって解体されました。それ以降は20年近くに渡って空き地のままだったのですが、ようやく再開発が始まることになります。




ところで、1964年(昭和39年)の東京オリンピックの際に使用された選手村は、現在は「代々木公園」の緑地帯として活用されています。代々木公園の脇に建っている臨時テレビ局(現在のNHK放送センター)がメインプレスセンターとなっていました。




太平洋戦争後はGHQによって接収され、在日米軍の「ワシントンハイツ」として使用されていました。ワシントンハイツは日本への全面返還後、1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピックにおける選手村の本村・代々木選手村として整備されたのです。

銀座六丁目10地区プロジェクト:工事進捗率5% 2014年5月

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銀座六丁目10地区第一種市街地再開発事業 工事進捗率5% 2014年5月
中央区の銀座六丁目地区、国道15号線(銀座中央通り)に面して建っていた松坂屋銀座店の百貨店を含む2街区の再開発工事が現在実施されています。2013年6月30日に松坂屋銀座店が閉店し、その後すぐに百貨店を含めた周辺地区の建物の取り壊し工事が始まっています。再開発となる敷地面積は約9000平方メートルに及び、2013年中に現在の松坂屋銀座店建物の解体に着手し、2017年度の竣工オープンを目指しています。

2014年のゴールデンウィーク後の現在の様子ですが、松坂屋銀座店やその周辺の建物群の撤去が既に完成していて、中央通り(国道15号線)に面している銀座六丁目地区の一等地には、広大な空き地が広がっています。そして今から一カ月半前の2014年4月2日、再開発計画の概要がプレス発表されました。

銀座6丁目で最大規模の再開発、16年に複合施設が誕生
(ロイター)銀座6丁目で行われる大規模再開発10+ 件計画が2日、発表された。敷地面積9080平方メートル、延べ床面積14万7900平方メートルに、地上13階、地下6階の大規模複合施設が誕生する。竣工は2016年11月を目指しており、土地代を除く総事業費は830億円の予定。

昨年6月に閉店した銀座松坂屋跡地を含む2街区を一体的に開発する計画。商業施設やオフィスを含めた統一の名称を検討している。

地下2階―地上6階に位置する商業施設は、高級ブランドをはじめとする250―300のテナントを誘致する予定。売り場面積が4万6000平方メートルで、銀座三越の3万6000平方メートルを上回り、銀座最大規模となる。J.フロント リテイリング(3086.T: 株価)の山本良一社長は会見で「新百貨店モデルの延長線上で、全く新しい商業施設を開発していく」と述べ、従来の百貨店業態とは異なる展開を行う考えを明らかにした。Jフロント、森ビル、住友商事(8053.T: 株価)、L Real Estateの4社が一体で運営していく。

地上7階―12階はオフィスが占め、1フロアでは都内最大級となる。このほか、地下3階には渋谷区にある「観世能楽堂」が移転する。ここは、災害時には3000人の帰宅困難者受け入れが可能となる。

1階には観光案内所やバス乗降スペースを整備し、増加する外国人観光客への対応も充実させる方針。
(清水律子)
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA3105420140402

計画概要
地区名称:   銀座六丁目10地区(東京都中央区)
事業手法:   第一種市街地再開発事業
施行者:    銀座六丁目10地区市街地再開発組合
組合員数:   15名(2014年3月時点)
施設建築物概要:施行区域面積 約1.4ha
           用途 店舗、事務所、文化・交流施設、地域冷暖房施設、駐車場
           敷地面積 約9080?
           階数 地下6階、地上13階
           建築物の高さ 約56m
           延床面積 約147900?
           構造 鉄骨造、鉄筋コンクリート造、鉄骨鉄筋コンクリート造
公共施設等の整備:・観光バス等の乗降スペースの整備
             ※区域内道路「あづま通り」延伸部分の三原通り側への付替えによる
             ・「あづま通り」下の地下道整備
             ・屋上庭園の整備、ほか

経緯及び事業スケジュール
2003年2月  銀座六丁目地区街づくり協議会を組織し、検討を開始
2010年4月  銀座六丁目地区市街地再開発準備組合設立
2011年12月 都市計画決定
2012年12月 銀座六丁目10地区市街地再開発組合設立、事業認可
2013年6月  権利変換計画認可
2013年7月  既存建物解体工事着手
2014年4月  本体建設工事着工
2016年11月 竣工(予定)

再開発プロジェクトの特徴
商業施設 
地下2階〜6階に、約50000平方メートル(約15000坪)の床面積となる商業空間の創出する
周辺の商業施設との連続性を持ち、地域の拠点となる商業施設の整備する
業務施設 
7階〜13階に、都内最大級の1 フロア面積約6100?(約1800坪)
約50000?(約15000坪)の床面積となるオフィス空間を銀座エリアに創出する
文化施設 地下3階に、約1600?(約480坪)の多目的ホールの整備する
観光拠点 
「(仮称)銀座観光ステーション」
観光客受け入れのスペースや、観光バス等が停車可能な乗降スペースを整備する
屋上庭園 銀座エリア最大となる地域に開かれた約4000?の屋上庭園を整備する

住友商事 『銀座六丁目10地区第一種市街地再開発事業』 2016年11月、ワールドクラスクオリティの商業施設が誕生
http://www.sumitomocorp.co.jp/news/detail/id=27806?tc=bx

銀座六丁目地区
松坂屋銀座店の百貨店があった場所は「中央区・銀座六丁目地区」といいます。銀座地区を東西方向に横切っている晴海通りの南側にあるこの界隈は、JR新橋駅や汐留シオサイトの高層ビル群、浜離宮庭園の緑地帯にほど近く、新橋地区のオフィス街の雰囲気が強いです。現在の銀座六丁目界隈は、明治時代以前には「尾張町二丁目地区」と呼ばれていたのですが、1920年(昭和5年)に地名が解消された経緯があります。




5月中旬、ゴールデンウイーク後の平日の時間帯の銀座六丁目交差点前にやってきました。午前10時に周辺の百貨店や商店などが開業する前の時間帯だったので、人通りはほとんどありませんでした。




文字通り、綺麗に更地となってしまった松坂屋銀座店の百貨店の建物があった場所です。松坂屋の建物の裏側にあった建物群を見渡すことが出来ます。




銀座のメインストリートである中央通り(国道15号線)脇の歩道を散策していきます。百貨店の建物が文字通り消えてなくなり、開放感にあふれる街並みとなっていました。




中央通りに面した敷地の境界線には、頑丈な工事用フェンスが設置されています。




工事用フェンスに設置されている説明板を撮影しました。




銀座五丁目交差点前にやってきました。今まで見てきた銀座の街並みのイメージが一変してしまいそうなほど、開放感のある街並みの風景になっていました。




基礎工事が終わればタワークレーンの組み立てが始まり、鉄骨が組まれていくのでしょう。建物の完成は今から2年後の、2016年11月となっています。




再開発工事現場周辺の地図です。

伊東屋銀座本店建て替え計画:工事進捗率20% 2014年5月

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伊東屋銀座本店建て替え計画:工事進捗率20% 2014年5月
銀座二丁目地区、中央通り(国道15号線)に面して建っている「伊東屋銀座本店」は現在建て替え工事が行われており、すぐ近くにある仮店舗で営業が実施されています。銀座二丁目に本店を構える「伊東屋」は、文房具・画材用品の専門店です。銀座本店(本館)は建物の老朽化により、建て替え工事のため2013年1月末を以って仮店舗に移転しました。新しい本店ビルは2015年の夏ごろに開業する予定となっています。

100年の歴史を持つ伊東屋の沿革
1904年(明治37年)6月 伊藤勝太郎が東京・銀座3丁目に「和漢洋文房具・STATIONERY」の看板を掲げ創業。
1909年(明治42年) 白煉瓦造り3階建てに改築。
1923年(大正12年) 関東大震災で本店を焼失、被災しなかった丸ビル店で業務再開。
1930年(昭和5年) 地下2階地上8階建の新ビル(現・第一伊東屋ビル、1965年より松屋 (百貨店)に賃貸)が完成、営業開始。
1937年(昭和12年) 百貨店法が成立し、「伊東屋百貨店」と改称。
1944年(昭和19年) 物資不足のため廃業を決断。
1946年(昭和21年) 戦火で全焼した伊東屋ビルを復旧、販売再開。
1965年(昭和40年) 現在の本店・本館(ステンレスビル)が完成、営業開始。
2012年10月 万年筆専門館「K.ITOYA 1904」(旧2号館)が開店。ステンレスビル中二階にあったコーナーの事実上移転。
2013年1月 ステンレスビルの老朽化による建て替えのため旧本店本館が閉店。同日に松屋銀座裏の仮店舗の本店本館が開店。


伊東屋銀座本店建替計画概要決定 〜2015年、新しく生まれ変わる銀座本店〜
http://www.mj-sekkei.com/news/pdf/00277.pdf#search='%E4%BC%8A%E6%9D%B1%E5%B1%8B%E9%8A%80%E5%BA%A7%E6%9C%AC%E5%BA%97+%E5%BB%BA%E6%9B%BF%E3%81%88'



中央通りに面した工事現場のフェンスには、仮店舗の地図が掲載されていました。




中央通りの歩道から、建設中の本店ビルを見上げて撮影しました。土地の値段が非常に高い銀座地区では典型的なペンシルビルとなっています。




中央通りの反対側の歩道から、工事現場を撮影しました。




・・・文字通り、「うなぎの寝床」のような建物です。




再開発計画の地図です。

KIRARI TO GINZA(キラリトギンザ):工事進捗率70% 2014年5月

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KIRARI TO GINZA(キラリトギンザ) 工事進捗率70% 2014年5月
銀座の繁華街の中では北端部寄り(京橋寄り)にほど近い銀座一丁目地区、中央通りに面した一等地で建設中の再開発施設「KIRARI TO GINZA(キラリトギンザ)」です。オリックス不動産によって地上12階地下3階建て、高さ66メートルの複合ビルが現在建設中で、今年(2014年)の秋ごろに開業するというプレス発表が去年の年末にありました。地下3階から地上12階に、ジュエリーや子供服などを扱うショップが出店します。「結婚」をキーワードに、銀座の新たなランドマークとなるような施設を目指します。


施設名称のコンセプト
「ブリリアントライフステージ」というプロジェクトコンセプトのもと、結婚という人生の節目をキーワードに、ウェディングやお子さまの誕生・成長などの特別な日に、ジュエリーや子供服など輝きのある商品・サービス・空間を提供する施設として、”銀座でキラリと光る場所”になってほしいという思いが込められています。

事業概要
所在地:東京都中央区銀座一丁目3−2他(地番)
交通:
東京メトロ千代田線銀座一丁目駅より徒歩1分
東京メトロ銀座線京橋駅より徒歩2分
東京メトロ銀座線銀座駅より徒歩5分
JR山手線有楽町駅より徒歩5分
敷地面積:1323?(400坪)
延床面積:16582?(5016坪)
建物規模:地上12階地下3階
構造:S造(一部RC造)
用途:物販販売業を営む店舗、飲食店、サービス業を営む店舗等
デザイン監修:光井純アンドアソシエーツ建築設計事務所株式会社
設計・監理:浅井謙建築研究所株式会社
施工:鹿島建設株式会社
商業プロデュース: 株式会社エム・エス・シー
施設ロゴデザイン: 有限会社タイクーングラフィックス
開業:2014年秋(予定)



キラリトギンザの公式ロゴマークです。施設ロゴは、建物上部の特徴的なクラウン(王冠)の型を模したデザインを採用し、クラウンの下に施設名称をアルファベットで規則的に配置することで、銀座に集う多種多様でグローバルな価値感を持つ人々に受け入れられる表現を意図しています。




建物内の配置図です。中央通り沿いの建物では前例のない約100?の大きなオープンテラスを4階部分に建設されます。




キラリトギンザの高層ビルの完成予想図です。ダイヤモンドのブリリアントカットをモチーフに、光の反射で時間と共に表情を変えるファサードをデザインし、建物全体がキラキラと輝くことに因んでいます。

「KIRARITO GINZA(キラリトギンザ)」に決定 - オリックス不動産株式会社
http://www.orix-realestate.co.jp/news/pdf/press_131225.pdf#search='KIRARI+TO+GINZA'



銀座の北端部、京橋地区のオフィスビル街にほど近い銀座一丁目地区内の中央通り(国道15号線)を散策していると、既に建物自体は完成しているように見えるキラリトギンザの高層ビルが見えてきました。高層ビルの頭頂部には「KIRARITO GINZA」のロゴマークが打ち込まれています。




中道通り(国道15号線)の歩道内、ポーラ銀座ビル前から見上げて撮影したキラリトギンザの高層ビルの全景です。ビルの外壁面に張られていた養生シートが取り外されていました。




カーテンウォールによって、クラウン(王冠)の型を模した高層ビル頭頂部をズームで撮影しました。




キラリトギンザの高層ビルを真正面から見上げて撮影しました。4階フロアのオープンテラス部分も露出していて、テラス内に植えられている木々も見えます。




キラリトギンザの敷地前にやってきました。京橋のオフィスビル街にほど近い銀座一丁目地区は、それほど人通りは多くはありませんでした。




「(仮称)銀座1丁目A街区新築工事」と呼ばれていた再開発計画、施設の正式名称が「キラリトギンザ」に決定したのは2013年12月末のことです。




銀座通り口交差点前から振り返った撮影したキラリトギンザの高層ビルです。高層ビルの高さは約66メートルと東京都心部内では中堅以下ですが、高層ビル自体が無いに等しい銀座界隈では目立つ存在です。




京橋のオフィスビル街の中、東京スクエアガーデン前から銀座の繁華街方向を撮影しました。キラリトギンザの存在感が圧倒的ですね。




再開発工事現場周辺の地図です。

京橋二丁目西地区第一種市街地再開発事業:工事進捗率13% 2014年5月

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京橋二丁目西地区第一種市街地再開発事業 工事進捗率13% 2014年5月
JR東京駅の八重洲口にほど近い中央区の京橋二丁目地区、中央通り(国道15号線)に面した広大な敷地で現在行われている再開発工事です。東京駅周辺は2000年代初頭から再開発に伴う高層化が進んできましたが、遂に京橋地区でも高層化の流れが到来してきました。京橋二丁目三番ビルや京ビル、明治屋ストア本社ビルなどが建っていた2街区の再開発工事です。

2013年の10月から日本土地建物や東京建物などは東京都中央区の京橋で大型再開発工事に着手しました。再開発区域内にある高級スーパー明治屋の本社・本店ビルは耐震性を高めてそのまま利用します。その周囲に地上32階、高さ170メートルの超高層ビルを建設します。新旧のビルのデザインが調和するよう配慮し、全体の完成は2016年10月を予定しています。

明治屋ストア本社ビルとは
再開発工事の敷地内には明治屋ストアー本社ビルが建っていますが、このビルは取り壊さずに免震工事を施した上で保存されます。1885年(明治18年)に磯野計が横浜で創業しました。1903年(明治36年)に合名会社に改組、1911年(明治44年)に株式会社に改組しました。小売店の明治屋ストアーを、東京都を中心に日本で10店舗、日本以外で1店舗を経営しています。商品のブランド名として「Мy(マイ、エム・ワイ)」を使用しています。

事業概要
計画名称 京橋二丁目西地区第一種市街地再開発事業
所在(施行区域) 東京都中央区京橋二丁目2番27(地番)
施行区域面積 約1.0ha
建築敷地面積 約7990?(約2417坪)
交通 東京メトロ銀座線 京橋駅直結、JR東京駅 徒歩5分
事業手法 都市再生特別地区、第一種市街地再開発事業
計画容積率 1330%
施行者 京橋二丁目西地区市街地再開発組合
特定業務代行者 日本土地建物(株)、東京建物(株)、(株)日建設計、清水建設(株)
参加組合員 日本土地建物(株)、東京建物(株)、清水建設(株)

施設建築物の計画概要
構造 
再開発棟 S造(一部SRC造)、中間層免震構造
歴史的建築物棟 SRC造、免震構造
規模
再開発棟 地下3階地上32階建て(建物高さ 約170m)
歴史的建築物棟 地下2階地上8階建て(建物高さ 約31m)
用途および各専有部床面積 ※歴史的建築物棟は延床面積 再開発棟
事務所 約66590?(約20144坪)
店舗 約3000?(約907坪)
公共公益施設 約2380?(約719坪)
歴史的建築物棟 約5480?(約1658坪)
延床面積 約119050?(約36012坪)
駐車台数 約280台

事業の流れ
2006年 2月 準備組合設立
2009年 6月 都市計画決定
2011年 7月 組合設立認可
2012年 12月 権利変換計画認可
2013年 4月 既存建物等除却工事着工
2013年 10月 本体工事着工
2016年 10月 竣工(予定)

京橋二丁目西地区市街地再開発組合 京橋二丁目西地区第一種市街地再開発事業 2016年(平成28年)10月完成予定
http://www.kyou2west.com/
京橋二丁目西地区第一種市街地再開発事業
http://www.kyou2west.com/130924%20panfu.pdf#search='%E4%BA%AC%E6%A9%8B%E4%BA%8C%E4%B8%81%E7%9B%AE%E8%A5%BF%E5%9C%B0%E5%8C%BA%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%A8%AE'
『京橋二丁目西地区第一種市街地再開発事業(東京都中央区)』の着工について
http://www.nittochi.co.jp/news_links/pdf/news/20131002000.pdf
清水建設 『京橋二丁目西地区第一種市街地再開発事業(東京都中央区)』の着工について
http://www.shimz.co.jp/news_release/2013/2013040.html



「京橋二丁目西地区」の複合再開発施設の全景です。再開発区域内にある高級スーパー明治屋の本社・本店ビルと、高さ170メートルの高層オフィスビルの、二つの新旧のビルのデザインが調和するデザインとなっています。




1階フロア内には広大な吹き抜け空間が整備されていて、JR東京駅の八重洲南口方向へ抜けることが出来る構造になっています。




JR東京駅の八重洲南口側から見た再開発施設の全景です。


日建設計 アーカイブ 京橋二丁目西地区 第一種市街地再開発事業
http://www.nikken.co.jp/ja/archives/ndvukb0000013p23.html



ゴールデンウイーク後の5月中旬の休日の「京橋二丁目西地区」の再開発工事現場を訪れてみました。普段の平日だと多くのビジネスマンで賑わっている京橋界隈ですが、この日は人通りはほとんどなく閑散としていました。




交通量の少ない中央通り(国道15号線)越しに、再開発工事現場を撮影しました。背後に写っている巨大な高層オフィスビルは、東京駅の八重洲南口前に建っているグラントウキョウサウスタワーです。




免震工事や改修工事が実施される「明治屋ストアー・京橋ビル」を撮影しました。建物全体が工事用シートに覆われている状態です。




再開発工事現場は、京橋地区のオフィスビル街のど真ん中であり、JR東京駅の八重洲口まで歩いて数分程の立地です。




再開発工事現場前にやってきました。この日は休日だったのですが、作業員の人たちの姿を見かけました。




工事用フェンスに掲げられている説明板を見上げて撮影しました。




1933年(昭和8年)に建設された「明治屋ストアー京橋ビル」を見上げて撮影しました。京橋二丁目西地区の大規模再開発工事の中で取り壊されず、免震工事などを施されて保存されます。




再開発工事現場の敷地の北側を東西方向に通っている通りを少し散策していきます。200メートル程歩けば、JR東京駅の八重洲南口前に出ることが出来ます。




再開発工事現場の北西角前にやってきました。周辺はオフィスビルと商業ビル街がどこまでも広がっている街並みです。




平日でもこの界隈は静かな雰囲気ですが、休日だと人通りはほとんど無い状態です。




再開発工事現場周辺の地図です

(仮称)Nプロジェクト DICビル建て替え計画:工事進捗率3% 2014年5月

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(仮称)Nプロジェクト DICビル建て替え計画:工事進捗率3% 2014年5月
日本橋高島屋の南側、約100メートルほど離れた場所に建っていたオフィスビル「DICビル」の建て替え計画です。1981年(昭和56年)に竣工後、約45年が経過して老朽化の進展が課題になってきたことから建て替え工事が現在行われています。既に古い建物は取り壊され、現在は更地になっている状態です。DICの本社機能は現在、JR御茶ノ水駅南側に建っているワテラスタワー内に仮移転しています。

再開発計画の概要
新しく建て替えられるビルの規模は延べ約3万平方メートルをを想定しています。既存地下躯体を構造補強の上で再利用し、屋上に太陽光パネルを設置するほか、地上部に免震構造を備えるなど防災、環境対策に配慮し、都心にふさわしいオフィスビルとして整備します。2013年4月に大林組の施工で解体工事に着手し、2013年10月に新築着工、2015年4月の完成を目指します。設計と新築施工も大林組が担当します。

DIC株式会社とは?
世間一般的にはあまり知名度が無い企業ですが、「印刷インキ」で世界トップクラスのシェアを誇る化学メーカーである「DIC株式会社」。創業は1908年(明治41年)のことであり、太平洋戦争直前の1937年に「大日本インキ製造株式会社」が設立されます。2008年の4月に、商号を大日本インキ化学工業株式会社からDIC株式会社に変更されています。

大林組で設計施工/約3万?に建替え/日誠不動産、日本橋のディックビル
http://www.kensetsunews.com/?p=7324



更地状態となっているDICビルの跡地前にやってきました。




周囲は日本橋三丁目地区の証券会社などが建ち並ぶオフィスビル街が広がっています。




この日は休日だったのですが、工事用車両の出入りがありました。


日本橋二丁目地区北地区:工事進捗率50% 2014年5月

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日本橋二丁目地区プロジェクト北地区 工事進捗率50% 2014年5月
中央区の日本橋二丁目地区、東京地下鉄東西線日本橋駅が地下に設置されている永代通りから南側一帯の雑居ビル街のエリアですが、現在東京都心部の中でも最大級の規模の再開発工事が実施されています。総延床面積約42220?、高さ160mのビル1棟(A街区)と高さ180mのビル2棟(C・E街区)、合計3棟の超高層ビルが建設されます。
2013年4月11日に東京都は、都市再開発法第11条第1項の規定に基づき、日本橋二丁目地区市街地再開発組合の設立を許可し、現在高層ビルの建設工事が着々と進められています。

都市再生特別地区(日本橋二丁目地区)
都市再生特別地区とは、都市再生特別措置法に基づく都市再生緊急整備地域内において、既存の用途地域等に基づく用途・容積率等の規制を適用除外したうえで、自由度の高い計画を定めることができる地区です。これは地域整備方針に沿い、かつ都市再生効果の大きい事業計画に対して、広範な都市計画の特例を認めることにより、事業者のアイディアを活かした土地の合理的で健全な高度利用を図ろうとするものです。

新しい高層オフィスビルの概要
永代通りと中央通り、昭和通りに囲まれた敷地面積約8800?の2つの街区に、業務、商業、多目的ホールなどで構成される延床面積約138000?(約42000坪)のビッグプロジェクトです。事業の中核となる免震タワー棟(地上35階、地下4階)は、中高層階にオフィス、低層階は店舗、地下には多目的ホール等を備えています。また、開発に併せて地下鉄「日本橋」駅との接続、駅前広場や観光案内所などの整備を予定しており、日本橋エリアのさらなる活性化の一翼を担うとともに都市再生への貢献を図ります。

都市再生への貢献
1.交通結節点機能の強化
地下鉄銀座線と東西線、浅草線が交わる「日本橋」駅の乗換動線や滞留空間を改善するため、コンコースと連続する地下に広場を確保するとともに、日本橋交差点に面して約1500?の広場を整備、交通結節点としての役割を強化し、駅前に相応しい玄関口を創出します。
2.歩行者空間の充実
憩いの空間ともなる駅前広場の整備と併せ、建物のセットバック等により、歩行者空間を改善します。さらに、本事業の位置する日本橋二丁目東側エリアでは現在整備されていない駅と地上間のバリアフリー化を進め、安全で快適な回遊性の高い歩行者ネットワークを実現します。
3.地域の防災機能向上
建物の不燃化、耐震化により安全な市街地の形成を図るとともに、災害時には日本橋駅前の防災拠点として機能するため、非常
用発電機による72時間分の電源確保、防災備蓄倉庫の整備、駅前広場の救護センターや物資供給場所としての活用に加え、仮設トイレの設置スペースを確保します。また、多目的ホールや駅前広場を帰宅困難者受入スペースとして運用するなど、地域の防災力向上に取り組みます。
4.交流・観光支援機能の導入
多くの老舗や百貨店等が集積し、日本を代表する商業・文化の拠点として発展してきた日本橋エリアのさらなる活性化の一助となるべく、空港アクセスの良い都営浅草線日本橋駅側の8番街区に観光情報等を発信する施設を設置します。また、展示会やレセプション等の交流支援、シンポジウムやセミナー等の業務支援にも利用可能なエリア最大規模の多目的ホール(1000?超)を整備します。

最新のBCP(事業継続計画)対応
超高層棟は、BCP(事業継続計画)の観点から、地震や停電等のトラブルに備える様々な最新設備を取り入れています。
? 地震などの揺れを低減する免震構造を採用
? 浸水被害を軽減するため受電設備等を6階に設置
? 事故等で本線からの送電が停止しても予備線から受電可能2 回線受電方式を採用
? 万一の停電時には、共用部に加え貸室内にも電力を供給する72時間対応の非常用発電機を装備
? 通常時、非常時ともガスによる発電を併用したコージェネレーションシステムを導入

最先端のオフィススペック
中高層のオフィスフロアは、基準階貸室面積約820坪、室内に柱型がでない整形無柱空間を実現し、高いレイアウト効率を誇ります。また、快適なオフィス環境を創出するため、天井高3m+フリー アクセスフロア10cm、個別空調システムといった最先端の設備、機能を備えています。

事業概要
所在地 東京都中央区日本橋二丁目7番・8番の一部(地番)
地域地区 商業地域/防火地域 日本橋・東京駅前地区地区計画
敷地面積 8769 ?(約2650坪)
区域面積 約2.2ha
延床面積 約138000?(約42000坪)
画容積 1400%
設計 株式会社日建設計
施工 株式会社大林組
主要用途 事務所、店舗、多目的ホール、貸会議室
階数 7番街区 超高層棟 地上35階 地下4階
階数 8番街区 低層棟 地上2階 地下2階
竣工予定 超高層棟:平成27年/ 全体竣工:平成29年
交通 東京メトロ銀座線・東西線、都営地下鉄浅草線「日本橋」駅直結

住友不動産 「日本橋二丁目地区北地区」 着工
http://www.sumitomo-rd.co.jp/news/files/1301_0005/Nihonbashi.pdf#search='%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%A9%8B%E4%BA%8C%E4%B8%81%E7%9B%AE%E5%9C%B0%E5%8C%BA%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88'




日本橋高島屋前、中央通り(国道15号線)から見上げて撮影した建設中の「日本橋二丁目地区北地区」の高層ビルです。休日だったので、3基のタワークレーンはこの日は稼働していませんでした。




徐々に外壁部分が姿を見せ始めてきた高層ビルの全景を見上げて撮影しました。今流行りのカーテンウォールによって壁面が覆われているタイプではなく、高層ビルの柱の部分が壁面に露出するデザインになっています。




建設中の高層ビルと、中道通り(国道15号線)の間の狭いスペースのエリアに、工事用プレハブ小屋や資材置き場がコンパクトに配置されています。




永代通りから見上げて撮影した高層ビルの全景です。日本橋界隈は、千葉から東京へ鉄道アクセスする際の「東京の玄関口」の場所でもあります。千葉県民である私からすると、気合いの入った街並みに変貌してほしいものです。




再開発工事現場の地図です。
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