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初夏の大阪:「のぞみ3号・博多行き」に乗車して大阪へ PART2

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午前7時24分、のぞみ3号は静岡県浜松市近郊にある「浜名湖」の湖畔を時速270キロで通過中です。浜名湖と遠州灘の中間地点の干潟状の地形の上に、東海道新幹線の高架橋が架けられているのです。




7時53分、のぞみ3号は名古屋駅に到着します。名古屋駅で4号車からは半分くらいの人数の乗客が降車し、それと同じくらいの人数の人たちが新たに乗り込んできて、やはり満席状態となりました。




名古屋駅を発車したのぞみ3号は木曽川・揖斐川・長良川が造り出した低地を通過し、岐阜県の関ヶ原を通過していきます。平野部の田畑や、伊吹山地の稜線は綺麗な新緑に覆われていました。




関ヶ原トンネルを通り抜けると滋賀県内に入ります。米原駅を通過するとのぞみ3号は琵琶湖南岸に広がる広大な平原地帯の中を走ります。地盤も頑丈で線路の線形も大変良いため、時速270キロ走行がコンスタントに続きます。




音羽山トンネル・東山トンネルを過ぎると一気にブレーキがかかり、京都盆地の中へ入って行きます。8時29分に京都駅に停車します。京都観光にはまだ早すぎる時間帯だったので、降りる人はほとんどいませんでした。




8時43分にのぞみ3号は新大阪駅21番線ホームに定刻に到着しました。4号車内では8割近い乗客の人たちが一斉に立ち上がって降車していきました。




のぞみ3号は博多行きですが、新大阪駅から先では3〜4割前後の乗車率となっている模様です。やはり新大阪駅を境目にして輸送人員には大きな差が生じているようですね。




この後在来線に乗車して大阪駅へ向かうことにします!!!




新大阪駅からJR東海道本線(JR京都線)に乗車して一駅で大阪駅に到着しました。午前9時前の時間帯なので、駅周辺の商業施設はまだ営業してはいませんでした。




2013年4月26日に華々しく開業した「グランフロント大阪」を早速見に行きたいと思います。まだ開業時間前だったので人通りはほとんどありませんが、午前11時過ぎ前後からものすごい混雑が始まるのだそうですね。




建物内に入るのは後にするとして、建物周辺を散策してみたいと思います。開業前はこのアトリウム広場の北端部には仮壁が設置されていたのですが、開業後は撤去されて広々とした空間となっています。




大阪駅の北側、「梅田北ヤード」と呼ばれていた操車場跡地は再開発工事による街びらきに合わせて「梅北(うめきた)」と呼ばれることになりました。




一番心配していたのは天候でした。大阪駅到着の時点で、雲一つない快晴の青空だったのは運が良かったの一言に尽きると思います。

初夏の大阪:グランフロント大阪「うめきた広場」周辺を散策する

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JR大阪駅の北口に2013年4月26日に開業したグランフロント大阪周辺を散策していきます。ノースゲートビル・アトリウム広場の北側にあるのは「うめきた広場」と呼ばれている駅前広場です。




グランフロント大阪の敷地の南端部に位置するうめきた広場と、広場の一角に建てられている「うめきたSHIP」です。商業施設や多目的ホールの「うめきたシップホール」が入居しています。




うめきた広場の中心から振り返ってノースゲートビルを見上げて撮影してみました。時刻は午前9時ちょうどであり、まだ朝日が照りつけている雰囲気です。




平日午前9時のグランフロント大阪・うめきた広場、まだショップ&レストランの営業時間ではないので人通りはほとんどないですが、大阪・梅田駅からうめきた広場を通り抜けて歩いている人の姿を見ることが出来ます。




グランフロント大阪の敷地の西側には「梅田北ヤード」の広大な貨物駅の敷地が広がっています。2013年3月のJRダイヤ改正によって梅田貨物駅の営業が停止したので、現在はひっそりとした雰囲気に包まれています。




グランフロント大阪の「南館」の建物を撮影してみました。低層階にはショップ&レストランの店舗が入居していて、高さ179.5メートルの高層オフィスビルが併設されています。




南館の建物は、カーブを描いた外壁面が特徴的です。営業時間になった後の午前11時前後になると、ものすごい混雑が連日のように続いているのだそうです。




低層階の「ショップ&レストラン」は、阪急電鉄が店舗面積約44000平方メートル、店舗数266の専門店街を展開しています。都心部の専門店街としては日本最大級で、1店舗当たりの面積は一般的な専門店街の1.6倍程度となっています。




うめきた広場やうめきたシップ周辺には水が流れる階段状の滝などが造られていて、ものすごく豪華な雰囲気を醸し出しているのです。建物内には営業時間になってから、後ほど訪れてみます。




グランフロント大阪と梅田貨物駅の間には新しい道路が敷かれていて、幅の広い歩道とイチョウ並木道が整備されていました。梅田北ヤードの今後の2期工事が完了した際には、うめきた全体のメインストリートとなっていくのでしょう。




一度大阪駅・ノースゲートビルへ戻り、阪急梅田駅方向へ向かいます。カリヨン広場前から阪急百貨店梅田本店の建物を撮影してみました。




カリヨン広場の全景を上から見下ろして撮影してみました。通勤ラッシュが終わりつつある時間帯なので、人通りもそんなに多くはありませんでした。




カリヨン広場前から阪急梅田駅方向を撮影してみました。写真の中央に建っている「大阪新阪急ホテル」の向こう側に阪急梅田駅の広大な駅舎が広がっています。




今回の大阪散策の一番の目玉は開業後のグランフロント大阪と、新緑の時期の御堂筋を歩いてみることです。これから大阪市営地下鉄御堂筋線に乗車して難波へ向かいます!!!


初夏の大阪:新緑眩しい御堂筋を散策する PART1

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大阪市営地下鉄御堂筋線のなんば駅前から新緑の御堂筋を散策して梅田へ向かいます。なんば駅から地上へあがった駅前広場から散策を開始します。時刻は午前9時半前後であり、通勤ラッシュが終わって間もなくの時間帯でした。




なんば駅前広場の脇を緩やかなカーブを描きながら通っている大通りが「御堂筋」です。なんば駅前から梅田の阪神前交差点までほぼ一直線の大通りがまっすぐ続いています。




2009年の6月末に閉鎖されて上本町へ移転した「新歌舞伎座」の建物の脇を通り抜けていきます。新歌舞伎座の建物は工事用のフェンスによって囲まれていました。




御堂筋と千日前通りが交差している「難波交差点」を渡って行きます。千日前通りの上には阪神高速道路の高架橋が架けられています。




難波交差点の北側の街並みをズームで撮影してみました。大阪市の梅田地区と共に、西日本エリアの中でも有数の規模を誇る繁華街が広がっています。




5月中旬の時期の散策だったので、御堂筋の歩道や分離帯に植えられているイチョウ並木は綺麗な新緑に覆われていました。まだ朝日とも言える太陽の光が当たって輝いているように見えました。




都市河川である道頓堀の上に架かっている「道頓堀橋」を撮影してみました。6車線の道路と、両側の歩道分の横幅を持つかなり大規模な道路橋となっています。




御堂筋から少し寄り道して道頓堀界隈を少し散策してみたいと思います。午前9時半前後の時間帯だと道頓堀周辺はほとんど人通りはありませんでした。




道頓堀の通りに沿って建っている「大阪松竹座」の建物です。かつては映画館だったのですが、現在は最新設備を備えた劇場として新築開場しました。松竹制作の歌舞伎・新劇・松竹新喜劇を中心に、歌劇、ミュージカル、コンサート等も上演されています。




道頓堀に架けられている「戎橋(えびすばし)」を渡って行きます。不断だと平日でもものすごい人通りで有名な戎橋ですが、この日はそんなに混雑はしていませんでした。




H&М戎橋店が入居しているファッションビル「ラズ心斎橋」の建物を撮影してみました。




戎橋の橋上からグリコのネオンサインを撮影してみました。「戎橋」の名前の由来には、今宮戎神社にお参りする参道であったことから、もしくは西宮神社の社札が配られたことから、という2つの説があるのですが、通常は前者の説が有力視されています。




橋上から西側、御堂筋の道頓堀橋側を撮影してみました。近年、道頓堀の河川の両側では「とんぼりリバーウォーク 」という名前の遊歩道の工事が進められています。




現在のグリコのネオンサインは5代目のものなのだそうです。グリコ以外にも様々な企業のネオンサインがビルの壁面に掲げられています。




戎橋から北側へ延長するように伸びているのが「心斎橋筋」です。商店街が始まる午前10時前の時間帯だったので、人通りもほとんど見られませんでした。脇へ伸びる道路を歩いて御堂筋へ戻ることにします。


初夏の大阪:新緑眩しい御堂筋を散策する PART2

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「道頓堀橋北詰交差点」前から引き続き、新緑のイチョウ並木道となっている御堂筋を散策していきます。繁華街が広がっている難波から、高級ブランドショップ等が軒を連ねている心斎橋地区にかけての街並みを楽しみます。




御堂筋の東側(堺筋側)の歩道を散策していきます。難波から心斎橋にかけても、歩いている人の数は意外と多かったです。難波から心斎橋までは、東側を並行して通っている心斎橋筋の方が歩行者の交通量は多いのです。




難波地区は概ね道頓堀以南・千日前以西の地域を指し、場合によっては道頓堀・千日前・湊町・日本橋を含めた地域まで指すこともあるそうです。




「御堂筋三津寺町」交差点前です。交差点のすぐそばには「七宝山大福院・三津寺」の寺院が建立されていて、真言宗御室派の準別格本山となっています。




その一つ北側にあるのが「御堂筋八幡町」交差点です。カナダ総領事館が入居しているORE心斎橋ビル、日本生命御堂筋八幡町ビルなどのオフィスビル街の雰囲気が強いです。




オフィスビルの1階エントランスに海外ブランドやセレクトショップのブティックが入り、この辺りから心斎橋の高級ブランドショップ街の雰囲気が出始めています。




「御堂筋周防町」交差点です。交差点角にはアップルの直営店である「アップルストア心斎橋店」が設置されています。この交差点から西側へ進むとアメリカ村へ向かうことが出来ます。




いよいよこの界隈からは難波から心斎橋のエリアへと街並みが変わって行きます。



大通りの反対側には遠くからでも目立つ真っ赤な壁面のビルが見えますが、2012年12月に開業した「プーマストア大阪」です。




「御堂筋清水町」交差点に到着しました。徐々に御堂筋の大通りの両側には高層ビルが増えてきました。




交差点前に建っているのは「大丸心斎橋店本館・南館」の建物です。江戸時代の1717年(享保年)に下村彦右衛門正啓が今の京都市伏見区京町北八丁目に呉服店 大文字屋を開業し、呉服商を出発点として両替商を兼営していました。1726年に大阪心斎橋に進出したのが歴史の始まりなのです。




現在の大丸心斎橋店の建物は1922年〜1933年にかけて実施された、失火による建て替え工事によって誕生しました。アール・デコの重厚な近代建築を今も伝える建築物として、日本におけるDOCOMOMO150選に選定されています。本館・南館の2館体制時の店舗面積は37490平方メートルでした。




御堂筋を散策していて、最も華々しい雰囲気の場所の一つですね。大丸心斎橋本店前周辺も、まだ人通りは多くはない時間帯でした。




心斎橋地区周辺の御堂筋のイチョウ並木道も、綺麗な新緑によって覆われていました。




交差点前から振り返って撮影してみました。プーマやアップルストアなど、路面型の専門店の建物が数多く並んでいるエリアでした。


初夏の大阪:新緑眩しい御堂筋を散策する PART3

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大丸心斎橋店本館の南館と北館の間にある「御堂筋大丸前交差点」前にやってきました。この交差点の名前は、2009年10月までは「大丸そごう前交差点」という名前だったのですが、現在の名前に変更された経緯があります。




大丸心斎橋本店の道路を隔てた北側にはかつての「そごう心斎橋本店」の百貨店の建物が建っていたのです。20世紀末の株式会社そごうの経営破たんに伴って一度は閉店に追い込まれた経緯があります。




長らく親しまれていた「そごう大阪店」の建物は1935年に完成し、アールデコ様式で村野藤吾の設計によります。閉店後の2003年に解体されて、跡地には新しい建物が建設されました。




「そごう再生のシンボル」との位置づけで2005年9月にそごう心斎橋本店として新装開店したのですが、その後も客足は伸び悩み、最終的には大丸心斎橋店に売却されることになったのです。




御堂筋大丸前交差点周辺のイチョウ並木道も、綺麗な新緑に覆われていました。百貨店の開店時間の直前の時間帯だったのですが、そんなに人通りは多くはありませんでした。




御堂筋大丸前交差点の西側にはファッションビルの「OPA(オーパ)心斎橋」の建物が建っています。




2000年の12月末にそごう大阪店が閉店した後も「そごう大丸前」の名前はずっと変わらなかったのですが、大丸によってそごうが買収された後には、すぐに交差点の名称が変更になった経緯があります。




「御堂筋鰻谷交差点」を渡って行きます。前方に御堂筋と長堀通りが交差している「新橋交差点」が見えてきました。




クリスチャンディオールなどの海外の高級ブランドショップが多数入居している「エトワール心斎橋ビル」の脇を通り抜けていきます。この界隈には百貨店、専門店、高級ブランド店などが集積していて、東京で言えば銀座の街並みと雰囲気がものすごく似ています。




御堂筋と長堀通りが交差している新橋交差点の真下には大阪市営地下鉄御堂筋線や長堀鶴見緑地線の心斎橋駅が設置されています。地上周辺だけでなく、地下街「クリスタ長堀」にも多数の専門店街が形成されているのです。




元々この場所には「長堀川」という名前の都市河川が通っており、御堂筋の「新橋」という名前の橋が架橋されていました。新橋が架橋されたのは昭和以降なのです。




大阪市による都市計画に基づいた地下鉄一号線(現在の大阪市営地下鉄御堂筋線)の建設と淀屋橋筋(→御堂筋に名称変更)の大幅拡幅に合せ、昭和9年(1934年)にこの場所に橋が架橋されたのです。




新橋交差点を通る御堂筋や長堀通りはどちらも交通量が大変多く、交差点周辺は常に渋滞しているのです。




交差点から長堀通りを撮影してみました。昭和39年(1964年)に長堀川が埋め立てられ、橋は撤去されました。長堀川の跡に長堀通が整備され、新橋のあった場所は新橋交差点となったのです。




都市河川を埋め立てられた名残として、広大な道路幅を誇る長堀通りの真下には大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線のトンネルや心斎橋駅施設、そして単体地下街面積が日本一である「クリスタ長堀」が整備されています。


初夏の大阪:新緑眩しい御堂筋を散策する PART4

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御堂筋と長堀通りが交差している「新橋交差点」から、御堂筋を本町方向へ向かって引き続き散策を続けていきます。時刻は午前10時前、そろそろ心斎橋地区周辺の店舗が営業を始める時間帯です。




2011年の12月にリニューアルオープンした「ルイヴィトン大阪心斎橋店」の店舗を撮影してみました。心斎橋界隈の一等地である、新橋交差点角の1階フロアに店舗を構えているのです。




この界隈は大阪市営地下鉄御堂筋線の心斎橋駅のすぐそばという立地条件のため、純粋なオフィス街の雰囲気が強い場所なのですが、オフィスビルの1階フロアには高級ブランドショップが軒を連ねる風景が広がっているのです。




心斎橋地区へ高級ブランドブティックの直営店が本格的に進出し始めたのは、1996年のシャネルの日本最大店舗の出店が皮切であると言われています。銀座地区よりも家賃が安く、それが結果的に日本最大の店舗面積を有するブランドブティックが集積する遠因になったのです。




「南船場3交差点」です。心斎橋地区から本町地区にかけて、高級ブランド街から大阪都心部のオフィス街・本町へ徐々に街並みが変化していきます。




御堂筋周辺を歩いている人たちも、買い物客からビジネスマンの人たちの方が目立ってきました。この界隈は大阪市中央区の南船場三丁目地区と呼ばれています。




南船場3交差点前にはガラス張りの目新しいビルが建っていたのですが、「東京スター銀行大阪支店」の店舗でした。かなり遠くからでも目立つ店舗のデザインでした。




南船場地区周辺の御堂筋のイチョウ並木も綺麗な新緑に覆われていました。本町地区へ近づくにつれて、人通りが増えてきました。




「博労町3交差点」に到着しました。大通りをはさんだ対岸には「難波神社」の広大な境内が広がっています。約1700年前に大坂に日本の首都を設けた仁徳天皇が主祭神となっています。




難波神社の北側にあるのが「南久宝寺町3交差点」です。この交差点で御堂筋は「南久宝寺町通り」と交差しており、この通り沿いは大阪では有数の問屋街の一つに数えられているのです。




心斎橋地区と本町地区に挟まれた南船場地区界隈は古くから繊維・問屋街として発達して来たのですが、バブル崩壊後の産業構造転換によって高級衣料店やカフェ、レストランが集積するエリアへと変貌しつつあるのです。




2011年4月に竣工した高層オフィスビル「本町南ガーデンシティ」の脇を通り抜けていきます。御堂筋側に面した敷地内にも歩行者用通路が広く整備されていて、御堂筋の歩道と一体化されています。




「北久宝寺町3交差点」前には教会風の結婚式場である「セント・ラファエロチャペル御堂筋 〜アンジェ ルミエール〜」の建物が建っています。




結婚式場の建物の北側に建っているのが「南御堂」です。「御堂筋」の名前は北御堂(本願寺津村別院)と南御堂(真宗大谷派難波別院)が沿道にあることに由来しているのです。とは言っても観光地として有名なお寺にはなっておらず、一見しただけでは胡散臭い新興宗教の総本山にしか見えません。




とは言ってもこの南御堂は、天正11年(1583年)に石山本願寺跡地を含む一帯に豊臣秀吉によって大坂城が築城された時代からの歴史を誇っているのです。慶長3年(1598年)に大坂城の城下町の拡大により、大谷本願寺が現在地への移転を秀吉より命じられて以降、この場所に建ち続けているのです。




前方に本町通りと、通り上空を通っている阪神高速道路の高架橋が見えてきました。いよいよ本町地区のオフィス街の中を散策していきます。


初夏の大阪:新緑眩しい御堂筋を散策する PART5

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御堂筋と本町通りが交差している「船場中央3交差点」から、本町地区のオフィスビル街の中を散策していきます。新緑のイチョウ並木道に沿って、大通りの両側にはオフィスビル街が続いているのです。




周辺は淀屋橋と並んで大阪最大のビジネス街となっています。「淀屋橋−本町の会社に就職すること」がステータスシンボルと言われる傾向があり、東京の丸の内に街並みの雰囲気が似ています。日本を代表する大企業が数多く集中するほか、地方銀行の大阪支店も多くが当駅付近に集中しているのです。




アメリカのスターウッド・ホテル&リゾートの最高級ブランド「セントレジス」の日本進出第1号で2010年10月に開業した「セントレジスホテル大阪」の敷地の脇を通り抜けていきます。




「本町3交差点」前に到着しました。この交差点の真下には大阪市営地下鉄御堂筋線の本町駅が設置されているのです。本町駅周前から一つ北側の淀屋橋駅周辺にかけてオフィスビル街が広がっています。




この界隈は江戸時代の大坂場下の中心として古くから発展してきた歴史があります。明治維新度も大阪最大のオフィス街として発展して来たのですが、近年は梅田・JR大阪駅周辺にオフィス街の重心が移り変わりつつあります。




本町地区のオフィスビル街の中をしばらく歩いていると、前方に「北御堂」の建物が見えてきました。御堂筋という通りの名前は、北御堂と南御堂(真宗大谷派 難波別院)を繋ぐ道であることに由来しています。




北御堂の正式名称は「浄土真宗本願寺派 本願寺津村別院」といいます。1591年に本願寺が京都へと移転し、在阪信徒により集会所が設けられます。その後の1597年に集会所を円江(津村)の地に移転し、坊舎を建立(津村御坊)したのです。




別院名の「津村」とは摂津国西成郡の郷名で、入り江であった古代の円江(つぶらえ)から転じたと言われています。市街化されて船場となった後も、明治5年(1872年)まで当院北に位置する御霊神社にかけての町名となっていました。




「備後町3交差点」前から振り返って北御堂の建物を撮影してみました。新緑のイチョウ並木道と、北御堂の本堂や門の風景は御堂筋のシンボルとも呼ばれているそうですね。




「瓦町3交差点」前です。都市銀行や保険会社、不動産会社の本社や支社等のオフィス街となっています。




「平野町3交差点」前に建っている「大阪ガスビルディング」の建物が見えてきました。大阪ガスの本社ビルであり、1933年(昭和8年)に竣工しました。当時最新式のモダンな建物と言われていたそうです。




本町から淀屋橋にかけての御堂筋のイチョウ並木道、スーツを着たビジネスマンの人たちの姿が目立ちます。御堂筋から路地裏へ一歩離れた場所もオフィスビル街が広がっているのです。




「道修町3交差点」前にやってきました。かつては「薬の町」として発展していて、日本に入ってくる薬はいったん道修町に集まり、全国に流通していったと言われています。その関係で現在でも製薬会社や薬品会社のオフィスが道修町通りの両側に多いことで知られています。




「伏見町3交差点」前に建っているのは2001年に竣工した「明治安田生命大阪御堂筋ビル ランドアクシスタワー」です。カーテンウォールの壁面が特徴的な最先端のデザインのオフィスビルですが、御堂筋のイチョウ並木道の風景に見事に溶け込んでいます。




次回の記事からは、いよいよ淀屋橋地区のオフィス街から中之島へ抜けていきます!!!


初夏の大阪:新緑眩しい御堂筋を散策する PART6

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大阪市営地下鉄御堂筋線の本町駅から淀屋橋駅にかけての業務中心地区内を散策していきます。大阪一と呼ばれているオフィスビル街の中を通っている御堂筋のイチョウ並木道も綺麗な新緑に覆われていました。




「高麗橋3交差点」に到着しました。この交差点から東方向(上町台地方向)へ向かうと、東横堀側に架橋されている「高麗橋」へ向かうことが出来ます。高麗橋は大坂と京都を結ぶ京街道の起点でもあるのです。




高麗橋交差点前の一角では古いオフィスビルを取り壊して再開発工事が行われていました。今後の御堂筋では高層化が一段を進む流れなのだそうです。




高麗橋交差点周辺の新緑のイチョウ並木を真横から撮影してみました。5月中旬の散策だったので、綺麗な新緑に覆われています。真夏に時期へ向かって今後は更に濃い緑に覆われていくことになります。




今橋3交差点と「淀屋橋odona(オドナ)」の高層ビルが見えてきました。淀屋橋地区第一種市街地再開発事業によって建設された三井住友海上大阪淀屋橋ビルおよび淀屋橋三井ビルディング低層階の商業施設の総称として呼ばれています。




2008年3月に二つのビルが竣工し、淀屋橋地区の新たな顔として注目されています。ビルの高さは淀屋橋地区周辺では最も高い、約70メートルとなっています。




中央の4車線と両側に設置されている側道車線の間の中央分離帯には花壇が設置されていました。




「北浜3交差点」に到着しました。北浜地区は土佐堀川の南岸に沿って細長い面積のエリアとなっていて、一般的に「北浜」というと、東側の大阪証券取引所周辺のことを指すことが多いそうです。




振り返って撮影してみました。御堂筋の歩道部分と2か所の中央分離帯に、4列に新緑のイチョウ並木が整然と並んでいるのが見えます。




前方の視界が開けてきて、いよいよ淀屋橋・中之島が見えてきました。淀屋橋へ近づくにつれて、道路も歩道も交通量が増えてきたように思えます。




御堂筋と土佐堀通りが交差している「淀屋橋交差点」に到着しました。交差点の北側の土佐堀川を、御堂筋は「淀屋橋」という橋で渡って行きます。橋名の由来は、江戸時代の豪商・淀屋がこの橋を架橋し管理したことによります。




交差点直下には大阪市営地下鉄御堂筋線の淀屋橋駅と、京阪電鉄本線の起点駅である淀屋橋駅が地下に設置されています。京阪沿線から大阪都心部である梅田や本町・難波方向へ向かうことが出来る大阪市内でも有数のターミナルにもなっています。




淀屋橋から淀川南岸を通って京都・出町柳まで向かう京阪本線の起点駅でもある淀屋橋。京阪特急で約54分で出町柳まで向かうことが出来ますが、近年はJR京都線の新快速の方が優勢なのだそうです。




土佐堀川に架橋されている淀屋橋の上にやってきました。東側を撮影してみると、中之島の高層ビル群を綺麗に撮影することが出来ました。正面に移っている高さ200メートルの高層ビルは、2012年の11月末に開業した「中之島フェスティバルタワー」です。




淀屋橋上から撮影した「日本銀行大阪支店」の建物です。雲一つない快晴の大阪を歩くのは久しぶりだったので、心はずむ散策となりました。



初夏の大阪:新緑眩しい御堂筋を散策する PART7

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御堂筋・淀屋橋上から中之島地区の高層ビル群を撮影してみました。正面に移っているのは朝日新聞大阪本社やフェスティバルホールが入居している「中之島フェスティバルタワー」です。雲一つない初夏の快晴の青空の中にそびえ立っていました。




中之島を縦断している御堂筋の脇に建っているのが「大阪市役所庁舎」です。大阪市長であり、国政政党・日本維新の会の共同代表でもある橋下さんのお仕事場でもあります。市役所の建物周辺の新緑も大変綺麗でした。




御堂筋を挟んで、大阪市役所の真向かいに建っているのは「日本銀行大阪支店」です。明治36年(1903年)にベルギーの国立銀行をモデルに建設された、緑青の色が美しい円屋根をもつレンガと石造りの3階建て本格的洋風建築です。




淀屋橋交差点周辺のビル群を撮影してみました。大阪都心部のオフィス街の中枢にふさわしい雰囲気ですね。今後は御堂筋の高層化が進むことになるので、景観が変わって行くかもしれません。




中之島フェスティバルタワーや関西電力本店ビルなど、中之島地区には高さ200メートルに達する高層ビルが多いのです。現在も中之島フェスティバルタワーの西館建設のための再開発工事が進められています。




中之島の北側を流れている堂島川を、御堂筋は「大江橋」で渡って行きます。自動車や歩行者、自転車等も非常にこの辺りは交通量が多いです。




日本銀行大阪支店の旧館の建物を正面から撮影してみました。江戸時代この地には島原藩大阪内屋敷があり、明治初期には関西財界の指導者五代友厚の別邸があったそうです。




御堂筋・大江橋を撮影してみました。堂島川の北岸に沿って阪神高速道路の高架橋が走っているのが見えます。




大江橋南詰交差点の様子です。交差点の真下には京阪電鉄中之島線のトンネルと大江橋駅が設置されています。2008年に開業した新しい鉄道なので、駅施設も新品状態なのです。




大坂(現・大阪市)が天下の台所と言われた江戸時代は、旧淀川の堂島川や土佐堀川の水運を利用する為に、各藩の蔵屋敷が立ち並び、ここに全国各地の物資が集まる様になっていたのです。




大江橋を渡って梅田と中之島の間に位置する「堂島地区」を散策していきます。堂島界隈はオフィスビル街と商業施設などが混在するエリアとなっています。




「梅新南交差点」前に到着しました。御堂筋はここから緩やかな左カーブを描いてJR大阪駅方向へ伸びていきます。またこの梅新南交差点から「新御堂筋」という名前の幹線道路が分岐しています。




ズームで撮影してみると、御堂筋の終点である阪神前交差点前に建っている「阪急梅田本店・梅田阪急ビル」の高層ビルを撮影することが出来ました。遠くから見ても巨大なビルであることが解ります。




新御堂筋を渡って御堂筋方向へ向かいます。




御堂筋と曽根崎通りが交差している「梅田新道交差点」に到着しました。曽根崎通りは大変交通量が多く、歩道橋で越えることになります。


初夏の大阪:新緑眩しい御堂筋を散策する PART8

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御堂筋と曽根崎通りが交差している「梅田新道交差点」を上から見下ろして撮影しました。この梅田新道交差点は国道1号線と2号線の結節点に当たる場所です。




梅田新道交差点の北西側には梅田の「ダイヤモンド地区」と呼ばれている五角形の区画地区が広がっていて、JR大阪駅前の高層ビル街が形成されています。




梅田新道交差点の北側では、御堂筋はダイヤモンド地区の東端部に沿った北側へ向かって真っすぐ伸びています。御堂筋の終点は、正面に写っている梅田阪急ビル・阪神前交差点までです。




梅田阪急ビルの左側に写っているのは「新阪急ビル」の高層ビルです。市道を挟んで向かいにある大阪神ビル(阪神百貨店)と一体的に再開発される事が決定しています。




御堂筋は阪神前交差点の手前で大きく左へ向かってカーブを描いていきます。




阪神前交差点方向を撮影してみると、JR大阪駅・ノースゲートビルディングや、大阪駅北側のうめきたに建っている高層ビル群「グランフロント大阪」を撮影することが出来ました。




ズーム撮影してみると、JR大阪駅の大屋根もくっきりと撮影することが出来ました。大阪駅まであと約300メートル程です。




御堂筋の終点である阪神前交差点脇に建っているのが「阪急百貨店梅田本店」の高層ビルです。低層階には百貨店が入居していて、高層階はオフィスタワーとなっています。




以前の古い百貨店の建物は2005年8月から始まった解体工事によって解体され、その跡地に新しい百貨店と併設するオフィスタワーが建設されました。そして2012年(平成24年)11月21日に全面開業を迎えることになったのです。




阪急梅田本店と向かい合うように建っているのが「阪神百貨店梅田本店」です。今年の1月に大阪神ビルと南側の新阪急ビルの土地を利用して38階建て(高さ190メートル)の複合ビルに建て替えると正式に発表されました。




阪急梅田本店の建物の脇を通り抜けていきます。これで新緑の御堂筋の散策は終わりです。JR大阪駅周辺は地下道・地下街に人の流れが集中しているためか、地上にはほとんど人通りが見られませんでした。




阪急百貨店梅田本店の建物を撮影してみました。建物全体の延べ床面積は約252000平方メートルであり、商業施設面積は約80000平方メートルと、日本の百貨店の中でも最大級の規模を誇っているのです。




阪急梅田本店の北側には、JRの線路を挟んで阪急電鉄の梅田駅の駅施設が設置されています。阪急梅田駅と直結していて、またJR大阪駅からも徒歩0分以内でアクセスる事が出来ます。




新しく建て替えられた阪急梅田本店は、エンターテインメントや期間限定のマーケットの場ととなる9階〜12階まで4層吹き抜けで壁面に映像アートを発信する大型ビジョンを設置する高さ16メートルの情報発信空間「祝祭広場」や座席数408席の阪急うめだホール、600平方メートルの阪急うめだギャラリー等の非物販施設を多く設けているのが特徴です。




2005年から順次取り壊されていった旧建物の雰囲気を受け継いだデザインの建物となっていて、今後の梅田地区のシンボルとなって行くのでしょう。


初夏の大阪:開店時間後のグランフロント大阪周辺を散策する

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JR大阪駅・大阪ステーションシティの「カリヨン広場」前に戻ってきました。時刻は正午前後になったので、大阪駅周辺も多くの人であふれかえっていました。




カリヨン広場前からJR京都線の線路越しに阪急百貨店梅田本店の巨大な建物を撮影してみました。いつ見てもこの建物の巨大さには圧倒されますね。




営業時間になった後のグランフロント大阪周辺を散策していきます。南館の建物の大きなウェイブを描いている壁面を、見上げて撮影してみました。




JR大阪駅のアトリウム広場から、グランフロント大阪地上2階を縦断している「創造のみち」へと伸びている連絡通路を見上げて撮影しました。正午の時間帯ですと、人の流れが全く途切れないほど混雑していました。




うめきた広場からアトリウム広場まで上ることが出来る大階段を振り返って撮影してみました。まったりとした雰囲気に包まれていました。




グランフロント大阪・南館の建物に沿って散策していきます。うめきた広場の北側には人工的な水面が整備されていて、水路に沿って通路やベンチなどが設置されています。




うめきた広場周辺の通路ですが、JR大阪駅側から梅田スカイビルが建っている新梅田シティ方向へのアクセス経路として利用されている側面もあるようです。




振り返ってうめきた広場サイドに建っている「うめきたシップ」の建物を撮影してみました。




南館の建物の壁面に沿って散策を続けていきます。この通路の人通りはそんなに多くはありませんでした。




廃止された梅田北ヤードの2期工事が完成すれば、この通路周辺は「うめきた地区」のメインストリート的な存在になっていくのでしょう。




振り返ってうめきた広場方向を撮影してみました。背後に移っている巨大なビルはJR大阪三越伊勢丹や伊藤忠商事本社が入居している「JR大阪駅・ノースゲートビルディング」です。




人工水路の水面の上に浮かんでいるうめきたシップを眺めていると、本当に水の上に浮かんでいる船のようにも見えてきましたね。




しばらく眺めていると、まるでローマの大神殿の中を歩いている気持ちになってきました。




南館と北館の間を横断している通り前にやってきました。道路を挟んだ歩道は非常に広い幅が確保されており、路面型のカフェが設置されているのです。




ナレッジキャピタルやインターコンチネンタルホテル大阪等が入居している北館沿いのイチョウ並木道を撮影してみました。はるか先までまっすぐ続いているのが見えました。


初夏の大阪:阪急梅田本店祝祭広場と「のぞみ248号・東京行き」

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阪急百貨店梅田本店の地上9階フロアにある「祝祭広場」にやってきました。2012年(平成24年)11月21日の阪急梅田本店の全面開業によって誕生した屋内広場なのです。




9階から12階までの4層に渡る吹き抜け空間であり、高さ16メートルの広々とした雰囲気の屋内広場となっています。壁面に映像アートを発信する大型ビジョンを設置しており、広場内では常に様々なイベントが実施されているのです。




時刻は午後4時45分、そろそろ夕刻の通勤・通学ラッシュが始まる時間帯となりますが、祝祭広場内はまったりとした雰囲気に包まれていました。




この日の祝祭広場内では5月12日の「母の日」のフェアが実施されていました。しばらく祝祭広場の大階段に座って休憩することにします。




しばらく休憩していると、午後5時になりました。




そろそろ帰りの新幹線に乗車するために、JR大阪駅へ向かうことにします。




阪急百貨店梅田本店からJR大阪駅へと移動し、JR京都線電車に乗ってお隣の新大阪駅まで移動します。




JR新大阪駅の東海道新幹線27番線ホームにやってきました。この27番線ホームは2013年3月に実施されたダイヤ改正から供用されている新しいホームなのです。




新大阪駅を18時10分に発車し、東京駅には20時43分に到着する「のぞみ248号」の普通席を確保してあります。新大阪駅発車の時点でほぼ満席状態となってしまいました。




午後8時43分、のぞみ248号は定刻通りに東京駅15番線ホームに滑り込みました。所用時間は2時間33分でした。




これで初夏の大阪の散策は終わりです。また機会があったら大阪へ出かけてみたいと考えています。

初夏の歌舞伎座:晴海通りから眺める歌舞伎座 PART1

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6月上旬の平日、東京地下鉄日比谷線の築地駅にやってきました。地上出口を出てしばらく南へ向かって歩いていきます。新大橋通りと晴海通りが交差している「築地四丁目交差点」から晴海通りを銀座方向へ向かって散策していきます。




通勤ラッシュが終わった時間帯の築地・晴海通りですが、工事用トラックなどで大渋滞が引き起こされていました。晴海通りは工場地帯である晴海ふ頭や、再開発工事が続いている豊洲地区へ伸びている幹線道路なので、工事用車両の割合が多いのです。




大渋滞を横目に見ながら晴海通りを銀座方向へ向かって散策していきます。進行方向には、これから向かう「歌舞伎座タワー」の高層ビルがそびえ立っていました。




東銀座地区には今まで高層ビルらしい建物が全くなかったので、2013年4月に開業した歌舞伎座タワーは遠くからでも目立ちますね。




低層階に併設されている歌舞伎座の建物と一体感を出すために、歌舞伎座タワーの壁面は「白い漆喰」をイメージしたデザインとなっています。雰囲気が周辺の高層ビルと比較すると、全く違ってみます。




万年橋を渡って首都高速都心環状線の高速道路を越えて行きます。前方に歌舞伎座の建物が見えてきましたが、晴海通りの渋滞が物凄いことになっていました。この調子だと、銀座までつながっているかもしれません…。




歌舞伎座の前にようやく到着しました。築地駅から歩いて約10分ほどで到着することが出来ました。




歌舞伎座の全体像を撮影するために晴海通りを挟んだ対岸側にやってきたのですが、晴海通りの渋滞が激しいのでスッキリした写真を採ることは難しかったです…。




歌舞伎座に併設されている「歌舞伎座タワー」を正面から見上げて撮影してみました。歌舞伎座の2013年4月開業に先立つ、2013年2月に竣工した高層ビルで、高さ137メートル・地上29階建てとなっています。




真正面から歌舞伎座の建物を撮影してみたのですが、やはり交通量がけた違いに多かったので難しかったです。早朝の時間帯だったら綺麗に撮影することが出来るのかもしれないですね。




晴海通りを渡って、歌舞伎座の建物をそばから撮影していこうと思います。開業してから約2カ月は経っているので、少しは混雑も緩和されているかもしれません。




歌舞伎座の正面玄関前にはちょっとした広場が整備されていて、晴海通りの歩道と一体化されています。この広場は待ち合わせ場所としても使えるかもしれません。




とは言っても、やはり見物客の人も姿もまだ目立っていました。




4月の開業後すぐに歌舞伎座を訪れたときには判らなかったのですが、晴海通りの歩道部分の舗装も新調されていました。歌舞伎座の建て替え工事と並行して実施されたのでしょう。




この日の公演は午前10時30分から開くのですが、午前9時半過ぎの段階で待っている人の姿が見られました。


初夏の歌舞伎座:晴海通りから眺める歌舞伎座 PART2

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歌舞伎座の敷地前の歩道から、歌舞伎座タワーを見上げて撮影してみました。高層ビルの壁面の白を基調とするデザインは、歌舞伎座の漆喰壁とうまく合わせているように見えます。




歌舞伎座の敷地の南側(築地側)に沿って伸びている道路を撮影してみました。歌舞伎座の周辺は、雑居ビルや中層マンションなどが建ち並ぶ街並みが広がっています。




建物の南側(築地側)にも晴海通りに面した側と同じく、歩行者用のスペース(歩道部分)が設置されていました。こちら側の歩道は、あまり交通量は多くはなさそうです。




重そうな三州瓦を背負った歌舞伎座の巨大な庇(ひさし)を真横から撮影してみました。周囲を歩いている人々の身体の大きさと比較してみると、その巨大さがよくわかると思います。




歌舞伎座の敷地脇を通っている晴海通りの真下には、東京地下鉄日比谷線の東銀座駅が設置されています。建物の建て替え工事によって、地下鉄出口も新しく造られることになりました。




庇(ひさし)の上に乗っている「三州瓦」をズームで撮影してみました。この日は快晴の天候だったので、太陽の光によって瓦全体が光り輝いているように見えますね。




新しくなった歌舞伎座の建物を正面から見ていきたいと思います。現在の5代目となる歌舞伎座の建物の設計は、建築家の隈研吾氏(隈研吾建築都市設計事務所)と三菱地所設計の協働によるものなのです。




現在の歌舞伎座では、2013年4月から2014年3月までの一年間に渡って「歌舞伎座新会場杮茸落興業」が実施されています。




歌舞伎座と歌舞伎座タワーを併せて「GINZA KABUKIZA」という名称が定められていて、キャッチコピーは「イザ、ギンザ、カブキザ。」なのだそうです。




建て替え前の第四期の歌舞伎座の建物の屋根回りは鉄筋コンクリートでできていたのに対し、新しい歌舞伎座では鉄骨によって屋根の反りなどで以前と同様のラインを出しているのです。




垂木(たるき)は以前はコンクリートで作られていたものを、軽量化のためにアルミで製作しているのだとか。




建物の意匠は、外観・室内ともに第四期の歌舞伎座の特長を生かしつつ、第三期から続く桃山様式を踏襲しています。ダイナミックな玄関の唐破風(からはふ)と左右対称の破風大屋根をもつ姿は、以前とほとんど変わりがないように感じられます。




歌舞伎座の正面玄関前から歌舞伎座タワーを見上げて撮影してみました。歌舞伎座タワーのオフィス階入り口は晴海通りに面した側にはなく、昭和通りに面した側に入口が設置されています。




歌舞伎座の建物の正面に掲げられている「鳳凰丸(ほうおうまる)」を見上げて撮影してみます。原形は法隆寺の宝物「鳳凰円文螺鈿唐櫃」の文様となっています。




歌舞伎座では毎年11月の顔見世興行の際に正面入り口上の破風の上に櫓が上がるのでが、この櫓を囲う布には、正面に定紋の「鳳凰丸」が、側面には「木挽町きやうげんづくし(狂言尽くし)歌舞伎座」の文言がそれぞれ染め抜かれているのです。


初夏の歌舞伎座:晴海通りから眺める歌舞伎座 PART3

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歌舞伎座の建物の背後にそびえ立っている「歌舞伎座タワー」、歌舞伎座に向いている壁面側が白い格子の表情になっています。建築の専門用語で言うと、「捻子連子格子(ねんじれんしこうし)」というのだそうです。夜間には、オフィスから残業時の光が漏れてこない構造になっているのです。




歌舞伎座の建物の壁面に吹き付けられている「白色」は昔ながらの塗装を再現したのではなく、ケイ素の粉を、粉体塗装という技術で吹き付けたもので、とても深みのある優しい白が実現できているのです。




新しい技術が採用された街壁面は、雨が当たると自浄作用によって自ら綺麗になるのだそうです。以前の4代目の歌舞伎座の建物と比較するとそんなに大きな変化は見られないですが、最新技術が駆使されているのですね。




壁面の装飾になっている彫り物にしても、コンクリート造りだった建て替え前の第4期の歌舞伎座の場合は深く彫れなかったのですが、今回は全部において彫りを深くして、前よりも陰影が濃くなっています。




歌舞伎座の公演の会場時間は午前10時30分からとなっています。午前9時過ぎの時間帯の散策だったのですが、既に並んでいる人たちの姿が多く見られました。




新しく建て替えられた歌舞伎座の地下には、地下鉄東銀座駅と直結している地下広場が整備されているのですが、地下広場から歌舞伎座の入場入り口へアプローチすることはできない構造になっています。




なのでエスカレーターやエレベーター等を使って、一度地上1階の晴海通り側の広場の前に出てこなければならないのです。




建て替え前の第4期の歌舞伎座は昭和26年の建設だったので、基本的には現場打ちコンクリート、つまり型枠にコンクリートを流し込む製法でした。第5期の歌舞伎座は、鉄骨に部材を乾式ジョイントで留めるという方法によって建設されているのです。




地下鉄日比谷線東銀座駅と直結している地下広場「木挽町広場」から地上へ上ってくるエスカレーターの脇には、色鮮やかな朱色の鳥居が特徴的な「歌舞伎稲荷大明神」、通称「歌舞伎座のお稲荷さん」が設置されています。




もともとこの「お稲荷さん」は、歌舞伎の大入りや安全を祈願して祀られたもので、昔は木挽町界隈の商人たちもお参りに来ていたのだそうです。




歌舞伎座の敷地の東側(築地側)を伸びている「木挽町通り」から、歌舞伎座タワーを見上げて撮影しました。白格子状の壁面となっている晴海通り側と比較してみると、普通に窓がある高層ビルとなっています。




晴海通り側と、側面側では、高層ビルの壁面のデザインや雰囲気が全く違いますね。




車や歩行者の交通量が半端なく多い晴海通り側と比べて、木挽町通り周辺はそんなに人通りも多くはなく、ひっそりとした雰囲気に包まれていました。




歌舞伎座の敷地の西側(銀座側)の昭和通りに面した歌舞伎座タワーのオフィスエントランス前にやってきました。2層吹き抜けの高さ約7メートルのエントランスが整備されています。




地下鉄東銀座駅へ降りることが出来る階段を下りて地下の「木挽町広場」にやってきました。歌舞伎座の劇場の直下・地下2階に整備されている地下広場であり、全体的に暖色系の照明に包まれていました。





東銀座駅改札口と直結している地下広場内には売店や食事処、歌舞伎座関連のお土産屋さんやコンビニエンスストアなどが入居しています。これからエレベーターに乗って、屋上庭園へ向かいます。



初夏の歌舞伎座:新緑の「歌舞伎座・屋上庭園」を散策する PART1

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歌舞伎座地下2階の木挽町広場のあるフロアからエレベーターに乗って、地上5階(歌舞伎座の建物の屋上)にある「屋上庭園」へ向かいます。エレベーターを降りて後述する歌舞伎座ギャラリーへ伸びている通路を歩いていきます。




エレベーターホールから歌舞伎座ギャラリーへの連絡通路の壁面はガラス張りになっていて、ガラス越しに歌舞伎座の建物の瓦屋根を見下ろしながら見学することが出来ます。




屋上庭園のある5階フロアから4階フロアへ降りることが出来る「五右衛門階段」が設置されています。手すりが真っ赤に染められている五右衛門階段から歌舞伎座の瓦屋根を間近で眺めることが出来ますので、後で歩いてみましょう。




「屋上庭園」と名付けられてはいますが、周囲は東銀座地区のオフィスビルや雑居ビルなどに囲まれており、展望については期待は出来なかったです。なので、純粋に歌舞伎座の建物の魅力を堪能することにします。




この日は雲一つない快晴の青空の天候だったので、真新しい三州瓦で構成された瓦屋根は光り輝いているのが見えました。




5階フロアには歌舞伎座関連の展示物を見学することが出来る「歌舞伎座ギャラリー」が設置されていて、見学者の人たちは歌舞伎座ギャラリーを見学した後に、屋上庭園を散策しているようでした。




4階フロアへ降りることが出来る五右衛門階段を見下ろして撮影しました。




4月24日(水)〜6月30日(日)までの期間、歌舞伎座ギャラリーのオープニング企画展である「歌舞伎の美 春」が開催されています。大人1人500円で入場することが出来ます。




歌舞伎座の建物の屋上に整備されている「屋上庭園」を散策していきます。近年の東京の都市再開発では、ヒートアイランド現象対策として高層ビルの屋上や地上部を緑化する試みが実施されていて、歌舞伎座の建て替え工事でも屋上緑化がなされることになったのです。




屋上庭園内には歌舞伎座関連の様々な展示物が設置されているので、詳しく見ていきたいと思います。




ゴールデンウイークの期間中に一度この屋上庭園を訪れたことがありますが、その時はまだ芝生広場や植えられている木々もまだ枯れ木状態に近かったのですが、ようやく新緑に囲まれた屋上庭園へと変わることが出来ました。




やはり庭園内を歩いていても、歌舞伎座の周囲のオフィスビル群に囲まれているのがよくわかります。




正面左側に写っているのは歌舞伎の始祖といわれる出雲の阿国にあやかり、「阿国桜」と名付けられたしだれ桜です。歌舞伎座が開業した直後の4月上旬に来ていれば、桜の花を眺めることが出来たかもしれません。




屋上庭園の配置としては、庭園の中央に芝生広場が作られていて、その周囲を散策道が一周できるように整備されています。そして散策道に沿って様々な木々が植えられています。




歌舞伎座・屋上庭園の面積は約400平方メートルと、コンパクトな空間の中ですっきりとまとめられています。庭園脇の屋内にはカフェがあり、飲食しながら屋上庭園を眺めることが出来るそうです。


初夏の歌舞伎座:新緑の「歌舞伎座・屋上庭園」を散策する PART2

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歌舞伎座・屋上庭園の散策を続けていきます。6月の初旬に訪れたので、庭園内の芝生や植えられている木々などは綺麗な新緑に覆われていました。




歌舞伎座の建物よりも高さのあるオフィスビルや高層ビルに周囲を囲まれているので、ビル街の中に整備されている小ぶりな緑化公園の雰囲気がとても強かったです。




歌舞伎座の屋上庭園は、歌舞伎座ギャラリーの営業時間である午前10時から午後7時までの時間帯の中で無料で散策することが出来ます。午前10時に散策したのですが、訪れる人の数は結構多かったです。




やはり、屋上庭園に隣接している「歌舞伎座ギャラリー」を見学した後に庭園を散策するパターンが多いと思います。この日に歌舞伎座を訪れていた団体客の皆さんもそうされていたようです。




歌舞伎座・屋上庭園の北側には歌舞伎座タワーの高層ビルの壁面がそびえ立つように建っています。とは言っても高層ビルのガラス窓が全く目立たないデザインになっているので、圧迫感はまったく感じませんでした。




夜間の時間帯になると、オフィス階の照明の光が一切外に漏れてこない構造になっているらしいのですが、一体どのような技術を使っているのか気になりますね。




屋上庭園の晴海通り側の一角には「先人の碑」という名前の石碑が設置されています。今年の4月2日には屋上庭園で「先人の碑」の修祓式が行なわれましたそうです。「先人の碑」は、明治22年(1889年)にこの地で開場した歌舞伎座で、今まで興行に係ってこられた先人たちの偉大な功績を永遠に讃えるために、新に建立された記念碑となっています。




先人の碑の両脇には、古びた瓦屋根が置かれていました。おそらく建て替え前の4代目の歌舞伎座の建物の屋根に設置されていた瓦屋根なのではないでしょうか。




写真で見た感じでは分かりにくいかもしれませんが、実際には高さが約1メートルくらいはある石碑なのです。石碑の周囲には照明設備が設置されているので、夜間になるとライトアップが施されます。




「先人の碑」の石碑の後ろ側には人丈位の高さのある垣根が整備されていて、この垣根から先はもう空中になっています。身を張りだせば、晴海通りや歌舞伎座の正面広場を見下ろすことが出来るかもしれません(もちろん危ないので禁止です)。




広場の中央、散策道が取り囲むように設置されている芝生ですが、見た感じではまだ「養生中」なので入らない方がいいと考えていたのですが、周囲の皆さんは普通に芝生の中を歩いていたので少し迷ってしまいました。




屋上庭園に隣接しているガラス張りの通路の奥に「歌舞伎座ギャラリー」の展示室があります。6月いっぱいで春季の企画展は終わり、7月13日(土)〜9月1日(日)の期間で「夏季企画展」が始まります。




散策道の周囲には様々な植栽が植えられており、花壇なども整備されていました。本物の日本庭園を歩いている感覚にとらわれますね。




秋口の季節になると、一体どのような風景になるのか今から気になるところです。実は屋上庭園を散策する前に、「歌舞伎座ギャラリー」を見学してきました。展示室内は撮影禁止だったので写真は無しですが、見ていてすごく楽しかったです。




「阿国桜」と名付けられた枝垂れ桜をそばから撮影してみました。枝垂れ桜のすぐ脇には「阿国桜」と書かれた立て札が設置されていました。


初夏の歌舞伎座:屋上庭園から五右衛門階段を通り抜けて四階回廊へ PART1

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歌舞伎座の建物の屋上に設置されている屋上庭園、振り返ると背後には「歌舞伎座タワー」の高さ147メートルの巨大な高層ビルがそびえ立っています。ですが、実際に庭園内を歩いていても圧迫感はまったく感じませんでした。




庭園内の歌舞伎座ギャラリー寄りの一角には「黙阿弥の石燈籠と蹲踞(つくばい)」のスペースが設置されています。正面側に回り込んでみましょう。




5階エレベーターホールと、歌舞伎座ギャラリーや屋上庭園入り口をつなぐガラス張りの通路に沿って、庇付きのスペースが設置されていました。ここにベンチ等を設置すると、便利かもしれないですね。




歌舞伎狂言作者として活躍した河竹黙阿弥ゆかりの石の灯篭や蹲踞も飾られています。河竹黙阿弥が晩年を過ごした家の庭に置かれていた石灯籠や蹲踞なのだそうです。




屋上庭園から「五右衛門階段」を通り抜けて、4階フロアの四階回廊へ向かいます。4階フロアから下り専用エレベーターに乗るのが順路として設定されているのです。




五右衛門階段周辺からは、歌舞伎座の建物の屋根瓦を間近に眺めることが出来ます。目の前にある瓦屋根は、晴海通り側から見ると、正面左手の瓦屋根ということになります。




歌舞伎座の屋根をすぐそばから眺めることが出来ることなど、今までなかった事ですから周囲の見学者の皆さんも驚かれていていました。この日は快晴の青空だったので、瓦屋根全体が太陽の光によって光り輝いていました。




歌舞伎座の屋根瓦に採用されているのは「三州瓦」という名前の瓦です。愛知県西三河地方などで生産されている粘土瓦であり、石州瓦、淡路瓦と並ぶ日本三大瓦の一つとなっています。




5階・屋上庭園から四階回廊まで伸びている「五右衛門階段」、当初は何の変哲もない階段として造られる予定だったそうですが、歌舞伎座のシンボルである色鮮やかな赤色に塗られ、五右衛門階段という名前が付けられたそうです。




新しく建て替えられた歌舞伎座の建物に使われている三州瓦は約10万枚に達します。2011年の9月から瓦の生産が始まりましたが、すべて焼き上げるのに2012年の秋ごろまで掛かったそうです(開業は2013年の4月)。




三州瓦の「三州」とは愛知県西三河地方を指しており、歌舞伎座の屋根瓦は愛知県高浜市で生産されました。1700年頃(江戸時代中期)から、良質な三河粘土と、船便搬送に恵まれた三州で瓦産業が発達して現在に至ります。100年以上持つといわれる三州瓦は吸水率が低く、凍害にも強いのが最大の特徴なのだそうです。




実際の工程によると、型抜きや紋様にはプレスの機械を使いますが、曲げて、くっつけて、形を整える、それは一つ一つの手作業によって製造されています。




太陽の光に照らされて、瓦屋根全体が光り輝いているので、しばらく見とれてしまいました。周囲がオフィスビルや雑居ビルに囲まれているので、屋根瓦の優美さや美しさが引き立つのかもしれないですね。




当初は屋上庭園から4階回廊をつなぐ避難階段として設置されるはずだったこの階段ですが、三菱地所設計と共同設計した建築家・隈研吾氏によって、屋根瓦を眺めるための階段として活用されることになったのだとか。




隈研吾氏によると、「モダニズム(近代)建築には、赤や金は悪趣味だから避け、屋根も載せてはいけないという倫理観がある」らしいですが、この歌舞伎座の設計では赤色をふんだんに取り込んでいるそうです。


初夏の歌舞伎座:屋上庭園から五右衛門階段を通り抜けて四階回廊へ PART2

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5階・屋上庭園から四階回廊へ降りることが出来る「五右衛門階段」から、歌舞伎座の建物の瓦屋根を撮影してみました。五右衛門階段の手すりは、歌舞伎座のシンボルでもある色鮮やかな赤色に塗られています。




三州瓦を積み上げて構成されている瓦屋根を真横から撮影してみました。こうしてみると、ものすごく複雑な造りになっているのが解ります。




瓦屋根全体の緩やかなラインを作るために1枚1枚すべての形が違うのだそうです。屋根のラインも直線ではなく、確かに緩やかなウェイブを描いていますね。




歌舞伎座の瓦屋根を眺める際は、天気がいい快晴の日を選んだほうがいいかもしれません。太陽の位置によって、光のあたる部分と影の部分との陰影がものすごく綺麗でした。




五右衛門階段を下から見上げて撮影してみました。瓦屋根と手すりが真っ赤に染められている五右衛門階段との対比が素晴らしいと思いました。




歌舞伎座のシンボルマークとして有名な「鳳凰丸」、歌舞伎座の屋根瓦にも刻まれているのです。




ズームで撮影してみると、鳳凰丸が一列に並んでいるのが見えました。この後は五右衛門階段を下りて「四階回廊」へ向かうことにします。




4階フロアには「一幕見席」と、「四回回廊〜想い出の歌舞伎座〜」の展示エリアが設置されています。このフロアの床も、歌舞伎座のシンボルである色鮮やかな赤色の絨毯が敷いてありました。




四階回廊には第一期から第四期までの歌舞伎座の建物模型が設置してあります。明治時代初期の演劇改良運動の提唱者の一人でジャーナリストの福地源一郎と金融業者の千葉勝五郎の共同経営で、1889年(明治22年)に東京市京橋区木挽町に第一期の歌舞伎座が開設されました。




1911年(明治44年)に開場した帝国劇場に対抗するため劇場の改修工事を行い、これが第二期の歌舞伎座となります。1921年(大正10年)に漏電により歌舞伎座は焼失し、直ちに再建工事始まりますが工事中に関東大震災が発生して工事はしばらく中断することになります。




1925年(大正14年)に工事は竣工し、新築の大劇場で開場式が行われました。舞台も約15間とさらに広がり、豪華な施設は関東大震災から復興した東京の新名所となりました。これが第三期の歌舞伎座です。しかし1945年(昭和20年)の東京大空襲で破壊されてしまうことになります。




戦後しばらく、歌舞伎座は廃墟の姿をさらしていたのですが、1949年(昭和24年)に株式会社歌舞伎座が設立され、松竹から建物を譲り受けて復興工事を行いました(土地所有及び歌舞伎興行は松竹が行う)。




第四期の歌舞伎座は1950年(昭和25年)に竣工し、翌1952年(昭和26年)1から歌舞伎などの演劇興行を再開しました。その後歌舞伎座も老朽化が目立つようになり、また耐震性の問題や段差解消の必要性なども指摘されるようになっていきます。2010年4月30日に閉鎖され、建て替えの再開発工事が始まることになるのです。




歌舞伎座の見学を終え、晴海通りをJR有楽町駅方向へ歩いていきます。しばらく歩くと和光銀座の時計台がシンボルである「銀座四丁目交差点」が見えてきました。




平日午前10時半過ぎの時間帯の銀座四丁目交差点です。銀座界隈の百貨店や専門店などの開店時間となり、段々人通りが多くなってきました。これで初夏の歌舞伎座の散策は終わりです。


初夏の東京駅:初夏の季節の「JPタワー・KITTE(キッテ)」 PART1

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6月中旬の平日、再開発工事によって建て替え工事が行われた東京中央郵便局の複合施設、「JPタワー・キッテ」を散策してきました。東京駅と有楽町駅の間のJRの高架橋前から撮影した高さ200メートルの高層ビルであるJPタワーです。




東京中央郵便局や商業施設である「キッテ」が入居している低層棟の建物を背後側から撮影してみました。建て替え前の東京中央郵便局の建物を忠実に再現した丸の内駅前広場側と比較すると、高層オフィス棟の壁面と同じく「フルハイト窓」構造となっています。




低層棟の建物の南側(三菱電機本社ビル側)には、中規模の広場が整備されています。広場内には木々が植えられ、ベンチなどが設置されています。




広場内から東京中央郵便局の建物を模して建設された低層棟の白レンガ製の壁面などを見学することが出来ます。東京駅丸の内駅前広場側へ回り込んでみましょう。




東京中央郵便局は東京駅・丸の内駅前広場に面した超一等地にある郵便局で、2007年10月の郵政民営化直前の分類では集配普通郵便局の機能を有していました。




2005年の小泉内閣による聖域なき構造改革の本丸である「郵政民営化」によって、郵便局の組織の形態や仕組みがここ10年程で激変することになったのは記憶に新しいところです。




東京駅丸の内駅前広場前にあるJPタワー・キッテのメインエントランスへ向かって散策していきます。目の前には2012年10月に復原工事が完了した東京駅丸の内駅舎の赤レンガ駅舎が建っていました。




丸の内駅前広場側に面した壁面側を散策していきます。実際に建物の周辺を歩いてみると、低層棟の建物の巨大さに圧倒されてしまいました。




東京駅丸の内駅前広場に面して建っていた今までのビル(旧国鉄本社ビル・新丸の内ビル・丸の内ビル・東京中央郵便局)は東京中央郵便局を除いて建て替えによる高層化が完了していたのですが、JPタワーの完成によって、4頭全てが高層化を果たすことになりました。




JPタワー・低層棟の建物の壁面に採用されている真っ白なレンガ壁を見上げて撮影してみました。建て替え前の東京中央郵便局も、竣工時(昭和6年)は真っ白なレンガ壁だったそうですが、経年によって黒ずんできてしまっていました。




低層階の商業施設「キッテ」のメインエントランス前に到着しました。東京中央郵便局やゆうちょ銀行本店の入り口は別にも設置されていますが、キッテ側からでも入店することが出来るようになっています。




メインエントランスの天井部分周辺に「キッテ」の表示板が設置されています。今年の3月21日の開業後しばらくはものすごい混雑が続いていましたが、現在はどうなっているのか、早速入って見ることにします。




丸の内駅前広場側のメインエントランスを通り抜けた先にあるのが地上1階フロアの「アトリウム」です。時間帯は平日の午前11時過ぎだったのですが、多くの人たちで賑わっていました。




キッテの吹き抜け空間である「アトリウム」は地上6階フロアまでの高さが確保されていて、天井窓から吹き抜け空間全体に太陽の光が降り注ぐ構造になっているのです。




アトリウムの中央では、何かイベントの準備が進められていました。舞台の他に客席や照明など、何か映画かテレビドラマの制作発表会のイベントなのでしょうか。


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