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初夏の東京駅:初夏の季節の「JPタワー・KITTE(キッテ)」 PART2

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キッテ1階・アトリウムの全景を撮影してみました。広場の中央では、映画か何かの制作発表会の準備作業が進められているようでした。




アトリウムの吹き抜け空間には、天井から「KITTE SHOKA」と書かれたボードが吊り下げられていました。「キッテ初夏」なのでしょうか?




キッテの1階フロアにはフルーツパーラーや喫茶店、レストランなどの飲食店が軒を連ねています。キッテの中で一番人通りが多く賑わっているのが、1階フロアです。




本格的な照明設備や観覧用の客席など、本格的な制作発表会を行うみたいですね。まだタレントさん達の姿を見かけることはできませんでした。




どうやらNHKの連続ドラマの制作発表会のイベントみたいでした。イベント準備のために働いている人たちも華やかな雰囲気なのがいいですね。




上層階行きのエスカレーターに乗って、2階フロアへ移動します。キッテの商業施設は、各フロアの天井が一般のビルよりもものすごく高いので、体感的には3階フロアにいる感覚に囚われます。




アトリウム全体を上から見下ろして撮影することが出来ます。連続テレビドラマの制作発表会のイベント会場の様子も手に取るように分かります。




2階から上層階フロアは、回廊状になっている歩行者用通路を取り囲むように様々なショップが並んでいる構造になっています。




歩行者用通路の東京駅寄りには、往年の東京中央郵便局を連想させるようなデザインの支柱が設置されていました。高層化によって東京駅周辺からは戦前の時代に建てられたオフィスビルが姿を消しつつありますが、こうして残す動きも出ているのです。




東京中央郵便局の旧局舎が竣工したのは、今から遡ること80年余り前の1931年のことです。英国ヴィクトリア朝の様式を取り込んで建てられた東京駅丸の内駅舎を目の前に、白亜でシンプルな線をもつ優美な建物が誕生しました。




設計したのは、モダニズムを日本に最初に紹介した逓信省技師の吉田鐵郎氏です。当時は珍しかったという真っ白いタイル壁の建築は、駅前広場からもよく目立つものでした。




今回の建て替え・高層化に伴う再開発工事によって日本郵便初の大型商業施設KITTE(キッテ)がJPタワー内にオープンしたわけですが、商業施設の内部デザインを手がけたのは隈研吾氏です。




キッテと同時期に開業した歌舞伎座も隈研吾氏の設計によるものですが、キッテと歌舞伎座では建物自体の設計理念も何もかもが反対方向を向いていますが、同じ設計者なのだから共通点があるのかもしれませんね(素人で感性もない私にはわかりませんが)。




三菱電機本社ビル寄りの個所から丸の内駅前広場方向を向いて撮影してみました。1階フロアと、それより上の上層階フロアとの天井の高さの違いがよくわかります。




東京駅丸の内駅前広場寄りのメインエントランスをズームで撮影してみました。地下フロアにも東京駅地下改札口周辺の地下道からアプローチできる入口が設置されています。




「キッテ初夏」の大きな垂れ幕を真正面から撮影してみました。キッテの開業時は日本画家の千住博氏が福島県の三春滝桜という紅枝垂桜を下絵として描き、拡大された垂れ幕が設置されていました。



初夏の日比谷公園:濃い新緑に覆われている日比谷公園の散策 PART1

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6月下旬の平日、JR新橋駅前から内幸町方向へ向かってしばらく歩くと、「日比谷公園」の広大な敷地が見えてきました。これから初夏の季節の日比谷公園内を散策していきます。




日比谷通り・内幸町(うちさいわいちょう)交差点前から撮影した日比谷公園の緑地帯です。公園の敷地全体が濃い新緑にすっぽりと覆われています。




霞が関の中央省庁街寄りにある「西幸門(にしさいわいもん)」から公園内を散策していきます。門の脇には「かもめの広場」という名前の広場と、噴水が設置されていました。




時刻はちょうど正午過ぎの時間帯だったため、広場周辺には内幸町のオフィス街や、霞が関の中央官庁街に勤めているビジネスマンや官僚の人たちが休憩したりしていました。




しばらく噴水を眺めていると、勢いよく水が噴き上がってきました。




噴水の中央には、東京都の鳥である「ゆりかもめ」を模した銅像が設置されています。1984年(昭和59年)までこの噴水広場の敷地は、東京地方裁判所分室があった場所なのです。




噴水広場の背後には全国都道府県の木を記念に植樹してある「郷土の森」が広がっています。噴水の周辺には花壇が整備されていて、綺麗な花が咲いていました。




雲形池を観に行こうと、日比谷公園内の散策道を歩いていきます。散策道は自動車がすれ違えるくらいの道幅があり、ゆったりとした造りになっています。実際に、たまに作業用のトラックなどが低速で走ってきたりします。




散策道周辺は鬱蒼とした濃い緑に覆われていました。この日は非常に強い陽の光が照りつけてきていたのですが、散策道全体が木陰になっていたので歩きやすかったです。




日比谷公園の敷地の西側は、霞が関の合同庁舎の高層ビル群が広がっています。公園内の木々の切れ目等から建物群を眺めることが出来ます。




広大な芝生広場や噴水、花壇などのイメージが強い日比谷公園ですが、鬱蒼とした自然林のような風景も楽しむことが出来ますし、自然林の面積が大部分を占めているのです。




しばらく緑に囲まれている散策道を歩いていると、前方に「雲形池」の水面が見えてきました。池周辺には人影は見当たらないですね…。




雲形池に沿って、散策道が整備されています。池周辺にはアジサイが植えられているのですが、6月下旬の散策だったので終わってしまっていました。




雲型池は11月中旬ごろになるともみじの紅葉が物凄く綺麗な場所ですが、今の季節だともみじの色鮮やかな新緑を眺めることが出来ます。




池の湖畔には松の木も多く植えられていて、日本庭園の雰囲気も味わうことが出来ます。雲形池の中に設置されている鶴の噴水を観て行きます。


初夏の日比谷公園:濃い新緑に覆われている日比谷公園の散策 PART2

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鬱蒼とした濃い新緑に覆われている日比谷公園・雲形池を撮影しました。梅雨期では大変珍しい、カラッとした快晴の青空の中を散策することが出来ましたが、正午過ぎになって気温が上がってきました。




雲形池の水面に設置されている「鶴の噴水」をズームで撮影しました。真冬の時期なると、この鶴の噴水周辺は寒さによって凍りついてしまうのだそうです。




「鶴の噴水」は1905年(明治38年)に東京美術学校(現在の東京芸術大学)の津田信夫、岡崎雪声両氏に制作を依頼し、設置されたものなのだそうです。




雲形池の東側(有楽町駅側)には立派な藤棚が整備されていて、藤棚の真下にはベンチが一列に配置されています。ビジネスマンの人たちがベンチに腰掛けて雲形池を眺めながら休憩していました。




ベンチ脇から雲形池を撮影してみると、緑地帯の新緑の背後には霞が関の中央省庁街の合同庁舎の高層ビル群が見えました。国会議事堂にも近い場所にあることから、政治的な市民運動が公園内で開催されることも多いです。




日比谷公園内や周辺を歩いていると、必ずのように政治的なデモやシュプレヒコールなどを目撃します。近年では脱原発デモを頻繁に見るようになりました。




雲形池周辺にはカエデやもみじの木々が多く植えられているので、晩秋の季節になると紅葉を楽しむことが出来ます。ですが、カエデやもみじの新緑も大変綺麗だと思いました。




雲形池の設計コンセプトは「ドイツ風庭園洋式の池」なのだそうですが、池の周囲には松の木々が植えられているなど、回遊式日本庭園の雰囲気の方が強いですね。




水面をよく見てみると、雲形池周辺に植えられている木々や霞が関の省庁街の建物群、綺麗な青空が写り込んでいました。東京都心部の中枢にある日比谷公園ですが、ひっそりとした雰囲気に包まれていました。




池の北側に立つと、鶴の噴水の姿は見えなくなってしまいました。真冬の時期、枯れ木に囲まれていた時に訪れた時は見えたのですが…。




池の周囲に植えられているカエデの木々の枝が散策道周辺まで垂れ下がり、日影となっています。そのため気温が上がっている中でも意外と涼しさを感じることが出来ました。




雲形池前から散策道を歩き、日比谷公園の敷地内で営業している「日比谷松本楼」の西洋レストランの建物を目指して散策していきます。




鬱蒼としている濃い新緑の中をしばらく歩いていると、緑の中からレトロモダンチックな建物が見えてきました。これが1903年(明治36年)の日比谷公園の開園時からこの場所で営業を続けている「日比谷松本楼」です。




レストランの建物の脇には「首かけイチョウ」と呼ばれている大イチョウの大木が植えられています。推定樹齢約350年・樹高21,5メートルを誇る圧倒的な存在感を誇るイチョウの木なのです。




首かけイチョウの大木も綺麗な新緑に覆われていて、太陽の光がほとんど散策道に降り注いでこない状態でした。散策道周辺はひんやりとしていて、夕方のような雰囲気です。


初夏の日比谷公園:新緑の首かけイチョウ、日比谷松本楼とにれのき広場

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鬱蒼とした新緑の中に建てられている西洋レストラン「日比谷松本楼」の建物を撮影してみました。建物の脇には日比谷公園解説以前に現在の日比谷交差点周辺に植えられていた「首かけイチョウ」の大木が立っています。1901年(明治34年)の道路拡張時に日比谷公園内に移設されました。




首かけイチョウ・日比谷松本楼周辺は、濃い緑に覆われた散策道が伸びています。時間帯は午後1時過ぎですが、ひっそりとした雰囲気に包まれていました。




日比谷松本楼の歴史ですが、1903年(明治36年)に東京市が現在の日比谷公園を開園するにあたり、銀座で食堂を経営していた 小坂梅吉が落札し、日比谷松本楼として同年6月にオープンしました。




日比谷公園そのものは、江戸時代に大藩の上屋敷が置かれていた時代を経て、明治維新を迎えると全ての上屋敷が撤去されて更地となっていました。その更地は長い間「日比谷ヶ原」と呼ばれていたそうです。その後は陸軍野演習場として利用され、日比谷練兵場と名付けられました。




官庁集中計画においては日比谷ヶ原にも官庁の建設が予定されたのですが、元々入江だったため地盤が悪く、大掛かりな建物の建設には不向きと判断されます。明治26年(1893年)に東京市が軍から払下げを受け、告示第六号により跡地は正式に日比谷公園と命名されました。




日比谷交差点前で伐採されようとしたのを日比谷公園の設計者であった本多静六(ほんだせいろく)博士が、「私の首を賭けても移植を」と東京市参事会議長の星亨(ほしとおる)氏に懇請し、イチョウを今の場所まで450メートル移動させたそうです。このエピソードがあったことから「首かけイチョウ」と呼ばれることになったのだとか。




国会議事堂にもほど近く、霞が関の中央省庁街に隣接している日比谷公園。日露戦争後の日比谷焼打事件など、度々政治活動の舞台となっていたこともあり、松本楼のバルコニーから憲政擁護の演説が行われたこともありました。




1923年の関東大震災により焼失しますが、すぐに再建されます。1942年に東京に空襲が始まると日比谷公園が軍の陣地となり、1945年2月、遂に松本楼が海軍省の将校宿舎となり、終戦後にはGHQ宿舎として接収され、約7年に渡り営業できない日々が続きました。1951年11月にようやく接収が解かれ、松本楼は再スタートを切ることになります。




首かけイチョウ・日比谷松本楼前から先へ進み、大噴水や第二花壇の南側に広がっている「にれのき広場」へ向かいます。広場内には、その名の通り「楡の木」が数多く植えられていました。




にれのき広場の北側には広大な「第二花壇」が広がっていて、花壇周辺ではビジネスマンの人たちがベンチに腰掛けて休憩していました。世間一般的な日比谷公園のイメージを象徴する風景を眺めることが出来ます。




広大な第二花壇や周囲の木々越しには、日比谷・内幸町エリアの高層ビル群を眺めることが出来ます。天気が良かったので、高層ビル群の輪郭もくっきりと撮影することが出来ました。




正面には日本の「ホテル御三家」の一つである「帝国ホテル」が建っています。1890年(明治23年)に落成した歴史あるホテルで、隣接して建っていた鹿鳴館と密接な関連を持ったホテルとして、渋沢栄一と大倉喜八郎の投資によって建設されました。




にれのき広場内から第二花壇方向を撮影しました。第二花壇周辺では1年ほど前に再整備工事が実施されて、ソーラー時計周辺も新調されています。




テレビや雑誌などで日比谷公園を紹介する際は、この第二花壇や奥に見える噴水広場や大噴水が映像や写真として全国的に有名になっていますね。




第二花壇の中に設置されているソーラー時計です。十字形のパネルの中には太陽電池が組み込まれており、太陽の光を受けて電気に変え、時計の針を動貸す仕組みです。昭和58年(1983年)に東京都による「文化のデザイン事業」の一環として採用されました。


初夏の日比谷公園:新緑の第二花壇と心字池周辺を散策する PART1

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ソーラー稼働の時計台前から日比谷公園の「第二花壇・噴水広場」方向を撮影してみました。この日は梅雨時でありながら、北風が吹いていてカラッとした天候の中を散策することが出来ました。




日比谷公園の敷地内の北側(皇居前広場寄り)にはバラ園などが整備されている「第一花壇」があり、こちら内幸町寄りに広がっているのがチューリップなどが植えられている「第二花壇」となっています。




第二花壇の広大な芝生広場の北側には「大噴水広場」が隣接していて、ズームで撮影すると日比谷公園の象徴的存在である大噴水を撮影することが出来ます。これから大噴水広場へ向かって散策していきます。




第一花壇越しに丸の内地区の高層ビル群を撮影してみました。美しい日比谷公園の新緑と、高層ビル群の背景も東京らしい風景だと思いました。




広大な芝生広場を取り巻くように、花壇が整備されています。チューリップだけでなく、バラなども植えられていますね。




花壇の周辺には散策道やベンチなどが整備されていて、日比谷公園周辺で働いているビジネスマンや官僚、遠足に来ている子供たちなどが休憩していました。




梅雨時にもかかわらず、真冬のように空気が澄み渡っているので綺麗な青空の中で散策することが出来ました。遠くに見える丸の内の高層ビル群も、建物の輪郭線がくっきりと見えていました。




日比谷公園の東側、内幸町・日比谷地区に立っている高層ビル群を撮影してみました。正面に写っているのは「帝国ホテル本館」、右側のミラービルは「NBF日比谷ビル」です。




広大な芝生広場が広がっている第二花壇ですが、芝生広場内は基本的に立ち入り禁止となっています。芝生広場内は綺麗に手入れに行き届いているように見えました。




第二花壇や大噴水広場の周囲も鬱蒼とした濃い新緑の木々に覆われています。それらの木々が、まるで緑の壁のようになっているように見えました。




日比谷公園の北側、日比谷交差点前に立っている第一生命館や、ザ・ペニンシュラ東京などの高層ビル群も綺麗に撮影することが出来ました。




水を吹き上げている最中の大噴水と広場、その背後の丸の内地区の高層ビル群を撮影してみました。丸の内地区がここ10年程の間で高層化が進み、日比谷公園から眺める景観も激変して来ています。




前面ガラス張りのNBF日比谷ビルの南側に建っているのが「みずほ銀行本店ビル」です。その後ろ側には「東京電力株式会社本店ビル」の通信アンテナも見えます。




日比谷公園と、JRの線路群に挟まれている一角は長年オフィスビル街として発展してきましたが、近年では取り壊しによる再開発工事が行われています。10年後には日比谷公園の東側も高層化が進むのではないでしょうか。




第二花壇の芝生広場の北側に広がっている大噴水広場前に到着しました。日比谷公園の敷地の日比谷側の入り口である「日比谷門」にほど近い場所なので、人通りが多かったです。


初夏の日比谷公園:新緑の第二花壇と心字池周辺を散策する PART2

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日比谷公園のシンボルである「大噴水」を撮影してみました。大噴水の周囲は円形の広場となっていて、多くの人たちが休憩したりしていました。この大噴水は毎日、午前8時から午後9時まで稼働していて、夜間はライトアップが施されるのです。




噴水池は上中下段の三段構造となっていて、28分間周期で24ものバリエーションの噴水を楽しむことが可能です。池の直径は30メートル、主噴水の吹き上げ高さは12メートルです。




大噴水の脇から振り返って「第二花壇」の芝生広場を撮影しました。芝生広場を取り囲むように、新緑の鬱蒼とした木々が壁のように植えられています。




大噴水広場前から日比谷交差点方向へ向かってしばらく歩くと「心字池」が見えてきました。以前に日比谷公園を訪れたのは今年の真冬の時期だったのですが、その時とは雰囲気が一変していました。




心字池周辺は鬱蒼とした新緑の濃い緑に覆われていて、池の水面がほとんど見えないくらいになっていました。真冬の時期に散策した時は枯れ木状態だったので、池の水面を見渡すことが出来たのですが…。




心字池の南端部には柳の木が植えられていて、真冬の時期は枯れ木柳となっていたのですが、現在では濃い新緑に覆われているのを眺めることが出来ます。




池周辺も背丈の高い草木に覆われていて、まるで初夏の時期の上高地(長野県)の湿地帯の中を歩いている感覚を思い出してしまいました。




心字池のすぐ脇には交通量が多い日比谷通り(片側4車線・合計8車線)の幹線道路が走っているのですが、車の走る音が全く聞こえなくて、ひっそりとした雰囲気に包まれていました。




日比谷公園の出来る以前のこの場所は、江戸時代以前は「日比谷入江」と呼ばれている湾状の入り江と湿地帯でした。徳川家康によって行われた江戸時代初期の土木工事によって、日比谷入江は大量の土砂で埋め立てられて人工の台地が作られました。




現在の皇居(江戸城)の内濠から外濠の数寄屋橋付近へ伸びる濠がこの場所を通っていたのですが、明治時代初期に日比谷公園の造営計画が作られた際、その濠の水面を利用して日本庭園を造る事が決定します。




池全体を上から見ると「心」の字をくずした形をしていることから「心字池(しんじいけ)」と名付けられました。禅宗の影響を受けた鎌倉・室町時代の庭に見られる日本庭園の伝統的な手法の一つに数えられています。




心字池の水面の東側(有楽町駅側)には、江戸時代に水路だった時代から存在していた石垣が設置されているのが見えます。濠の水面を利用して日本庭園を造る際、石垣はそのまま利用することになったわけですね。




ある意味、江戸時代から現在まで残っている「遺構」でもあるわけですから、貴重な文化財として扱われてもおかしくはないと思います。




心字池を取り囲んでいる鬱蒼とした新緑の切れ間からは、丸の内地区の高層ビル群を眺めることが出来ます。100尺規制(約31メートル)時代の昭和のビル群と、高さ150〜200メートル前後の高層ビル群が並んでいる風景を眺めることが出来ます。




心字池の周辺にも散策道やベンチなどが設置されています。第二花壇や大噴水広場と比較すると、人通りはあまり多くはありませんでした。


初夏の日比谷公園:新緑の第二花壇と心字池周辺を散策する PART3

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濃い新緑の木々や草木に覆われている日比谷公園・心字池の水面を撮影してみました。江戸時代の水路濠の遺構として残されている古い石垣周辺も鬱蒼とした緑に覆われていました。




心字池の周囲に整備されている散策道にはベンチが設置されていて、皆さん心字池を眺めながら休憩していました。散策道周辺にも木々が植えられているので、木陰になっていました。




よく観てみると、江戸時代の遺構である濠の石垣の上にも散策道が整備されていて、ベンチなどの休憩所も併設されています。私「緑」も最近になって気がつきました。




心字池は「心」の字の形をしている池なので、池の輪郭に沿って整備されている散策道も曲がりくねった設計になっています。




現在の日比谷公園が造営されている場所は、江戸時代は日本各地の大名の上屋敷と、内濠と外濠をつなぐ水路等が設置されているほかに、江戸城の入り口の一つである「日比谷御門」が設置されていました。




江戸城に登城するための、現在の日比谷交差点にかかる位置にあった日比谷御門の一部であり、見張り役人が警備する「日比谷見附」の石垣の機能も兼ね備えていたのです。




日比谷公園・心字池から眺める東京駅丸の内口の高層ビル群をズームで撮影してみました。丸の内周辺も日比谷公園と同じく、江戸時代は大名屋敷が密集しているエリアであり「大名小路」と呼ばれていました。




日比谷見附の「見附」とは、街道の分岐点など交通の要所に置かれた見張り所(見附)などに由来したものです。東京都心部にはこれ以外に赤坂見附、四谷見附、市ヶ谷見附などの地名が残っています。




心字池の北端部が見えてきました。すぐ外側には国道1号線(晴海通り)の幹線道路が通っています。大型トラックやタクシーなどが通る走行音が微かに聞こえてきました。




東京駅(中央停車場)と、皇居前広場の間の細長いエリアの丸の内地区の密集して建っている高層ビル群が見えてきました。遠くから見ていても、壁のような迫力があります。




心字池の北端部から池の全体を見渡してみました。左側の石垣の後ろ側に「日比谷見附」の高麗門、枡形、渡櫓、番所が石垣に囲まれる形で設置されていました。




パッと見た感じでは、日本全国の寺社や公園などにある回遊式日本庭園そのものにしか見えませんが、日比谷見附の石垣の遺構があるだけで雰囲気が変わってしまいます。




心字池の水面には鷺などの鳥が水面や石の上で羽を休める光景を眺めることが出来るのですが、気温が急上昇していたこの日に出会うことはできませんでした。




心字池の南側には大噴水や第二花壇の広大な広場が広がっているはずですが、鬱蒼とした新緑に遮られて見通すことはできませんでした。




日比谷見附の石塚や記念碑の脇を通り過ぎると、日比谷交差点前の「日比谷門」が見えてきました。正面に写っている高層ビルは「ザ・ペニンシュラ東京」です。これで初夏の日比谷公園の散策は終わりです。


初夏の習志野台(東葉高速線八千代緑が丘駅周辺)の散策 PART1

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久しぶりに私「緑」のホームタウンである千葉県北西部のベットタウン「習志野台」の記事を作って見たいと思います。7月初旬の平日午後の東葉高速線・八千代緑が丘駅にやってきました。




駅北口のロータリーを見下ろして撮影しました。午後の時間帯なので人通りもほとんどなく、ゆったりとした雰囲気に包まれていました。




駅北口前にそびえ立っているタワーマンション「パークタワー八千代緑が丘」を見上げて撮影してみました。高さ約100メートルと、周辺では最も高い高層ビルとなっています。




隣接して建っている既存のマンション群の住民と、タワーマンションの売主である三井不動産レジデンシャルとの間で、長い間日照権などを巡って紛争が巻き起こっていたのは、地元では有名な話です。




2011年11月にタワーマンションの販売・分譲が始まって以来、その手の話はほとんど聞かなくなりました。おそらく紛争は終結したのではないかと考えられますね。




開通してから20年も経過していない新駅なので、駅前ロータリーも広々とした構造になっています。




駅舎周辺にはペデストリアンデッキが整備されていて、駅周辺の建物群とつながる構造になっています。




八千代緑が丘駅は東京都心部(日本橋・大手町)と快速電車で約37分、各駅停車で約45分の位置にあります。運賃の高さがネックとなっていますが、近年は沿線人口が伸び続けています。




駅周辺もタワーマンションや分譲マンションが所狭しと建てられ続けている状況です。




平日の日中は時間が止まったかのようにひっそりとしていますが、朝夕の時間帯になると通勤ラッシュになります。駅周辺の自動車の交通量もそんなに多くはないです。




パークタワー八千代緑が丘のタワーマンションを見上げて撮影してみました。駅前直結の立地条件であり、周囲にはショッピングセンターなどのインフラも整っているのでかなり好物件のようです。



初夏の習志野台(東葉高速線八千代緑が丘駅周辺)の散策 PART2

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地上に降りて、八千代緑が丘駅の駅前ロータリーを撮影してみました。午後の時間帯だったので人通りはほとんどなく、ロータリーの中もタクシーや路線バスが走ってくるだけでした。




ロータリー前から駅舎を見上げて撮影しました。駅舎の建物はホーム部分が総ガラス張りの構造になっています。




駅周辺には分譲マンションや広大な住宅地が広がっています。日常生活に必要なお店や病院などは駅前に集中していて、その周囲を住宅地が取り囲んでいます。




数年前に映画館などが入居している商業ビルが完成したので、駅の利用客も増えているのだとか。




タワーマンションである「パークタワー八千代緑が丘」、建物の建っている向きが不自然なのは、隣接して建っているマンション群の日照権を配慮したからなのだそうです。




駅構内を通り抜けて南口へ向かいます。南口にはショッピングセンターである「イオンモール八千代緑が丘」の巨大な建物が広がっています。




2005年4月に開業する以前のこの場所は、駅前に広がる広大な牧場跡地でした。1996年の東葉線開業後はずっと荒れ地のままだったのですが、ようやく開発されることになった経緯があります。




イオンモールの上層階テラスに登って駅周辺を見まわしてみます。駅南口側にも駅前広場が整備されていますが、ロータリーはなく殺風景な景観となっています。




駅周辺を見回してみても高層マンションや住宅地しかなく、完全に東京志向のベットタウンに特化した街並みが整備されています。




イオンモールのテラスからパークタワー八千代緑が丘のタワーマンションを撮影してみました。これで初夏の習志野台(八千代緑が丘駅周辺)の散策は終わりです。


7月の東京駅:丸の内駅前広場の散策 PART1

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7月中旬の平日、JR東京駅の丸の内口にやってきました。高層ビルが立ち並んでいる丸の内駅前広場周辺を散策してみたいと思います。




丸の内オアゾ前から八重洲口側に建っている「グラントウキョウノースタワー」を見上げて撮影しました。




この日の東京の天候は、快晴の青空の中にうっすらとした雲が漂っている状態でした。気温も30度近くにまで達し、蒸し暑かったです。




丸の内駅舎の全景を撮影してみました。午前10時過ぎの時間帯の散策だったので通勤ラッシュのような混雑はなく、人通りもそんなに多くはありませんでした。




丸の内駅舎を見物する観光客の姿も最近は少なくなってきたように感じました。以前は平日であっても、駅舎周辺は多くの人たちで賑わっていたのです。




丸の内北口改札口が入居している丸の内駅舎の「北ドーム」を撮影しました。




丸の内オアゾの西側に建っている「三菱信託銀行本店ビル」と、低層階に入居している「日本工業倶楽部会館」を撮影してみました。2003年3月に会館の南側部分を保存・再現したうえで建て替え、三菱信託銀行本店ビルとして竣工しました。




丸の内地区の高層ビル群は、そのまま大手町地区の高層ビル群と一体的につながっています。高層ビル同士の隙間が狭いので、まるで壁のようにも見えますね。




新丸の内ビル前から丸の内駅舎の北ドームを正面から撮影してみました。この位置から撮影すると、北ドームの背後にグラントウキョウノースタワーが写り込むようになっています。




北ドーム周辺の丸の内駅舎は再開発工事以前のまま放置されています。丸の内駅舎の復原工事では駅前広場の再整備も計画の中に入っているはずなので、近いうちに工事が始まるのかもしれません。




行幸通りを渡ってJPタワー(東京中央郵便局)方向へ向かいます。




行幸通り脇から丸の内駅舎を撮影しました。午前中の時間帯の散策だったため、逆光状態となってしまいました。




簡易的なガードレールで駅前ロータリーが整備されている丸の内駅前広場、数年以内に本格的な駅前広場が再整備されるのかもしれません。




丸の内中央改札口が入居している建屋をズームで撮影しました。東京ステーションホテルの地下駐車場への誘導路が伸びているのが見えます。




行幸通りの北側に建っている「新丸の内ビル」を見上げて撮影しました。建て替え前の新丸ビルを模した低層棟内には商業施設が入り、高層階はオフィス棟となっています。




東京駅の丸の内駅前広場から皇居方向へ伸びている行幸通りを撮影してみました。真夏日のような気温の中の散策だったため、空気が幾分霞んでいるように見えました。


7月の東京駅:丸の内駅前広場の散策 PART2

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新丸の内ビル前・行幸通りの脇から丸の内駅舎や、丸の内駅前広場を撮影してみました。午前中の早い時間帯の散策だったため、若干逆光気味になってしまいました。




今まで2階建てから、戦時中に焼失した3階部分が見事に再建された丸の内駅舎、戦後70年の時を経て、戦前の姿を取り戻すことが出来ました。




丸の内駅前広場から皇居・和田倉門跡地方向へ伸びている大通り「行幸通り」の東端部へやってきました。ここから丸の内駅舎を正面から見据えることが出来ます。




行幸通り前を通っている都道の車の列が途切れた瞬間をねらって丸の内駅舎を撮影してみました。丸の内駅前広場周辺も、依然と比べて交通量が増えてきたように感じます。




丸の内中央改札口や、皇室用の貴賓専用出口が入居している建屋をズームで撮影しました。




行幸通りの横断歩道を渡り、丸の内ビル側へ移動します。丸の内ビル前から丸の内駅舎方向を撮影しました。




中央の建屋をズームで撮影しました。




八重洲口側に建っている「グラントウキョウノースタワー」を背後に入れるようにして撮影しました。




振り返って行幸通りや、行幸通りの北側にそびえ立っている高層ビル群を撮影しました。




行幸通り周辺は、丸の内駅舎の観光客を乗せてやってきた観光バスの駐機所と化しているようです。行幸通りのイチョウ並木も大変綺麗でした。




去年(2012年)の10月の復原工事完成当時は、丸の内駅前広場周辺は物凄い人の数で混雑していましたが、最近になってようやく落ち着いてきました。




丸の内駅前広場の再整備は、2012年10月の復原工事完成まで間に合わなかったので、現在は簡易的なガードレールが置かれて駅前ロータリーが応急的に整備されている状況です。




2002年に再開発工事によって生まれ変わった「丸の内ビル」のメインエントランス前から丸の内駅舎を撮影しました。




丸の内駅前広場内には、閉鎖されている丸の内地下通路へ降りることが出来る地下入り口がそのまま放置されている等、廃墟の雰囲気の個所も存在しているのです。




最後に、JPタワー(東京中央郵便局)前の都営バス・東急バス乗り場前にやってきました。このバス停は丸の内駅前広場内の一等地にあるのに、常に乗客も少なく閑散としていることで有名ですね。




このバス停から都営バスに乗って晴海ふ頭や東京ビックサイトへアクセスすることが出来ますが、普段は乗車する人も少なくひっそりとした雰囲気に包まれています。これで7月の東京駅の散策は終わりです。


夏日の皇居前広場:晴海通りの柳並木を歩いて皇居前広場へ PART1

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7月初旬の平日、東京地下鉄日比谷線の日比谷駅にやってきました。地上に上がった先にあるのが晴海通りの「日比谷交差点」です。これから皇居前広場の中を散策していきます。




この日の東京都心部は7月の初旬であって、30度を超す猛暑日となっていました。余りの暑さに、皇居前広場を散策する観光客の姿もほとんどいなかったのです。




日比谷交差点前から皇居の内濠である「日比谷濠」の水面を撮影しました。午前10時前後の時間帯で、既に気温は30度を超えるような猛暑の状態でした。




丸の内・大手町地区の高層ビル群をズームで撮影しました。余りの暑さに、高層ビル群も揺らいでいるように見えますね。数か月前と比較すると、建設中のビル群も完成に近づいていました。




日比谷濠の脇を通っている日比谷通りの歩道には、柳とイチョウの並木道が整備されています。7月初旬の散策だったので、見事な新緑に覆われていました。




晴海通りの歩道も、柳とイチョウの新緑が物凄く綺麗でした。晴海地区から東京都心部を横断して桜田門まで伸びている晴海通りの交通量はいつものように多かったです。




日比谷濠の北側に構築されている江戸城時代の巨大な石垣を撮影してみました。石垣周辺に植えられている木々も綺麗な新緑に覆われていました。




丸の内地区の高層ビル群を撮影しました。この辺りは江戸時代は「日比谷入江」と呼ばれる海岸線と湿地帯が入り混じった場所でした。




なので、日比谷交差点周辺の標高は約2メートルと非常に低い場所なのです。日比谷交差点から大手町地区へ向かって、緩やかな上り坂になっています。




これから向かう祝田橋から、二重橋方向(北側)にある馬場先門までの濠の水面部分が「日比谷濠」と呼ばれています。元々は海面だった場所を、周囲を埋め立てることによって濠を造ったのです。




日比谷濠を形成している石垣の裏側が「皇居前広場」の敷地となっていて、現在の石垣の裏側の区画は観光バス専用の駐車場として整備されています。




日比谷濠に沿って、百尺(約31メートル)の高さに統一されている丸の内地区のビル群のスカイラインは遠くからでも目立ちます。近年は再開発による高層化が進んでいます。




晴海通りの大通りの南側には「日比谷公園」の緑地帯が広がっています。こちらも今の時期は新緑が大変綺麗でした。この暑さなので、公園内も人通りはほとんど無さそうに見えました。




日比谷濠沿いに建っている「帝国劇場」の建物です。竣工したのは1911年(明治44年)と大変古く、関東大震災時に一度焼け落ちた後に改修されて、現在に至っています。




現在の帝国劇場は1966年(昭和44年)に落成した建物で、帝劇ビルの一部は落成当時から、石油業界大手の出光興産が本社として使用しています。


夏日の皇居前広場:晴海通りの柳並木を歩いて皇居前広場へ PART2

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皇居・日比谷濠の水面越しに丸の内地区の高層ビル群を撮影しました。百尺(約31メートル)の高さに統一されている昭和時代のビル群と、近年の再開発工事によって誕生した高層ビル群が合わさった景観を眺めることが出来ます。




今年の真冬の時期にここを歩いた時は、歩道の柳並木は枯れ木状態だったのですが、7月の今の時期は見事な新緑に覆われていました。




晴海通りの歩道の新緑の柳並木ですが、実際に歩いてみると「凄まじい!」の一言に尽きます。木の幹からその名の通り垂れ下がっている枝が「緑のトンネル」のような演出になっていました。




晴海通りの歩道は道幅が広く設計されていますが、歩道の半分以上の空間を柳並木の枝葉が覆いかぶさっているような状況でした。




広大な日比谷濠の水面と江戸城時代の石垣を右手に眺めながら、皇居前広場へ入ることが出来る「祝田橋」へ向かいます。




柳並木の木々の間から桜田門方向を撮影してみると、前方に「祝田橋」の土手のような土橋が見えました。祝田橋の上には「内堀通り」の大通りが通っていて、交通量が物凄く多かったです。




江戸城の高い石垣の間を内堀通りが通っているので、遠くから見るとまるで「切り通し」のような地形にも見えますね。あの切り通しから皇居前広場の敷地へ入っていきます。




祝田橋の東岸側(有楽町側)に隣接している背の高い石垣は、一年ほど前から改修工事が実施されていましたが、工事は完成していて工事用シートもすべて撤去されていました。




内堀通りと晴海通り(国道1号線)が交差している「祝田橋交差点」を撮影してみました。目の前には霞が関合同庁舎の高層ビル群が広がっています。




祝田橋の橋上から日比谷濠の水面を有楽町方向を向いて撮影しました。午前中の早い時間帯の撮影だったため、逆光状態となってしまいました。




日比谷交差点前に建っている「DNタワー21・第一生命館」と、東京都内でも最高級ホテルの部類に入る「ザ・ペニンシュラ東京」の高層ビル群をズームで撮影しました。




先ほどまで歩いてきた晴海通りの歩道の柳並木道を撮影してみました。よく観てみると、晴海通り側の護岸も石垣状に整備されていることが解りました。




日比谷交差点から祝田橋まで、緩やかな上り坂の地形になっていたのですね。




祝田橋を渡り内堀通りの大通りに沿って皇居前広場の敷地内へ入っていきます。内堀通りは皇居前広場内を南北にまっすぐ縦断して通っていきます。




色鮮やかな新緑の芝生広場や、芝生の中に植えられている黒松の木々が広場内に整備されています。二重橋を観に行く前に、少し寄り道して「楠木正成」の銅像を眺めに行きます。


夏日の皇居前広場:黒松の木々と新緑の芝生広場を散策する PART1

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30度を超えるような猛暑の中、皇居前広場の緑地帯の中を散策していきます。二重橋を眺めに行く前に少し寄り道して、楠木正成の銅像を観に行きます。




皇居前広場の大部分は、広大な芝生広場と、芝生広場の中に植えられている黒松の木々が特徴です。7月の中旬の季節に散策してみると、綺麗な芝生の新緑を眺めることが出来ます。




内堀通りの大通りに沿って広がっている芝生広場をすぐ脇から撮影してみました。色鮮やかな新緑の芝生をすぐそばから眺めることが出来ます。「立ち入り禁止」の看板は立っていませんが、芝生の品質のためには入らない方がいいでしょう。




振り返って皇居前広場の緑地帯の中を縦断している内堀通りを撮影しました。内堀通りは城南地区(霞が関・虎ノ門)から城北地区(一ツ橋・神田)へ抜けることが出来る道路なので、常に交通量が多いです。




芝生広場や黒松の木々を眺めながら「楠木正成」像へ向かって散策していきます。散策道は綺麗に整備されていて、ベンチなども設置されていました。




芝生広場の中に植えられている黒松の木々、すごく手入れが行き届いていました。パッと見た感じでは黒松の木々は点在しているようですが、緑地帯が物凄く広大なので、膨大な量の木々が植えられているのではないでしょうか。




芝生広場の奥を見てみると、内堀通りを走る自動車の姿が見えます。




皇居前広場の敷地の南東側(観光バス駐車場の南側)に設置されているのが「楠木正成」の像です。楠木正成は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将であり、足利尊氏と共に建武の新政を立案した歴史的な人物です。




1904年(明治37年)に完成した、東京都内の代表的な銅像であり、 別子銅山開山200年を記念して住友家が企画し作成され、宮内庁に献納されました。




…とは言っても、周囲の観光客の人たちは、あまりこの銅像には興味がないみたいでした。




皇居前広場内に植えられている「黒松」の木々ですが、この黒松は40メートルの高さまで成長することも可能なのだそうです。ただ自然の状態ではそこまで成長することはまれなのだとか。




記録的な高さの黒松としては、「春日神社の松」(島根県隠岐郡布施村(現・隠岐の島町))の66m、「緩木神社の松」(大分県竹田市。もと国の天然記念物)の60m、「大日松」(茨城県大宮村(現・龍ケ崎市))の55mなどがあったのですが、いずれも現存していません。




黒松は汚染と塩害に強いために、街路樹や防潮林に使われるのだそうです。排気ガスが年中多い東京都心部のさらに中枢である皇居前広場に黒松の木々が植えられているのも、その意味が大きいのかもしれませんね。




高さ40メートル以上の黒松の木など、一体どんな姿形をしているのか一度見てみたい気がしますね。皇居前広場のクロマツは、どれも高さは10メートル前後に手入れされているようです。




猛暑日のためか、この日の皇居前広場を散策している観光客の姿はほとんど見えませんでした。これから元来た道を引き返して二重橋へ向かいます。


夏日の皇居前広場:黒松の木々と新緑の芝生広場を散策する PART2

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皇居前広場の観光バス駐車場前から二重橋へ向かって散策を続けていきます。30度を越している猛暑日の散策だったので、観光客の人たちも暑さ対策をしていたようです。




皇居前広場・バス専用駐車場前から丸の内地区の高層ビル群を撮影しました。現在高層化が進んでいる丸の内地区も、江戸時代は江戸城の本丸の内に当たるエリアであり、大名屋敷が建ち並ぶ「大名小路」と呼ばれていました。




明治維新後はすべての大名屋敷が撤去されてしばらく更地化していたのですが、大正時代に官営東海道本線の中央停車場(=東京駅)が設置されることによって、オフィス街として整備されることになった経緯があります。




内堀通りの「二重橋前交差点」にやってきました。交差点前から南方向を眺めてみると、霞が関の中央省庁街の高層ビル群が前の前に広がっています。




二重橋前交差点前から皇居へ向かって西方向へ歩けば一気に二重橋へ向かうことが出来るのですが、一度祝田橋方向へ戻って見ることにします。桜田門の前を通って二重橋へ向かいます。




二重橋前交差点の西側(皇居側)から広大な皇居前広場を撮影しました。皇居前広場は、丸の内や大手町地区の高層ビル群の眺望スポットでもあります。




後ほど皇居前広場の砂利道を歩いてみたいと思います。




内堀通りの歩道を歩いて、一度祝田橋方向へ戻ることにします。内堀通りの歩道沿いにも芝生広場や黒松の木々が整備されています。




内堀通りは片側4車線・合計8車線の幹線道路で、どんな時間帯でも交通量が多いことで有名ですが、沿道に植えられている黒松の木々は排気ガスなどによって弱っている様子などはまったく見られませんでした。




正面に霞が関の高層ビル群を眺めながら散策を続けていきます。




芝生広場の中をじっと眺めていると…。




黒松の木々越しに、二重橋・正門石橋が微かに見えたのでズームで撮影しました。石造りのアーチ橋は、遠くから見ていてもすごく目立ちます。




広い歩道が整備されている内堀通りを歩いていきます。内堀通りは、普段は皇居の周囲を走るマラソンランナーの姿を多く見かけるのですが、この日は走っている人の姿はほとんど見られませんでした。




ズームで撮影してみると、正面に写っている建設中の高層ビルは「虎ノ門ヒルズ」です。2年ほど前から建設工事が進んでいたのですが、現在では完成間近の姿を眺めることが出来ます。




桜田門寄りの砂利道を歩いて二重橋へ向かいたいと思います。



夏日の皇居前広場:桜田門脇を通り抜けて、二重橋へ

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皇居前広場の歩行者用広場を散策して二重橋へ向かいます。正面に見えている門は、江戸城時代の「桜田門・渡櫓門」です。一年ほど前から修繕工事が実施されていたのですが、どうやら工事は終了したみたいですね。




桜田門は、江戸城(現在の皇居)の内堀に造られた門の一つであり、桜田堀と凱旋堀の間にあります。昭和36年(1961年)に「旧江戸城外桜田門」として国の重要文化財(建造物)に指定されました。特別史跡「江戸城跡」の一画を占めています。




皇居前広場内にはアスファルトで舗装されている個所と、砂利道として整備されている個所の二つがあります。桜田門から内堀通りまで通じている場所はアスファルトで舗装されています。




普段は芝生広場の中に入って休憩したりしている人たちの姿をよく見かけるのですが、この日はほとんどそういった人の姿を見つけることはありませんでした。




桜田門に近づくと、「桜田濠」の水面と石垣が見えてきました。この石垣の向こう側が皇居の敷地が広がっているのです。




皇居前広場の地面と比較すると、皇居の敷地は一段標高が高い地形の上に造成されていることが解ります。桜田門もその地形を生かして設置されていますね。




ここから北側は、広大な砂利が敷き詰められている広場が広がっています。直射日光が当たって、砂利広場全体が真っ白に光り輝いていました。




見渡す限り障害物になりそうなものが一切ないので、皇居前広場の周囲を眺めることが出来ます。東京都心部の一等地でこれだけ広い土地を確保できているのはすごいことだと思います。




前方の人だかりが出来ている場所が、全国的に有名な「二重橋」の撮影スポットです。あの場所を目指して散策を続けていきます。




皇居前広場からは、丸の内地区と大手町地区の高層ビル群を綺麗に眺めることが出来ます。現在では再開発工事が進むにつれて二つの高層ビル群は合わさり、一体的になってきました。




東京駅丸の内駅前広場前に建っている丸の内ビルと新丸の内ビル(どちらも高さ200メートル)を中心に広がっているのが丸の内地区の高層ビル群です。




丸の内知己の北側に広がっているのが大手町地区の高層ビル群です。丸の内の再開発工事は2000年代に集中的に実施されて現在はひと段落した感がありますが、大手町地区では現在が再開発工事のピークを迎えています。




午前10時過ぎの時間帯の散策であり、二重橋を眺めに来る観光客の姿もだんだん増えてきたようですね。




都心部に広がる広大な皇居前広場ですが、皇居に隣接していることもあって歴史的に見ると「政治的」な事件の舞台にもなってきました。1945年(昭和20年)8月の終戦直前には、集団自決事件なども起こったのだとか。




戦後1950年(昭和25年)のデモ隊と占領軍が皇居前広場で激突した人民広場事件、その2年後の1952年(昭和27年)にはデモ隊と警察が皇居前広場で激突した血のメーデー事件などがあります。


夏日の皇居前広場:新緑に覆われている二重橋と皇居正門

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桜田濠の水面と、皇居の敷地の石垣を眺めながら散策していると、いよいよ二重橋「正門石橋」が見えてきました。7月中旬の散策だったため、新緑に囲まれている二重橋を眺めることが出来そうです。




アーチ構造のスマートな雰囲気を持っている「正門石橋」を撮影してみました。予想通り、正門石橋の周辺は綺麗な新緑の濃い緑に覆われていました。天気も雲一つない青空だったので、ものすごく綺麗に撮影することが出来ました。




ただ、桜田濠の底には「藻」のような濃い緑色の植物が繁殖していて、水面全体が緑色に変色していました。7月なのに猛暑の日々が続いているからなのでしょうか。




「二重橋・正門石橋」を正面から撮影してみました。皇居前広場側から見て、石で造られた手前の「正門石橋」と、鉄で作られた奥の「正門鉄橋」という2つの橋があります。「二重橋」とは正しくは奥の正門鉄橋の呼称です。




散策時は風が全くと言っていいほど吹いていなかったので、桜田濠の水面には正門石橋のアーチが綺麗に写っていました。奥に見える皇居の敷地内も綺麗な新緑に覆われていました。




正門石橋を渡った先は皇居の敷地となっていて、巨大な石垣に囲まれた「皇居正門」が設置されています。正門周辺も新緑の木々に囲まれていました。




正門石橋のすぐそばまで近づいてみます。撮影スポットの前から緩やかな上り坂を上っていきます。




桜田濠の水面を見下ろして撮影しました。広場を歩いている人の姿や、柳の木々と比較してみると、石垣の巨大さが解りますね。奥には霞が関地区の中央省庁街の高層ビル群が見えます。




二重橋・正門石橋と、併設されている皇居正門を脇から撮影してみました。皇居正門の元の名前は西の丸大手門でしたが、明治21年(1888年)の明治宮殿造営の際に、この門のすぐ前にあった高麗門を撤去し名称も皇居正門と改めました。




連日のように続く猛暑のためか、桜田濠の水中には藻が繁殖していて、水面が緑色になっていました。普段は決して綺麗とは言いませんが、普通の水面のはずなのですが…。




江戸時代のときは土で出来た「土橋」でしたが、明治20年(1887年)12月に現在のようなめがね型をした美しいアーチを描いた石橋になっています。




新年や天皇誕生日の皇居一般参賀時には正門が開放され許可なく渡ることができますが、普段は施錠されています。




二重橋・正門石橋と皇居正門を正面から撮影してみました。周辺には数多くの制服警察官が配置されていて、正門石橋は二重のバリケードによって閉鎖されていました。




本来の意味での二重橋である「正門鉄橋」を撮影してみました。江戸城の西丸下乗橋のあった位置で、木造橋時代に橋桁が上下二段に架けられていました。そこから「二重橋」と呼ばれるようになったのです。現在の鉄橋は昭和39年(1964年)に架け替えられたもので、橋桁は二重ではありません。




ズームで撮影してみると、鉄橋周辺の水面も藻の繁殖によって緑色に覆われていました。正門鉄橋は水面から物凄く高い位置に架橋されているのが解りますね。




正門石橋を渡って皇居正門を抜けた先は「枡形」の地形となっていて、正門鉄橋を渡った先が、テレビのニュース番組などで良く流れる宮殿前の広場へ出ることが出来ます。




二重橋から坂下門方向へ伸びている「二重橋濠」の水面を撮影しました。水面の高さと比較してみると、皇居の敷地はかなり標高が高い場所にあることが解ります。


夏日の皇居前広場:丸の内地区の高層ビル群を眺めながら散策する PART1

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二重橋・正門石橋前から振り返って丸の内地区の高層ビル群を撮影しました。現在の丸の内・大手町地区は、江戸時代は「大名小路」という名前の日本全国の大名の屋敷が密集して建っていた場所なのです。




東京駅・丸の内駅前広場を囲むように高層ビル群が建っている丸の内地区をズームで撮影しました。丸の内地区の再開発工事による高層化は、2000年代に概ね終了しています(JPタワーは2013年に竣工)。




現在タワークレーンが建ち並び、再開発工事のピークを迎えているのが大手町地区です。地下鉄大手町駅前に建設中だった高さ200メートルの「東京プライムステージ」の高層ビルはほぼ完成し、タワークレーンが完全に撤去されました。




ここ約10年程の間に、皇居前広場から眺める丸の内・大手町地区の景観は変わってしまいました。1990年代には「黄昏の丸の内」などと揶揄されていたこの界隈が、まさか日本で一番のブランドエリアになるとは思ってもみませんでした。




広大な砂利道を歩き、皇居前広場の散策を続けていきます。霞が関の中央省庁街の高層ビル群を左手に眺めていきます。




正面に大手町地区の高層ビル群を眺めながら、皇居前広場内を散策します。砂利が広大に敷き詰められている広場内には、舗装された散策道が整備されています。




皇居前広場は、皇居よりも標高が低い場所に整備されています。皇居前広場を含めた一帯が、江戸時代初期の埋め立て工事によって海面や湿地帯を埋め立てて造成された経緯があります。




皇居前広場の北側に広がっているのは、江戸城の本丸などが設置されていた「皇居東御苑」の緑地帯です。




ズームで撮影してみると、皇居東御苑の敷地内にある「皇宮警察本部」の建物などが緑地帯の中に見えました。




振り返って二重橋と皇居正門方向を撮影してみました。二重橋が架橋されている場所へ向かって、徐々に緩やかな上り斜面になっています。




こうして見ると、皇居正門周辺には多くの木々が植えられていることが解ります。




二重橋・正門鉄橋を渡った先にある皇居の敷地内も鬱蒼とした緑に覆われています。東京都心部の中枢でありながら、この界隈は緑の比率が大変大きいのです。




皇居前広場の正式名称は「皇居外苑(こうきょがいえん)」と言います。1969年(昭和44年)に開園した北の丸地区(北の丸公園)と皇居前広場の皇居外苑地区、それに皇居の周り濠に沿った皇居外周地区を総括的に指しています。




一般的には「皇居外苑」という正式名称よりも、皇居前広場の方が広く知れ渡っているイメージがあります。




皇居前広場は、元々は皇室苑地であったところを戦後に国民公園として開放することが閣議決定され、1949年(昭和24年)に開園しました。


夏日の皇居前広場:丸の内地区の高層ビル群を眺めながら散策する PART2

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新緑が美しい広大な芝生広場と、植えられている黒松の木々越しに、丸の内地区の高層ビル群を撮影してみました。午前中の早い時間帯の散策だったため、逆光状態になってしまいました。




ズームで撮影してみると、丸の内駅前広場前の一等地に建っている「JPタワー」の高層ビルが写っています。皇居前広場から眺めてみると、大分高層ビルのイメージが違って見えます。




振り返って桜田門方向を撮影してみました。霞が関地区の中央省庁街の高層ビル群と、現在虎ノ門地区で建設中の高層ビル「虎ノ門ヒルズ」の存在感が大きいですね。




砂利が敷き詰められている広場の敷地が終わり、アスファルトで舗装されているエリアを散策していきます。坂下門や桔梗門等の、江戸城の門が密集しているエリアでもあります。




宮内庁舎の建物が脇に建っていることで有名な「坂下門」を撮影してみました。宮内庁の役人の人たちがこの門を毎日のように利用することから、皇居内でも最も人通りの多い門です。




散策時、ちょうど皇宮警察の警察官の人たちの乗馬訓練の様子を眺めることが出来ました。馬の上に乗っている警察官の人たちは正装ではなく、訓練時の服装でした。




二重橋周辺には多くの観光客の人たちが集まっていたのですが、坂下門周辺には人通りはほとんどありませんでした。




「皇居・坂下門」を正面から撮影してみました。門の手前には「坂下門橋」という名前の土橋が架けられており、この橋の南側が二重橋濠、北側が蛤濠と呼ばれています。




坂下門は江戸城西丸造営直後に造られたと伝えられています。西丸大奥に近く、西丸の通用門として利用されていましたが、今は宮内庁の出入口として利用されています。門の奥に「宮内庁」の庁舎の建物が見えます。




黒松の木々の間から「蛤濠」の水面を撮影してみました。対岸の敷地は「皇居東御苑」の緑地帯となっています。




振り返って、皇居前広場全体を見回してみました。東京都心部の、さらに中枢でもある界隈にこれだけ広大な広場を確保できたことは、考えてみると素晴らしいことだと思います。




皇居前広場と皇居東御苑を結んでいる桔梗門へ向かって散策を続けていきます。これまで離れた位置を通っていた交通量の多い内堀通りの大通りが見えてきました。




2012年5月にリニューアルオープンした「パレスホテル東京」の高層ビルを撮影してみました。高層ビルの脇では、新しい高層オフィスビルの建設工事が始まっています。




桔梗門周辺にも芝生広場や黒松の木々が整備されています。




黒松の木々を眺めながら、散策を続けていきます。この後は再び内堀通りの歩道を歩き、皇居東御苑の大手高麗門を目指します。


夏日の皇居前広場:内堀通りの柳並木道を歩いて大手高麗門へ PART1

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桔梗濠の脇を通り抜けて、散策を続けていきます。この界隈は、皇居前広場と皇居東御苑(江戸城本丸)の境目を構成しているエリアとなっています。




濠の水面脇にも黒松の木々が植えられていて、木々越しに「宮内庁」の庁舎の建物が見えました。




芝生広場の新緑を眺めながら、桔梗門を目指して散策していきます。この周辺は意外と車の通行が多いので、気をつけながら歩いていきます。




「内桜田門」という異名も持っている桔梗門、「桔梗」の名前は、昔この門に太田道灌の家紋の桔梗がついていたからという説があるのだとか。




桔梗門を渡った先は、「皇居東御苑」の敷地とつながっています。皇宮警察本部の建物や旧枢密院の建物にアクセスすることが出来ます。




桔梗門前から大手町地区の高層ビル群を撮影しました。半年ほど前と比較してみると、新たに高層ビルの建設工事が始まったり、建設中だった高層ビルが完成していたりと大きな変化がありました。




特に、パレスホテル東京の高層ビルの脇では「(仮称)日本生命大手町ビル」の建設工事のためのタワークレーンが4機も設置されていました。




皇居東御苑の敷地の東南角に設置されている「辰巳櫓」を撮影してみました。現在の皇居には江戸時代に建設された伏見櫓、富士見櫓とこの辰巳櫓の三つが残っています。




辰巳櫓の正式名称は「桜田二重櫓」と言うのだとか。




辰巳櫓と、パレスホテル東京の高層ビルを合わせて撮影してみました。




桔梗濠の水面の東側(大手町側)には内堀通りがまっすぐ通っています。内堀通りの柳並木道となっている歩道を歩いて大手高麗門へ向かいます。




内堀通りに沿った北側に広がっている大手町地区の高層ビル群をズームで撮影しました。「玉突き方式」という手法によって、次々に再開発工事が進められています。




内堀通りに沿って北側へ続いている「桔梗濠」の水面を撮影してみました。濠の水面に面している歩道には、新緑が綺麗な柳の並木道が整備されています。




ズームで撮影してみると「皇居東御苑・大手高麗門」が見えます。あの門こそが、江戸時代の江戸城の正門でもあるのです。あの門を目指して散策を続けていきます。




内堀通りを挟んだ反対側に広がっているのは「和田倉噴水公園」の緑地帯です。今の時期ですと、濃い新緑に敷地全体が覆われていました。


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