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お盆の東京駅:行幸通り東端部から眺める東京駅 PART1

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丸の内ビル前を通り抜けて、行幸通りの東端部から丸の内駅舎を眺めに行きたいと思います。普段はタクシーやハイヤーの待機場となっている丸ビル前も、この日は閑散としていました。




同じ場所から都営バス・東急バスの路線バスが発着しているバスターミナルを撮影してみました。都営バスでは晴海ふ頭や東京ビックサイトへ向かう路線、東急バスでは等々力操車場へ向かう路線等が開設されています。




バスターミナルの背後には丸の内駅舎・南ウイング部建屋の巨大な建物が建っているのが見えます。このバスターミナルは、いつ訪れても閑散としているのが特徴です。




JPタワー・低層棟の建物の全景を撮影してみました。丸の内駅前広場に面している側だけが、旧東京中央郵便局舎を模した壁面になっています。側面部分は高層棟と同じく、総ガラス張りになっているのです。




JPタワー・高層棟を見上げて撮影しました。本来のこの場所の容積率は1300%ですが、建築基準法第57条の二(特例容積率適用地区内における建築物の容積率の特例)により、東京駅丸の内駅舎の容積を移転して、特例容積率1520%が適用されています。




広大な面積を持つ丸の内駅前広場の中で、この辺りは雑草が伸び放題になっているなど、再開発工事の流れから取り残されている雰囲気が残っていました。




駅前の中央部のエリアについては、土地所有者であるJR東日本が駅前広場を整備する予定となっています。どのようなデザインにするか、行政機関や有識者を交えて検討中とのことです。完成すると皇居方面につながる行幸道路と駅が直結することになります。




千代田区が都市計画上の地区計画を策定して、駅前の約6500平方メートルの用途を広場と定めています。現在は仮設のガードレールなどで駅前ロータリーが応急処置的に整備されています。




丸の内ビル・メインエントランス前からズームで丸の内駅舎を撮影しました。午後1時半過ぎの時間帯の散策だったおかげで、太陽の光を背負って撮影することが出来、丸の内駅舎の赤レンガ壁を綺麗に写すことが出来ました。




丸の内駅舎と、周囲の高層ビル群が素晴らしい景観を作り出しているので、是非それを生かせるような駅前広場を再構築してほしいものですね。




2002年8月に建て替えられた丸の内ビル前のイチョウ並木道を散策していきます。歩道周辺は、高層ビル群の陰の中に入ってしまっていました。




丸の内駅前広場の地下には広大な地下通路や駅施設が広がっていて、駅周辺の高層ビル群とつながっています。東京地下鉄丸ノ内線の東京駅と、地下5階にあるJR総武快速・横須賀線の東京地下駅です。




丸の内駅舎の復原工事や丸の内駅前広場の再整備と並行して、地下施設のリニューアル工事なども実施されてきました。15年前と比較すると、全く違う場所ではないのかと思ってしまうほどです。




丸の内の高層ビル群を眺めながら行幸通りへ向かいます。




仮設のガードレールで仕切られている駅前広場が見えてきました。丸の内駅舎の前には多くの人が集まっている様子が、ここからでも手に取るように分かります。




皇室用貴賓出入り口が設置されている中央建屋をズームで撮影してみました。次回の記事では行幸通りの東端部から丸の内駅舎を眺めていきます。

お盆の東京駅:行幸通り東端部から眺める東京駅 PART2

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丸の内ビル前から丸の内駅前広場と丸の内駅舎を撮影してみました。丸の内駅舎は南北方向に細長く、一枚の写真には納まりきらないほど巨大なのです。




皇室用貴賓出入り口や待合室、丸の内中央改札口が設置されている中央部の建屋をズームで撮影しました。ロータリー内ではタクシーが何台も頻繁に走り回っています。




背後にグラントウキョウノースタワーの高層ビルが入るように撮影してみました。




行幸通りの遠端部から丸の内駅舎を眺めてみたいと思います。この辺りも観光客の人たちの姿が目立ちます。




行幸通りの東端部から丸の内駅舎を眺めてみました。ちょうど1年前の今頃は、丸の内駅前広場に設置されていた復原工事のための工事用資材置き場や工事用プレハブ小屋が撤去され始めた時期でした。




午前中の時間帯にこの場所から丸の内駅舎を撮影すると逆光になってしまうので、午後の時間帯に撮影すると赤レンガ壁を綺麗に撮影することが出来ます。




真正面に皇室専用貴賓出入り口の扉を撮影することが出来ます。丸の内駅舎と皇居を一直線に結ぶ場所に立っているわけですね。手前側には簡易的なガードレールが幾重にも積み重なっている感じです。




ここで横断歩道を渡って丸の内駅舎の前まで戻ることにします。丸の内駅舎の建物を正面に眺めながら散策を続けていきます。




丸の内駅舎の背後には、八重洲口に建っているグラントウキョウノースタワー低層階の「大丸東京店」の上部階が少し見えます。




東京駅中央交差点前には、東京ステーションホテルの地下駐車場入り口が設置されています。




行幸通りの北側に建っている新丸の内ビルを見上げて撮影しました。2007年4月に竣工した高層ビルで、開業してからすでにもう約7年も経っているわけですね。




この界隈は、復原工事以前とあまり変わっていません。丸の内駅前広場直下の地下通路とを結ぶ階段が閉鎖されたままになっていたり、雑草が伸び放題になっていました。




簡易的なガードレールで仕切られている丸の内駅前広場ですが、広場内には余った用地などが意外と多く、丸の内駅舎を見学する人たちのための撮影スポットとして開放されています。




地面のアスファルトには白線がそのまま残っていて、今後どのように利用されていくのか気になります。




丸の内駅舎の中央部建屋をズームで撮影してみました。皇室用貴賓出入り口とスロープの左側に設置されているのは、丸の内中央改札口の入り口です。

お盆の東京駅:丸の内北口ロータリーを抜けて、丸の内オアゾへ

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簡易的なガードレールで仕切られている丸の内北口のタクシープールと、その奥には丸の内駅舎の建物がそびえ立っています。午後2時過ぎの丸の内駅前広場は、多くの人たちで賑わっていました。




丸の内北口ロータリーの中を通り抜けて丸の内北口へ向かいます。たまに東京駅の構内やホーム等で急病人が現れたりすると、救急車や消防自動車がこのタクシープールの中に走ってきたりします。




丸の内や大手町の広大なオフィスビル街に隣接している丸の内北口は、一日を通して人通りが多いです。日本経済絡みの全国ニュースがテレビで流れる際には、この丸の内北口の様子が良く画面に映ったりします。




丸の内北口前にはJR東日本の旅行カウンター「びゅうプラザ」や派出所などが設置されていたのですが、復原工事に併せてすべて撤去されて移設されました。




雨除け用の大屋根には天窓が設置されていて、太陽光が差し込む設計になっています。




午後2時時点の東海道・山陽新幹線下り列車の指定席の状況を見てみました。新大阪以西へ向かうのぞみ号は指定席は残っていますが、意外なことにひかり号やこだま号といった停車駅が多いタイプの席が埋まっていました。




帰りに丸の内オアゾの吹き抜け空間へ寄って見ると、「大恐竜展in丸の内2013〜福井県恐竜博物館コレクション〜」の展示会が開催されていたので寄って見ることにしました。




福井県勝山市にある「福井県立恐竜博物館」に展示されている恐竜たちが、丸の内ビル、新丸の内ビル、丸の内オアゾの3か所で公開されています。




小ぶりな体型をしているこの恐竜は「アパトサウルスの一種(幼体)」です。体長は約2.5メートルで、アメリカのワイオミング州で発掘されたそうです。




約1億5000年前のジュラ紀後半期に、北米大陸に多く生息していました。かつては「ブロンドサウルス」「雷竜」などと呼ばれていました。




アパトサウルスの幼体をズームで撮影しました。




丸の内オアゾ内に展示されている中で一番大きい「チンタオサウルス・スピノリヌス」を見上げて撮影しました。体長は約8メートルもあります。




中国の山東省で発掘された恐竜なのですね。




こちらはモンゴルで発掘された「プロバクトロサウルス・ゴビエンシス」です。大きさは約3.8メートル、俊敏な動きをしそうな恐竜ですね。




チンタオサウルス・スピノリヌスを真横から撮影してみました。展示会場内には、家族連れなど子供たちが数多く見学したりしていました。




最後に、中国・内モンゴル自治区内で発掘された「ピナコサウルス・グランゲリ(産状)」です。産まれたばかりの恐竜の化石なのですね。これでお盆の東京駅周辺の散策は終わりです。

真夏の和田倉噴水公園:行幸通りを歩いて、和田倉噴水公園へ

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8月中旬の平日、東京駅丸の内駅前広場にやってきました。これから行幸通りを歩いて「皇居外苑・和田倉噴水公園」に向かって散策していきます。午前9時過ぎの行幸通りは人通りがなく閑散としていました。




この日の日本列島の上空には、東北地方を中心とした北日本に秋雨前線が停滞していて、その秋雨前線に向かって南風が吹き込んでいる状況でした。なので天気は晴れでしたが、雲が猛烈な速さで南から北へ流れているのが見てとれました。




行幸通りに植えられているイチョウの並木道も真夏らしく、濃い緑に覆われていました。行幸通りの背後には皇居の広大な緑地帯が広がっています。




朝の通勤ラッシュが終わった直後の時間帯だったので、周囲には出勤中のビジネスマンの人たちの姿を見かけることはありませんでした。




行幸通りの北側に広がっている丸の内の高層ビル群を見上げて撮影しました。再開発工事によって高層ビル化されている区画と、昭和の時代から残っている古いオフィスビルが混在しています。




皇居の緑地帯や皇居前広場を正面に眺めながら行幸通りを散策していきます。




行幸通りと日比谷通りが交差している「和田倉門交差点」に到着しました。日比谷通りは片側4車線・合計8車線の幹線道路となっていて、交通量が非常に多いです。




和田倉門交差点から皇居方向を撮影してみました。行幸通りは東端部である丸の内駅前広場から、皇居前広場前まで続いています。歩道部分2か所と中央分離帯2か所、合計4箇所の列にイチョウ並木が整備されています。




丸の内駅前広場から和田倉門交差点までの区間の行幸通りの中央部分は歩道化されていますが、交差点から西側区間は以前のままであり、立ち入り禁止となっています。




和田倉門交差点前から大手町の高層ビル群を撮影しました。左側の高層ビルは2012年4月に開業した「パレスホテル東京」、右側の建設中のビルは「(仮称)日本生命大手町ビル」です。




行幸通りのイチョウ並木道を撮影しました。行幸通りの正式名称は「東京都道404号皇居前東京停車場線」と言います。




帝都復興院の関東大震災後の震災復興再開発事業の一環として、皇居の和田倉門から東京駅に通じる幅員73メートルの東京市を代表する広規格道路道路として建設されました。




パレスホテル東京の敷地の東側で建設中の高層ビル「(仮称)日本生命大手町ビル」を撮影してみました。かつてこの場所には丸の内AIGビルが建っていましたが、2011年5月から2012年2月にかけて解体工事が行われ更地となっていました。




新しい高層ビルは地上23階・塔屋2階・地下3階建て、高さ100メートルです。日本生命保険相互会社が建築主であり、完成は2014年6月を予定しています。




江戸城・和田倉門を構成している巨大な石垣の裏側に和田倉噴水公園が整備されています。和田倉門自体はすでに撤去されていて跡地になっています。




行幸通りは皇居内堀である和田倉濠と馬場先濠の二つの濠の間を土橋によって渡っています。この橋を渡った先に和田倉噴水公園があります。


真夏の和田倉噴水公園:濃い緑に囲まれている公園敷地内を散策する PART1

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和田倉門濠の中にアーチ型の木橋が架橋されているのが見えますが、あれが「和田倉門橋」です。橋の西岸側(皇居前広場側)にはかつて江戸城内郭門の一つ和田倉門が存在していましたが、現在は撤去されています。




和田倉門濠や木橋を見下ろすように建設工事が進められている「(仮称)日本生命大手町ビル」です。2基の巨大なタワークレーンが稼働していて、鉄骨が高さ50メートルくらいまで積み上げられていますね。




江戸城・和田倉門の脇につながっていた巨大な石垣の脇を通り抜けていきます。この石垣の裏側に和田倉噴水公園の敷地が広がっています。




石垣の後ろ側には和田倉噴水公園の敷地内のレストランや喫茶店が入居している建物が建っています。




行幸通り歩道から和田倉噴水公園の敷地内を撮影しました。噴水が稼働していなかったし、そばに「工事のために噴水の稼働は休止する」の案内板があったので一瞬驚いてしまいました。




しかし案内板をよく読んでみると、散策日は休止日から除外されているわけですし、何でだろう?としばらく考えていたのですが、どうやら午前10時から噴水は稼働するとのことです。




噴水が一切稼働していない和田倉噴水公園、敷地内には人影が全く見えないこともあり、時間が止まっているかのようにひっそりとしていました。




午前10時に噴水が稼働するまで、しばらく木陰のベンチに座って休憩することにします。この日の東京都心部は30度前後の蒸し暑い日でした。




午前10時になってようやく噴水が稼働し始めました。やはり真夏日なので、噴水が音を立てて吹き上がっている風景を見ていた方が気分がよくなります。




パレスホテル寄りに設置されている「ナイアガラの滝」も稼働し始めているみたいです。あそこまで行ってみましょう。




夏休みの真っただ中ですし、家族連れの姿が多くなるかなと考えていたのですが、全く人の姿が見当たりません。暑いとあまり人は表に出てこないのでしょうか?




ひっそりとした雰囲気に包まれている敷地内ですが、すぐ近くの「(仮称)日本生命大手町ビル」の工事現場から鉄骨を組み立てたりする時の甲高い音が響いてきます。




和田倉噴水公園の噴水池の全景を撮影しました。池の中央に一列に並んでいる3基の大噴水がしばらくすると稼働し始めます。




和田倉噴水公園の敷地のすぐ西側(皇居側)には日比谷通りの大通りが通っています。そしてその向こう側には皇居前広場の広大な緑地帯が広がっています。




噴水をズームで撮影してみました。3基の大噴水を取り囲むように並んでいる小噴水が止まると、しばらくして大噴水が稼働し始めます。




噴水池に試しに手を入れてみると、ビックリするくらいのぬるま湯でした。ここ2週間くらい、夜間でも気温が25度を下らない熱帯夜が続いていますからね…。


真夏の和田倉噴水公園:濃い緑に囲まれている公園敷地内を散策する PART2

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和田倉噴水公園の敷地の北側に設置されている「ナイアガラの滝」が稼働し始めたので、そばへ近づいてみることにします。公園の敷地は濃い緑の木々によっておおわれている状態です。




和田倉噴水公園の敷地の北側に建っているシティホテル「パレスホテル東京」の高層ビルを見上げて撮影しました。その名前の通り、皇居前広場を見下ろす場所に建てられています。




噴水公園敷地のすぐ西側(皇居前広場側)には「内堀通り」の幹線道路が通っていて、自動車の走る音が一帯に響き渡っていました。




噴水が稼働し始めたことによって、噴水池内の水も冷たくなり始めました…。




噴水池の周辺には花壇等も綺麗に整備されています。和田倉噴水公園は「皇居外苑」の一部に含まれているので、手入れが行きとどいていました。




ナイアガラの滝の前まで行ってみたのですが、近づいたタイミングで水の勢いが少なくなってしまい、止まってしまいました。




しばらくすると、ナイアガラの滝の手前の個所から噴水が噴出し始めました。すぐそばで見ていると、水滴がこちらに飛んできたりします。




手前側の球体状の放水器もしばらくすると稼働し始めました。ナイアガラの滝→噴水→放水器→(後述の)ミスト散布の順序になっているようです。




ナイアガラの滝の前から振り返って噴水公園の敷地内を撮影しました。行幸通り前の入口へ向かって緩やかな傾斜地になっているのが解ります。




噴水公園の敷地の南側には、行幸通りの夏のイチョウ並木道が広がっているのが見えます。




「皇居外苑」の一角である和田倉噴水公園は、昭和36年(1961年)に天皇陛下(当時皇太子殿下明仁親王)のご成婚を記念して造られた都市公園で、面積は15000平方メートルあります。




その後の平成7年(1995年)の6月噴水公園が再整備され、 新しく水の流れ落ちる施設やモニュメントが造られました。 噴水の水は、お濠の水を濾過して循環使用しているとのことです。




関東平野の南や西側から、東京都心部上空に暑い雲が流れてきました。数時間前までは雲一つない快晴の青空だったのですが…。




広大な皇居前広場に隣接していることから平坦地に整備されている公園のイメージが強いですが、実際には意外と起伏がある場所に造営されているのです。




そろそろ和田倉噴水公園の一番の目玉である「大噴水」が稼働すると思います。


真夏の和田倉噴水公園:濃い緑に囲まれている公園敷地内を散策する PART3

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ナイアガラの滝の池にはミスト状の放水装置が稼働していました。数分おきに稼働する噴水の種類がどんどん変わっていきます。




上流部の噴水が稼働し始めたことによって、下流側の大噴水池に水が流れ始めました。




3基並んでいる大噴水が一斉に稼働し始めました。公園一帯には水が吹き上がる音が響き渡っていました。




中央部に設置されている大噴水は、高さが約8.5メートルまで噴き上がるのだそうです。夕刻の時間帯になると、ライトアップも施されるのだとか。




ナイアガラの滝のすぐそばまで近づいてみました。そばに立っていると霧状の水が流れてきました。




霧状のミストと、噴水の組み合わせです。




下流側の大噴水へ向かいます。




大噴水池の背後には行幸通りのイチョウ並木道が通っているのが見えます。




行幸通りの歩道を歩いているときに和田倉噴水公園の敷地内を見ていても、この大噴水はすごく目立ちます。




以前の和田倉噴水公園の噴水は午前8時から午後8時まで稼働していたのですが、散策日も含めて、最近は午前10時から稼働しているようです。




正午の時間帯になると、周辺のオフィスビル街で働くビジネスマンの人たちで賑わいますが、午前10時過ぎですと閑散としていました。




3基揃って整然と稼働している大噴水の全景を撮影しました。背後には丸の内の高層ビル群が写っています。




和田倉噴水公園の敷地内に建てられているレストランや喫茶店が入居している建物を正面から撮影しました。営業時間に向けて準備中みたいでした。




噴水の稼働する音が響き渡っていますが、その音に負けないくらいの鉄骨を組み立てる音が遠くから響いてきます。すぐそばの「(仮称)日本生命大手町ビル」の建設現場からでした。




離れた位置からナイアガラの滝の池を眺めるのもすごくいいと思いました。




ここ20年くらいの間にパレスホテル東京を始めとして、和田倉噴水公園の北側は高層ビル化が進み「壁」のようになってきています。現在建設中の高層ビルが完成するとさらにそれが強くなるでしょう。




来年の今頃には建設中の高層ビルも完成している頃でしょう。これで真夏の和田倉噴水公園の散策は終わりです。


真夏の皇居東御苑:再開発進む大手町のビル街を通り抜けて、大手高麗門へ

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8月下旬の平日、東京地下鉄大手町駅にやってきました。高層化のための再開発工事が現在も進んでいる大手町地区の高層ビル街の中を通り抜けて皇居東御苑へ向かいます。




東京地下鉄大手町駅前に建設中の「東京プライムステージ・大手町タワー」の高層ビルを見上げて撮影しました。既に高層ビル自体は完成していて、現在は内装工事や低層階周辺の工事が行われています。




東京プライムステージの敷地内で整備中の緑地帯「大手町の森」を撮影しました。いつの間にか若木が多数敷地内に植えられていて、本当にオフィスビル街の中に原生林が生きているように見えました。




大手町の森の面積は約3600平方メートル、東京都心に森を再生することでヒートアイランド現象の緩和が期待されています。ビジネスマンの人たちが行きかっている中で、作業員の人たちが作業を続けていました。




再開発工事が至る場所で進められている大手町の高層ビル街の中をしばらく歩くと、永代通りと内堀通りが交差している「大手門交差点」に到着しました。正面に写っているのが「皇居東御苑・大手高麗門」です。




大手門交差点の北東角に建っていた「マルハ・りそなビル」は既に解体されていました。大手町周辺の道路はダンプトラックやクレーン車などの工事用車両の姿が目立ちます。




濃い緑に囲まれている「皇居東御苑・大手高麗門」を撮影しました。江戸時代は江戸城の正門の役割を担っており、この門の門前に位置していることから「大手町」の地名が生まれました。現在は日本を代表する大企業の本社が集積するビジネス街となっています。




大手門の形式は枡形門(ますがたもん)と呼ばれていて、手前側の大手高麗門(一の門)と奥に見える大手門渡櫓(二の門)と、「桝形」と呼ばれる四角形の場所から構成されています。




皇居東御苑や皇居前広場の敷地の東側を通っているのが「内堀通り」の大通りです。内堀通りの歩道部分には柳の並木道が綺麗に整備されています。




現在の大手町地区では古くなったオフィスビルの解体・取り壊し工事と、更地になった敷地で高層オフィスビルを建設する工事が同時並行的に進められている状況です。今後数年内に延べ床面積約100万平方メートル、東京ドーム21個分のフロアが新たに供給される予定となっています。




一つの新しい高層オフィスビルが完成すると、隣接している古いオフィスビル内に入居しているテナント企業が平行移動するように移転する。そして入居企業が無くなった古いオフィスビルを解体して新しい高層オフィスビルに建て替える…、という「玉突き方式」「ドミノ方式」の手法で再開発が進められています。




2000年に国の合同庁舎1・2号館の機能がさいたま新都心に移ることが決まり、この庁舎を壊すことでできた13400平方メートルの広大な空き地を活用して「玉突き方式」の再開発が始まることになりました。




まずその空き地に、隣接していた経団連、日本経済新聞社などが新社屋を建て、2009年に入居しました。経団連などが引っ越したビル跡地などには2012年10月に「大手町フィナンシャルシティ」が完成し、やはり隣接する日本政策投資銀行などが入居しました。




「大手門濠」の上に架橋されている土橋の「大手門橋」を渡って大手高麗門へ近づいていきます。この日は猛暑日ではないとはいえ、30度前後の暑い気温だったので皇居東御苑内は散策する人は少なかったです。




解体工事のためのクレーンが林立している中でひと際背の高い高層ビルが見えます。現在建設工事が佳境を迎えている「(仮称)読売新聞東京本社ビル」です。屋上のタワークレーンが段階的に撤去されていました。




「(仮称)読売新聞東京本社ビル」は読売新聞社の大手町の本社ビルを建て替えるためのプロジェクトで、地上33階・塔屋2階・地下3階建て、高さ200メートルと大手町地区で最も高い高層ビルとなっています。



真夏の皇居東御苑:緑の木々と芝生の高台広場を散策する PART2

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江戸城・本丸御殿の建物跡地に広がっている高台広場の散策道をしばらく歩いていると、前方に天守の在座跡地が見えてきました。天守の跡地は展望台が整備されているので、行ってみましょう。




江戸城の本丸御殿や天守と、当時の政治の中枢の中を散策していきます。江戸時代においては江城(こうじょう)という呼び名が一般的だったと言われていて、また千代田城(ちよだじょう)とも呼ばれていたそうです。




先程通り抜けてきた「大手高麗門」の南東側に建っているパレスビル、パレスホテル東京の高層ビルをズームで撮影しました。この高台広場の標高は約15メートル前後です。




江戸城の跡地に整備されている皇居東御苑の敷地内は非常に起伏のとんだ敷地が広がっていますが、これは自然にできた地形ではなく、江戸時代の初期の土木工事によって完成した地形なのです。




徳川家康が関東に入る以前は「太田道灌」という地方豪族が築いた江戸城が存在しましたが、その旧江戸城は厚さ約30メートルの土砂の底に眠っていると言われています。




現在の東京駅や日比谷公園、丸の内の高層ビル街を始めとして江戸時代初期は「日比谷入江」と呼ばれる湿地帯であり、その湿地帯の中に旧江戸城が構築されていました。




天下を掌握した徳川家康は「天下普請(てんかふしん)」と呼ばれる大がかりな土木工事を全国の大名にやらせて地形そのものを改変することにしたのです。その結果、日比谷入江は埋め立てられて江戸城の敷地の一部となりました。




太田道灌時代の江戸城は一体どこに埋まっているか?は長い間謎だったのですが、一説によると東京地下鉄東西線竹橋駅の地下約30メートルの地中に埋まっているのだとか…。




東京地下鉄東西線大手町駅と直結している工事中の高層ビル「東京プライムステージ・大手町タワー」を真正面の位置から撮影しました。周囲の高層ビルと比較すると最も高い建物であることが解ります。




現在の高層ビル群が広がっている丸の内・大手町は江戸城の敷地の一角であり、「大名小路」「大手前」という名前が付けられていました。江戸城が拡張された際には新たに外堀が作られ、外堀であったものが内堀となったため、御曲輪内(おくるわうち)と呼ばれるようになりました。




親藩や譜代大名の藩邸が24あったため「大名小路」とも呼ばれた。敷地内には南北町奉行や勘定奉行の奉行所、評定所も置かれていました。




「本丸天守台」前に到着しました。多くの観光客の人たちが展望台から周辺を眺めているようでした。




本丸天守台前から振り返って高台広場全体を見渡してみました。この広場全体が本丸御殿の敷地が広がっていたのですが、天守と共に現在は残ってはいません。




本丸天守台の展望台へあがる坂道の途中から振り返って本丸御殿の高台広場を撮影しました。標高約15メートル前後の高台が南北方向に伸びていて、木々に隠れてわかりにくいですがその後ろ側は断崖絶壁となっているのです。




断崖絶壁の奥が標高5メートル前後の丸の内・大手町のビジネス街が広がっています。そもそも目の前に広がっている高層ビル群のある場所は、江戸時代以前は東京湾に旧・神田川が流れ込んでいる海辺だったのです。




天守跡地の展望台を見渡した後は本丸跡地の広場の北東側から二の丸庭園へ降りることが出来る「汐見坂」を散策してみたいと思います。


真夏の皇居東御苑:高台広場を通り抜けて、汐見坂へ

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江戸城・本丸天守の跡地に整備されている展望台へ上っていきます。加賀藩前田家の普請によって完成した高さ18メートルの花崗岩でできた天守台の石垣の脇を通り抜けていきます。




展望台から北側の北の丸公園の緑地帯を撮影しました。8月下旬の時期の散策だったので、北の丸公園内は鬱蒼とした濃い緑で覆われています。緑地帯の中心には「日本武道館」の建物の屋根が突き出ているのが見えますね。




北の丸公園の緑地帯の中の日本武道館の屋根をズームで撮影しました。その背後にはJR飯田橋駅周辺で再開発工事中の高層ビル群が写っているのが見えます。




天守跡地の展望台から振り返って本丸跡地の高台広場と、丸の内の高層ビル群の全景を撮影しました。この展望台の高さは標高レベルで約35メートル程です。




JR東京駅周辺の丸の内地区と、丸の内の北側の大手町地区の二つの高層ビル群はこうして見てみると、一体化されて一つの巨大な高層ビル街として形成されています。




丸の内の高層ビル群の周辺には日比谷公園、皇居前広場、そしてこの皇居東御苑と性格の異なる3つの緑地帯や公園が整備されていますが、3か所から眺める丸の内の高層ビル群の雰囲気はどれも全く違って見えるのです。




丸の内の高層ビル群の南側一角をズームで撮影しました。2002年に建て替えられた丸の内ビル、東京中央郵便局を擁するJPタワー、日本一の総合商社である三菱商事の本社機能を有する丸の内パークタワーです。




天守跡地の脇に建っている建物は「桃華楽堂(とうかがくどう)」と言います。昭和41年2月に完成し収容人員は200名の音楽堂で、音楽好きの香淳皇后(こうじゅんこうごう)さまの還暦記念として建設されました。




高台広場の脇を通り抜けて「二の丸庭園」へ向かいます。高台広場から低地に整備されている二の丸庭園へは「汐見坂」と呼ばれる急坂でアプローチすることになります。




天守台跡地の置くにも散策道は続いていて、この道を道なりに進むと「北詰橋門」と言う名前の江戸城の門に出ることが出来ます。皇居東御苑を抜けて北の丸公園方向へ進む際にはこの門を利用するのが便利です。




高台広場から汐見坂を目指して木々が鬱蒼と生い茂っている散策道の中を歩いていきます。巨大な石垣に囲まれている散策道を道なりに沿って歩いていくと…。




本丸の高台広場から二歩丸庭園方向へ降りることが出来る「汐見坂」に出ることが出来ます。視界がパッと開けて、坂上から眺めていると展望台の上から見渡している感じでした。




坂下には「二の丸庭園」が整備されている広大な原生林が広がっているのが見えます。坂を下ってこの原生林の中を歩いていきます。そして正面には大手町の高層ビル群も広がっているのが見えます。




「汐見坂」は本丸と二の丸をつなぐ坂道でした。江戸時代以前は新橋から皇居前広場の近くまで日比谷入江が入り込み、この坂から海を眺めることができました。現在の丸の内の高層ビル群や東京駅がある場所のことです。




「汐見坂」と言えば、千代田区霞が関の中央省庁街の中にも同名の坂が存在します。あちらの「汐見坂」も江戸時代以前の日比谷入江を坂上から見下ろすことが出来たことから名付けられたそうです。




以前に二の丸庭園を訪れたのは今年の真冬の時期だったので、原生林全体が枯れ木状態だったのですが、8月下旬の時期の散策ですと濃い緑に覆われています。この原生林の中を散策して二の丸庭園へ向かいます。


真夏の皇居東御苑:緑に覆われている自然林を通り抜けて、二の丸庭園へ

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汐見坂から撮影した「二の丸雑木林」です。散策道が原生林の中を伸びていて、この散策道を歩いていくと「二の丸庭園」へ出ることが出来ます。原生林周辺は人通りが全くと言っていいほどありませんでした。




武蔵野台地の風景を代表する雑木林を再現して造営されている「二の丸雑木林」。コナラやクヌギなどの落葉樹の林が保たれ、チゴユリなどの春植物(樹木の葉が開く前の林内が明るいうちに葉を広げ、花を咲かせる植物)をはじめ、多様な動植物が生息・生育できる林となっています。




振り返って汐見坂とその両側に広がっている巨大な石垣を撮影してみました。この石垣の上面部分が本丸跡地の高台広場の地面と同じ標高高さとなっています。




今年の真冬の時期に訪れた時は原生林全体が枯れ木状態だったので、この散策道から正面に広がっている大手町の高層ビル群を眺めることが出来たのですが、現在だと濃い緑に覆われています。




この雑木林は昭和天皇のご発意によって、武蔵野の面影を持つ樹林として1982年(昭和57年)から1985年(昭和60)年にかけて整備されたものです。




真夏の強烈な太陽光が照りつけている東京都心部ですが、この雑木林の中では木陰の中を散策することが出来ます。




雑木林の中で形成されている「生物の多種多様性」を維持するという観点から、散策者が遊歩道内から自然林へ入ることは禁止されています。




木陰が出来ている散策道の中をサクサク歩いて二の丸庭園を目指しますが、この散策道は至る場所でカーブしていたり分岐していたりします。




昭和天皇の意向によって原生林が整備される以前は、この場所には広大な芝生が整備されていたそうです。視界が開けてきました…。




二の丸原生林の東側に広がっている「二の丸庭園」に出ることが出来ました。庭園周辺にも数多くの木々が植えられていて、色鮮やかな濃い緑色に光り輝いていました。




30度前後の真夏日の中の散策だったため人通りもほとんどなく、閑散とした雰囲気に包まれていました。周辺はセミの鳴き声だけが響き渡っていました。




二の丸庭園内を歩いていると物凄く目立つのが正面に写っている「日本経済新聞社本社ビル」と「経団連ビル」の二つの高層ビルです。この高層ビル群がある意味「借景庭園」の役割を果たしているのかもしれませんね。




完成間際の「(仮称)読売新聞東京本社ビル」もこれからは、この借景庭園の仲間入りとなることでしょう。大手町地区の取り壊しと高層化のための再開発工事は今後も続きますから、10年後には一体どんな風景になっているのやらです。




二の丸庭園の一角には「菖蒲園」が整備されていて、5〜7月にかけて綺麗な花菖蒲を鑑賞することが出来ます。8月下旬ですと枯れかけている菖蒲を眺めることが出来ます。




菖蒲園の周囲には丸太や石で護岸を整備しているせせらぎが造られていて、綺麗な水が流れています。二の丸庭園の中での見どころの一つだと思います。




花菖蒲の花壇とせせらぎの間には、簡易的な水門まで設けられていたりします。次回の記事では二の丸庭園の池の周囲を散策していきます。


真夏の皇居東御苑:真夏の季節の二の丸庭園内を散策する PART1

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標高が高い高台広場の上に構築されている本丸に対して、低地に造られている「二の丸」は将軍の別邸やお世継ぎの御殿が建てられていた場所です。御茶屋や泉水も造られていましたが、基本的には本丸御殿を簡略化して造られていました。




二の丸の御殿は現在の「二の丸雑木林」の広がっている場所に建てられており、現存してはいません。そして建物の前に広がっている「二の丸庭園」は現在も整備されています。




現在は枯れ草状態となっている花菖蒲園越しに二の丸庭園を撮影してみました。花菖蒲は5〜7月頃に咲くので、8月現在では眺めることはできなくなっています。




花菖蒲園の奥には二の丸庭園の中核をなしている池の水面が広がっていて、その池を取り囲むように散策道が整備されています。




花菖蒲園を取り囲むように掘られているせせらぎですが、透明な水が雑木林方向から流れてきて、二の丸庭園の池内に流入していきます。




二の丸雑木林から流れてくる小川のせせらぎの水を菖蒲園内に引き込むこともできる構造になっていて、せせらぎの護岸には簡易的な水門も何箇所か設置されています。




二の丸の「池泉回遊式庭園」の全景を撮影してみました。庭園の中央には周囲3か所の水源から流れ込んでくる池が設置されていて、その周囲に散策道や木々が整備されています。




二の丸雑木林から庭園の池に流れ込んでいる小川のせせらぎの上に架橋されている木橋が設置されていました。木橋の上から二の丸庭園を撮影してみます。




せせらぎ上の木橋から二の丸庭園を撮影してみました。正面に広がっている濃い緑の木々の背後には宮内庁病院や皇宮警察宿舎の建物の敷地となっています。




そして借景庭園の要領で、大手町の高層ビル群が二の丸庭園の背後に写っているのが見えます。大手町地区の北端部に近い場所に林立している高層ビル群を眺めることが出来ます。




二の丸庭園の池に流れ込んでいるせせらぎを真上から撮影しました。真夏の季節で最近の東京都心部脳量も減ってはいましたが、水量も多かったです。




江戸城の本丸の高台広場や天守跡地周辺はこの日も多くの観光客の人たちで賑わっていましたが、この二の丸庭園周辺はほとんど人通りがありませんでした。




庭園の池は大きく二つに分割されていて、その間をアーチ橋と散策道が通っています。北側の池には岩山と滝が設置されているので見に行きましょう。




濃い緑の木々に覆われているので判りにくいですが、二の丸庭園の敷地の東側(大手町側)には岩山や石垣などによって築堤のような地形が整備されているのです。




池の周囲に整備されている散策道を歩いていきます。散策道には展望所やベンチなども設置されているのですが、この日は誰もいませんでした。




アサザやヒツジグサ、コウホネなどの水生植物が数多く生息している二の丸庭園の水面には、庭園内に植えられている木々や青空が綺麗に写り込んでいました。


真夏の皇居東御苑:真夏の季節の二の丸庭園内を散策する PART2

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二の丸庭園の中央部の池の周囲に張り巡らされている散策道を歩いていきます。「池泉回遊式庭園」の日本庭園なので、歩くごとに庭園内の風景が変わっていくのを楽しむことが出来ます。




二の丸庭園の大手町側の斜面には岩山と滝が造営されていて、滝の水は手前側の池に流れ込んでいます。庭園の周囲には滝の流れ落ちる水の音だけが響き渡っていました。




池の周囲を歩いて、アーチの木橋の上にやってきました。この木橋と散策道によって、二の丸庭園の池が二つに分割されています。橋の周辺では大きな鯉たちが泳いでいました。




北側の池には雪見灯篭や洲浜が整備されています。やはり真夏の季節だからなのか、若干池の水量が少ないように感じました。今年の真冬の時期に散策した時は、もっと水量が多かったと思います。




画像正面の、観光客の男性が座ってくつろいでいる場所の後ろ側に岩山と滝が設置されています。周囲の木々の陰になってしまっているので、はっきりとは見えにくいですね。




池の中にはアサザやヒツジグサ、コウホネなどの水生植物が生息しているほか、前述の鯉や亀などの生物も泳いでいたりします。




二の丸庭園の敷地の西側(本丸高台広場側)に広がっている雑木林を撮影しました。江戸時代はこの雑木林が広がっている場所に二の丸御殿の建物が建てられていました。




池の周囲には、皇居前広場で見かけるような黒松の木々が数多く植えられています。ちょうど太陽の光が真上から照りつけてくるので、綺麗な緑色に光り輝いていました。




江戸城・二の丸庭園を造営したのは江戸時代の造営師である小堀遠州です。三代将軍徳川家光の命で改修されたと伝えられる庭園だったのですが、長い年月の間にたびたび火災で焼失しました。




明治以降は荒廃していた状況でした。現在の回遊式の庭園は1968年(昭和43年)の皇居東御苑の公開にあたり、九代将軍徳川家重の時代に作成された庭園の絵図面を参考に造られたものです。




二の丸庭園を取り囲むように植えられている木々は非常に緑の密度が高いので、まるで庭園の周囲が原生林に覆われているように見えます。




岩場や滝が設置されている北側の池の全景を撮影しました。池の背後に植えられている木々の緑が、まるで壁のように迫ってくる感じに見えます。




平坦な地形の中に造営されているイメージの強い二の丸庭園ですが、よく見ると庭園の北側は緩やかな斜面となっていて意外と起伏のある場所であることが解ります。




池の周囲には芝生広場も整備されていました。散策している時はまったく気がつかなかったのですが、後日写真を眺めている時に発見しました。




庭園北側の緩やかな斜面の上から見下ろす要領で撮影しました。当たり前の話かもしれませんが、やはり池の水面のある場所が一番標高が低い場所になっているのですね。




二の丸庭園を後にし、皇居東御苑の北側の入り口である平川門・パレスサイドビル前へ向かいます。


真夏の皇居東御苑:梅林坂を通り抜けて平川門、地下鉄竹橋駅前へ PART1

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二の丸庭園から皇居東御苑の北東側の入り口である「平川門」へ向かって歩いていきます。途中の散策道脇には「都道府県の木」が植えられています。日本全国47都道府県を代表する木が1本ずつ植えられていて。それぞれの木のそばには説明板が設置されています。




都道府県の木のエリアの隣に建っているのが「諏訪の茶屋」の建物です。江戸時代には江戸城の敷地内一帯にあったのですが、この建物は明治45年に再建されたものです。




本丸跡地の高台広場の丘陵地帯と石垣を左手に眺めながら、皇居東御苑の敷地の歩行等側へ向かって散策を続けていきます。この界隈は人通りはほとんどありませんでした。




都道府県の森の全景を撮影しました。1968年(昭和43年)の皇居東御苑の公開に際し、都道府県から寄贈された各「都道府県の木」が植えらています。




ちなみに沖縄県の木は、沖縄が日本本土に復帰した1972年(昭和47年)に植樹されました。個性的な木々が多い中で、宮崎県の「フェニックスの木」の存在感が目立っていました。




二の丸庭園側から平川門方向へ歩いて行くと緩やかな坂道が見えてきました。この坂の名前を「梅林坂」と言いますが、その名の通り3月下旬ころの季節になるときれいな白梅や紅梅が坂周辺に咲き乱れることになります。




徳川家康が江戸時代初期に江戸に入るずっと以前の文明10年(1478年)に太田道灌が菅原道真を祀り、梅樹数百株を植えたのでこの名があるといわれています。




坂周辺の傾斜地に数多くの白梅や紅梅の木々が植えられていて、梅の花が咲く早春の季節になると数多くの人々で坂周辺がにぎわうことになります。




8月下旬現在の白梅や紅梅の木々は、きれいな緑に覆われている状況でした。




梅林坂の坂下に向かって歩いて行くと、そのまま平川門へ向かうことができます。石垣の切り通し地形があり、ここも江戸城の門跡地であることがわかります。




門の跡地を通り抜けて道なりに進んでいきます。周囲にはセミの鳴き声だけが響き渡っていて、それ以外はひっそりとした雰囲気に包まれていました。




鬱蒼としている木々に囲まれているのでわかりにくいですが、この散策道は江戸城の天神濠と平川濠に囲まれている土橋のような地形の上にあるのです。




平川門へ向かって緩やかな下り坂が続きます。ここにも門の跡地があり、枡形の地形が成立していたのではないかと思われます。




坂道が終わり、3か所目の門跡地が見えてきました。非常に江戸城防衛のための施設が多い印象を受けますが、江戸時代当時の江戸城北側の北関東や東北地方は敵が多い場所だったらしいので、その意味合いが強いのかもしれません。




管理事務所の建物が見えてきました。事務所の係りの方に訪問者カードを返却して皇居東御苑から退出することになります。奥に見えるのが「皇居東御苑・平川渡櫓」です。


真夏の皇居東御苑:梅林坂を通り抜けて平川門、地下鉄竹橋駅前へ PART2

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皇居東御苑の敷地の北東側に設置されている「平川門」を通り抜けて、敷地内から退出したいと思います。皇居東御苑にはこれ以外に大手門、北詰橋門の合計3か所の出入り口が設置されていて、どこからでも出入りすることが可能です。




江戸城の正門であり、現在でも大手町の高層ビル街の正面に設置されている「大手門」に対して、平川門は江戸城の裏門としての性格が強く、大奥に最も近いので、大奥女中達の出入りする通用門でもありました。




第二門である「平川渡櫓」を通り抜けて、平川門の「枡形地形」の中を散策していきます。枡形の内部には黒松の木々や、芝生広場が綺麗に整備されていました。




今回の散策で皇居東御苑に入場する際に通り抜けてきた大手門の枡形内が更地状態になっているのと比較すると、すごく来場者向けに気を遣っているなと感じました。




第一の門である「平川高麗門」を正面から撮影してみました。大手高麗門と同じく、両開きの門扉を収納するための小さな屋根が二つ設置されています。




平川高麗門前から内堀通りへ向かって「平川橋」の木橋が架橋されており、この橋を渡って皇居東御苑の敷地内から退出することが出来ます。平川門や平川橋周辺では人通りはほとんどありませんでした。




平川橋や内堀通りの真正面に建っているこの建物は「毎日新聞東京本社」などが入居している「パレスサイドビル」です。その名前の通り、皇居東御苑の真正面に建っている高層ビルなのです。




1966年に、かつて有楽町にあった毎日新聞東京本社の機能を移転するために開業したビルで、当時は斬新なデザインが話題となって、東京の新名所にもなったそうです。




日本の総合商社の一つである「丸紅株式会社本社ビル」です。以前の本社機能は大阪市中央区の本町に位置していたのですが、2003年6月にここ竹橋に移転してきました。




内堀通りに沿って広がっている「大手濠」の水面を撮影しました。この水面の真下に東京地下鉄東西線の竹橋駅ホームやトンネルが埋まっています。この界隈に「竹橋」という地名は存在していませんが、地下鉄の駅名として有名なので通称として辺り一帯は竹橋と呼ばれています。




巨大な通信アンテナが設置されている高層ビルが二つ見えますが、左側が「気象庁本庁舎」、右側が「東京消防庁」です。気象庁は霞が関ではなく、大手町に設置されています。




内堀通りの歩道を散策して、東西線の竹橋駅へ向かいたいと思います。東西線に乗れば、私「緑」のホームタウンへ乗り換えなしで帰ることが出来ます。




内堀通りの歩道部分も綺麗に整備されていて、ちょっとした広場や芝生、ベンチなどが設置されています。左奥に見えるアーチ状の橋が地下鉄の駅名にもなっている「竹橋」です。




内堀通りの歩道は皇居の周辺を走るマラソンランナーの姿が多いのですが、この日は30度前後の猛暑日だったので走っている人の姿はまったくありませんでした。




大手濠に架橋されている平川橋の全景を撮影しました。橋板や欄干部分は木製ですが、橋の基礎の部分は鉄筋コンクリート製になっています。緩やかなアーチを描いているスマートなデザインなのですね。




東西線・竹橋駅前に到着しました。目の前にはパレスサイドビルの巨大な建物があり、物凄く存在感があります。これで真夏の皇居東御苑の散策は終わりです。



真夏の六本木ヒルズ:六本木通りから人工地盤「六六プラザ」へ

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8月下旬の平日、東京地下鉄日比谷線の六本木駅にやってきました。2003年4月に開業して、今年で10年目になる六本木ヒルズを散策したいと思います。




六本木ヒルズの敷地が六本木通りと接してある場所に建っている「メトロハット」を撮影しました。日比谷線の六本木駅の地下通路から六本木ヒルズの敷地内へダイレクトにアクセスすることが出来る構造になっています。




六本木ヒルズは山手線環状部のほぼ中央にあり、アクセス手段は日比谷線や都営大江戸線、新橋駅と渋谷駅を結ぶ都営バスなどがあります。




メトロハット脇から「六本木ヒルズ森タワー」を見上げて撮影しました。開業から10年目に入る高層ビルですが、洗練されたデザインは10年経っても全く古さを感じさせません。




六本木通り歩道から六本木ヒルズの正門である「六六プラザ」の人工地盤へ伸びている階段を上っていきます。こうしてみると、階段周辺も緑化されていました。




森タワーやメトロハット、これから向かう六六プラザなど、六本木ヒルズの構造物は曲線を多用したデザインのものが数多くあります。それが逆に散策する人間にとっては施設の全体像を把握するのが難しい、という批判も存在します。




階段上から六本木通りと、通りの上に架橋されている首都高速3号渋谷線の高架橋、六本木の繁華街を撮影しました。大通り周辺は雑多な繁華街ですが、路地へ一歩入れば閑静な住宅街が広がっています。




メトロハットの建物をすぐ脇から見上げて撮影しました。




地上2階部分に相当している人工地盤「六六プラザ」内を散策していきます。六本木ヒルズを訪れるビジネスマンや観光客の人たちの流れはすべてこの人工地盤に集まる動線になっているので、人通りが多いです。




地下1階にある日比谷線六本木駅の地下通路からエスカレーターで一気に地上2階まで上がる構造になっています。




プラザの一角にはミストシャワーが設置されていて、多くの人たちがベンチに腰掛けて涼しさを満喫していました。




10年前の開業時に訪れた時には奇抜なデザインの建物ばかりで面食らった事を覚えていますが、現在では六本木の街並みの中に溶け込んでいると思います。




人工地盤の上には花壇や樹木などが植えられています。ビジネスマンの人たちにとっての憩いの場所でもあるわけですね。




散策道脇には人工の滝なども設置されています。




10年程前は若木状態だった人工地盤の木々も、現在は立派に育っているようです。




六本木ヒルズはオフィスや商業施設が混在していて、ビジネス目的の人たちの流れと、観光や商業目的で訪れている人たちの流れが分離出来ていない、という批判も存在しています。2007年に開業した近隣の東京ミッドタウンでは、その課題をうまく解決したそうです。


真夏の六本木ヒルズ:六六プラザから住居区画を通り抜けて

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人通りが多い六六プラザから、六本木ヒルズ森タワーを見上げて撮影しました。丁度午後の時間帯の散策だったため、プラザ内が森タワーの建物の影の中に入ってしまっていました。




六六プラザと直結している「ハリウッド・ビューティプラザ」の施設脇には小ぶりなバラ園が整備されています。とは言ってもバラが咲くのはこれからの季節になります。




六六プラザ内には多くのベンチが設置されていて、ビジネスマンや観光客の人たちが休憩していました。




バラ園の脇の階段テラスから六六プラザの人工地盤周辺を撮影してみました。六本木ヒルズの敷地は「麻布台地」と呼ばれている丘陵地帯の斜面や高台の上に位置しています。その地形の起伏を生かしたデザインとなっています。




輪を6つ並べたシンボルマークが六六プラザの壁面に打ち込まれていますが、これが「六本木ヒルズ」のコーポレートマークとなっています。




六本木ヒルズの敷地内の高台に相当しているテラスから、六本木ヒルズの東側に広がっている東麻布地区の市街地を撮影しました。高層オフィスビルやタワーマンション、住宅地が混在しているエリアです。




正面にそびえ立っている東京タワーの存在感が目立ちます。丁度2020年開催の東京オリンピックの招致運動がピークに達している時期だったので、夜になるとオリンピックの5色のライトアップが施されています。




基準以上の耐震強度を有している六本木ヒルズ森タワー、そばから見ていても普通の高層ビルとは違う「重厚感」が伝わってきますね。地震などの災害発生時には「自家用発電設備」を作動させて周辺地域に電力を供給する仕組みもあるそうです。




森タワーの高層階フロアにある「森アーツセンターギャラリー」、「森美術館」、屋内展望台である「東京シティビュー」の入り口であるミュージアムコーンの脇を通り抜けていきます。




道なりへ進むと六本木ヒルズの住居区画である「六本木ヒルズレジデンス」のエリアへと入っていきます。この界隈はビジネスマンや観光客の姿はなくなり、住民の人たちしかいません。




そしてその手前側にはテレビ朝日本社ビルに併設される形で設置されている「六本ヒルズアリーナ」の巨大空間が広がっています。




六本木ヒルズの敷地内の地形の起伏を生かして、散策道やデッキの上からアリーナを見下ろしたりすることが出来る構造になっています。




六本木ヒルズアリーナの奥には、曲線を多用している「テレビ朝日本社ビル」の建物が建っています。




そしてその脇の低地部分には六本木ヒルズの緑地帯である「毛利庭園」が広がっているのが見えます。後ほど毛利庭園内を散策してみます。




一度住居区画のエリアの中を突っ切って元麻布地区の住宅街の中を歩き、六本木ケヤキ坂の坂下まで周り込んでみたいと思います。




閑静な雰囲気が漂っているタワーマンション周辺を散策していきます。


真夏の六本木ヒルズ:六本木ケヤキ坂周辺を散策する

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六本木ヒルズの敷地内の一角に建っている「テレビ朝日本社ビル」です。六本木ヒルズが竣工した2003年4月の前月の3月末にこの新社屋が稼働し始めました。




六本木ヒルズが竣工する以前、かつてこの界隈が住宅密集地だった時代からテレビ朝日の本社はこの場所に設置してありました。




テレビ朝日本社ビルの敷地の東側を通っているのは「六本木けやき坂通り」です。この辺りは東側(麻布十番側)へ向かって緩やかな傾斜地となっており、その上に施設が建設されています。




2棟のタワーマンションが建っている住居区画内も非常に起伏がある土地であり、斜面や坂などが存在しています。住居区画のすぐ外側は、元麻布地区の住宅密集地が広がっています。




真夏の時期の散策だったので、十区画周辺の坂や並木道などは鬱蒼とした濃い緑に覆われていました。真冬の時期に訪れた時は、枯れ木状態だったので見晴らしが良かったと思います。




住居区画周辺は人通りもなく閑散としていて、人通りが多かった森タワーや六六プラザ周辺と比較するとその落差を感じました。




一度元麻布地区の住宅地の中の道路歩いて、六本木ヒルズの敷地の南側(麻布十番寄り)へ移動しました。これから外苑東通り沿いに散策していきます。




六本木ケヤキ坂通りの坂下へやってきました。正面にはテレビ朝日本社ビルが写っています。




外苑東通りはこの先で緩やかな左カーブを描き、「六本木トンネル」内へ入っていきます。この六本木トンネルは再開発工事以前から存在していました。




六本木ヒルズのほど近い場所にある東京ミッドタウン・ミッドタウンタワーをズームで撮影しました。




緩やかな上り坂が奥へ向かっている約400メートル程の六本木ケヤキ坂を撮影しました。




坂の両側を高層ビルで囲まれているため、いつ訪れても薄暗い印象が強いのですが、すごくおしゃれな雰囲気の中を散策することが出来ます。




六本木ケヤキ坂の西側には、テレビ朝日本社ビルの建物が壁のように奥まで続いています。




11月の中旬ごろになるとケヤキ並木の効用を楽しむことが出来ますが、現在は濃い緑に覆われていました。




六本木ケヤキ坂から森タワーを見上げて撮影しました。


真夏の六本木ヒルズ:緑の木々に囲まれている毛利庭園を散策する PART1

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六本木ヒルズの緑地帯である「毛利庭園」の中を散策していきます。庭園の敷地内は真夏らしく、濃い緑の木々に覆われていて鬱蒼とした雰囲気に包まれていました。




散策道の周囲は広大な芝生広場に覆われていて、意外と起伏のある地形となっています。庭園のすぐ脇にはテレビ朝日本社ビルの建物がそびえるように建っています。




現在六本木ヒルズの敷地が広がっている六本木六丁目地区は、江戸時代は「麻布日ヶ窪」と言う地名で呼ばれていました。その名の通り、周囲を高台で囲まれている窪地のような地形が広がっていたのです。




江戸時代のこの場所には長府毛利家(長州藩支藩の長門府中藩)の屋敷が置かれていました。毛利庭園は、かつての屋敷に併設されていた大名庭園だったのですね。




現在六本木ヒルズでは「森美術館10周年記念展LOVE展」が開催されていて、毛利庭園内の池にはハートマークを模ったモニュメントが設置されています。




丁度六本木ヒルズ森タワーの建物の陰に隠れてしまう形で、庭園内の一角が暗くなってしまっていました。




正面には東京ミッドタウンのミッドタウンタワーの高層ビルが写っていますが、逆光状態になってしまいました。




毛利庭園の池の周囲に整備されている散策道を歩いていきます。気温が30度前後の真夏日の散策だったので、庭園内を歩いている人の姿はほとんどありませんでした。




振り返って撮影してみると、庭園の敷地の奥には六本木ヒルズの巨大な建物群が広がっているのが見えます。




2003年に六本木ヒルズが開業した際は、当時は都市再開発の中で緑地帯を設けることがすごく斬新で新しい試みだったのですごく印象に残っています。




その後の同じ六本木地区で2007年4月に開業した東京ミッドタウンでは敷地面積全体の半分に当たる、約5万平方メートルの緑地帯が整備されています。




庭園内の高台から毛利庭園の全景を撮影してみました。今となっては東京ミッドタウンの広大な緑地帯と比較すると、随分チマチマした庭園だなぁと感じてしまいます。




防衛庁本庁舎跡地という広大な土地を一気に活用できた東京ミッドタウンに対して、住宅地の地権者と人たちと10年以上の歳月をかけて土地を確保して開発した六本木ヒルズとでは、やはりコンパクトな造りにならざるを得ないのかもしれないですね。




庭園脇に小ぶりな高台として整備されている小山の中を散策していきます。庭園内や池を見下ろする事が出来ます。




この毛利庭園の木々や池は、六本木ヒルズの再開発工事に併せて全てが造り直されているのです。かつての毛利庭園の地面は、地下に埋まっているのだとか。


真夏の六本木ヒルズ:緑の木々に囲まれている毛利庭園を散策する PART2

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毛利庭園の北側(六本木の繁華街側)のちょっとした丘陵の上に整備されている散策道を歩いていきます。高台の上から庭園を見下ろしてみると、低地の池や周囲の散策道とテレビ朝日本社ビルが見えました。




丘陵の中の散策道は、六本木ヒルズ森タワーの高層ビルの陰の中に入ってしまっていたので、昼間だったのですが薄暗かったです。




緑のトンネルと化している散策道の中を歩いていきます。散策道の中には所々にベンチが設置されていて、休憩している人たちがいました。




江戸時代のこの場所は長府毛利家(長州藩支藩の長門府中藩)の屋敷がおかれていて、明治維新後は、法律家・増島六一郎(中央大学の前身である英吉利法律学校の創立者の1人で初代校長)の邸宅になっていました。




1952年にニッカウヰスキーの工場、後に日本教育テレビ(後の全国朝日放送→テレビ朝日)の敷地となりました。その敷地内の中で毛利庭園は維持され続けてきました。




また、日本で最初の美容室として知られるメイ牛山のハリウッドビューティサロンやハリウッド化粧品、ハリウッド美容専門学校の広大な敷地が戦前から存在しました。




毛利庭園の池に流れ込んでいる滝や渓流の上を散策道は通っています。散策道の上から渓流を撮影してみました。周辺には滝の流れ落ちる水の音だけが聞こえます。




開業10周年を迎えている六本木ヒルズでは現在様々なイベントが開催されていて、毛利庭園の池にはフランスの芸術家・ジャン=ミシェル・オトニエル氏の作品「kin no kokoro」が展示されています。




このモニュメントを真横から見るとメビウスの輪のように見えますが、正面から見ると見事なハートマークに見えます。




毛利庭園の敷地内から出て、六本木ヒルズアリーナの巨大空間へ戻ることにします。特にイベントなどが開かれていない時のアリーナ内ではベンチやテーブルが設置されていて、くつろげる空間になっています。




六本木ヒルズの再開発工事に伴い、毛利庭園は土地の造成レベルでの再整備が実施されました。かつて「ニッカ池」と呼ばれていた古い毛利庭園の池は土砂で埋め立てられていて、その上に現在の毛利庭園が整備されました。




六本木ヒルズアリーナ前から振り返って毛利庭園を撮影してみました。テレビ朝日本社ビル周辺を散策する人の数が目立ちます。




地下鉄日比谷線の六本木駅へ戻るために、アリーナの脇を通って六六プラザ内を歩いていきます。途中の階段テラスから六本木ヒルズの敷地の北側を通っている外苑東通りを見下ろして撮影しました。




東京タワーはどこから見ても「絵」になりますね。




六六プラザのある地上2階から、メトロハットの中に設置されているエスカレーターに乗って一気に地下1階の日比谷線六本木駅へ降りていきます。




やはり何度散策しても六本木ヒルズ内の敷地は物凄く複雑で迷いやすかったです。これで真夏の六本木ヒルズの散策は終わりです。


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