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9月の四谷散策:JR四谷駅前から市ヶ谷まで散策する PART1

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9月中旬の平日、東京地下鉄丸ノ内線の四ツ谷駅にやってきました。四ツ谷駅前から外堀通りを散策して市ヶ谷方向へ向かって歩いてみたいと思います。




JR・東京地下鉄の四ツ谷駅は、山手線環状部のほぼ中間地点に位置しています。新宿方向へ伸びている甲州街道(国道20号線)と、外堀通りが交差している場所です。




JR中央快速・緩行線、東京地下鉄丸ノ内線、南北線と、4路線が交差している四ツ谷駅です。地下鉄でありながら、丸ノ内線の駅舎や駅ホームは地上に設置されています。




甲州街道(国道20号線)越しに、JR四ツ谷駅の駅ビル「atre(アトレ)四ツ谷」の建物を撮影しました。この駅ビルの真下に中央快速・緩行線ホームが設置されています。




甲州街道(国道20号線)と外堀通りが交差している「四ツ谷見附交差点」を撮影しました。どちらの通りも非常に交通量が多かったです。




東京都心部の中枢から、新宿方向へ伸びている甲州街道(国道20号線)の大通りをズームで撮影しました。四ツ谷地区から新宿駅周辺まで繁華街やオフィス街、住宅街が密集しています。




中央快速・緩行線ホームは江戸城・外濠跡地に建設されているので、四谷見附周辺からは電車の姿や線路を眺めることはなく、一見するとここに駅があるようには見えないですね。




JRと丸ノ内線の線路の上に架橋されているのが甲州街道(国道20号線)の「四ツ谷見附橋」です。現在の四ツ谷見附橋は1991年(平成3年)に旧四ツ谷見附橋を架け替えたものです。




江戸時代のこの場所には江戸城の「四谷見附」の門がこの場所にありました。すぐ近くには尾張徳川藩上屋敷(現・陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地)もあり、江戸城から見た西側の要衝だったのです。




四ツ谷駅の西側には「上智大学四谷キャンパス」の広大な敷地が広がっています。江戸時代は尾張藩徳川家の拝領屋敷がありました(陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地は、上屋敷)。




外堀通りを北へ向かって散策し、市ヶ谷駅方向へ向かいます。




外堀通りの歩道を市ヶ谷方向へ向かって散策していきます。外堀通り脇を流れている外濠が、千代田区と新宿区の境界線となっています。




鬱蒼とした緑に覆われている並木道となっている外堀通りの歩道を散策していきます。駅から少し離れると人通りはあっというまに少なくなってしまいました。




緑地帯が壁のように迫っているので判りにくいですが、通りの(進行方向)右側には外濠の水面が広がっているのです。




外堀通りに面した場所にはオフィスビルなどが整然と並んでいますが、通りから一歩高台の路地裏へ入ると、閑静な住宅街が広がっているのです。



9月の四谷散策:JR四谷駅前から市ヶ谷まで散策する PART2

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外堀通りから路地へ入る道路はすべて緩やかな上りの坂道となっています。これは外濠や外堀通りがこの界隈の中で最も低地部分を通っているからです。




江戸城の外濠に沿って通っている外堀通りは数多くのカーブが設置されていて、四谷〜市ヶ谷間でも緩やかな右カーブが設置されています。




そして、四谷見附交差点からJR市ヶ谷駅方向にかけては、外堀通り自体も緩やかな下り坂になっているのです。




外堀通りの(進行方向)右側には「外濠公園総合運動場」の敷地が広がっています。かつて外濠の水面だった場所を埋め立てて造成したのです。




右カーブの先には再び緩やかな左カーブが設置されていて、S字カーブのようになっています。東京都心部にほど近いこの界隈にこのような場所があったのですね。




左カーブの先には市ヶ谷や飯田橋の高層ビル群が小さく見えます。この地域もここ4、5年くらいの間で高層ビルが急激に増えてきました。




しばらく道なりに沿って散策していきます。




ズームで撮影してみると、外堀通りに沿ってJR市ヶ谷駅周辺の繁華街のビル群が見えてきました。市ヶ谷駅まで約400メートル程です。




鬱蒼とした木々に遮られていたのでこれまで眺めることが出来なかった外濠の水面や、JR中央快速・緩行線の線路群が見渡せそうです。




木々の合間から外濠の水面を見下ろすことが出来ました。電車内からだと常に外濠の水面を眺めることが出来るのですが…。




外濠の水面を挟んだ対岸は「千代田区の五番町地区」の閑静な住宅密集地が広がっています。




市ヶ谷駅前へ向かってなお緩やかな下り坂が続いていきます。




外濠通りと靖国通りが交差している「市ヶ谷八幡町交差点」が見えてきました。




市ヶ谷八幡町交差点に到着しました。新宿と東京東部の錦糸町を結んでいる靖国通りは、市ヶ谷駅前で「市ヶ谷橋」を介してクランクカーブ状のルートを形成しています。




外濠の水面を挟んだ対岸に見えるのがJR市ヶ谷駅の駅舎やホームです。これで9月の四谷周辺の散策は終わりです。


9月の神宮外苑:青山通り(国道246号線)から、イチョウ並木を散策する

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9月中旬の平日、東京地下鉄銀座線の青山一丁目駅にやってきました。これから2020年に開催される東京オリンピックのメイン会場である国立競技場などがある「神宮外苑」の中を散策してみたいと思います。




青山通り(国道246号線)と外苑東通りが交差している「青山一丁目交差点」を撮影しました。交差点の北側には赤坂御用地の広大な緑地帯が広がっています。




青山一丁目交差点から、表参道方向へ向かって青山通り(国道246号線)を散策していきます。通勤ラッシュが終わった午前9時過ぎの青山通りは人通りもまばらになっていました。




大通り沿いにはオフィスビルなどが整然と立ち並んでいて、少し先へ進んだ表参道地区にはファッションビルなども多いです。




正面に「伊藤忠商事東京本社ビル」の建物が見えてくると、明治神宮外苑の入り口である「青山二丁目交差点」です。




青山二丁目交差点から、明治神宮外苑の象徴である「イチョウ並木道」が敷地内へ向かって続いています。このイチョウ並木道を散策していきます。




青山通り(国道246号線)の青山二丁目交差点から神宮外苑の敷地内へ伸びているこのイチョウ並木道は、東京都道414号線と呼ばれています。




並木道の両側に2列ずつ、合計4列のイチョウ並木が交差点から外苑総合グラウンド方向へ向かって真っすぐ伸びています。9月中旬の時期ですと、鬱蒼とした緑のトンネルと化しています。




これらのイチョウは、1926年(大正15年)の明治神宮外苑創建に先立って、1923年(大正12年)に植栽されたものです。並木の総本数は雄木44本、雌木102本の合計146本となっています。




緑のトンネルとなっているイチョウ並木の中を散策していきます。歩道部分も道幅は非常に大きく確保されていました。




並木道の中には数十メートル置きにベンチが設置されていて、座って休憩している人の姿が見受けられました。




まだ9月中旬の散策だったのですが、既に歩道部分には落葉しているイチョウの葉がちらほら見受けられました。




9月中旬にもかかわらず、この日は気温が29度近くまで上がる残暑日だったのですが、イチョウ並木の中はひんやりとした空気に包まれていました。




このイチョウ並木道の設計者は、関東大震災後の復興事業で隅田公園や錦糸公園、山下公園などの建設も指揮した建築家、折下吉延氏です。




しばらく歩いていると、前方の視界が開けてきて並木道の終わりが見えてきました。




樹齢約90年になるイチョウ並木道です。表参道のケヤキ並木道や、青山霊園の桜並木道と併せて、東京を代表する並木道だと思います。


9月の神宮外苑:神宮球場、国立競技場周辺を散策する PART1

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明治神宮外苑・イチョウ並木道の北端部に到着しました。目の前には「外苑総合グラウンド」の広大な敷地が広がっており、その奥には「聖徳記念絵画館」の建物が建っているのが見えます。




神宮外苑の敷地の中心に建っている建物であり、幕末から明治時代までの明治天皇の生涯の事績を描いた歴史的・文化的にも貴重な絵画を展示しています。




平日の通勤ラッシュが終わった時間帯の外苑総合グラウンド周辺は人通りはほとんどなく、閑散とした雰囲気に包まれていました。




外苑総合グラウンドを周回している道路に沿って散策を続けていきます。明治神宮球場や国立競技場の脇を通り抜けて、JR千駄ヶ谷駅へ向かいます。




しばらく歩いていると「明治神宮球場」が見えてきました。プロ野球・セリーグの球団の一つである「東京ヤクルトスワローズ」の専用球場(本拠地球場)として全国的に有名ですね。




東京六大学野球連盟のリーグ戦開催球場として1926年(大正15年)に開場以来、アマチュア野球においては大学野球の主要球場として長年使用されてきた歴史があります。




神宮球場の敷地に併設されている「明治神宮外苑ゴルフ練習場」の施設を撮影してみました。




プロ野球の試合が開催される日には多くの人たちで賑わう神宮球場やその周辺ですが、散策日は閑散とした雰囲気に包まれていました。




ゴルフ練習場の敷地の脇を歩いていくと、前方に「国立競技場」の建物が見えてきました。2020年に開催される東京オリンピックのメイン会場になることによって注目が集まっている国立競技場ですが、普段は周囲は閑散としています。




明治神宮球場や国立競技場、外苑総合グラウンド周辺を通っている道路は一方通行の流れになっていて、4車線道路として整備されています。




「国立競技場」とは、独立行政法人日本スポーツ振興センター(JSC)が管理運営する国立霞ヶ丘競技場・国立代々木競技場・国立西が丘競技場(現国立西が丘サッカー場)の総称となっています。




明治神宮外苑の中にある国立競技場の正式名称は「国立霞ヶ丘競技場」であり、残り二つも、1964年の東京オリンピックの競技会場として建設されました。




外苑ゴルフ練習場の敷地の北側を通っている道路に沿って歩けば、外苑西通り経由でJR千駄ヶ谷駅へ向かうことが出来ますが、国立競技場周辺を散策してみます。




神宮外苑の敷地内は車の交通量も少なく、たまに歩道部分をマラソンランナーの方が走ってきたりします。東京都心部にほど近い緑地帯らしく、ひっそりとしていました。




今までプロ野球の試合を観るために神宮球場を訪れたことは何度もありましたが、正直言って国立競技場は存在感が薄いというか、今まで気にかけてきたことがなかったのです。




ところが今月初旬に2020年に開催される東京オリンピックのメイン会場として大規模な改修工事が実施されることが事実上決定したことによって、注目が集まってきています。


9月の神宮外苑:神宮球場、国立競技場周辺を散策する PART2

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2020年に開催される東京オリンピックのメイン会場として改修工事が実施される国立競技場を撮影しました。1964年の東京オリンピックのメイン会場にも使用されたことで有名ですが、普段はこのように閑散としています。




9月中旬の散策だったので、神宮外苑の緑地帯の中は、鬱蒼とした濃い緑に覆われていました。




国立競技場の敷地の外苑総合グラウンドやイチョウ並木道側に設置されている「青山門」の全景を撮影しました。国立競技場にはこのほかに「代々木門」「千駄ヶ谷門」の二つがあります。




建築面積33700平方メートルを誇る国立競技場、一枚の写真では入りきらないほど巨大な構造物となっています。




敷地面積は約71700平方メートル、スタンド面積は約25300平方メートル、収容人員は54224名となっています。




青山門前から聖徳記念絵画館や外苑総合グラウンド方向を撮影してみましたが、広大な緑地帯が広がっているようにも見えますね。




大会などのイベントが開催される時には多くの見物客で賑わうのだそうですが、何もない日にはゲートも固く閉ざされていて、閑散としていました。




2020年に開催される夏季オリンピックが東京で開催されることが決定し、国立競技場は約1300億円の予算をかけて宇宙船のようなデザインの新国立競技場に生まれ変わることになります。




ゲートの上部には「国立競技場 青山門」の文字が打ちこまれていました。これは戦前の時代から残っているのでしょうか?




「国立霞ヶ丘競技場」は陸上競技場をはじめとして、秩父宮ラグビー場、体育館、水泳場、トレーニングセンター、テニス場の設備群から成り立っています。




この場所にはかつて、1924年(大正13年)から1956年(昭和31年)まで存在していた「明治神宮外苑競技場」でした。日本初の総合競技大会である明治神宮競技大会の他、出陣学徒壮行会に使用されました。




戦後は、1958年のアジア競技大会開催が決定し、現在の国立霞ヶ丘陸上競技場に建て替えることが決まったことから、明治神宮外苑競技場は解体されました。




国立競技場の周囲を通っている道路を歩き、「代々木門」方向へ向かっていきます。




1964年の東京オリンピックでは陸上競技場がメインスタジアムとして陸上競技、サッカーの3位決定戦と決勝戦、および馬術競技の大賞典障害飛越が、ラグビー場ではサッカー競技が実施されました。




近いうちに改修工事が始まるかもしれないので、現在の姿を見ることが出来るのは今だけなのかもしれないですね。


9月の神宮外苑:神宮球場、国立競技場周辺を散策する PART3

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国立競技場の青山門から、代々木門方向へ向かって散策していきます。青山通り(国道246号線)から千駄ヶ谷駅方向への抜け道だからでしょうか、意外と交通量が多かったです。




国立競技場の南側にある「霞岳町交差点」にやってきました。この交差点を右へ曲がって外苑西通り方向へ向かいます。片側2車線の道路の両側には広々とした歩道がしっかりと整備されています。




交差点脇には、ホテルやホールなどを備えた複合施設である「日本青年館」のオレンジ色の壁面のビルが建っています。




この交差点は坂上になっていて、ここから外苑西通り(新宿御苑から流れている隠田川)の渓谷へ向かって緩やかな下り坂がまっすぐ伸びています。




明治神宮外苑のこの一帯は、正式名称は「新宿区・霞ヶ丘町(かすみがおかまち)」といいます。国立競技場の正式名称も「国立霞ヶ丘陸上競技場」となっていますが、マイナーな地名ですね。




霞ヶ丘町は、新宿区の最南部に位置していて、明治神宮外苑が町域の大部分を占めます。町域北部はJR中央快速・緩行線の線路を挟んで新宿区大京町及び信濃町に接し、北東部は新宿区南元町に接しています。




「霞ヶ丘町」の地名の通り、この界隈は(隠田川・外苑西通りの低地から見て)山の手の高台の地形の上に広がっていて、神宮外苑の緑地帯も高台の地形に沿うように整備されています。




緩やかな坂道をしばらく歩いていると、道路の両側がタクシー乗り場の様相を呈してきました。そして道路の反対側を眺めてみると…。




国立競技場の「代々木門」前に到着しました。JR千駄ヶ谷駅や都営大江戸線の国立競技場駅前にある千駄ヶ谷門や、地下鉄銀座線の外苑前駅にほど近い青山門と比較すると、周辺に鉄道駅は無く、一番不便な場所にある門です。




何と門が開いていて、敷地内に入ることが出来るみたいです。少し敷地内に入って見ることにします。




国立競技場の壁面は高さは約50メートル程あり、実際に見上げてみるとものすごい大規模な施設であることが解りました。




国立競技場の敷地内を巡るツアー客の人たちらしき姿を見かけました。




敷地内に建っているインフォメーションセンターの建物周辺では、工事用のフェンスが組まれていました。早速東京オリンピックに向けての工事が始まりつつあるのでしょうか?




代々木門を出て外苑西通り「観音橋交差点」にやってきました。かつてこの低地には隠田川が流れていて、「観音橋」と言う名前の橋が架橋されていたことを示しています。




外苑西通りに沿って散策し、JR千駄ヶ谷駅へ向かいます。観音橋交差点から西方向へ向かっては「観音坂」と言う名前の坂がまっすぐ伸びています。


11月の東京駅:開業一周年を迎える丸の内駅舎周辺の散策 PART1

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11月上旬の平日、JR有楽町駅周辺の繁華街を抜けて「東京国際フォーラム東交差点」にやってきました。JRの線路群の背後にそびえ立っているのはグラントウキョウサウスタワー、パシフィックセンチュリープレイス丸の内の高層ビルです。




東京に長くお住まいの方であれば、かつてこの場所には1991年に西新宿に移転した東京都庁舎があったことを覚えておられるかもしれません。現在は東京国際フォーラムの巨大な建物群が広がっています。東京駅の丸の内駅前広場へ向かいます。




東京国際フォーラム東交差点から約200メートル程歩けば東京駅の丸の内駅前広場へ出ることが出来ます。昔はこの界隈は平日の昼間でも人通りが少なかったのですが、近年は増えてきました。




JR山手・京浜東北線などの高架橋脇にあるはとバス乗り場前から撮影した丸の内駅舎方向です。この道路も普段はそんなに交通量は多くはありません。




丸の内駅舎の南ウイング部建屋やJPタワー低層棟周辺には路上駐車の車の姿が目立ちました。




横断歩道を渡ってJPタワー低層塔寄りの歩道を歩いて丸の内駅前広場へ向かいます。




南ウイング部建屋前にやってきました。去年2012年10月に丸の内駅舎の復原工事が終わって開業してから、特に変化は見られませんでした。




南ウイング部建屋の全景を撮影しました。この丸の内駅舎の復原工事の完成によって、丸の内周辺は家族連れや観光客の人たちの姿が目立つようになりました。




午後1時過ぎの時間帯の散策だったため、太陽の強烈な光が駅舎の赤レンガ壁に当たって光り輝いていました。




2013年4月に開業したJPタワーの白レンガ壁の低層棟の建物を見上げて撮影しました。平日であっても低層棟内の商業施設「キッテ」は連日のように賑わっています。




JPタワーの完成によって、丸の内駅前広場に面した場所はすべて高さ150〜200メートルの高層ビルに生まれ変わることになりました。




丸の内駅前広場前に到着しました。丸の内駅舎から駅前広場周辺の商業施設へ向かう人たちや、駅へ戻る人たちによって、多くの人たちで賑わっていました。




この日は空気が非常に綺麗で、普段のように若干霞がかかったような青空の天気ではありませんでした。これからの季節では、たまに東京都心部でもこのような完璧な青空が出現することがあります。




丸の内駅前広場を挟んで、広場の北側に建つ「丸の内オアゾ」の高層ビル群をズームで撮影しました。広場内にある二つの地下換気塔ですが、一度取り壊して高さの低い小型タイプの換気塔に造り変える工事が始まっています。




商業施設キッテのメインエントランス前から見上げて撮影したJPタワーです。丸の内駅前広場に面したV字の切れ込みが入っているガラス壁には、綺麗な青空が写り込んでいました。




駅前広場南側にある路線バス乗り場前から駅前広場の全景を撮影しました。これから広場周辺をぐるっと一周してみます。

11月の東京駅:開業一周年を迎える丸の内駅舎周辺の散策 PART2

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東京中央郵便局と商業施設キッテの正面玄関前から見上げて撮影した「JPタワー」です。Vの字に刻まれている高さ200メートルの高層ビルの北側壁面には、雲一つない青空が綺麗に写り込んでいました。




午後の時間帯だったため、高層ビル群に囲まれている丸の内駅舎はそれらの造り出す影によって真っ暗な状態になっていました。上を見上げると雲一つない快晴の青空なのですが…。




丸の内南口前の路線バス乗り場前から撮影した丸の内駅舎です。広場内の2か所ある地下換気塔が小型のものに建て替えられれば、もっと景観がよくなりますね。




丸の内南口改札口や東京ステーションホテルの施設が入っている「南ドーム」の建屋を撮影しました。




南ドームの屋根をズームで撮影しました。背後には八重洲口側に建っているグラントウキョウノースタワーの高層ビルの頭頂部が綺麗に写っています。




南ウイング部建屋の背後にはグラントウキョウサウスタワーの高層ビルが見えます。




ちょうど1年前の今頃は復原工事が終わって大きくニュースなどで取り上げられたこともあり、連日のように観光客で賑わう日々が続いていました。




あれから1年ほどたち、東京駅周辺もようやく落ち着いてきたように感じます。この1年で東京駅丸の内も、東京を代表する観光地の一つに成長することが出来ました。




丸の内オアゾを始めとする、丸の内駅前広場の北側に広がっている大手町地区の高層ビル群を撮影しました。大手町地区の再開発工事は現在も進められていて、今後10年くらいは続けられると思われます。




振り返って東京中央郵便局が入居している低層棟の壁面を撮影しました。




丸の内ビル寄りの歩道を散策して行幸通りへ向かいます。




丸の内ビルの正門玄関前から駅舎方向を撮影してみました。手前にあるのは都営バスと東急バスが発着する路線バス乗り場で、東京ビックサイトや晴海ふ頭、目黒駅方面へのバスに乗ることが出来ます。




ズームで南ウイング部建屋を撮影してみましたが、丁度JPタワーの高層ビルが作り出す影の中にすっぽりと入ってしまいました。




東京中央郵便局や商業施設キッテが入居しているJPタワー低層棟の全景を撮影しました。




そしてJPタワーの高層ビルを見上げて撮影しました。この場所から撮影するのが一番スマートで綺麗に撮影できることを最近発見しました。

11月の東京駅:開業一周年を迎える丸の内駅舎周辺の散策 PART3

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2002年9月に高層ビルとして建て替えられた丸の内ビルの正門エントランス前から撮影した丸の内駅前広場の全景です。丸の内ビル前の歩道を散策して行幸通りへ向かいます。




午後の時間帯の太陽の光が照りつける丸の内駅舎を眺めながら歩いていきます。背後にそびえ立っている高層ビル群も、ブラインドを全て下ろしている状態でした。




南ドーム建屋周辺を撮影してみました。丸の内駅前広場は、駅舎の復原工事に合わせて再整備されていますが、一部では以前のままになっている個所も存在しています。




丸の内ビル前付近などでは、閉鎖された地下街入り口がそのまま放置されていたり、雑草が生い茂るままになってしまっている場所もあるのです。




丸の内駅舎の皇室専用貴賓出入り口の建屋をズームで撮影しました。




新丸の内ビルの黒塗りの高層ビルを見上げながらしばらく歩いていると、行幸通りが見えてきました。復原工事以前の行幸通りは閑散としていたのですが、現在ではすっかり丸の内駅舎の撮影スポットの一つとなっています。




地上を歩いていると全く気が付かないですが、この行幸通り東端部の地下には、東京地下鉄丸ノ内線の東京駅ホームが設置されています。東京駅から池袋駅へ行く場合などは、丸ノ内線を使った方が早く行けるのです。




そして皇室専用貴賓出入り口前のタクシープール付近の地下5階には、JR総武快速・横須賀線の東京地下駅ホームが設置されています。地下5階まで降りるのに時間がかかるのが特徴ですね。




二つの東京地下駅を取り囲むように、丸の内駅前広場の地下には広大な地下街が広がっていて、丸の内地区の各高層ビルへ地下通路が伸びています。そのため、平日朝の通勤ラッシュ時などは地上にはほとんど人の流れが出来ないのです。




丸の内駅舎の背後にそびえ立っている八重洲口のグラントウキョウノースタワーを撮影しました。




2007年4月に開業した「新丸の内ビル」を見上げて撮影しました。ドラマ「半沢直樹」の第10話最終回のラストで、低層棟に設置されている展望テラスがロケ地として登場しました。




丸の内ビルの巨大な影の中に入ってしまっている行幸通りを渡っていきます。




行幸通りの東端部から丸の内駅舎を真正面に撮影しました。




…それでもやはり、丸の内駅舎周辺は現在でも観光客の人々で賑わっていました。




皇室専用貴賓出入り口を真正面からズームで撮影しました。横断歩道を渡って駅舎前まで行ってみることにします。

11月の東京駅:開業一周年を迎える丸の内駅舎周辺の散策 PART4

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行幸通り東端部の新丸ビル寄りから撮影した丸の内駅舎です。JR総武快速・横須賀線の東京地下駅ホームとつながっている換気塔の存在がすごく目立ちますが、これを取り壊して小型の換気塔を建設して景観を改善する工事が始まっています。




丸の内駅前広場から和田倉門・皇居前広場方面へ散策する観光客の人たちの数が物凄く多かったです。




皇室専用貴賓出入り口をズームで撮影してみました。手前側には丸の内南口ロータリーと東京ステーションホテルの地下駐車場へのアプローチ道路が設置されています。




目の前の大通りを走っている自動車の車列が途切れた瞬間をねらって撮影しました。




行幸通りの北側に建っている新丸の内ビルの正門エントランス前から撮影した丸の内駅舎の北ドーム建屋です。ドーム屋根の背後には、八重洲口のグラントウキョウノースタワーがそびえ立っています。




丸の内北口の北ドーム建屋をズームで撮影しました。




日本生命丸の内ビルを見上げて撮影しました。ちょうど太陽の光を光背の状態で見上げて撮影したので、非常に綺麗な青空の状態で撮影することが出来ました。




行幸通りが丸の内駅前広場から分岐している「東京駅中央口交差点」前に戻ってきました。これから横断歩道を渡って丸の内駅舎前へ向かいます。




駅前広場前を通る大通りは復原工事以前と変わっていませんでした。駅前広場の中も、以前のまま全く変わっていない個所が存在しています。




駅前広場の中に設置されている撮影用の広場内から撮影した丸の内駅舎です。




皇室専用貴賓出入り口周辺をズームで撮影しました。やはり観光客の人たちの姿が目立ちました。




丸の内駅前広場の南側に建っているJPタワー方向を撮影しました。目の前には丸の内南口ロータリーへのアクセス道路や、東京ステーションホテルへの誘導路などが整備されています。




丸の内北口ロータリーへ向かうタクシーの車列越しに撮影した丸の内駅舎の皇室専用貴賓出入り口の全景です。




丸の内北口や南口改札口と比較すると、非常に狭い丸の内中央改札口ですが、多くの観光客の人たちで賑わっていました。




丸の内北口前のタクシー乗り場の全景を撮影しました。丸の内や大手町のオフィスビル街にほど近い場所にあることから、丸の内南口よりもタクシーの乗降客が多いです。

11月の東京駅:開業一周年を迎える丸の内駅舎周辺の散策 PART5

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両陛下がお住まいの皇居から東へ数百メートルほど離れた場所にある東京駅は、「天皇の駅」という構想から造られました。東京駅が出来る以前の官営東海道本線の東京側の起点駅は、現在の新橋駅でした。




1890年(明治23年)9月に官営東海道本線の延伸工事を実施することが決定され、新橋駅と上野駅の間を高架橋で結び、途中に「東京中央停車場」が建設されます。それが現在の東京駅であり、当時の東京駅周辺は広大な荒れ地が広がっている状態でした。




両翼に乗車口・降車口を、中央に皇室口を配する基本はそのままに、これらをつなぐ中間の部分を総3階建て構造とし、これにより水平線が通って建物のまとまり感が生み出されまています。




皇室専用貴賓出入り口をズームで撮影しました。中央部の皇室口の中には玄関広間、広間の両側に2か所の待合室、休憩室、また階段の上にも待合室が設けられています。




新橋駅から上野駅までの高架橋や中央停車場駅施設の設計には、ドイツ人の技術師であるフランツ・バルツァー氏が関わっています。バルツァー氏は駅舎や線路の設計のみならず、東京の鉄道網のグランドデザインを行った人物でもあるのです。




1891年(明治32年)に来日し、勅任官待遇で逓信省鉄道作業局(当時の国有鉄道網を管轄する役所)の技術顧問に就任したバルツァー氏は中央停車場駅舎の設計案も作ったのですが、当時の日本人には受け付けず、結果的に日本人設計者である辰野金吾が設計を担当することになります。




8年間に及ぶ設計作業の過程で、第1案、第2案、第3案の設計案が考案されましたが、第3案に微修正を加えたものが「最終案」として完成し、1910年(明治43年)12月には中央停車場の設計作業が最終的に完了しました。




設計された駅舎は鉄骨煉瓦造のもので、荷重を煉瓦の壁面だけではなく鉄骨を組んだ柱や梁で支える構造になっています。地上3階(一部4階)・地下2階建てで最高高さは約46.1メートルとなっています。




駅舎は中央部に皇室専用貴賓出入り口がスロープと共に設けられていて、一般乗客は丸の内北口と南口を利用することになります。




丸の内北口へ向かいます。駅舎周辺は現在でも多くの見物客の人たちで賑わっていました。




丸の内オアゾの高層ビル群を見上げて撮影しました。この場所にはかつての日本国有鉄道本社、1987年4月の民営化後はJR東日本本社ビルが建っていたのですが、その後新宿駅南口へ移転し、跡地の再開発工事が始まりました。2004年に現在の丸の内オアゾが開業しています。




丸の内北口の北ドームをズームで撮影しました。ちょうど太陽の午後の光が綺麗に当たって、赤レンガ壁が光り輝いていました。南北両ドーム屋根は1945年(昭和20年)3月の東京大空襲で攻撃を受けて大破炎上しています。




その後応急処置が施されて約60年間そのままにされていたのですが、2007年から復原工事が始まり、去年2012年10月1日の鉄道の日に開業しました。




丸の内北口内を散策していきます。復原工事の完成に合わせて、丸の内駅舎内の内装や設備なども全面的に新しくなっています。




去年10月の開業以降は、多くの見物客の人たちがこのドーム内から上を見上げて撮影したりしていたのですが、最近はその姿もあまり見かけなくなりました。




大正時代の姿に復元された丸の内駅舎のドーム屋根内部を見上げて撮影しました。壁には細やかな彫刻が施されていて、方角に合わせて干支(えと)のレリーフが取り付けられています。




去年10月の復原工事完成当時は大混雑でドーム屋根内部をじっくりと観察することは難しかったのですが、現在はそれが可能です。

11月の東京駅:開業一周年を迎える丸の内駅舎周辺の散策 PART6

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丸の内駅前広場の北側に広大な敷地が広がっている「丸の内オアゾ」内を散策していきます。丸の内オアゾの複合施設の中核ともいえる高層ビルが「日本生命丸の内ビル」です。高さは158メートルと、丸ビルや新丸ビル、JPタワーの高さ200メートルと比べると存在感が薄いですが、大理石調の立派な高層ビルです。




丸の内オアゾの複合施設は日本生命丸の内ビル、丸の内北口ビル、商業施設や丸の内ホテルが入居しているオアゾショップ&レストラン、丸の内センタービル、新丸の内センタービルの5つの施設群から成り立っています。




丸の内駅前広場に面しているオアゾショップ&レストランの正門エントランス前にはちょっとした広場が設けられていて、広場内には木々が植えられていたり、ベンチなどが設置されています。




2002年に開業し、当時は大きな話題となった丸の内ビルと比較するとこの丸の内オアゾはあまり存在感が薄いというか、地味な印象を受けます。商業施設なども充実していますが、主に丸の内地区で働くビジネスマンの人たち向けなのも理由の一つなのかもしれません。




4つの高層ビルに囲まれている谷底のような空間には、巨大なガラス張りの吹き抜け空間が設置されていて、丸の内オアゾの複合施設のメインストリートの役割を果たしています。どの高層ビルからもこの吹き抜け空間へ出ることが出来る構造になっています。




広場前から八重洲口方向を撮影してみると、八重洲北口前に建っているグラントウキョウノースタワー(右側)と、外資系シャングリラ・ホテル東京が入っている丸の内トラストタワーが綺麗に見えます。




JR中央快速線の高架橋越しに日本橋口に建っている2007年4月に開業したサピアタワーを撮影しました。




「オアゾショップ&レストラン」内には、東京駅前の一等地に建っているシティホテルの「丸ノ内ホテル」と、都市内大型書店である「丸善丸の内本店」、その他30店舗以上の商業施設で構成されています。




「丸ノ内ホテル」は、関東大震災後の復興期に当たる1924年(大正13年)にこの場所に開業した老舗ホテルであり、2004年の丸の内オアゾの再開発工事にあたって、現在の新しい高層ホテルに生まれ変わりました。




日本生命保険は大阪市中央区の御堂筋に面した淀屋橋の一等地に本店を置く生命保険会社であり、総資産で、かんぽ生命保険(日本郵政グループ)に次ぐ業界2位を誇ります。本社機能の一部がこの高層ビル内に入っています。




東京駅丸の内駅前広場の北側のこの一等地には、かつては旧日本国有鉄道本社ビルや交通公社ビルなどのビル群が存在していました。戦前の鉄道省、戦後の日本国有鉄道、1987年後のJR東日本本社ビルとその持ち主が変遷してきた経緯があります。




旧国鉄本社ビルは、関東大震災後に応急処置的に建てられていた木造バラックの仮庁舎を使用していた鉄道省の新庁舎として1935年(昭和10年)に着工され、1937年(昭和12年)に竣工し修祓式が行われました。




第二次世界大戦中においては、空襲対策として1941年(昭和16年)より屋上に設計上1トン爆弾に耐える厚さ約50センチメートルの耐弾層を設置した上、窓に木製の角材を用いた爆風よけを設置し、外壁をペイントで黒く迷彩塗装する工事が行われていたそうです。




オアゾショップ&レストランの中核である「丸善丸の内本店」です。丸の内のオフィス街と言う場所柄からか、政治や経済関係の蔵書の数が圧倒的なことで有名です。




国鉄分割民営化となった1987年(昭和62年)の4月からは東日本旅客鉄道の本社屋として使用されました。その後、28階建ての本社ビルがJR新宿駅サザンテラス口前に建設されることになり、1997年に竣工しました。旧本社ビルは取り壊されることが決定します。




丸の内オアゾは2004年9月に華々しく開業しました。これまで無機質なオフィスビル街のイメージが強かった東京駅周辺ですが、序々にそのイメージが薄まりつつありますね。




オアゾショップ&レストランの吹き抜け空間から撮影した丸の内駅舎です。これで11月の東京駅の散策は終わりです。

11月の東京シティビュー:北東〜東方向(JR東京駅〜新橋駅方向)

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11月上旬の平日、東京地下鉄日比谷線の六本木駅にやってきました。六本木駅と直結している六本木ヒルズ森タワーの52階フロアにある屋内展望台「東京シティビュー」へ向かいます。森タワー脇の森美術館入り口から高層ビル内に入り、専用エレベーターに乗車して、一気に52階フロアへ向かいます。




52階の屋内展望フロアより、北東方向(JR東京駅方向)から順番に観ていきます。この日は雲一つない快晴の天候の東京都心部だったのですが、若干霞がかかっていました。東京駅周辺の高層ビル群をズームで撮影してみます。




東京都心部のど真ん中に広がっている皇居や皇居東御苑の広大な緑地帯と、その緑地帯の東側に広がっているJR東京駅周辺の高層ビル群をズームで撮影しました。1年ほど前と比較すると、更に高層ビル同士の密度が増えてきています。




東京都心部の中核を形成している千代田区の東側半分と、港区の北側地区に広がっている高層ビル群の全景を撮影しました。奥にはうっすらと東京スカイツリーのシルエットも写っていますね。




東京地下鉄南北線六本木一丁目駅前で再開発工事が進められている「六本木三丁目東地区第一種市街地再開発事業」です。約2.7ヘクタールの広大な敷地に、高さ約249メートルの業務棟(40階)、住宅棟(27階)、商業棟(3階)からなる三つの施設を置く大規模複合開発となっています。




六本木の繁華街の南側に広がっている住宅街が広がっている界隈を見下ろして撮影しました。繁華街のメインストリートである外苑東通りから路地裏へ一歩進むと、閑静な住宅街広がっています。




港区の業務中心地区である新橋・虎ノ門地区の高層ビルを中心に撮影しました。「天皇の駅」の景観に配慮して画一的なデザインの高層ビルが建ち並んでいる東京駅周辺と比較すると、個性的なデザインの高層ビルが多いです。




麻布台地の丘陵地帯の北端部に位置する「仙石山地区」の住宅密集地をズームで撮影しました。1990年代までは昭和の香りが漂う住宅地だったのですが、現在は「アークヒルズ仙石山タワー」をはじめとする職住一体の再開発施設が次々と建設されています。




シティビューより東北東方向(JR新橋駅方向)。新橋駅の東側に広がっている「汐留シオサイト」の高層ビル群を撮影しました。




最高高さが200メートルに統一されている東京駅周辺と比較すると、港区北側には高さ255メートルの虎ノ門ヒルズ、高さ249メートルの六本木三丁目東地区第一種市街地再開発事業など、都市としてのデザインセンスが非常に重視されているエリアだと感じました。




屋内展望台のガラスに張り付いて左側を覗いてみると、赤坂地区や城西方向も撮影することが出来ました。




六本木ヒルズの敷地から約500メートル程離れた場所にある「東京ミッドタウン」の高層ビル群も綺麗に撮影することが出来ました。




赤坂地区の繁華街や高層オフィスビル街、皇居の広大な緑地帯の南側に広がっている永田町地区の国会議事堂や衆参議員会館、内閣総理大臣官邸、最高裁判所などの政治的中枢地区をズームで撮影しました。




この日は平日だったので、屋内展望台内は閑散としていました。展望台内にはベンチなども設置されていて、休憩しながら目の前の東京の風景を楽しむことが出来ます。




東京都心部へまっすぐ伸びている六本木通りと、首都高速3号渋谷線の高架橋を上から見下ろして撮影しました。東名高速道路と一体化されている3号渋谷線は非常に交通量が多いです。




東京駅周辺の高層ビル街をズームで撮影しました。丸の内周辺に集積している企業の連結売上高は年間で約121兆円、GDPの約23%を誇ります。現在でもタワークレーンが至る場所に建ち並び、高層化を伴う再開発工事が進められています。


11月の東京シティビュー:東北東〜東方向(JR新橋駅〜JR浜松町駅方向)

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日本全国のほとんどの皆さんにはピンとこない話かもしれませんが、千葉や東京の関東平野のど真ん中に住んでいると、日常生活の中で山の稜線を眺める機会がほとんどないのです。なので旅行などで遠くへ出かけて山の稜線を発見すると、ものすごく心躍る感覚にとらわれることがあります。




広大な関東平野に住んでいると「日本は山国である」という常識すら忘れてしまいます。しかし、日本一の広さを誇る関東平野だからこそ、4000万人の人口を集中させ、日本全体のGDPの30%(約160兆円)を稼ぎ出す世界一の大都市圏を形成させることが出来たのだと思うのです。




北東方向(JR東京駅方向)から時計回りに風景を楽しんでいきます。




シティビューより東方向(JR浜松町駅方向)。芝公園の広大な緑地帯と増上寺、緑地帯の中の一角に建っている東京タワー周辺を撮影しました。




東京タワーをズームで撮影してみました。東京タワーの付け根部分には「増上寺」の本堂が小さく見えます。背後には湾岸地区のタワーマンション群が見えます。




太陽が南側周辺にあるので、序々に逆光状態に近づいてきました。




「麻布台」と呼ばれている丘陵地帯の上に広がっている市街地を撮影しました。




六本木地区、外苑東通り沿いに広がっている繁華街周辺をズームで撮影しました。




直射日光が全面ガラスを通して展望台に入ってくるので、展望台内は意外と暑く感じました。




東京タワーから眺める東京都心部の風景も一度見てみたいですね。




東麻布地区の住宅密集地をズームで撮影しました。住宅地と緑地帯が混在しているエリアです。




テレビ朝日本社ビル前から六本木の坂上の繁華街へ向かって伸びている「芋洗坂」を上から見下ろして撮影しました。




この日は直射日光が思った以上に強く、全面ガラスに光が反射してしまい、撮影が難しかったです。




デジタルカメラをガラスに近付けて撮影しないと、室内のものがガラスに写ってしまうことになります。




しばらく休憩していると、外国人観光客の人たちがやってきました。


11月の東京シティビュー:南東〜東南東方向(JR田町駅〜品川駅方向)

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東南東方向(JR品川駅方向)を眺めていきます。ちょうど東京都心部の南側からうっすらとした白い雲が西風に乗って東京湾の上を通過している最中でした。全面ガラス張りとなっている屋内展望台内にはベンチやテーブルなどが設置されていて、座りながら風景を眺めることが出来ます。




六本木ヒルズ森タワー52階フロアの東京シティビューは10:00〜23:00までの時間帯で営業していて、入場料は大人一人1500円、学生(高・大学生)は1000円、子供(4歳〜中学生)は100円となっています。500円の追加料金を払うと屋上展望台の「東京スカイデッキ」を利用することが出来ます。




シティビューより東南東方向のJR品川駅周辺を撮影しました。駅の港南口側には「品川インターシティ・品川グランドコモンズ」の高層ビル群が形成されているのが見えます。




ちょうど太陽の光が東南東方向から差しこんでくるので、逆光状態となってしまいました。




シティビューより南方向(JR目黒駅方向)。山手線環状部分の南側に広がる広大な住宅密集地帯を上から撮影しました。高層ビルは思ったより少なく、住宅街をメインに広がっています。




品川区や目黒区、大田区の丘陵地帯の上に広がっている住宅密集地はうっすらと霞みがかってしまいました。空気が大変綺麗だと、多摩川のラインもはっきり見えるのですが…。




六本木ヒルズが建っている港区と、渋谷区の境界線である「広尾地区」の住宅密集地を撮影しました。住宅街の中に小さな緑地帯が至る場所に点在する街並みが広がっています。




バブル経済時代に造成された「広尾ガーデンヒルズ」の中層マンション群をズームで撮影しました。この界隈は東京都内でも有数の人気の住宅地として有名です。




1964年(昭和39年)の東京オリンピック開催に合わせて整備された外苑西通り周辺の街並みをズームで撮影しました。




六本木ヒルズの敷地の南側に広がっているのが「元麻布地区」の住宅密集地帯です。中華人民共和国大使館を始めとして世界各国の大使館が集まり、閑静な山の手の住宅街が広がっています。




東京湾をくっきり撮影出来たら、と思ったのですが、見事なまでに逆光となってしまいました。




JR田町駅〜品川駅の線路群周辺にかけて林立しているタワーマンション群の後ろ側に東京湾の水面が広がっているのが見えますが、空の色と一体化されてしまってしまいました。




品川駅周辺の壁のような高層ビル群の手前側、慶應義塾大学の田町キャンパスなどの緑地帯が見えるはずですが、霞みがかってしまいました。




しばらくベンチで休憩し太陽の位置が変わるのをやり過ごそうとしていたのですが、あきらめて先へ進むことにします。




約15分後に同じJR品川駅周辺を撮影してみました。うっすらと羽田空港の広大な敷地を撮影できるほどまでに回復しました。



11月の東京シティビュー:南西〜西方向(JR目黒駅〜JR渋谷駅方向)

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うっすらとした帯状の雲の真下に広がっているJR品川駅周辺の街並みを撮影しました。JRの線路や第一京浜国道(国道15号線)に沿って、高層ビル群のラインが横に広がっています。




手前にそびえ立っているタワーマンションは「元麻布ヒルズ」の高層ビルです。




品川駅港南口側の高層ビル群の後ろ側には、うっすらと羽田空港の広大な敷地が広がっているのが見えます。広大な滑走路を擁する敷地の中央部には、管制塔らしき小さな塔のシルエットが見えます。




元麻布とJR品川駅高輪口との間には「白金台」と呼ばれる広大な丘陵地帯の上に広がっている住宅密集地です。近年ではタワーマンションが増えてきています。




続いて西方向(JR渋谷駅方向)一帯を中心に眺めていきます。東京シティビューの屋内展望台の中でも、ハイライト区間の一つですね。すっかり雲は西側へ流れ去り、まぶしい太陽と正対することもなくなりました。




渋谷区の広尾地区の丘陵地帯の中に造成されている大規模マンション群「広尾ガーデンヒルズ」をズームで撮影しました。北西方向の隣接地には2009年以降に、新たな大規模マンション「広尾ガーデンフォレスト(Hiroo Garden Forest)」が順次竣工しています。




六本木から渋谷駅方向へ向かって真っすぐ伸びている六本木通りと首都高速3号渋谷線の高架橋を上から撮影してみました。六本木通りに沿って、繁華街やオフィス街の街並みが広がっています。




東名高速道路と実質的に一体化されている3号渋谷線は、東京都心部へ向かう上り車線の交通量が圧倒的に多いです。東名高速方面から関東平野を抜けて東北地方などへ向かうには、東京都心部を通過しなければいけないからです。




六本木ヒルズの敷地の500メートル程西側に設置されている3号渋谷線の「高樹町出入り口」周辺をズームで撮影しました。手前側には六本木通りと外苑西通りが交差している「西麻布交差点」が設置されています。




快晴の天気で、空気が非常に綺麗な状態だと、丹沢山地の稜線などもうっすらと見通すことが出来るのですが、ほんのりとその稜線が伸びているのが見えるだけですね。




シティビューより西方向(JR・東急渋谷駅方向)。3号渋谷線の高架橋が西方向へまっすぐ伸びる先には、渋谷駅周辺の繁華街と高層ビル群を眺めることが出来ます。駅周辺の繁華街のすぐそばに緑地帯が多く点在している様子がよくわかりますね。




JR・東急渋谷駅周辺をズームで撮影しました。2012年4月に渋谷駅東口側に開業した「渋谷ヒカリエ」の高層ビルを始めとして、渋谷の街も高層ビル街へと変貌してきました。現在では東急東横店の高層化を伴う再開発工事が進められています。




渋谷駅周辺の高層ビル街の更に西側、東急田園都市線池尻大橋駅前の高層ビル群をズームで撮影しました。首都高速中央環状線の「大橋ジャンクション」と一体化して建設されているオフィスビルやタワーマンション、商業施設などから構成されている複合施設です。




渋谷駅の繁華街の手前側には「青山学院大学渋谷キャンパス」の広大な敷地が広がっていて、ちょっとした都会の中の緑地帯のように見えます。




この日の屋内展望台「東京シティビュー」では、「魔法少女まどか☆マギカ」複製原画展というイベントが開催されていました。

11月の東京シティビュー:西〜西北西方向(JR渋谷駅〜JR原宿駅方向)

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東京シティビューの屋内展望台の西側(JR渋谷駅側)に設置されている「スカイギャラリー3」にはカフェが併設されていて、食事などを取りながら展望を楽しむこともできます。




雲一つない快晴の青空の真下に見えるのがJR・東急渋谷駅周辺の繁華街と高層ビル群、その後ろ側の目黒区、世田谷区、大田区といった東京23区の南部に広がる広大な住宅密集地となっています。




渋谷駅周辺の繁華街の北側に広がっている「宇田川町」「神南」地区の住宅地をズームで撮影しました。代々木公園の広大な緑地帯の南側に建っているNHK放送センターや、国立代々木競技場の第一体育館が小さく見えました。




西麻布の市街地の中を南北方向に走っている「外苑西通り」をズームで撮影しました。この通りは渋谷川の支流河川である「笄川(こうがいがわ)」が作り出した谷津地形に沿って通っています。




簡易的な椅子やテーブルなどが設置されている屋内展望スペース「スカイギャラリー3」でしばらく風景を眺めていました。




六本木通りの南側に広がっている「西麻布三丁目地区」の住宅密集地帯を上から撮影しました。中低層マンションや住宅地がどこまでも広がっています。




大通り沿いにはオフィスビルや繁華街が続いているのですが、一歩路地裏へ入ると閑静な住宅街の風景に変わってしまうのです。




どこまでも中低層マンションや住宅街が途切れることなく広がっている東京都心部の住宅密集地帯、ただ上から眺めているだけでも圧倒されるほどの迫力です。




先へ進んで新宿副都心の高層ビル群が広がる北西方向へ向かいます。




六本木通りの北側に広がっている青山霊園や在日米軍基地などの施設を眺めていきます。下を見下ろすと六本木通りに面して建設中だった「テレビ朝日西麻布EXタワー」の高層ビルが完成していました。




テレビ朝日西麻布EXタワーは地上17階地下4階建ての高層オフィスタワーで、低層階部分には最大収容人員1700人の「EXシアター六本木」の劇場が建設されていて、ミュージカルやロックコンサートの会場として使用されます。




明治神宮や代々木公園、青山霊園などの広大な緑地帯が集まっている西北西方向(JR原宿駅方向)です。




代々木公園と明治神宮の広大な緑地帯の奥、小田急本線や京王井の頭線沿いに広がる世田谷区の住宅密集地帯をズームで撮影しました。




表参道の高級ブランドブティックストリートと青山霊園の緑地帯の中間地点には、「根津美術館」の敷地が広がっています。東武鉄道の社長などを務めた、実業家で茶人の初代・根津嘉一郎の収集品を展示するためにつくられた美術館で、1941年(昭和16年)に開館しました。




次回の記事からは北西方向(JR新宿駅方向)を眺めていきます!!!


11月の東京シティビュー:北西〜北方向(JR新宿駅〜JR四谷駅方向)

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シティビューより北西方向(JR新宿駅方向)。JR新宿駅周辺の繁華街や高層ビル群、明治神宮や新宿御苑、青山霊園などの広大な緑地帯が密集しているエリアを眺めていきます。どの緑地帯もまだ紅葉には程遠く、ほんのりと赤みが見え始めた状態ですね。




六本木ヒルズの敷地の北西側に広がっている「東京都立青山霊園」の広大な緑地帯を上から撮影しました。墓地と、そばに在日米軍基地も併設されている場所柄からか、普段はあまり人が近づかないイメージが強い青山霊園ですが、こうして見ると非常に緑豊かな自然環境の場所であることが解ります。




新宿副都心の高層ビル群の南側に広がっているのは「明治神宮」と、それと一体化される形で整備されている「代々木公園」の広大な緑地帯です。現在の明治神宮と代々木公園の緑地帯は、住宅密集地帯に取り囲まれています。




新宿駅西側に形成されている「新宿副都心」の高層ビル群をズームで撮影しました。高さ243メートル・地上48階建ての東京都庁第一本庁舎の高層ビルを中核に、高さ200メートルを超す高層ビルが密集しています。




青山霊園の北側に広がっている港区の「南青山」地区や、渋谷区の「神宮前」地区の市街地をズームで撮影しました。表参道のイチョウ並木道も、上の画像の左上部分に小さく写っているのが見えますでしょうか?




渋谷駅前から赤坂見附までまっすぐ伸びている国道246号線「青山通り」沿いには、伊藤忠商事東京本社ビルを始めとしてオフィスビル街や高層マンションなどが集まるエリアとなっています。明治神宮外苑の緑地帯にもほど近く、住むにも最高の立地条件であるエリアです。




国立競技場や明治神宮球場などが立地している「明治神宮外苑」と、その北側に広がっているのは江戸時代に信濃高遠藩内藤家の下屋敷のあった敷地に整備されている緑地帯「新宿御苑」です。東京都心部と新宿副都心の中間地点であるこの場所には、広大な緑地帯がいくつも整備されていて、すごく住みやすそうな場所ですね。




1872年(明治5年)に美濃国郡上藩(現在の岐阜県郡上市)の藩主だった青山家の下屋敷跡に開設された「青山霊園」は、東京都心にほど近い一等地に位置する都市型霊園で、面積は約26万平方メートルを誇っています。




青山霊園の敷地内には約230本のソメイヨシノの木々が植えられていて、4月の上旬の季節になると素晴らしい桜のトンネルの中を散策することが出来ます。11月の現在では、ソメイヨシノの木々がほんのりと赤みを帯びてきました。




北方向(JR四ツ谷駅方向)を眺めていきます。国道246号線(青山通り)沿いに建設されているタワーマンション群が目立つようになり、「赤坂御用地」の広大な緑地帯が広がっているのが見えます。




「迎賓館」が敷地内に併設されている青山御用地の広大な緑地帯の北側には、新宿区や豊島区内の広大な住宅密集地帯が広がっているのが見えます。はるか遠くにはサンシャインシティの高層ビル群が小さく写っていて、あの場所にJR池袋駅のターミナルが設置されています。




青山霊園の敷地の東側に広がっている「南青山一丁目」地区や「六本木7丁目」地区の市街地を見下ろして撮影しました。一般的なイメージである「六本木」の歓楽街とは程遠い、閑静な住宅地の雰囲気が強いです。




東京大学生産技術研究所跡地に建設された「政策研究大学院大学」の六本木キャンパスの建物を見下ろして撮影しました。東京大学生産技術研究所が目黒へ移転した後の2005年に開設されました。大学時代は1997年に設置されたという新しい大学です。




同じく東京大学生産技術研究所跡地に建設された「国立新美術館」をズームで撮影しました。日本で5館目の国立美術館として、2007年1月に開館しました。故黒川紀章氏の設計作品としては最後のもので、ウェイブを描いた壁面ガラスの建物は遠くから見ていても目立ちます。




青山霊園の緑地帯に接するように広がっている在日米軍基地を見下ろして撮影しました。赤坂プレスセンターや麻布基地ヘリポート、将校用宿舎などの施設で構成されています。もともとこの界隈は終戦時までは、日本陸軍の練兵場や駐屯地などが広がっているエリアでしたが、終戦後に連合軍に接収されました。




現在の政策研究大学院大学のキャンパスや国立新美術館、東京ミッドタウンなどの敷地も元々は旧日本陸軍の保有していた敷地であり、戦後しばらく経って一部の敷地が日本側へ返還されたのですが、現在も在日米軍基地が残されています。




現在の六本木の繁華街は、そもそもは麻布基地に勤めていた軍人さんたち向けに発展してきた経緯があります。なので繁華街の歴史としては意外と新しく、戦前の六本木界隈は都内でも有数の閑静な住宅街だったのですね。


11月の東京シティビュー:北方向(JR四ツ谷駅方向)

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シティビューより北方向(JR四ツ谷駅方向)です。新宿区や豊島区といった都内の住宅密集地帯のはるか先には、地平線が霞んでしまうほどのだだっ広い関東平野が広がっています。世界最大の3400万人の都市圏人口を擁する関東平野の巨大さがよくわかりますね。




六本木ヒルズ森タワーの北側に広がっている「六本木7丁目地区」の住宅街を見下ろして撮影しました。ちょうど六本木ヒルズ森タワーの巨大な影が市街地の中に写り込んでいました。




六本木ヒルズの敷地の北側にある「六本木六丁目交差点」、通称「六六交差点」を見下ろして撮影しました。六六交差点の北側には外苑東通りの六本トンネルの南側坑口が見えますね。




六本木ヒルズの敷地から約500メートル程北側に広がっている複合施設「東京ミッドタウン」の高層ビル群を撮影しました。2007年3月に華々しく開業した東京ミッドタウンの高層ビル群も、現在ではすっかり赤坂地区の日常的風景の中に溶け込んでいます。




高さ248メートルのミッドタウンタワーの後ろ側には赤坂や赤坂見附地区の高層ビル群が広がっています。赤坂地区にあるTBS放送センターと赤坂BIZタワーを中核とする「赤坂サカス」の高層ビル群が目立ちますね。




赤坂御用地の東側、赤坂見附地区も現在は高層ビル街となっていて、ホテルニューオータニや新赤坂センタービルなどの高層ビルが林立しています。




赤坂御用地の緑地帯の北側に建っている高層ビル群と、高さ100メートルの通信用アンテナを備えた施設は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内にある「防衛省本庁舎」です。元々は現在の東京ミッドタウンのある場所に本庁舎が建っていたのですが、2000年に市ヶ谷へ移転しました。




全面ガラス越しに真下を見下ろしてみると、東京地下鉄日比谷線の六本木駅と直結している「メトロハット」を撮影することが出来ました。




2000年に市ヶ谷に移転した防衛庁本庁舎(2007年に「防衛省」に昇格)と、移転した跡地に再開発工事によって2007年3月に誕生した東京ミッドタウンです。六本木ヒルズや東京ミッドタウンの誕生によって、六本木地区のイメージは大きく変わることになりました。




江戸時代のこの辺り一帯には長州藩毛利家の下屋敷などの敷地が広がっていました。東京ミッドタウンのみならず、国立新美術館一帯にも及び、この界隈は檜の木々が多く植えられていたので「檜屋敷」と呼ばれていたそうです。明治維新後には大名屋敷はすべて撤去されて更地となっていました。




明治時代からは大日本帝国陸軍の歩兵第一、第三連隊の駐屯地となっていて、現在でも国立新美術館の敷地内に保存される形でその時代の建物が一部残されています。第二次世界大戦での日本の敗戦後にはアメリカ合衆国に接収され、米軍将校の宿舎として使用されました。




赤坂の高層ビル群の背後には皇居の広大な緑地帯が見えます。サンフランシスコ講和条約発効後の1960年(昭和35年)に日本に返還され、陸上自衛隊の駐屯地となるとともに、防衛庁の本庁舎も設置されました。




2000年5月に防衛庁本庁舎は新宿区の市ヶ谷駐屯地に移転します。2001年4月には東京都が「赤坂9丁目地区再開発地区計画」を決定し、翌5月には財務省が売却を公示しましたた。同年9月にはコンソーシアム6社(積水ハウス、全国共済農業協同組合連合会、大同生命保険、富国生命保険、三井不動産、安田生命保険)が落札します。




再開発計画を策定中の2003年4月には六本木ヒルズが開業し、その反響はこちらの計画内容にも影響することになります。工事は2004年5月に始まり、2007年1月に竣工、同年3月30日に東京ミッドタウンは開業しました。




最後にもう一度北側方向の全景を撮影しました。




中低層マンションなどを中心とした住宅密集地域となっている六本木・赤坂地区ですが、近年では再開発工事が至る場所で進められています。




屋内展望台からの眺望は終わりです。52階フロアから特別エレベーターに乗って、屋上階の海抜270メートルに位置する展望台「東京スカイデッキ」へ向かいます!!!


11月の東京シティビュー:海抜270メートルの「東京スカイデッキ」 PART1

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52階フロアの「東京スカイデッキ」入り口の係の方にチケットを見せ、エレベーターホール前に設置されているコインロッカー(100円式で後に返却される)の中に荷物等を預けます。屋上デッキへは携帯電話とデジタルカメラのみ所持が認められてます。エレベーターに乗車して屋上デッキへ向かいます。




専用エレベーターに一人で乗車して降りた先は、六本木ヒルズ森タワーの屋上機器が所狭しと設置されているフロアで、屋上機器の中にスカイデッキへの順路が設置されています。




東京スカイデッキの営業時間は11:00〜20:00(最終入場19:30)となっていて、年中無休ですが、荒天時には閉鎖されます。




超高層ビルの屋上展望台からの眺めを楽しめる以外に、一般的にあまり立ち入ることが出来ない高層オフィスビルの屋上フロア内を見学できたりするのです。順路に沿って道なりに進んでいくと…。




屋上ヘリポートへあがることのできる鉄製階段が設置されています。この階段を上がると「東京スカイデッキ」の屋上展望台です。




急傾斜な鉄製階段を上がっていきます…。




六本木ヒルズ森タワーの屋上展望台「東京スカイデッキ」内を散策していきます。スカイデッキの高さは238メートル、海抜レベルだと270メートルに達し、オープンエアーの展望施設としては日本一の高さを誇っています。




スカイデッキの中央部には森タワーの屋上ヘリポートが設置されていて、その周囲をウッドデッキや展望スペースなどが整備されています。たまにヘリコプターが降下してくることもあるそうですよ。




スカイデッキより南東方向(JR品川駅方向)です。屋内展望台からの眺望では、強化全面ガラスに太陽の光が反射していて、撮影するのが非常に難しくて苦労したのですが、こちらスカイデッキだと、その心配が一切ないです。




JR品川駅周辺と、品川駅港南口側に広がっている高層ビル群「品川インターシティ・グランドコモンズ」をズームで撮影しました。霞みがかってしまっていますが、高さ150メートル前後の高層ビル群が壁のように広がっているのが解ります。




避雷針や通信アンテナなどの屋上機器なども間近で見学することが出来ます。たまに点検のための係員の人たちを見かけることがありますが、この日は無人でした。




風速計や避雷針などに交じって、八木アンテナらしきもの?を発見しました。地上デジタル全盛期の今の時代に八木アンテナ?と驚いてしまいました。




ウッドデッキは屋上ヘリポートともつながっているので、ヘリポート内を散策することも可能です。ヘリポートの周囲には排水溝が整備されていて、雨水がヘリポート面に貯まらない仕組みになっていました。




逆光状態でしたが、頑張って南側の元麻布地区や白金台エリアの住宅密集地を見下ろして撮影しました。手前側には高層ビルの外壁やガラス窓を洗浄するためのゴンドラを吊り下げるクレーン装置が写っています。




スカイデッキの2か所に設置されている写真撮影スペース「SKY DECK PHOTO」です。ここでは記念写真の撮影サービスを1枚1500円で受けることが出来ます。


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