Quantcast
Channel: 緑の、東京ブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 6321

初夏の大阪:新緑眩しい御堂筋を散策する PART5

$
0
0


御堂筋と本町通りが交差している「船場中央3交差点」から、本町地区のオフィスビル街の中を散策していきます。新緑のイチョウ並木道に沿って、大通りの両側にはオフィスビル街が続いているのです。




周辺は淀屋橋と並んで大阪最大のビジネス街となっています。「淀屋橋−本町の会社に就職すること」がステータスシンボルと言われる傾向があり、東京の丸の内に街並みの雰囲気が似ています。日本を代表する大企業が数多く集中するほか、地方銀行の大阪支店も多くが当駅付近に集中しているのです。




アメリカのスターウッド・ホテル&リゾートの最高級ブランド「セントレジス」の日本進出第1号で2010年10月に開業した「セントレジスホテル大阪」の敷地の脇を通り抜けていきます。




「本町3交差点」前に到着しました。この交差点の真下には大阪市営地下鉄御堂筋線の本町駅が設置されているのです。本町駅周前から一つ北側の淀屋橋駅周辺にかけてオフィスビル街が広がっています。




この界隈は江戸時代の大坂場下の中心として古くから発展してきた歴史があります。明治維新度も大阪最大のオフィス街として発展して来たのですが、近年は梅田・JR大阪駅周辺にオフィス街の重心が移り変わりつつあります。




本町地区のオフィスビル街の中をしばらく歩いていると、前方に「北御堂」の建物が見えてきました。御堂筋という通りの名前は、北御堂と南御堂(真宗大谷派 難波別院)を繋ぐ道であることに由来しています。




北御堂の正式名称は「浄土真宗本願寺派 本願寺津村別院」といいます。1591年に本願寺が京都へと移転し、在阪信徒により集会所が設けられます。その後の1597年に集会所を円江(津村)の地に移転し、坊舎を建立(津村御坊)したのです。




別院名の「津村」とは摂津国西成郡の郷名で、入り江であった古代の円江(つぶらえ)から転じたと言われています。市街化されて船場となった後も、明治5年(1872年)まで当院北に位置する御霊神社にかけての町名となっていました。




「備後町3交差点」前から振り返って北御堂の建物を撮影してみました。新緑のイチョウ並木道と、北御堂の本堂や門の風景は御堂筋のシンボルとも呼ばれているそうですね。




「瓦町3交差点」前です。都市銀行や保険会社、不動産会社の本社や支社等のオフィス街となっています。




「平野町3交差点」前に建っている「大阪ガスビルディング」の建物が見えてきました。大阪ガスの本社ビルであり、1933年(昭和8年)に竣工しました。当時最新式のモダンな建物と言われていたそうです。




本町から淀屋橋にかけての御堂筋のイチョウ並木道、スーツを着たビジネスマンの人たちの姿が目立ちます。御堂筋から路地裏へ一歩離れた場所もオフィスビル街が広がっているのです。




「道修町3交差点」前にやってきました。かつては「薬の町」として発展していて、日本に入ってくる薬はいったん道修町に集まり、全国に流通していったと言われています。その関係で現在でも製薬会社や薬品会社のオフィスが道修町通りの両側に多いことで知られています。




「伏見町3交差点」前に建っているのは2001年に竣工した「明治安田生命大阪御堂筋ビル ランドアクシスタワー」です。カーテンウォールの壁面が特徴的な最先端のデザインのオフィスビルですが、御堂筋のイチョウ並木道の風景に見事に溶け込んでいます。




次回の記事からは、いよいよ淀屋橋地区のオフィス街から中之島へ抜けていきます!!!



Viewing all articles
Browse latest Browse all 6321

Trending Articles